75.神の在処
シェン・ダーディのある地域に古びた館がある。そこの主である老爺は取引相手である女と相対していた。
黒のドレスを纏い、首から下は一切肌を露出させていない女。透けたベール付きのマスクが顔を覆っており、彼女を彼女だと判断できる根拠はその狂気的な瞳だけ。だが裏を返せばそれのみで彼女と判断し得るだけの狂気を孕む。
明らかに気を違えている、と老爺は見透かした。平然と立っていること自体が奇跡的。それほどの劇烈な衝動をその身に宿しているように彼の目には映ったのだ。
「私共が勝利した暁には、契約通り我らが神をお受け入れください。」
「ああ、わかっておる。」
老爺はこれまでにも何度も念を押されており、いい加減にうっとおしく感じていた。ただ今回の企みのために助力を得る以上はその言葉も無碍にできない。
「分かっていらっしゃればいいのです。では。」
女は優雅にお辞儀をすると従者らしき男を連れて部屋を出ていった。
「フン、邪教の異常者どもめが。神などと……。くだらぬ……実に。」
老爺は錆びて色褪せてしまったペンダントに僅かばかりの想いを馳せる。やがて内に秘めたる野心が獣のような眼光として表出した。
「儂が必ずこの国を――神皇を終わらせる。」
常人には比肩しえない執念を胸に、老爺はそれまでの人生の全てを費やした計画に着手する。
一方で退室した女は先程までの綺麗な姿勢を崩すと、身悶えるように自分の体を抱き、グネグネと体を捩った。
「ああ、我らが神よ!私の愛はいつになったら受け取って頂けるのでしょう!早く早くっ……御身に卑しい私めを捧げさせてくださいぃ!アァ……絡みついて、呑み込んで、ドロドロに溶かしてぇ!私の全てをどうか御身にぃ!」
「教主様、しばしお耳を拝借。」
その付き人は様子のおかしい女の耳元でとある情報を知らせる。それは女にとっては劇薬で、今にもその狂気ゆえに体がはち切れるのではと思わせる程に女を狂わせる。
「鉄血機構ッ……!神に背く悪魔――我らが神敵は誅さなければなりません。この命をもってしても、必ず。神々よ。我らが信心をしかとご覧に入れましょう!デュフッ、イヒヒヒヒャ!」
魔女のような不気味な笑い声は古い館によく響いた。
✩
『消えた列車』の謎解きを経たアシェル一行が終着駅より馬車を乗り継いで十日。ようやくシェン・ダーディの国境を跨ぐことができた。さらに街をいくつか経由し、首都ディダンに向かう手はずとなっている。
「うぅ、お尻が痛いよアシェルぅ。私はあと何日馬車に揺られないといけないの……。」
十日以上という、恐らくリリィの人生史上最長の旅路は彼女の臀部に継続的なダメージを与え続けた。列車に始まり、馬車での移動は揺れが大きい。ガタガタな道を通るたびにリリィの臀部は椅子に打ちつけられるのだ。
だがこれはリリィの自業自得である。というのも、いつかの要望――小まめに水浴びをしたいという願いに応えた結果ルートが伸びているのだ。
「どうしたら楽に……。」
一行は馬車の中。リリィが視線を巡らすと、ちょうど隣に座るルインの膝上に目が止まる。
「ちょっと失礼して」
「おいコラ、勝手に失礼するな。」
リリィはそのまま横向きに倒れ、頭をルインの太腿に預けた。いわゆる膝枕状態である。リリィの目線の先ではアシェルが何とも言えない表情をしている。リリィはルインの膝上から不敵な笑みを浮かべた。
「どう、アシェル。羨ましい?どうしてもって言うならあとで場所を代わってあげなくもないけど。」
「なんでお前が偉そうなんだ。ルイン、嫌ならそいつの蟀谷を殴打しても構わん。俺が許す。」
「ちょ、ちょっと何よ、てんぷるって。何しようとしてるのよ。」
「こめかみだ。顔面の急所の一つだな。」
「じゃあ構いまくるよ!?なんでそんなことさせるの!」
アシェルが意地悪言ってくる、とリリィが拗ねた表情でルインに抱きつくと、ルインは困った顔で彼女の頭を撫でる。
二人ともほとんど年は変わらないはずなのにこの精神年齢の差はなんだと呆れるアシェル。なんなら歳自体はリリィの方が一つ上である。精神が図太いのは結構だが、もう少し恥じらいは覚えたほうがいいと思うアシェルだった。
そんな様子を見て下心に満ちた願望を耳打ちしてくるアーサー。
「アシェル君、私が願い出れば彼女は場所を交換してくれるだろうか。」
「やめておけ。ただでさえ低い好感度が消し飛ぶだけだ。」
アシェルはボソッと諌める。
リリィは男の遊び癖に対してはかなり厳しい目をもっている。それは彼女が経験した出来事――ホグトンに対する嫌悪感の名残だろう。
アーサーをそれと一緒にするべきでないとリリィ本人も分かっている。ただ、どうしても女性を己の都合のいいように扱う印象を払拭できず割り切れないでいる。そんな中で下心丸出しでルインの膝枕を所望しようものなら二度とリリィからの好感度が戻ることはない。
「まぁ、それでも彼女がメンバーでなければ構わず願い出ていたがね。組織内ではその手の問題はご法度だと『超越』からも念押しされている。ここは大人しく可憐な百合の姿を嗜むとしようじゃないか。」
「そうしてくれ。」
アシェルはやれやれと息を吐いた。アーサーの遊び癖は度を越すことがままある。組織内でならまだ抑えが効いている方で、ひとたび外の世界に繰り出せば街ゆく美女に声をかけずにはいられない。その点さえ除けば鉄血機構内でも常識人に区分されるのだが。非常にもったいないことである。
アーサーの決め台詞『君のとんでもないもの、奪っていいかな。』は今なおアシェルの記憶に残り、寒気を提供してくれる。
「さてさて皆さん。そろそろ見えてくる頃ッスよ。」
外で手綱を握っている『飛』が声をかけるとリリィが慌てて起き上がり進行方向の小窓を覗く。
「あれが首都ディダン?」
「違うな。あれは金白だ。」
馬車から見える都市は『金白』。首都ディダンへの中継地点とした場所である。
神皇国シェン・ダーディは一つの首都とそれを等間隔に囲う五つの都市からなる国だ。首都の『地誕』を中心としてその北に『木青』。そこから右回りに『火朱』、『土黄』、『金白』、『水黒』と続く。
独自に発展した五行思想に準ずる名前、ということは知っているがそれ以上の詳しいことは知らない。まずもってリリィが覚えきれるわけもなく、初めから説明はしていなかった。
「ねえ、もしかして私諦められちゃってない!?」
「いや、今回は目を瞑ろう。この国の都市名は馴染みのない響きだからな。そもそも覚えづらい。」
「そう。それならよかった!」
何もよくはないが。せめて覚える努力を見せてくれ、と思うアシェルだが彼女の性質はさすがに理解できている。都市の名前などさらさら覚える気などないのだ。
そうこう言っている間に一行は金白に到着した。




