13.少女の独白 後
私は……俗にいう天涯孤独という身の上でして。友達もあまりいないものですから、時々無性に寂しくなることがあるんです。
それを紛らすために支老湖へは車で定期的に行っていました。自然の中にいると落ち着く、というのもあるんですがあの湖は自分にとって少し特別で。温泉街やキャンプ場を散歩するというだけでなんだか心が安らいでいくんです。
4月に行ったのは年度が変わって精神的に少し疲れたから……ですかね。お金にはあまり困っていないので泊まりがけで支老湖に行くことにしたんです。
「精神的に疲れていた、と話したけれど。病院に行くほど酷かったとか?」
そこまで話したところで武家さんから質問が来た。
「いえ、そこまでじゃありません。たぶん世の中の人が時々抱える程度のものだと思いますよ」
「他の行方不明者の何割かは診断書が出るレベルでそういう病気持ちなのよね。あなたは……2ヶ月後の帰還にしてはピンピンしてるわね」
前者は単純に共通項としてそうなのだろうが後者は……女の人の誘拐にはそういうものが付き物だからとか、そういうことだろうか。
「話したくなかったら構わないけど。君は行方不明になっている最中暴行を受けたとかは?」
挨拶をしてから黙って話を聞いていた陵前さんが反応する。
「そういうのはないです。というか私の話、相当いかれているんですが、大丈夫ですよね?」
そのまま話せと言われたから話すがそれで狂人だと思われて退院の日が延びたら堪らない。
「その辺は安心してちょうだい。私たちはあなたの話を信じるし内容は他言しないわ、捜査関係者以外にはね」
「そうですか。なら続けますよ」
金曜日から泊まったのでその日の講義が終わってから向かいました。着いたときには5時半くらいでした。宿でチェックインを済ませてその日は普通に夜を過ごしたんです。
問題は次の日でした。天気は……曇りでしたでしょうか。湖の方に天使の梯子が見えていたのが印象的だったように思います。既に予定は決めて、その日は支老湖にあるキャンプ場を散策することにしていました。最初は温泉街からほど近いところにある緩翼キャンプ場に向かいました。
最初はと言ってもそれ以外には行くこと無くこの場にいるわけなんですが……。
そのキャンプ場は湖岸に沿って砂浜が広がっているところで歩くには難儀しない場所です。海とは違って砂はあまり多くない上に粒もそこそこ大きいものですから。500mくらいしかない湖岸ですが20分くらいの時間をかけて歩いていました。考え事などをしていたのですが、端のそこから先は岩場になるところまで来たところでふとその奥まで行きたいと思った、いや、思ってしまったんです。……この先からは自分自身でも本当に我が身に起こったことなのか判断しかねているのであまり詰められてもお答えできないかもしれません。
歩いた、と言ってもキャンプ場の端から1分も行かない場所です。そこに、何語か私にはわからない言葉で書かれた石板が置いてありました。これまでにも同じ場所へは何回か来ていましたが、こんなものあったかなと首をかしげました。かしげながらもそれに近づいて石板を触った瞬間……。あれは、なんとも言葉にし難い感覚でした。自分が消えていく……。死のそれではないと思います、この世界から消えて、別の世界へ自分の存在が丸々移っていこうとするのです。
私は、抵抗しました。心の中で、行きたくない、と。穴から這い出るようとする気分です。足を何者かの手が掴まれているとも、思いました。
「……すいません、少し休憩していいですか」
話した文量はそうでもなかったと思うが、あれをもう一度追体験しているような感覚に囚われて、気分が悪い。
「ええ、飲み物とお菓子でも上げましょうか」
神妙な顔つきで武家さんが自分のバッグから水とチョコレートを取り出した。
「すいません、貰います」
一欠片口に運んで、はっとなる。
自分は、チョコレートを。いや、食べ物をいつから食べていない……? 久しぶり、本当に久しぶりだ。暦上は2ヶ月かもしれないが、本当は違う。
自分にとっては、永遠だった。
「あなた……いえ、失礼」
少しびっくりしたような顔をして武家さんは何か言いかけるが、やめてハンカチを渡してきた。気がつくと、涙が出ていた。悲しみの涙じゃない。感動しているのだ、そう、理解した。
甘物のなんたる刺激か。帰ってきてから五感へこれほどの刺激を与えられたのは初めてだ。私は今、この世界にいるのだ。それをここにきて、やっと実感した。
「……ちょっと、なんていうか。感極まっちゃって」
言葉が続かない。言いたいこと吐き出したいことは山ほどある。ありすぎて言葉にならない。
「席を、外そうか?」
陵前さんは気遣わしげに提案してくる。
「いえ、大丈夫です。むしろいてくれた方が助かります」
ずっと独りだった。他の人がいることも、自分にとってはこの世界にいることの証明となってくれる気がする。
気がついた時には、私は歩いていました。
そこは、どこでもありませんでした。長いこと歩いていたのは確かなのですが、そこの景色を思い浮かべようとしても何も頭に映らないのです。本当に、本質的に、何も存在していない場所だったのです。
歩く、というのはその世界での私にとって息をするのと同じでした。前に進まないといけないという強迫したものではなく、前に進むのが当たり前なのです。何分、何時間、何日歩いたか分からないくらい歩いていると、時々目の前に景色が生まれます。それは、常に支老湖の風景でした。緑が生い茂る時や雪が埋める時、紅葉の時もあったかと思います。決まって、曇りの天気でした。
