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その後、本当は数名の選手が残っていたが放送ではカットされ、最終結果がアナウンスされ、男子シングルの放送は終了。すぐさま、女子フリーに移る。俺は自分の演技の後、呆然としてすぐにホテルに戻ったので、女子の結果がどうなったのかは知らない。
こちらもやはりダイジェストなので、ほとんどの演技は放送されず、最終グループの有力選手の演技だけが放送される。
『バンクーバーオリンピック日本代表、日本のエース、河合藍の登場です。ショートは1位。さて彼女のフリーは『オペラ座の怪人』です』
『昨日も完璧な演技でした。今日も自信をもって滑れると思います』
『さて、演技が始まります。まずは冒頭、三回転三回転』
『トリプルフリップ、トリプルトウループ』
『今日も決めたぁ!!』
『完璧なジャンプでしたね。流れがありました』
『続いてもう一つ難しいコンビネーション』
『ダブルアクセル、トリプルトウループ』
『今度は二回転半、三回転のコンビネーション。これも決めて見せました!』
『チェンジフットコンビネーションスピン。ポジションも良いです』
『スピンでも見せます』
全日本女王の演技は、確かにそれに値するものだった。だが彼女演技を見ても、俺の心が躍ることはない。ああ、綺麗だね、ノーミスだね。、それ以外の感想が出てこない。訴えかけてくるものがないんだ。
『すべての要素を完璧ににこなして見せました、河合藍』
『ジャンプなどのエレメンツ以外の部分、表現力であったり、スケーティングであったり、そういったところも彼女の持ち味ですよね』
『これは得点が楽しみです。ああ、キスアンドクライで安藤コーチが迎えます』
画面の右下に各選手の順位が出ている。見てみると、他の選手もなかなか高い得点を出していた。流石はオリピック直前といったところか。
『さて、河合藍の得点がでます。おお、なんと! 200点を超えてきました! 201.24点! 当然ダントツのトップです』
その後に本当は数人の選手が滑っているはずなのだが、河合藍のインタビューが流れた後、彼女たちの演技はカットされ、最終滑走者が映し出された。
『君崎凛の登場です。ショートは2位』
リンク中央へ向かう彼女からは、確かな闘志を感じた。ついこの前、夢が破れたばかりとは信じられないほどに、堂々とした姿だった。
『全日本では四回転で転倒。ずっと夢見てきた五輪への出場は叶いませんでした』
スケーターなら誰もが夢見る舞台、オリンピック。その四年に一度の舞台を目指してきて、そしてその夢が敗れた今。それでも彼女は毎日必死に練習に励んでいた。五輪へ行けないのに、一体彼女にどんなモチベーションがあるのか。
カメラが彼女のバストアップを映す。その目は真っ直ぐ先を見据えていて。
――まさか。俺を……見てる?いや、ありえない。そんんわけないのに。テレビの向こうの君崎の視線は、俺を捉えているような錯覚に陥ったのだ。
そう。まるで――見てろよ、と言わんばかりの目線。
『ファンは見たい。あのNHK杯で見せた最高の笑顔を。あの凛スマイルを、もう一度見せてくれ――』
自意識過剰すぎる。自分でもそう思う。けれど、彼女の瞳は、やっぱり俺に語り掛けているように見えてしまうのだ。
『さぁ始まります。曲はトスカ。四回転には挑むのでしょうか』
練習でもまだ成功率は決して高くない。だが、今の彼女に、五輪出場を逃した彼女に、失うものはなにもない。彼女の性格からいって、たぶん挑んでくる。
全日本では見事に転倒した。だが、今日の彼女は――
『四回転のトウループ!』
未来へ橋がかかっていくような、そんな美しいアーチを描く鮮やかな四回転。これほど美しい四回転は、練習でも見たことがない。まさに奇跡のジャンプだった。
『完璧に成功させました!』
だが、奇跡の大技の成功にも関わらず、彼女は笑顔を浮かべない。それどころか、なにか鬼気迫る覚悟を感じる表情だった。
また目線が合った。動いていたので一瞬だけだが。だが、カメラを通して、訴えかけてくる。まだ、こんなのは限界じゃないと。
『おっと、これはまさか』
次のジャンプはトリプルルッツの予定だった。だが、その軌跡は――まさか……もう一度挑む気か?
そして、そのまさかだった。勢い良くターン、右足を軸に左足のトウを突く――紛れもない四回転トウループ。
『なんと! 2本目!』
完璧に着氷させる。。だが、それでは終わらない!!さらにワンモアジャンプ、もう一度同じトウループ。今度は二回転――ではなく三回転!
『四回転のトウループから、三回転のトウループ!』
『なんということでしょう、四回転+三回転のコンビネーションです! 当然女子では世界初!』
馬鹿な。
女子にとっては三回転+三回転でさえ選ばれたエリートのみがようやく成功できるジャンプ。一番簡単な組み合わせであるトウループ+トウループの三回転+三回転でさえ、女子にとってはめちゃくちゃ高難易度なのだ。
それなのに、彼女はこの舞台で、四回転+三回転という、今や男子でさえ成功できなくなった史上最高難易度のコンボを決めてみせたのだ。
気がつくと、俺の体は震えていた。自分の演技前でさえ、こんなに震えたことはない。
これは、再び歴史が塗り替わった瞬間なのだ。
『信じられません! 君崎凛、四回転三回転のコンビネーションに成功しました!』
だが、それでも彼女はまだ満足しない。5つ残ったジャンプを、一つ一つ決めていく。そしてステップでも限界に挑む。一歩間違えば転倒してしまうほどにエッジを傾ける。ディープエッジという高等技術だが、ここまで深いステップシークエンスはなかなかない。
その一滑り一滑りが、限界という固い氷に己という刃で刻みつけるようなスケーティング
ステップから拍手が鳴り止まない。そのまま最後は高速スピンでフィニッシュ――
その瞬間、俺はテレビの前で立ち上がって、吠えた。
『素晴らしい演技!』
演技を終えた君崎はようやく笑みを漏らした。
『これが、君崎凛です!』
四方へ礼をして手を振ると、観客たちはさらに大きな歓声をあげた。
リンクに投げ入れられた花束をいくらか拾うのが慣例なのだが、一直線でリンクサイドに滑っていき、待っていた神崎コーチに飛びついた。
『いやぁ、すばらしい演技でした』
キスアンドクライに腰かけた君崎だったが、よく見るとまだブレードにカバーが付いていない。どこにカバーがあるんだと思ったら、なんとコーチがその右手に握りしめていた。
カバーは、普通、演技後にリンクサイドですぐに渡すものなのだが、興奮しすぎてどうやらその存在を忘れてしまっているらしい。
『四回転+三回転、しっかりと認定されています。なんとGOEではプラスの評価』
いったい、この奇跡のプログラムに、ジャッジはいかなる判断を下すのか。
『歴史を塗り替えた演技。その点数が出ます――』
歓声。
そしてすぐにアナウンサーの叫び声。
『215点! なんと、なんと、世界記録を10点以上も更新しました!』




