お節介焼きの友人
日曜日の正午過ぎ。
俺は買い物袋を手に引っ提げながら蜃気楼が渦巻くアスファルトの道を歩いていた。
雲一つない炎天下で、嫌になる。服が汗で濡れて肌にべったりとつく感触が気持ち悪い。
まるで一週間前を繰り返しているみたいだ。暑さで死にそうになりながらの帰り道、橋梁に突っ立っているあいつを発見して…………。
「……はぁ」
霧ヶ峰が家に訪れた日からもう五日が過ぎた。
俺はその間、ただただ時間をふいにした。気晴らしにゲームしたり漫画読んだりピアノ弾いたりこうやって買い物にも出掛けたりしたが、脳裏にこびりつく物語の記憶が薄まることはなかった。
今すぐにでもこの蟠りを晴らすために行動したいが、あの霧ヶ峰の様子では家の中にすら立ち入らせてもらえないだろう。
『清次先輩、どうか思い違えないで。あなたの世界はこちらです。自身の現実を疎かにする人に誰かを救うことなんて到底無理ですよ』
霧ヶ峰の言葉が胸を締めつける。
そんなことを言われたってどうしようもないじゃないか。ハルを助けられなかったあの日から、俺の現実なんてもうとっくにないのだから。
病みながら歩いていると、ふと、右手のほうに公園が見えてきた。
ここはよくハルと一緒に来ていた、もといよく無理やり連れてこられていた所だ。あの日以来この道を通っていなかったから訪れるのは半年ぶりぐらいになるか。
「…………」
悶々と考えて疲れてきたから、少しだけ休むか。アイスとかの溶けるようなものは買ってないし。
公園内に入ったその足は自然と広場のほうへと向かい、木陰の下に設置された背もたれ付きの木製ベンチに行く。そのまま買い物袋を下ろして座る。
目の前の大きな広場を見ると、俺と同じように木陰に退避しながら複数の大人が談笑しており、その近くでは小学校低学年ほどの子供たちが元気にサッカーボールで遊んでいた。
その光景を眺めていると、在りし日の思い出と重なって見えてくる。
子供の輪の中に嬉々として入っていく俺の連れ人。暑かろうが寒かろうがお構いなしで子供よりも好奇心旺盛さを見せながら混ざりに行き、最後には俺も巻き込まれて付き合わされる。
でも嫌じゃなかった。どんなに無益なことでもどんなに億劫なことでも、あいつと一緒にいれば、あいつの笑顔を見ればそれだけで心躍ることや安らぐことに変わった。────なのに、今はすべて記憶の中の話でしかない。
俺は背もたれにどっぷりと体を預けて項垂れる。
「どうすればいいんだ……どうすれば……」
もう失いたくない。犠牲になってほしくない。
ただ生きて笑っていてくれればそれでいいのに、なんで彼女たちは……。
「────そこの君。先程からあの子供たちを見ているようだが、少し事情を聴いてもいいかね?」
「え! いや俺はただ休憩してただけで他意は……って、なんだお前かよ」
そこにいたのは鷹人だった。
腹立つニヤケ面を浮かべて、「ナイスリアクション」とうざったく親指を立ててくる。
「清次にもまだ感情ってものが残ってるようで安心したぜ」
「驚かせるなよ……」
「べつに怪しい自覚がないんだったら堂々としてればいいだろ。……それともまさか本当に人には言えないやましいことを……」
「誰がするか。というかお前こそ、一人で公園に何用だよ?」
「バードウォッチング」
「嘘つけ、鳥好きなんて初めて知ったわ。断然お前のほうが怪しいじゃないか」
「ま、オレのことはいいとして。清次はこんなところで何を悩み耽ってんだ?」
はぐらかして横に座る。相変わらず言動がテキトーなやつだ。追及する気も失せる。
「少し行き詰まってることがあってな……詳しく話すには説明が難しいんだけど」
「まぁ皆まで言うな。お前の悩みは大体想像つく。オレたち何年来の付き合いだと思ってんだ」
「初めて会話したのが中学二年の頃だから言うほどないだろ」
「三年も一緒ならもう心の友で、ある程度のことなら分かっちゃうんだなこれが」
「じゃあ当ててみろよ」
「オレが貸した恋愛ゲーに苦戦してるんだろ?」
「…………」
ドヤ顔だが、かすりもしてない。やっぱり三年の月日で人は心の友になれないらしい。
俺の白けた感情すらも読めない自称親友はウンウンと頷きながら「あのゲームは風変わりな構成だからな。恋愛ゲー慣れしてないやつにはちと厳しいか」などと勝手に話を進める。
訂正するのも面倒だ。この際、ゲームのこととして話すか。