「そうそう、その『景色』の中に陵前さんがいたときがありましたよ」
それは頭の片隅に常にあった光景だ。言える機会があったら言おうと思っていた。
「そう、か」
怪訝に思われるかと考えていたが、心当たりがあるらしい。複雑な表情をしている。
「それはどんな景色だった?」
「雪の中で、あなたと別の男の人が何か言い争いをしていました」
陵前さんはさらに顔が曇る。その横から武家さんが写真らしきものを見せてきた。
「それって、この人じゃなかった?輿水研史っていうんだけど」
「この人だったように思います。少し立ち止まってその様子を見ていましたが内容は聞き取れませんでした」
「私が冬に調査していたときの景色ということでしょうか……」
後から聞いたが私がそれを見るというのは時系列的におかしいということでした。自分は4月から6月まで行方不明だったが陵前さんが輿水という人と会ったらしい日は3月だったから、どう考えても見れるはずはないと。
「気になるところではあるけれど、とりあえず最後まで話を聞きましょう。まだ長いのかしら?」
「いえ、もう終わります」
どれだけ歩き続けて、何度湖を見たか。そんなのは自分でも数えてませんしそんなことをする元気はありませんでした。
今日もまた、気がつくと湖のほとりにいました。温泉街のどこかだったように思います。そこで、声をかけられたのです。そんなことは初めてでした。声は聞こえることもあれば聞こえないこともありました。ですが、こちらからあちらに干渉はできないし、あちらはそもそもこちらに気がついていない様子なのです。
その人は、珍しい客だとか、帰るための方法を教えてあげよう、とか言って私についてくるように促しました。白髪で、今にも消え入りそうな雰囲気の男の人でした。
私はついていくことにしました。反抗するだけの気持ちがなかったというのとその買える方法を知りたかった気持ちに流されただけなのではありますが。ついていくと、ちょっとした坂の上にある小屋に辿り着きました。そこの地下室で帰る手段を教えてもらいました。
「すいません、この先は気がついたら車に向かっていたので方法の内容と行動したことを覚えていないんです」
確かあの人は、覚えていられるだけの余裕がないとか言っていた。
3人はなにやら相談している。白髪の男や、小屋のことが気になっているらしい。
やがてまとまったのか、これまで黙って聞いていた桐谷さんが質問を投げてきた。
「その、男……は、君のことを客だと言ったんだな?」
「はい、普通の人ではないなと思いました」
そこが気になるのだろうか、と自分の方が少し疑問に思ってしまう。
「小屋には地下室があると言ったけど、それは本当?」
続いて武家さんが聞いてきた。
「そこに案内されて、説明を受けたのです。本棚が1つと机と椅子があるだけの簡素な部屋でしたが」
その本棚には半分くらいスペースをとられていたように思う。
「そう……。ありがとう、話してくれたことも、質問に答えてくれたことも」
「保護してもらったのですから、このくらいは当然です」
できることなら医者に早く退院できるように進言してもらいたい。
「面接の時間はまだあるけれど。私たちで話し合いたいこともあるし今日はお開きね。何かあれば連絡ちょうだい」
名刺に番号やらアドレスやらが乗っていたからそれはそれでいいが、自分も一応紙に書いて教えておいた。
支老湖には、生活圏はあるがそれに付随した商店等諸施設はないに等しい。使うことができる施設といえば小学校、駐在所、郵便局くらいだろうか。最低限の公共のものだ。
「そういうところは不便よねぇ、コンビニもないんだもの」
スーパーはおろかコンビニすらもないのだ。3人が万歳まで来たのは足りていない物資の買い出しという目的もあった。
「キャンプするなら確かに不便と言えるでしょうが、私たちはホテル泊なのですし」
苦笑いを浮かべながら次々と菓子やらなんやらが投げ込まれていく買い物かごを見る桐谷。入れている犯人は武家である。
「そうはいってもやっぱ割高だし……、そんな些末な金ケチる私じゃないけど。それに身の回りの手入れする諸々の日用品だって要るし……、いい旅館だからアメニティ関係はバッチリなんだけど」
自分で問題提起をしながら自分で解決してしまう片手間に明らかに食べたい飲みたい目的のものを詰め込んでゆく。
「まあこんなに食べきれないから家に帰った後の間食に成り果てるんだけどね!」
すっきりとした顔である。
桐谷としてはこんな理由で会社の金が使い込まれていくのはどうかと思わないでもない。武家からはこの件の費用を危険分子の調査という名目で経費へねじ込むと説明された。
「お嬢様、ずいぶんと機嫌がいいようで」
カートを引くのは桐谷で、陵前はここにいない。警察署へ中間報告をしにいくのだという。二人がいるのは万歳駅前にあるショッピングモールの食品エリアだ。
「ええ、わくわくするじゃない?これから起こることを想像すると」
「自分としては先程の話で若干気分が沈みがちなんですが」
多比の話は、鬼気迫るものがあった。それだけにあまりテンションをあげられるものでもなかった。
「それはそれとしてよ。いや多比さんも関係あるんだけど。私としてはあの話を聞いてからこの事件をリアリティあるものとして捉えられるようになってるのよ」
そう言ってまた商品を取りに行ってしまう。
(リアリティはわかるけど、俺の場合恐怖心しか湧いてこないんだよなぁ)
その辺自分は凡人なのか、と桐谷は思うのであった。




