芸人修行スタート
それは19歳の春だった。
急に巣立ちが決定し、父親はどことなく不満げで困惑を隠しきれない様子だった。
母親はどことなく哀しげな表情で最寄り駅まで送ってくれた。
「桜が咲いているね。」
と、母親が呟いた。
それを言葉にするのが精一杯な様子だった。
ふと見ると桜が満開でボクの巣立ちを歓迎してくれてるかのようだった。
しかし華やかな芸能界であるが故に、これから迫りくる得体のしれない不安を指し示している気もした。
何事も表があれば裏もある。
ボクの芸人修行の第1歩は専門学校からスタートした。
親のスネかじりは心苦しいが、きっかけは何でもよかった。
どこでどうなるかわからない世界だ。
売れたら何倍にもして返してあげたら親孝行できると考えていた。
この専門学校の入学試験は至って単純で、朗読と面接のみだった。
要は字が読めて話ができればOK。
実際入学してみると定員の何倍もの人数が合格していた。
金さえ払えば誰でも入れた。
全国から自分も含めて親のスネかじりで、野心だけムキ出しの勘違い野郎共が、一体何百人入ったのだろうか。
ボクの入ったクラスはコメディークラスだった。
全体的にはどこか地味でお笑いの人達といった印象とはかけ離れた雰囲気だった。
まあみんな初めて踏み入れた世界だし、暗い方が成功する説もある位だから最初なんてそんなもんだろう。
しかし授業はネタ見せなどあったものの、肝心のネタは作ってこないわ、出された課題はやってこないわ、毎日『やる気あんのか!』と説教ばかりされるクラスだった。
おまけに担任の先生からはコメディークラス史上最低という不名誉な烙印まで押された。
最初に組んだ相方とはボクが高校生時代に作った時事ネタを取り扱った漫才を提供して毎日稽古に励んだ。
その甲斐あってか専門学校主催のお笑いライブにネタ見せで合格し、ゴングショーコーナーに出演した。
ゴングショーコーナーとは芸人がネタをやっている最中にお客さんがつまらないと思ったら手をあげて10人あがればネタの途中で強制終了という、芸人からすれば屈辱的なものだった。
最初の相方とのコンビ名は突然変異という名前にした。
何としても一発当ててやろうと高校生の時から温めておいたコンビ名だ。
2ヶ月びっちり稽古したんだから間違いない、絶対通過すると思い込んでいた。
しかし現実は違った。
ネタ帳のページ数にして1ページも終わらないうちに鐘がなってしまい、ステージは暗闇に包まれた。
強制終了だった…
この結果に対して相方は腐りきってしまった。
おまけに当時流行っていた『たまごっち』にハマってしまい、お笑いなんてそっちのけになってしまった。
そしてしきりに『オレは元々コントがやりたかったんだ!!』と、敵意をムキ出しにされてしまった。
しかたなしに相方が作ってきた、顔面天気予報というコントをやる事になった。
それは晴れ、曇り、雨という天気に合わせてボクの表情が変わるというネタだった。
しかしそのネタ見せの際、大学ノートでボクの顔をボコボコにひっぱたくため、ネタ見せに立ち会った先生が『これはお客さんがひいちゃうよ。』との見解から、ネタ見せの時点で落選した。
痛いよ〜大学ノートの角でひっぱたかれるのは。
よかったら誰か試してみて。(笑)
こうなってくるとますますコンビ仲は険悪になり、お互いに顔を合わせるのも辛くなってしまった。
軌道修正する器量も無く、歩み寄る言葉
も見つからずにコンビ解消してしまった。
次に組んだ相方はツッコミに定評のある奴だった。
今時珍しく苦学生で、新聞配達しながら学費を工面して通学していた。
「コイツとだったらボクをうまく生かせて突っ込んでくれるかもしれないな。」
そう思って声かけてコンビを組んだ。
コンビ名は刺すような笑いという意味で、ごすんくぎという名前にした。
この相方とも時事ネタを取り扱った漫才をやった。
毎日稽古してネタ見せに行って合格した。
しかし前のコンビの時もそうだったが、ボクは声の小ささを指摘されていた。