普通の相手であれば取り繕うところだが、こいつのお節介焼きな性格を考えればきっと聞き出すまで絡んでくるだろう。俺が悩んだ時は昔からそうだ。
素直じゃない友人の好意だからこそ無下にはしたくない。
「……助けたいヒロインがいるんだ。でも何度ストーリーを繰り返しても彼女は犠牲になって……」
「犠牲ってことは、不幸体質の南雲りりかちゃんルートか?」
「それは想像に任せる。優しくて人想いな彼女の悲惨な姿を何度も目にして心が病んでるんだ」
「んん? りりかちゃんは他人に興味がない不思議っ娘だから、献身的だけど依存型の双葉萌ちゃんのことか……」
「仕舞いにはやり直す機会さえも失ってお手上げ状態。情けなく気を紛らわせてたってわけだ」
「まぁ引きこもりの家族が丸一日中恋愛ゲーに没頭してたら心配になるわな」
「お前は俺を励ましたいのか貶したいのかどっちなんだよ」
「もちろん清次の味方だぞ。オレもゲームの主人公に感情移入するタイプだからな」
「ハマり過ぎて毎回クリアするたびに燃え尽き症候群になるお前と一緒にするな」
「でも清次だって、それぐらい本気でその子のことを大切に思ってるんだろ」
「……ああ」
たかが本の中の登場人物とはもう思えない。たとえ同じ日々の繰り返しでも、顔を見るたびに、声を聞くたびに、ユミルの存在は俺の中で大きくなっていった。彼女の面白おかしくも温かな言動に触れると、理不尽な現実のせいで荒む心が癒やされたんだ。
俺は膝上で握った拳に視線を落とす。
「だから余計に苦しいんだ。彼女には深い安らぎを与えてもらったのに、俺は受け取るばかりで何もしてやれない。何ひとつも……」
いつだってユミルは俺に対して親身に寄り添ってくれた。自身が森の存続という重い責任を背負っているにもかかわらず、俺なんかのために貴重な時間を費やしてまで。
「助けたいって強く思って行動した。闇雲じゃなくてちゃんと一つ一つの出来事に意味を見出して推理しながら全ての選択肢を辿った……はずなのに、行く先はいつも同じで……」
何度も、何度も、何度だってやり直した。物語の流れを完璧に把握するまでに。見落としなんて一切ない。そう断言できるからこそ、進むべき道が分からない。
「これ以上どうしろって言うんだよ……何が足りないって言うんだよ……俺はこれからどうしたら…………」
もう吐き出すべき言葉すら見つからずに、沈黙してしまう。
しばらくして、あまりの失意から気の滅入る言葉を口走っていたことに気づき、「……変に熱くなったな。ただの暇人ゲーマーの愚痴だから気にするな」と空気を変えようとしたが。
鷹人を見ると、退屈な話だと言わんばかりに眼鏡の奥の目を細めていた。
そしてそれは俺の気のせいではなかったようで、鷹人は「やーれやれ」と口に出しただけじゃ飽き足らず、大仰に肩まで竦めてくる。
「お前はほんとに顔だけだな。そんなんじゃ上手くいくわけねぇよ」
「……お前には解決策が分かるって言うのかよ」
「オレじゃなくとも楽勝よ。清次は焦りすぎて一番大事なものを見失ってるからな」
「一番大事なものだと……?」
「話を聞いてれば、やれ推理がどうだの選択肢がどうだの、無意味なことばかりに時間を割いて攻略した気になってるだけじゃねえか。それよりももっとすべきことがあるだろ」
真面目な顔を向けてきて言う。
「ヒロインの想いを考えたことはあるか?」
「……っ」
その答えは至極単純なものだ。なのに、今の俺にとっては深く心に届く言葉だった。
何度も、何度も、何度だって繰り返した。次に相手が何を喋るのかが予測できるほどに。
でも、その中でユミルの気持ちに触れようとしたことが一度でもあっただろうか。
思いも寄らない展開に戸惑い、物語の概要を知ることに奔走し、解決の糸口を探ることに躍起になった。思い返しても俺は目の前の物事をどうにかしようとするばかりで、あれだけずっと近くにいた彼女のことを見ていなかった。
俺は初めから間違えていたんだ。
その時、俺の足元にサッカーボールが転がってきた。コロコロと進んでベンチの下で止まる。
すぐに一人の男児がこちらに走り寄ってきて、俺のほうに顔を向けてくる。
「あの、ボールがその下に……」
おずおずとした声かけに、俺は何も答えられなかった。
その男児の姿を見た途端、一瞬頭の中が真っ白になったのち最低の記憶に移り変わる。
──この子はハルが助けたあの時の……!
