第8章 あきらめないということ(3)
歌手活動を辞めたヒロは、そのまま芸能活動からも遠ざかった。一応事務所に所属してはいるが、今後仕事をすることはないだろう。事実上の引退である。
『Forest』の仕事はつづけていた。
店でのヒロは以前と変わらず、おかげで店は繁盛していたが、心はハリを失っていた。惰性で仕事をしている、オートマティックな日々をヒロは過ごしていた。
そんな時、地元の市会議員から選挙活動の手伝いを頼まれた。CDプロモーションの時に後援会の主婦達を紹介してくれた、あの議員である。事務所へ行くと洋服の仕立て屋が来ていた。真っ赤なスーツを着て選挙のマスコットガールをしてほしいという。ヒロは乗り気でなかった。もう人形のように振る舞うのはごめんだ。けれど議員のあまりの気迫に圧されてしまい、引き受けることになってしまった。いまのヒロにはきっぱり断る気力もなかったのだ。
ヒロは事の顛末を父母に伝えた。案の定、二人は渋い顔である。
「あの議員さんにはCDの時に世話になったから、無下には断れないけどな……」
事情を知っているだけに、父も今回は強く反対できなかった。
その分、父はいつにも増して娘に肩入れした。
マスコットガールといえども、ただマイクを持って黄色い声を出していればいいだけではない。票集めに必要な署名活動なども手伝わされた。もちろんヒロは何をどうすればいいのかもわからない。戸惑う娘に父は言った。
「そんな裏方の仕事は俺に任せとけ。お前は笑顔で手を振ってりゃいいんだ」
胸をたたいた父をヒロは改めて頼もしく感じた。
父は、ヒロが応援する議員の票集めを自分の会社で始めた。
会津の店を畳んで千葉に移ってから、父は地元の建設会社に勤めていた。慣れない会社勤めで始めは戸惑っていたようだが、次第に持ち前のカリスマ性を発揮し、社内で一目置かれる存在になっていた。
票集めといっても、もちろんおおっぴらにはしない。自分を慕ってくれている同僚や部下達を慎重に選んで、娘が選挙活動のマスコットをやっているという話題をさりげなく振るのだ。CDデビューの時にうるさいくらい売り込んでいるので、皆ヒロのことを知っている。今でも熱心なファンでいてくれる部下もいるくらいだ。これだけである程度の票が読める。父らしい賢いやり方だった。
けれどそれが仇になった。突然、父が会社をクビになったのだ。社長の鶴の一声で決まったという。
もともと父は社長とソリが合わなかった。人望がある上に自己主張が強い父を社長は苦々しく思っていたらしい。それに加えて今回の選挙活動である。具合が悪いことに、同じ選挙で社長は対立する議員を応援していた。父の行動を知った社長は日頃の鬱憤を爆発させ、衝動的にクビを言い渡したのだ。
冷静に考えればもちろん不当解雇である。それに父は本格的に選挙活動をしていたわけではない。でもそこは地方の小さな会社である。ワンマン社長の言うことに誰も逆らえない。
父も父で、
「こんな会社、こっちから辞めてやらあ」
と啖呵を切って社長室から飛び出してきたのだというから、実態はただのケンカ別れに近い。
いかにも父らしい行動に、母をはじめ他の兄姉たちはあきれるだけだったが、ヒロはすぐには口をきけないほどのショックを受けた。
すぐに選挙の応援を辞退した。
――私が父の人生を狂わせてしまった。
ヒロの頭に拭い去れない罪悪感がフラッシュバックする。カモのときと同じだ。どうにもできなかったとは言え、自分の行動が他人を不幸にしてしまう。何度繰り返せば気がすむのだろう。
父はヒロには何も言わなかった。
「しばらくヒマになったから、庭いじりでも始めるとするか」
豪快な父の笑い声が、ヒロにはカラ元気にしか聞こえなかった。