高校生の時は恐らくそんな事もなかったと思うのだが、あの八方塞がりでウツウツとした暗黒の一年の後である。
病み上がりの体に等しい状態での戦いだ。
一番芸人として大切な声が出ないのは致命的だった。
原因はよくわからなかっだが、とにかく発声練習を勧められた。
結果、気持ちの問題であった事に後で気づかされた。
そしてこの相方とも2回舞台を踏んだのだが、やはり『コントがやりたい』との申し出により、前のコンビ同様わずか2ヶ月でコンビ解消してしまった。
別にコントがやりたくなかった訳ではないけど、自分としては毒舌漫才に憧れて入ってきた道だったので、やはり漫才にこだわっていたのかもしれない。
しかし闇雲にコンビを組んでも仕方ないと思い、次のコンビ結成まで一回だけピンでネタをやった。
それは子供番組の司会者が虎と会話するという、今考えてみてもよくわからないネタだった。
形式としては落語みたいなものだったと思うが、とてもネタとは呼べないシロモノだったと思う。
それをまさか成人式の2次会で発表させられる事になろうとは夢にも思わなかったが………
次に組んだのが南極探険隊というコンビだった。
寒い笑いを模索するという逆説的な意味だったかな?(笑)
また相方にコントがやりたいと言われて解散するのは、まっぴらごめんだったので最初からコントをやった。
コントの設定は自動車教習所に通っている教習生(相方)が学科の勉強をしていたら、何者か(ボク)が出てきてデタラメな問題を口頭で出して困らせるという内容だった。
これは恐らくボクが専門学校1年生の夏休みに、終わってなかった教習所の課題を終わらせて免許を取得したのが起因していると思う。
このネタの時はなぜかライブの構成がゴングショーから2分ネタコーナーに変わり、投票数の多かった芸人が1本丸々ネタをやれる1本ネタコーナーに上がるシステムになった。
そしてこのシステムのおかげか、投票数でトップになり、翌月のライブでは1本ネタコーナーに昇進して出場するはずだった。
しかしこのライブの際、お客さんという名の友達を1人も呼んでなかったからという理由で出場停止になった。
ゴングショーコーナーに出ていた時だって呼んでなかったのに!
なぜだ!なぜだ!なぜだ!なぜだ!なぜだ!なぜだ!なぜだ!なぜだ!なぜだ!なぜだ!なぜだ!なぜだ!なぜだ!なぜだ!なぜだ!なぜだ!なぜだ!なぜだ!なぜだ!なぜだ!なぜだ!なぜだ!なぜだ!なぜだ!なぜだ!なぜだ!なぜだ!なぜだ!なぜだ!なぜだ!なぜだ!なぜだ!なぜだ!
これには相方共々腐ってしまった。
この後訪れる暗黒の10年間で最後まで悩まされたのが、芸人がライブを見に来る人間を集客するというシステムだった。
大手のプロダクションはよくわからないが、弱小プロダクションや個人でライブを主催している所だとチケットノルマというものが発生する。
例えば1人1000円のチケットを3枚で3000円分といった具合で3人呼べたら芸人の負担は無いので財布は傷まないが、呼べないとその分が自己負担になる。
この専門学校主催のライブは生徒が芸人として出演していたため、現金をノルマとして支払うという事はなかった。
恐らく当時は入場料も無料だったと思う。
だのに〜なぜ〜出られないんだ〜!(怒)
結局1本ネタコーナーに在学中は1回も出られなかった。
1年生の終わり位に別のプロダクションの養成所とウチの専門学校の対抗戦ライブが行われる事になった。
問題はこのライブの際に行われる合同コントだった。
合同コントとは各コンビなどバラバラにメンバーをシャッフルして、笑いのある芝居のような事をやる事で集団コントとも呼ばれる。
このコントのネタ作りをボクと他の芸人2名が中心になって作るように作家の先生に命じられた。
これには困ってしまった。
合同コントなんて作った事ないし、当たり前だがやった事もない。
作った所で却下されたら腹立ただしい事極まりない。
実際何回も却下された。
チッ!!
