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第7話

彼岸さんの腕の中で、赤い月をぼんやりと眺める。うっすらとした意識の中で、必死に思考を巡らせるけれど何も考えられない。


「あんたは月が好きなのか? これから幾らでも眺められる。今は俺を見てくれ」


彼岸さんに強引に顎を掴まれて、顔を向けさせられた。


「もう、あんたは俺のモノだ」

 

唇が重なりそうな程の距離で囁かれる。肩を押し返そうとしたけれど、力が入らなくて触れただけになってしまった。


「毒が強すぎたか? まあいい。抵抗できない方が愛らしいからな」


彼は私の手をとって、手の甲にキスをした。うっとりとした顔で僅かに口角を上げた彼岸さんは怪しげで美しい。


「あ……ぁ……」


「何も話さなくていい。動く必要もない。ここでずっと俺の傍にいればいい」


恐怖を感じれないことが、何よりも恐ろしくて胸が痛い。少しずつ、涙で視界がぼやけてきた。


「迷者? 何故、泣いている?」


私の涙を見た瞬間、彼岸さんが焦ったように目を見開いた。彼は力強く私を抱きしめると、叫ぶようにクロさんを呼びつけた。


「クロ!」


「はっ! いかがされましたか」


「迷者が泣いている。死ぬのか?」


必死な様子の彼岸さんに、クロさんは冷静に答えた。


「いえ。迷者殿の精神は、まだ壊れておりませぬ」


「そうか……それなら……良い」


彼岸さんはホッと息を吐いた。クロさんの方を見ると、彼は無表情で彼岸さんを見ていた。


「彼岸様……」


クロさんは何かを言おうとして、口を閉じてやめてしまった。


「また、壊れないようにしなければ……」


「彼岸様、毒を与え続けては迷者殿の身が持ちませぬ」


「そうだな」


彼岸さんは少し考え込む様子を見せる。そして、眉を寄せると、クロさんに命令を言い渡した。


「クロ、迷者を見ていてくれ」


「はっ!」


クロさんは私を抱き抱えて、部屋に入っていく。私は抵抗出来ないまま、布団の上におろされた。


「すまない、迷者殿。動けないのは辛いであろう。だが、仕方ないのだ。こうしなければ、迷者殿の精神は破壊されてしまう」


「くろ……さ、ん」


話すこともままならない私を、クロさんは苦しげに顔を歪ませて見つめている。


「彼岸様からは、人間の精神を汚染してしまう呪いが出ている。故に、自らの毒を与えることで迷者殿の精神を守っておられるのだ。思考を奪えば、恐怖に縛られることはなくなる。迷者殿を守るには、これしか方法はない」


そう言って、クロさんは悲しげに眉を下げた。


「はるか昔、同じように昏迷の国に迷い込んだ者を彼岸様は保護された。その者と彼岸様は互いに惹かれ会った。だが、彼岸様の呪いによって、精神を壊し自ら命を絶った」


クロさんは私の手にそっと触れる。その目は悲哀に満ちていた。


「彼岸様はあなたを失うことを恐れているのだ。迷者殿、どうかあの方を拒絶しないでくれ」


私は、怒りと悲しみで心がぐちゃぐちゃになりそうだった。無理矢理こんな風に動けなくして、愛を囁かれても少しも嬉しくなんかない。私はただ元の世界へ帰りたいだけなのに。


力を振り絞って、懐から鬼面さんからもらった鈴を取り出した。


「き、……めん……さん」


助けて欲しいなんて、ワガママすぎるのは分かっていた。それでも、彼に縋ってしまいたくなる自分がいる。


「迷者……」


ふらりと廊下から彼岸さんが姿を見せた。白い着物は所々破れており、血が着物を赤く染めている。


「彼岸様!」


クロさんを無視して、彼岸さんは私に近づいてきた。彼は私の手から鈴を奪った。


「チッ……」


彼岸さんは忌々しげに舌打ちをした。パキリと音を立てて鈴が壊されてしまった。


「鬼面め……」


「彼岸様、そのお怪我はまさか……」


「ああ。あいつがすぐ近くまで来ていた」


彼岸さんはしゃがみこんで私を腕の中に閉じ込める。彼は私の頭に頬を擦り寄せて、そっとキスをした。


「鬼面はここには来れない。俺はあんたを手放さない」


「い……や……」


泣き出しそうな声が出た。嫌だ。ここにはいたくない。僅かに残っている力を使って全力で彼岸さんから離れようとした。


「諦めろ」


先程よりも強い力で抱きしめられる。彼岸さんに抱きしめられながら、思い浮かんだのは鬼面さんの姿だった。身勝手なのは分かっていても、それでも助けに来て欲しいと願ってしまう。


「迷者……俺の迷者……」


ゆっくりと私の頬を撫でる手は酷く冷たくて、寒気を押さえるように私はギュッと目を瞑った。


「愛している」


何度も額に口付けられ、その度に肩が跳ねる。うっすらと目を開くと、さらりと彼岸さんの長い髪が私の視界を隠した。鮮烈な赤だけが、私の目に映っていた。


「赤は好きか? あんたには、きっと赤が似合う」


額を合わせて、彼は私に囁く。彼岸さんの唇が私の唇と重なる。私の目尻から涙が零れ落ちた。


「っ……」


彼岸さんに目元を舐められた。彼は私の涙を舐めて、満足気に微笑む。


「鬼面には触れられたことがないだろう? あいつは警戒心が強いからな」


彼岸さんは布団の上に私を寝かせる。もう一度、触れるだけの口付けをすると、名残惜しそうに立ち上がった。


「もっと触れていたいが、今日はここまでにしよう。ゆっくり休め」


彼岸さんは目を細めて、不敵な笑みを浮かべる。


「毒が体に馴染んだら、俺の愛を教えてやろう。鬼面のことなど、忘れるくらいに愛してやる」


そう言って、彼は部屋から出ていった。

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