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第1話

バシャバシャと走る度に水が跳ねる。水溜まりを避けながら走る余裕は、今の私にはない。


「は、はぁ、はぁ、あ、はぁ」

 

薄暗い路地裏をひたすら走る。血のように赤い満月が僅かに路地裏を照らしていた。


「う、は、はぁ、はぁ」


逃げなきゃ。あれに追いつかれる前に、もっと遠くへ逃げないと。


もつれそうになる足を必死に動かして、無我夢中で走り続けている。


「あっ」


転んだ拍子に、膝を擦りむいてしまった。転んで怪我をするなんて何年ぶりだろうか。


じわりと涙が滲む。こんなことになるなら、肝試しなんてするんじゃなかった。


「真里ちゃん……」


先程のおぞましい光景が脳裏に過ぎる。黒い怪物に襲われて食べられていた友人の姿。


私は首を振ると、涙を拭って気合いを入れ直す。そろりと、壁の隙間から街の様子を伺った。


「やっぱり、普通の街じゃない」


江戸時代くらいの平屋が並ぶ街と、鬼のような角が生えた人や狼みたいな耳と牙のある人。どこからどう見ても人間じゃない存在しかいなかった。


壁にもたれかかって、大きく息を吐き出す。深呼吸を繰り返しても、心は少しも落ち着かない。


「どうしたらいいの……」


顔を俯かせて、ため息をついた。


そのとき――


ずり、ずり、と何かを引きずる音が聞こえてきた。


「っ!」


顔を上げて、音の聞こえた方を見る。そこにいたのは、友人を殺した化け物だった。


二メートルくらいの大きさの真っ黒い人型の怪物。長い腕は地面についており、腕を引きずりながら歩いている。


「あ、ああ……」


一歩後ろへ下がると、トンっと何かにぶつかった。


「見つけたぜ」


振り返ると、狼の耳をした男に腕を掴まれた。黒髪の男はにんまりと口元を歪めて、楽しげに笑っている。


「血の匂いがしたから来てみれば……人間がいるとはなぁ」


「いや、離して!」


腕を振りほどこうとするが、男の体はピクリとも動かない。掴まれた腕は強い力で握られて、骨が軋む感覚がした。


「いっ……ぅ……」


「食前の運動が必要かぁ?」


男は黒い怪物を見ると、私を壁に叩きつけた。


「っう……」


「逃げんなよ。逃げたら足を切り落とす」


男は背中にある巨大な鉈を手に持って、黒い怪物に向かって走り出した。


ふらふらと立ち上がり、私は走り出した。打ち付けた背中と肩が痛い。掴まれた腕も赤く変色している。


「おいおい! 逃げんなって言っただろうが」


後ろから先程の男の声がした。もう先程の怪物を倒したのか。


「鬼ごっこかぁ?」


ふと、前方に赤い和服の男が見えた。ポニーテールの黒髪に鬼の面を付けた男だ。


私は男性の前で転けてしまった。思わず縋るように、彼の着物の裾を掴んだ。


「た、たすけて……」


鬼面の男性は何も言わずに、私を見下ろしている。


「ッチ、鬼面(きめん)か……」


追いかけてきた狼の男が忌々しげに舌打ちをした。


「おい、鬼面(きめん)。そいつは俺の獲物だ」


鬼面と呼ばれた男性はしばらく無言で私を見つめると、腰にある刀に触れた。


「なんだよ。お前は人間には興味ないはずだろ」


「失せろ」


鬼の面の男性が低く告げただけで、狼の男は諦めた様子で舌打ちをした。


「分かった。ここは引いてやる」


狼の男が私を指さして言い放つ。


「俺は朱角(しゅかく)だ。よく覚えとけよ、人間。お前は俺の獲物だからな」


そう言って、彼は去っていった。私はホッと息を吐いて、立ち上がった。鬼の面の男性に向かって頭を下げる。


「あの、ありがとうございました」


男性は何も言わずに、歩き出してしまった。私は慌てて彼の背中を追いかける。


「名前は鬼面(きめん)さん、ですよね。私、肝試しをしていたんです。そしたら、この世界に来ちゃって、どうしたらいいのか分からなくて……」


私は、しどろもどろになりつつも状況を説明する。しかし、彼は何も言わずにただ歩き続ける。


「あの、鬼面さん?」


話しかけても返事は帰ってこなかった。鬼面さんは路地裏から街に出たが、私は彼について行くか迷う。


「このまま、ここにいたら……また狙われるのかな」


私は勇気を振り絞って、鬼面さんの後ろを歩いた。すると、驚いたことに誰も近づいてこなかった。


