第二章 第2話 ミュート(5分)
魔王装備を整えた直人。シズクに魔界の洗礼を浴びるも、ダンジョン管理者、魔王として定義された以上、家族を守る目的に向けて進む事にする。
玉座の間から「現世」を押して戻った直人は、まず現実の確認から入った。
寝室は静か。妻と娘の呼吸も規則正しい。
(よし。家庭内インシデントは回避)
机に戻り、ノートPCを開く。
画面右下に、あのボタンがある。
【コマンド】
・管理
・修繕
・雇用
・封印(実行済)
・魔王
「魔王さま♡」
ミリアが、リビングの空気を吸って、にっこり笑う。
青いダイヤのネックレスが、現実の照明で嫌に冷たく光る。
直人は椅子から半分ずり落ちた。
「なんでいる」
「出られるようになりました♡」
「誰の許可で」
「現世ボタンで私も出られます。残留ですから」
「ボタンじゃないコマンドだ」
「魔王さまの秘書なので♡」
「最悪だな。家族がいるんだぞ。」
「私もファミリーです♡」
直人は絶望しながらも深呼吸する。
しかし、自宅に推し・・・
もとい、家族以外の女性がいるのは、呼吸に良くない。
汗を拭きながら、コンソールに集中する。
直人は設定を開いた。
設定欄の片隅に、見覚えのない項目がある。
【環境:演出照明(夜)】
管理者:ミリア(手動)
備考:気分が上がる
直人は画面を指で叩いた。
「……手動?」
ミリアが澄ました顔で頷く。
「はい♡ 趣味です♡」
「業務に趣味を混ぜるな」
「混ぜるとおいしいので♡」
「料理の話じゃない」
背後でぬるい声。
「映えます♡」
「その趣味、廃止」
――空気が一段、冷えた。
ミリアの笑顔が、口だけ残った。
目が笑ってない。
青いダイヤの光が、なんか鋭い。
「……廃止、ですか」
声は甘いのに、温度がない。
「廃止。『会議で夜になる』は無し。今すぐ」
直人は淡々と追撃する。
「暗いは事故の危険がある。危険は排除」
ミリアは一拍置いて、笑顔のまま言った。
「はい♡ 廃止しました♡」
その直後、胸の前で両手を組み、子どもが拗ねたみたいに肩を落とした。
覚めた目つきになっている。
――いつもか。
でも、明らかに不満顔だ。
「……あれ、好きだったのに」
「知らん」
「雰囲気が♡」
「要らない」
「ドラマチックが♡」
「要らない」
「直人さま、無情♡」
「業務判断だ」
ミリアは唇を尖らせ、ぼそっと言った。
「……じゃあ、代わりに“別の”趣味を――」
直人が即切る。
「却下」
「えー…………はい♡」
言いながら、ミリアの眉がほんの少しだけ吊り上がった。
そのまま、やけに丁寧に微笑む。
「直人さま。不満です♡」
「笑顔で言ってもダメだ」
直人は深呼吸し、キーボードに指を置く。
仕事の癖で、要点だけを拾う。
「レベル。時間。そこだけ教えろ。一言でいい」
ミリアが肩をすくめる。
「はい♡ すごく短く言います♡」
「要点が知りたい」
ミリアは指を一本立てた。講師みたいに。
「魔王さまは今、Lv1です♡」
「Lvがあるんだな」
「LV上げが流行りです♡」
直人は無視して続ける。
「で、時間」
ミリアはにこっとして、わざと簡潔に言った。
「現実でミュート5分。それで、こっちは――1日動きます♡」
直人の眉が動く。
「……1日」
「はい♡ Lv1なので♡……ただし、少し“負荷”が来ます♡」
「それだけ?」
「それだけです♡」
直人は、思わず肩の力を抜きかけて――抜けなかった。
最小の数字ほど、怖い。
「じゃあ、俺が会議で黙るたび、ダンジョン側で一日進む」
「はい♡」
「……日報が増えるな」
「増えます♡」
ミリアは楽しそうに首を傾げる。
「直人さま、現実の会議では?」
「黙って聞く時間が長い」
直人は自分で結論を出した。
(俺が“受け身”の会議ほど、向こうが勝手に進む)
それは、運用として最悪だった。
やるなら自分の手で進めたい。
進むなら把握したい。
直人は画面の端を見た。
Zoomはまだ繋がっていない。
今日は休みじゃない。明日も仕事はある。
(これ、放っておくと――またミノタウロス案件になる)
背後でミリアが、わざとらしく囁く。
「だから魔王さまは、忙しい♡」
「忙しさは褒めるところじゃない」
直人は一度、魔王コマンドから目を逸らして、現実の時計を見る。
秒針は普通に動いている。
止まって見えたのは錯覚。
でも、空気の密度が変わった感覚はまだ残っている。
「……質問」
「はい♡」
「俺がミュートを切ったら、こっちの時間はどうなる」
ミリアは指を一本立てた。
「基本は通常速度に戻ります♡」
「通常って、現世と魔界と同じ?」
