14.気付けない存在
彼は、期待感に胸を膨らませていた。
依り代になるとここまでの『おまけ』がついてくるものか、という感慨と一緒に。
最後まで見届けねばならないのは最初の幾年かで察した。飲まず食わずの体で楽しみなんか何もないこの世界で既に500年は経ったはずだ。暦なんかもう覚え続ける気も失せた。
自分にできることは大変に限られている。それでもなにもするに能わないというわけではなかったから工夫はしてきたのだ。それがやっと実るかもしれないとなれば、期待もする。
これが叶えば、方法にもよるのであるが恐らく自分は消える。世界と自分は同じなのだから。この世界を跡形もなく消してしまう以外に解決法が思い付かない。
それでも、これは私の、この体に成り果てる以前からの悲願である。
「ただいま、八坂さん」
3人は旅館に留まっていた八坂の元に戻ってきていた。既に連泊の手続きは朝出るときにしてある。
「お帰りなさいませ、お嬢様にお二方」
PCの前に座って何事かを打ち込んでいた八坂は立って腰を折り、挨拶した。
「多比さんとの面談はいかがでしたか?」
3人が腰を下ろしたのを確認してから、4人分の茶を用意する。その作業をしながら3人に聞いた。
「多分に興味深い話が聞けたわ。あなたの作業も終わっているようだし、落ち着いたら話しましょうか」
武家はPCの画面が明らかに訳文ではないことを確認してそう判断する。
「それはなによりでございます。ご察しの通り翻訳は先程終わりましたので淹れ終わったら皆様に転送いたします」
湯は常に用意していたため茶葉を蒸らすだけだ。
その間に武家は八坂に多比との話の内容を伝え、それと輿水のノートの内容と合わせて色々と考察したいと全員に話す。
「まあ疑問に思ったことを言ってちょうだい」
早速自分からで悪いんだけど、と前置きをして武家が続けて喋る。
「多比が迷い込んでいた世界……、それってなんだと思う?」
陵前はそれに対して自身の中で当然の答えがあるからこその訝しんだ顔で答える。
「輿水がいう、別の世界じゃないんですか?」
「私もそう考えてたんだけど。白髪の男に帰る手段を教えられたって言ってたでしょ」
「そうですね。随分と紳士的というか、献身的な人だと思いました」
「もしそんな簡単に教えられて、かつ簡単に帰ってこれたなら、他の人も助けられて然るべきじゃない?」
言われて陵前は気づく。それと同時に桐谷が疑問を追加する。
「それじゃあ多比はどこに?逆に輿水の言う世界とは一体……?」
「一応言っておきますが、輿水のノートにはそれに関する具体的な記述はありませんでした。行ってみたこともなく、行ってみた人もいないところなど、想像すらできるはずはない、とのことです」
八坂が補足する。当たり前の話であり、それができたら超能力者か何かということになってしまう。
「……これはあくまで推論も推論なんだけどね。陵前さん、あなた消えかけていたとき、消えかけていたことに気付いたかしら?」
武家はため息を隠さずに問う。元々論拠がない話が嫌いな質であるからして、顔に嫌悪感がにじみ出ている。
「いえ……。その後の僕の態度を鑑みてもらえれば」
事態の重さに対するギャップを感じたと、陵前は心で反芻する。
「そうよね。でも、多比さんは自分がそうなっていることに気付いて、消えることから抗ったのよ、気持ちでね」
確かに多比の話にはそういう内容があった。心の中で、行きたくない、云々と。
「それが何らかの作用を起こして、こっちでもあっちでもない場所へ飛ばされてしまったのではないかって思うのよ」
「まだ他に何かあるって言うんですか……」
桐谷はげんなりする思いだ。元々不気味極まりないのにそこへ更に燃料が投下された、と内心吐き捨てる。
「合ってるかどうかなんかわかりっこないけどね。唯一の生還者っていう部分でそうなのではないかって思ってしまうのよ」
「ならば……そのまた別の世界に行った人は多比だけだと?」
「恐らくは。ま、それが特殊な事例だっていうなら調べる必要あんまりないし、楽でよかったじゃない。私たちは世界の全てを解き明かし証明を立てないといけない科学者じゃないんだからね」
4人が今調べ、解決できるなら解決すべきは行方不明者の捜索と原因を突き止めることであるからして、多比のみが巻き込まれたというならば目は瞑るべきである。
陵前と桐谷はそれもそうかと納得する。八坂は武家の意思に基本追従だ。
「俺としてはその多比を帰した男ってのが気になりますね」
沈黙しかけた場に咳払いをかけつつ桐谷が若干の不機嫌顔で言う。
「あなたが会った人と同一人物かしら?」
白髪と聞くと武家と桐谷が頭に容姿は似ているが、性別からして別人物らしい二人の姿が思い出される。
陵前はそのどっちとも会っていなかったし聞いてすらいなかったためハテナ顔だったが、八坂が耳打ちで説明を入れた。
「たぶんそうでしょう。自分も《客》だと言われましたので」
「そいつって味方じゃないんですか?多比を帰してくれたんでしょう?」
「なんとも言えないわ。その行為が善意で行ったのかそれとも情報を餌に私たちを誘ってるのかなんて区別が付かないじゃない」
簡単に帰せたならそれを利用してちょこまかと調べ回っている武家たちを取り込もうと考えているとも限らないというわけである。
「それでもこうやって既に足が付き始めているわけですから、そこまで悪者扱いしなくてもよいのでは?」
仕事が進んだため陵前としては純粋に感謝したい気持ちである。
