第二章 第8話 フェーズが変わる違和感(Lv3)
B3増設をし、一旦家庭に戻る。何も変わった事は無い。何も。しかし・・・
現実のリビング。
直人は一度、深呼吸した。
時計を見る。
壁時計。スマホ。PC。
三点確認。社会人の癖。
「……時間、合ってる」
合ってる。
なのに、喉の奥がざらつく。
何かが――欠けている。
いや、正確には「欠けたこと」だけが、指先に残っている。
直人は寝室の妻の方を見る。
娘の部屋の方も見る。
(大丈夫だ。家族はいる。……いる、はずだ)
その“はずだ”が、怖い。
直人は無意識にスマホを開いて、家族のグループチャットを探した。
いつもなら指が勝手に動く。
なのに、指が一拍迷う。
「……あれ」
何を確認したかった?
何かを――報告しようとしていた?
でも、その“何か”が思い出せない。
直人は眉間に皺を寄せる。
(仕事の癖か? 疲れてるだけか?)
違う。
疲れとは別の、空白だ。
直人は低い声で呟いた。
「……気持ち悪い」
背後から、ぬるい声。
「違和感、出ましたね♡」
振り向くと、ミリアがそこにいた。
現実の顔。幼稚園の先生みたいな顔。
でも目だけが、異界のまま。
直人は反射で言った。
「お前、いつから」
ミリアがにっこり。
「ずっといました♡」
「それが怖いって言ってる」
ミリアは指を一本立てた。
「直人さま♡ B3できました♡」
直人が固まる。
「……は?」
「増築完了♡ そして――Lv3♡」
直人の胃が沈む。
(だからズレるのか。だから空白が――)
直人は短く言う。
「……魔界に戻る。確認する」
zoomでミュートする。
PCの“魔王”コマンドを押した。
玉座の間。
無駄に豪華。圧がある。
座らない。
直人は喉を押さえる。
「……だから、体感がズレてる?」
ミリアが頷く。
「はい♡ レベルが上がると、ミュートの効きが変わります♡」
「効きって便利な言葉だな」
「効きます♡」
直人は短く言った。
「数字で」
ミリアは涼しい顔で即答する。
「はい♡ 直人さま、計算大好き♡」
「好きじゃない。逃げられないだけだ」
ミリアは指を折る。講師みたいに。
「Lv1:ミュート5分で、魔界1日。復活は1年♡」
直人は頷く。そこは知ってる。嫌になるほど。
「Lv2:ミュート5分で、魔界2日。復活は3年♡」
直人の胃が沈む。
「……倍になって、罰も伸びる」
「はい♡」
ミリアは最後に、指を三本立てた。
「Lv3:ミュート5分で、魔界4日。復活は7年♡」
直人は目を細めた。
「……四日?」
「四日です♡」
「会議一回黙るだけで四日進むのかよ」
「黙るほど進みます♡」
「たった5分でか」
直人は息を吐いた。
違和感の正体が、数字になって胃に落ちる。
現実では5分。
異界では四日。
その差が、身体感覚として残る。
“処理が増えた”感じがするのは当然だ。
直人は低い声で言った。
「……便利になるほど、死ねなくなるやつだ」
ミリアが嬉しそうに頷く。
「理解が早い♡」
「どちらにしても死ねないからな」
直人はもう一つ聞く。
「で、レベルはどうやって上がった」
ミリアがにこっとする。
「階層が成立したら上がります♡」
「成立?」
「B2出来たとき、Lv2になりました♡」
「……うん」
「B3出来たとき、Lv3になりました♡」
直人は眉間に皺を寄せる。
「じゃあ今は“1階層=1レベル”じゃねえか」
ミリアは笑う。
「今は♡」
「でも」
「そのうち重くなります♡」
「どのくらい」
ミリアはニコニコ笑うだけ。
玉座の間。
豪華。無駄。圧がある。
今は座る。考えたい。
UIが点灯していた。
【魔王Lv:3】
【ミュート5分=異界4日】
【復活:7年】
直人は低い声で言った。
「数字はいい。分かった。問題は――」
ミリアが即答する。
「代償ですね♡」
直人は目を細める。
「……今、現実で“何か”が抜けた」
ミリアは涼しい顔で頷いた。
「はい♡ 記憶が一つ、消えます♡」
直人は固まる。
「……は?」
「レベルが上がるたびに♡ 直人さまは人間なので♡」
「待て待て待て」
直人は一歩前に出た。
声が出そうになって、喉で止める。
ここで叫ぶと、世界が加速する。
最悪の反射神経だ。
直人は低い声で、噛み殺すように言った。
「……なんで今言う」
ミリアがにっこり。
「聞かれなかったので♡」
「聞く前提にするな!大事な事だろ!ロールバック(復元)できないのか!」
「できません♡」
「仕様書……持ってるわけないな……」
ミリアは指を折って説明する。わざと優しい口調で。
「魔界住人は関係ありません♡
でも、異界の人間は“器”が違うので、レベルアップの負荷が“記憶”に来ます♡
消えるのはたぶん一つ。昔だったり、直近だったり、ランダムです♡」
直人の顔が引きつる。
「ランダムって……娘の顔とか消えたらどうする」
ミリアは少しだけ目を細めて、楽しそうに言った。
「だから♡ 軽々しくレベルを上げない方がいいんです♡」
直人は呻くように言った。
「……それを先に言え」
「言ったら上げないから♡」
「当たり前だろ!」
直人は息を吸って吐く。
頭の中で、恐怖が現実の形になる。
(ミュート5分で4日進む)
(復活は7年)
(そしてLvアップのたびに、記憶が一つ消える)
直人は、ようやく理解した。
これは強化じゃない。
記憶の切り売りだ。
直人は絞り出すように言った。
「……俺は、何を失った」
ミリアが首を傾げる。
「それは、直人さまにも分かりません♡」
「そんなバカな」
「はい♡」
背後から、氷みたいな声。
「異界の魔王さま。訓練です」
シズクだった。
いつの間にか、もうそこにいる。
存在が理不尽。
直人は振り向く。
「今それどころじゃ――」
シズクが即答する。
「今です。忘れる前に体に覚えさせます」
直人は乾いた笑いを漏らしそうになった。
シズクは淡々と言う。
「記憶が削れるなら、動きは反射に落とします。訓練です」
ミリアが小声で言った。
「合理的♡」
直人は低い声で返す。
「合理的にすぎて怖い」
シズクが直人の袖を掴んだ。遠慮ゼロ。
「訓練部屋へ」
「待て」
「待ちません」
「俺、今、人生の――」
「人生は後で。訓練が先です」
「雑すぎる」
「魔界は雑が標準です」
直人は抵抗を諦め、喉を鳴らした。
「……くそ」
訓練部屋の扉が開く。
遊び場の魔物たちが、なぜか一斉に静かになった。
直人は奥歯を噛み締め、言葉を絞り出す。
「……これ以上、失いたくない」
(続く)
思わぬ落とし穴がある事を聞かされ、直人は衝撃を受ける。気持ちの整理がつかないまま、次々に事態は進んでゆく。




