第2章 こころに羽根をもつ少女(3)
「また、きょうもヒロがのぞきにきたよ」
と次女の妃鶴が、母によく報告した。
幼稚園から帰ったヒロは、ほかの園児たちはみんな疲れて家の中で昼寝したり、ごろごろしているのに、またたく間にまたおもてへ飛び出していく。小学生に強くあこがれていたので、姉の小学校時代のランドセルを背負って町じゅうを歩き回ったりした。
ランドセルこそ背負っていかなかったけれど、姉と兄の通う高校へもよく出かけて行った。
妃鶴と三女の千恵子はそのときはすでに高校生。
そして、これが「連れ子どうし再婚」のゆかいなところだけれど、千恵子のクラスメイトに兄・大輔もいたのだ。つまり千恵子は父の連れ子、大輔は母の連れ子。
ヒロは姉と兄のいる高校のグラウンドへ行き、校舎の中で姉たちが授業をしているときに、ひとりで走った。
千恵子はときどき教室の窓からそのようすを見かけることがあった。
なんだか、春のチョウチョが飛んでるみたいだ。
そう思った。恥ずかしい気もあったけれど、みんなに自慢してやりたい気もあった。
ヒロは、高校の放課後、体育館で部活の練習もよくのぞきに行った。バスケット部が、卓球部が、体操部が練習している。
それをあきることなくながめていた。
小学生になった。
あいかわらず、会津の里をヒロは走りまわった。下校するとランドセルをぽんと家に放りこみ、風とあそぶ。
そういう日々だったから、当然のことながら脚力がついた。
町にマラソン大会があった。
その大会の何日も前からヒロは走った。ただ走るだけでなくコーチにもなった。友だちのラーメン屋の子に、
「速く走りたい、ヒロちゃん教えて」
と頼まれたからだ。
夕方だったこともあるし、学校の始業前の早朝だったこともある。友だちの父、つまりラーメン屋の主人が自転車で伴走してくれた。
そのマラソン大会で、メダルをもらったのは三年生のときだ。
速いと評判の女の子と最後はデッドヒートになった。競り合っているときに、その子の性格はよく出る。
ヒロはちょっと横腹が痛くなった。
――でも、これは気のせいだ、気のせいだ。
と自分を励ます。
競り合っている相手も、ちょっと横腹を押さえている。
――あんたのそれは、気のせいじゃない、気のせいじゃない。
ヒロはそう呪文のようにとなえる。
それが効いたか、ライバルはずるずる落ちていった。
母にメダルを見せたら、母は、なんと涙ぐんでしまった。そんなに反応されるなんてヒロは思っていなかったから、戸惑ってしまったけれど、最後のデッドヒートのとき、
――お母さんによろこんでもらいたい。
そういう気持ちが踏んばりになったことは事実だった。
幼稚園のときにランドセルを背負って歩いたように、小学生になったらこんどは姉の中学時代のブカブカのセーラー服を着て街を歩いたりした。
……と、そんなふうに活発で、ちょっと風変わりな少女だったが、とても多感なこころも持っていた。
日曜日には、母と姉たちといっしょに教会に必ず行った。母は敬虔なクリスチャンだった。
ヒロの、教会のいちばんの楽しみはお菓子だった。
会津は城下町がどこもそうであるように、お菓子の名品が多い町だ。古い趣のある暖簾を下げたお菓子屋をよく見かける。
黄粉ねじり、あんこ玉、だるま飴……教会に来た子にはそうしたお菓子が振る舞われた。ヒロは、
――今日は何かな。
日曜日が楽しみだった。
けれども、お菓子がすべてだったわけではない。あつまった人々がみんな静かに頭を垂れる中、牧師が聖書の一節を読む。その雰囲気が、ヒロはなぜか好きだったのだ。
小学生だから、「高潔」ということばを知っていたわけではないけれど、そういう凛としたものを感じ、牧師の読んでいる聖書の内容などちっとも分からなかったのに、じっと耳を澄ませていた。
ヒロはまた、絵が得意だった。
とくに外の景色の写生が好きで、描き始めたらまわりで何が起きても気づかないぐらい集中した。
刻一刻と、いま描いているものの形が変わっていくのがヒロには見えるのだった。
「え? だって、山は山でしょ。動かないよ」
と、友だちはヒロがそのことを話すとふしぎがった。けれども、ヒロにとったら、
――えーっ、そんなぁ、動いてるのがみんな見えないのかなぁ。
と、そっちのほうがふしぎだった。
光と影の微妙な関係を見抜く力があったのだろう。だから、この世のどんな物体も、どんな事象も、ヒロにとったらつねに動いているのだった。
そういう少女の描く絵は、いきいきと魅力的だった。県内のコンクールでいくどか賞をもらった。