「別に悪と決めつけたわけじゃないわ。現状じゃ決めかねてるってだけよ、きちんとお話ができれば疑いは晴れるってね」
それが良性であろうと悪性であろうと、ということだ。
「俺としては上から目線で気に食わん奴というイメージがあるのでいい風に捉えられないんですがね」
自分はあなたの知らないことをすべて知っていますよ、みたいな口ぶりを桐谷はどうにも根に持っているらしかった。
「どう思うかは自由だけど。味方なら協力してもらいたいし、敵なら排除するかお縄にするかよ」
武家は時計をちらと見るとまとめに入った。すでに1時を回っている。
「輿水の小屋にもう一回行かないといけなくなったからもうそろそろ出かけましょう。今日は車に乗っていくから」
無論、小屋の近くにある温泉の駐車場までである。行かないといけないというのは話のなかに輿水の小屋らしき建物が出てきて、それに地下があったという理由からだ。
「地下室なんて、ありませんでしたよね?」
4人は改めて小屋まで来た。武家が鍵を回し、中に入る。
「ええ、無かったわね。もしかするともう一件どこかにあるのかもしれないけど、調べる価値はあるんじゃないかしら」
昨日と変わり映えしない部屋である。テレビがあり、フローリングの床にカーペットが敷かれ、4人が団らんできるくらいの大きさのテーブルがある。
「……? これは」
陵前がテーブルを覗き込むと、カーペットにわずかな突起がある。
「すいません、このテーブル避けてカーペット剥がしましょう」
「なんか見つけた?」
「下になんかありそうですよ。桐谷、テーブル重そうだから手伝って」
「へいへい」
見た目以上に重いそれをどかし、その下の布を取り除くとそこには床下収納の蓋とおぼしきものがあった。
「床下収納ねぇ。これは確定かしら」
そう言いながら蓋を開ける。どの家にも割とありそうな見た目ではあったが、話の流れからして確信的だろうと武家は思う。
その下には案の定地下へと続くらしい穴に、梯子がかけられていた。
「当たりですね。危険とかはないんでしょうか」
さほど陵前は不安気でもなさそうな顔で一応といった感じに心配する言葉をかける。
「それならそれで。これが地下大迷宮への入り口だった!でも私は一向に構わないわよ」
冗談ではあるが、例えそうでもあまり驚かなさそうだなと言った本人含め、思うのだった。
「なんかあるかと思ったけど、なんもないわねこれ」
逆に驚かされたわ、というのは心のどこかで何かを期待していた武家の言葉。
地下であるから真っ暗だったのだが、携帯電話の光で部屋を探ると電池式のスタンドライトがあった。電池はまだ切れていないようである。付けるとそこそこの光量があり部屋が全て見えたのだが。
言ってしまえば、上の部屋と変わりはない。広さもそうであるし、置いてあるものもテレビが無くなってテーブルが一人用の椅子付きに変わっているくらいだ。本棚はあるが一冊も入っていない。
「勿体付けるだけ付けておいて、スカか」
太い情報筋から入ったネタが合っていたにもかかわらず何もない、というのは探偵の桐谷からしてみればイラついて然るべきだ。
「あー、いえ。一枚こんな紙が」
机の引き出しを開けてまさぐっていた八坂が上質紙を見つけた。
手書きで文章が書かれている、日本語で。
「えー、なになに?」
この部屋を見つけたということは、大方ノートを読み、そして恐らくは5つの石碑を見つけたことと思う。それ以外の方法でここにたどり着いたのならば、即刻立ち去るべきである。なぜなら、読んでいる君は支老湖に隠された秘密に誘われているのだから。
ここは、今支老湖に潜んでいる『何者か』を支老湖へと連れてきたか、もしくは呼び出したかしたものが使っていた部屋だと思われる。これは文章を書いた俺の……輿水研史の予測であるからして、確たる証拠はない。部屋にある空の本棚には元は本が入っていたが、俺がこれから行く世界で使える可能性があるから持っていくことにしたのだ。だがその本の中にもその者が何であるかだとかそういうことにたどり着ける情報は存在していなかったため、容赦してほしい。どうしても見たければ……。そうだな、全く同じに見えるが実は全てが違う場所に置いてある。
俺は既に旅立った。君たちがここまで来るかどうかは、君たち次第だ。それは、伝えたかった。
「遺書、ですかね?」
しっかりと段分けされてそこそこは丁寧に書いたらしいその文章は、何、と表現するとするなら陵前が表現したそれだと思えないこともなかった。
「決意みたいなものは感じるけどね。もしかしたらこの部屋見つけた後に何もなかったらがっかりされると思って書き残しておいたのかもしれないし」
「それでも遺書といえば遺書ですよね。遺していってますし」
桐谷は裏面を一応見る。何も書いていない。
「字が違うわ。まあ、ある意味あの世には行ったらしいけども」
何度か読み返すが、新しく分かることはない。
「――骨折り損、ってことですか?」
一瞬の沈黙の後、陵前はぽつりと言った。
「……来ても来なくてもよかったって意味で言えば、ね」
武家は仏頂面だ。八坂は目をつぶっている。
「ま、まあまあ。そんなに時間はかかってませんし、早めにキャンプ場に向かえば」
桐谷はイラついていた気持ちも忘れてフォローに回る。主人はこの紙の内容を自分へのおちょくりだと――小説の怪盗が現場に残していく手紙のごとくに――判断したらしい、顔が怖い。
「情報なんてなくても持っていかれた本とやらの内容くらいは教えなさいよね!」
靴で音を鳴らし、回れ右をして武家は梯子を登っていった。




