欲望の一片「黒も走れば、空を飛ぶ」
第一話
欲望…それは金風呂に入ること。
欲望…それは200年生きること。
欲望…それは、
「……」
結局、欲望って何だろう?
おじいちゃんが言っていた欲望って、一体なんのことなのかな。
「四葉乃さん、この問題の答えは」
「√2です」
「…正解です」
数学とかははっきり答えられるのに、
概念とかって答えが全く見えてこない。
キーン、コーン、カーン、コーン
すべてを繋ぎ合わせれば、一キロくらいになりそうな廊下たちに
チャイムが鳴り響いていく。
「今日はさっさと帰ろ」
お母さん、今日早かったはずだし。
私は、
いつも雨から守ってくれない自転車置き場の屋根から、
顔を空にのぞかせた。
「雨、降らないかな」
私は自転車の側面に脚を掛け、重心をうまく調整しながらさっと乗る。
丘の上にある海東高校を背景に、
私というキャラクターが前方に動いていく。
今日はなにを作ろうか、今日はなにを描こうか、そんなことを考え、
人にぶつかれば、けがをしてしまいそうな程、速度を上げていく。
そして、私は、
「……」
空を飛んだ。
アニメのようにスローモーションになることもなく、
私は崖下の家に勢いよく突っ込んだ。
バキ、バン。
チャリン、チャリン。
「痛い」
数秒前の光景が脳裏から離れないまま、
私、四葉乃 黒は生きた実感を静かに持っていた。
「生きてる」
ドクドクと高鳴る心臓。
音楽を流さずにイヤホンを付けているときにしか感じ取れないような
臓器の音が今はただ大きく聞こえる。
「よかった」
私はゆっくりと胸をなでおろし、これからどうするべきか考え始めた。
家主にどう伝えるべきか、何から謝るべきか、
ファーストコンタクトは何を言えばいいのか。
そういうことをただ頭の中で何度も考えていた。
「崖から、落ちて、穴をあけてしまいました」
「いや、まずは結論から、申し訳ありません、か」
いや、どうするのが正解なのかな。
でも、怖い人じゃないといいな。
あと、お母さんにまた迷惑かけちゃったな。
「もう…」
私は、ただ頭を悩ませ続けた。
そして、天井の穴と床にめり込んだ自転車を見ながら、
リビングと玄関をつなぐドアの前で正座をして待つことにした。
帰ってきた家主にすぐに謝罪することができるように。
ガチャ(玄関の扉が開く音)
「ただいまー」
家主が帰ってきた。
キー。
その扉が開く音は、
まるで異世界につながる邪悪な扉の立てつけが悪くなったときのようだった。