「そこまでピタッとは揃いません。ズレは残ります♡」
「ズレって、どれくらい」
「……“待てば分かる”くらい」
「雑だな」
「でも大事なのはここです♡」
ミリアはにこっと笑って、指を二本に増やした。
「ミュート中だけ加速。解除したら同時進行。これが標準です♡」
「最初からそう言え」
「魔界は最初に結論を言う文化がないので♡」
「ややこしいな」
直人は椅子の背にもたれ、最低限のルールだけを頭に固定する。
ミュート5分=(今は)1日
だから、現実の“無言”が異界の“稼働”を生む
進むなら、管理が要る
――そこまででいい。
数字は増やすな。今は。
直人は静かにマウスを握った。
「……Lvを上げるとどうなる」
ミリアが即答する。
「早くなります♡」
「一言で済ますな」
「一言で済ませて、と言ったのは直人さまです♡」
「……確かに」
直人は舌打ちを飲み込む。
自分の要求に負けるのは、嫌いじゃない。
ただし相手がミリアだと腹が立つ。
直人は玉座の間を思い出す。
豪華すぎる部屋。
あそこで“魔王”としての何かが進む。
そして、戦闘メイドのシズク。
――あいつは強い。
強すぎる。
Lv1魔王より強いと、平然と言った。
(つまり、俺はまだ“管理者”のままだ。しかも「異界」の魔王の肩書きだけ)
直人が椅子に座り直した、そのとき。
PC画面の隅に、小さな通知が出た。
ポップアップではない。淡々とした、事務的な文字。
【訓練予定】
場所:訓練部屋
担当:シズク
内容:魔王装備の安全運用(初期)
直人は無表情のまま小声で言った。
「……安全運用って何だよ」
背後でミリアが、露骨に不満そうな顔のまま答える。
「事故防止です♡」
「事故って…くっ…」
「シズクが♡ 容赦なく♡」
「嫌な情報だけ鮮明だな」
直人は画面から目を離さず言う。
「で、どこだよ。訓練部屋って」
ミリアが、指で宙をなぞる。
「魔王室から行けます♡ “部屋”が増えるのも、魔王の特権♡」
「特権じゃなくて仕様だろ」
直人は一度、呼吸を整えた。
現実の寝室は静かだ。
いまは現世で騒げない。
でも、訓練を先延ばしにすると――また事故る。
直人は“魔王”コマンドにカーソルを合わせた。
押すのは一瞬。
そして――あっちへ行く。
「……行く」
ミリアが満足げに頷く。
「はい♡ 魔王さま♡」
「現世では静かに」
「はい♡ ミュート♡」
会議時間ではないが、zoomを開きミュートする。
直人は「魔王」をクリックした。
玉座の間。
豪華。無駄。静か。
相変わらず“座れ”という圧がある。
直人は座らない。
座らずに、いつもの癖で右手を見る。
――杖がある。
これまでの「管理者の杖」。
……のはずだった。
柄の刻印が、ゆっくりと光っている。
光が走るたびに、文字が上書きされ形状が「それっぽく」変わっていく。
【管理者の杖】
↓
【魔王の杖】
直人は眉をひそめた。
「……自動更新かよ」
ミリアが横で、露骨に不満そうな顔のまま小声で言う。
「バージョンアップです♡」
「嬉しそうだな」
「不満です♡ でも、これは好き♡」
「どっちだよ」
杖の先端が“カチッ”と鳴った。
物理じゃないのに、確定音だけはやけに現実的だ。
画面のようなUIが空中に立ち上がる。
いつものコンソール――より、露骨に豪華そうな見た目。
【杖:バージョンアップ完了】
・名称:管理者の杖 → 魔王の杖
・権限:テリトリー統治(有効)
・追加:魔王室アクセス(有効)
・追加:施設メニュー(解放)
※外観装備と連動します(機能)
直人は低い声で言った。
「……また“機能”」
ミリアが即答する。
「機能です♡」
「お前、便利な単語覚えたな」
「直人さまが教えました♡」
直人は杖を軽く振ってみる。
空気が“切り替わる”感じがした。
玉座の間のUIが、少しだけ言うことを聞く。
直人は一拍置いて、最悪な確認をする。
「……これ、仕様書ないの?」
ミリアは笑った。
「魔王さま管理者♡」
直人は座らない。
座らずに、壁際のUIを探す。
あった。
【施設】
・玉座の間
・執務室
・厨房(※シズク管理)
・――訓練部屋
直人は眉をひそめた。
「厨房、勝手に管理されてる」
ミリアが涼しい顔で。
「魔王さま、手袋で鍋を殉職させますから♡」
「労災の概念はあるんだ」
直人は【訓練部屋】を押した。
(第2章 第3話に続く)
いよいよ少なくとも外見は魔王っぽくなった直人。しかし、まだLV1。しかも魔王業を学習しなければならない。早速シズクからの呼び出し。次回、シズク教育へ。




