第2章 こころに羽根をもつ少女(1)
阿賀川、宮川、只見川という三本の川によって作られた会津盆地は、ひろびろと広がる田園地帯である。そして、あの磐梯山がそそりたつ。
そうした山河に見守られ、この地には美しい四季が訪れる。
夏には積雲が峰とそびえ、蝉しぐれが森に響きわたる。
手の切れそうに冷たい岩清水に、ごろごろと大きなスイカが泳いでいる。天然の冷蔵庫だ。
引き上げて、包丁を入れればとたんに、
パチリッ。
割れて、みずみずしく、あざやかな赤が現れる。頭の上には、シオカラトンボがすいすい。
秋には、全山が燃えるような紅葉。
その秋がしだいに深まり、枯葉が大地を敷きつめ、そして雪だ。
この地に、雪は深く降り積もる。
ものみな埋め、白に沈める。
その雪に長く閉ざされるが、それだけに遅い春が訪れたときのよろこびは大きい。
水が温む。
草花は息を吹き返す。
陽はきらきらとあたり一面に降りそそぐ。
こうした自然の幸が、この田園地帯をめぐるのだけれど、この地の人々の精神風土にも特徴がある。
「ならぬことはなりませぬ」
会津藩校だった日新館の童子訓だ。
この問答無用のひとことは、会津人のこころに大きな影響を与えつづけているといわれる。
あの白虎隊の悲劇を残した地である。歴史の変わり目に、身を投げ出して立ち向かった人々が多くいた。
そうしたところから生まれた
「筋の通らぬことは許さない」
という毅然としたこころの風景。
もちろん、やみくもに頑固であるとか強情というのとは、すこしちがう。この地の気候風土のように、風通しがよく、透明感にあふれている。
根は明るいが、曲がったことをきらう。
それが「会津っぽ」といえるだろう。
あれは、この会津の地に例年にもまして大雪が降った朝だった。
どの家も、すっぽり一階が埋もれた。
玄関戸は湯をかけてようやく開けられる。開けたら目の前は雪の階段である。通りに出るのはその階段を昇っていくのだ。
そんな豪雪の朝、除雪車を先導にして一台の車が走る。
せっぱつまったスピードだから、ほかの車はみんな道の片隅によけて見送った。
そのあまりのただならぬようすに町の人は、
「まるで、キリストの誕生みたいだ」
と冗談を言い合ったが、それはまんざらハズレの冗談ではなかった。いままさに、ひとりの子が母の胎内からこの世に出ようとしていたからだ。
それは、産気づいた母を乗せた猛スピードの車だったのだ。
「あんなにまわりを騒がせてこの世に出てきた子だから……」
ずいぶんあとになってからだが、産んだ母は言った。
「きっと、まわりを騒がせ、世の中を動かすような女になるわよ、この子は」
母は毎年ヒロの誕生日にはきまって、
「あの日はねえ、雪がいっぱい降って除雪車が通り、その除雪車を先導にして……」
と繰り返すのだった。