事故現場で見かけた以来一度も会っていないから向こうはこちらのことを覚えていないようだが、俺の脳裏に焼きついた光景の中で泣いているのは確かにこの子だ。他人の空似ではない。
まさかの邂逅に心が揺れる。胸のうちに押し寄せる様々な感情が身動きを縛る。
何の反応を示さない俺の代わりに、すぐさま鷹人が「おー。あそこからここまで蹴ったのか、すごいなぁ!」と朗らかな態度で応対し、ベンチの下に手を伸ばしてボールを取ったあと優しく手渡す。
男児は少しおどおどしながらも両手で受け取り、「あ、ありがと」とお礼を言って背を向ける。
友達のところへ戻っていこうとした時。
「待ってくれ!」
男児はビクッとして立ち止まった。俺のほうを振り返り、どこか怯えた表情をする。
「あ……えっと……」
完全に無意識だった。呼び止めて俺は一体何をしたかったんだ。
あの事故は誰もが被害者だ。この子の年齢を考えれば周りの危険に気づけなくてもおかしくない。あの日の行動を咎めたり八つ当たりしたりするほど俺は大人げない人間じゃないのに。
何でこんなにもこの子のことが気になるんだ。
言い淀む俺に男児がおろおろし始める。このままじゃ変質者になってしまう。
焦った末に口から出た言葉は。
「……ボール遊びは楽しいか?」
おそらくぎこちないであろう笑みとともにそんなどうでもいい質問を投げかけてしまった。
男児は意外だというように驚きに目をぱちくりさせて、一度友達のほうを見てから向き直り、
「うん! すっごくたのしい!」
ここまでの人見知りな態度が嘘のように、純真な笑顔を浮かべた。
「──────」
その表情を見た瞬間、何かが胸にストンと落ちた。
今もまだ頭の中に映っている事故の残像から、地面に倒れながら声を上げて泣く男児の姿が消えていき、今目の前にいる元気なこの子の姿が記憶に上書きされる。
──もしかして、これがあいつのやりたかったこと……。
男児は俺たちの前から走り去っていった。友達たちの輪に戻り、ボール遊びを再開する。
俺はそれを少しだけ眺めたあと、ベンチから立ち上がって友人を向く。
「鷹人、サンキューな。おかげで道が開けた」
「……そっか。ま、オレの類稀なる知性にかかれば悩みの一つや二つ解決するなんて朝飯前よ」
「ああ、そうだな」
「いやそこは何か突っ込めよ! オレが痛いやつみたいじゃねぇか!」
「本心だからな」
「お前に褒められると裏がありそうでなんか怖ぇな」
鷹人は引いた顔をしつつも、やがて「……よく分からんけど立ち直ったっぽいし、やることがあるんだろ。オレはバードウォッチングを再開させるわ」とベンチから立ち上がった。
背を向けた去り際、手をひらひらさせて言う。
「まぁ、ほどほどに頑張れ」