「これは……」


周りの人達はみんな、鬼面さんを避けるように歩いていた。中には目を合わせないように顔を背ける人もいるくらいだ。


もしかして、この人について行けば安全なんじゃないの。そんなことを考えてしまうくらいには、鬼面さんの影響力は凄かった。


「あの、鬼面さん。ついて行っても良いですか? 私、行く宛てがなくて……掃除でも料理でも何でもします!」


「…………」


鬼面さんは何も言わないが、ここで諦めたら他の人達に殺されてしまう。


「ついて行きますからね!!」


私は元来、図太い性格なのだ。絶対にこのチャンスを逃すものか。私は心の中で、鬼面さんに媚びを売ってでも生き延びてやるのだと決めた。



鬼面さんは少し人里離れた大きな屋敷の前で立ち止まった。小綺麗だけれど、赤い月の光に照らされているせいで、不気味な雰囲気が出ている。


「お邪魔します!」


門を通っても、鬼面さんは何も言わない。


拒絶しないってことは入っても良いってことだよね。私は勝手に一人で納得することにした。


屋敷の中は少し埃っぽく、私は咳き込んでしまった。


「ケホッ、ケホッ、掃除しなきゃ……」


鬼面さんが部屋の一室に入ったのを見て、私は掃除道具を探し始めた。


廊下は歩く度にギシギシと軋む。私は手当り次第に部屋の襖を開けていった。


「ここか!」


何ヶ所か開けても、掃除道具は見つからない。


「もしかして、鬼面さんは掃除したことないのかな。あ、服とかも洗濯したことないのかも!」


少し失礼なことを考えつつ歩いていると、いつの間にか屋敷の庭の方へ出ていた。


「わ、綺麗な桜……」


庭の方には真っ赤な桜が咲いていた。風もないのにひらひらと赤い花びらが舞っている。


「真里ちゃん……」


ゾクリと背筋に冷たいものが走る。地面に落ちている桜の赤が、血に見えてしまった。


「鬼面さんがいなかったら、私も……」


寒気を誤魔化すように、両腕を摩る。


そのとき――


突然後ろから肩に触れられた。


「っ!」


勢いよく振り返ると、鬼面さんが立っていた。彼はホコリをとる布はたきを手に持っている。


「鬼面さん……」


彼は無言ではたきと口布を渡してきた。


「えっと、掃除しても良いんですか?」


「…………」


鬼面さんは何も言わずに去っていった。


「よし! クヨクヨしてても仕方ない!」


私は口布を付けて、屋敷の中を歩き始めた。手当り次第に部屋に入っては掃除をしていく。


「失礼します!」


最後に鬼面さんの部屋を掃除しに行くと、彼は部屋から出ていった。


「ふう。まあまあ綺麗かな」


ホコリの取れた部屋を眺めて、私は口布を外した。すると、鬼面さんがお膳を持って部屋に入ってきた。


「えーっと、これは……」


何やらおどろおどろしい黒と黄色の縞模様の魚がお皿に乗っている。彼はお膳を私の方へそっと差し出した。


「こ、れは……」


食べろということかな。この気持ちの悪い、腐ったバナナみたいな異臭を放っている魚を。


「う……」


私は座って鬼面さんの方を見る。彼は腕を組んで、私の正面に座っていた。


「い、いただきます」


今日から居候させてもらう身で文句は言えない。お腹も空いているし、食べれるはずだ。多分、きっと、大丈夫なはず。


「うぐ……」


これは不味すぎる。なんと言うか、一年放置した腐ったバナナみたいな味だった。うまく表現できないけど、とにかく美味しくない。


「あの、えっと、美味しいです……」


チラリと鬼面さんを見て、私は全力で作り笑顔を浮かべた。間違っても彼の機嫌を損ねるわけにはいかない。


鬼面さんは顎に手を当てて何かを考えているようだった。彼はお膳を持ち上げて部屋から出ていった。


「鬼面さんっ」


鬼面さんの後を追うと、彼は庭の方へ向かった。そして、池に泳いでいる黒い魚を掴んだ。


「まさか……」


私はとてつもなく嫌な予感がした。


鬼面さんの手から赤い炎が出て、焼き魚が出来上がる。彼は黒い焼き魚をお膳の上に置いて、私に渡してきた。


「ああ、はい。ありがとうございます」


思わず遠い目をして、空を見上げる。


料理は諦めよう……

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