結局ダラダラと授業との間の休み時間などを利用してコメディークラスー丸となって不毛な時間をダラダラ過ごした。
まあまとまりのないクラスだったためか、ネタもちっともまとまらない。
早く台本を作って稽古をしたいと思っていたのだが、原案ができないのでは動きようがない。
とにかくただひたすらダラダラ過ごした。
他のコメディーと関係ない授業も連絡して休んだら怒られた事もある。
確かボイストレーニングの授業だったと思うが、その先生ではなく電話を取った他の先生に
「合同コント作成のため休みます。」
「何だその理由は!ふざけてんのか!」
大半の生徒は連絡しないで休む場合が多かったのだが、几帳面に連絡してしまった災いした。
まあダラダラ過ごしまくって気が狂った。
そしてあまりのダラダラ感についていけなくて合同コントのメンバーから外された。
外されてホッとした。
またウツウツとする位なら自分のネタだけやってた方がまだマシだ。
結局通常のコンビネタだけ出演する事になった。
この対抗戦は5組ずつ芸人が出演して柔道の試合みたく先峰、次峰、中堅、副将、大将てな具合に双方2組ずつネタを披露し、その都度5人の審査員が面白かった方の札を上げて勝敗を決定するというものだった。
我々南極探険隊は勝利したが、それは対戦相手が弱かったかららしい。
他の芸人だったら負けてたとの事だった。
結局南極探険隊だけが勝利して後は全敗だったため、チーム全体としては大敗を喫した。
コンビとしてはこれを機に軌道に乗って2年生になっても順調に活動していくはずだった。
しかしそれは単なる思い込みで相方はボクに何も告げずに学校を辞めてしまい、連絡さえ取れなくなってしまった。
これにはボクも訳がわからなくなってしまい、正直学校を辞めてしまおうかと思った。
しかし短大も中退して専門学校も中退では親に申し訳ないし、世間様にも顔向けできない気がした。
親にもその事を指摘されて『あまり重く考えずにお笑いなんだから冗談めかして後1年適当にやれ。』との事だった。
そう言われると何だか気持ちが楽になり、後1年適当にやって授業も必要な単位ギリギリで卒業すればいいや、と思った。
この学校は前述通りお笑いやお芝居に関しての授業以外にも直接芸能と関係ないものもあった。
その中でも楽そうな、座って話を聞いていれば単位がもらえるものばかり選んだ。
そんでも1年生の時に単位取りまくってたので2年間の在学で94単位取ってた。
2年生になるとコメディークラスは半分以下になっていた。
辞めたのもいれば他の学科に移ったのもいる。
2年生の文化祭の時もなぜか合同コントをやる事になった。
それは某有名大手プロダクションのお笑いコンビのイベントがあり、その前座でやる事になっていた。
コメディークラスの人数も10人位しかいなかったので、1年生の時よりは合同コントのネタ作りはスムーズだった。
あんまり内容を覚えていないので面白くなかったと思うが、なぜか作、演出、プロデュースが全部ボクという事で紹介されてしまった!
違うのに!
お客さん達は入場の際、「こんな近くであの人達が見られるなんて!!」とあの人気お笑いコンビを最前列で見られる事に対して浮き足だっていた。
しかし見せられたのは我々のグダグタな合同コントで、その後すぐに人気コンビのイベントであればまだ口直しで救われた。
しかし実際は準備のためか我々のグダグタコントの後、客は全員外に並び直しになり、先程最前列にいた客はお望みのイベントでは最後尾に並ぶハメになり怒っていた。
そりゃそうだろう。ほぼ詐欺に等しいよね。(笑)