3.悪魔と約因
アシェルは天窓から中の様子を伺っていた。そして今まさに窓の向こうでは一人の少女がホグトン・テーヘンの毒牙にかかろうとしている。
少女は婚約者として突然連れてこられたかと思えば、家主に対して暴言の数々。
ホグトンの天授を知ってか知らずか、後先考えない彼女の直情的な行動にアシェルは呆れていた。
――任務とは無関係な人間だ。ここで下手に介入するより、予定通りに計画を遂行することを優先すべき……。
アシェルは優先順位を理解していた。理解していたのだが――。
調査によると少女は同国の下級貴族、オクトルール男爵のご息女。箱入り娘――と思いきやその実態はほど遠く、迫害にも近しい扱いを受けてきた。
その理由はただ一つ。彼女が世にも珍しい天授を持たない欠けた人間だからだ。
その一点において、アシェルは同じ境遇の人間として思うところがないわけではなかった。それに少女が置かれている状況は遅かれ早かれ訪れていたことだ。
アシェルは降下用の命綱を取り付け、足場にしていた天窓を掌打で突き破った。
パリンと鋭い音を立てて足場は崩れ落ち、アシェルは重力に従って降下する。独特の高い摩擦音を響かせながら、伸縮自在の命綱を頼りに広間に着地する。
「な、なな、なんだ貴様は!何者だ!」
アシェルは喚き散らすホグトン・テーヘンを無視して、チラッと少女を見やると捺印の手は止まっている。
――やはり、思った通りだ。
アシェルは一つの確信を得た。本作戦における最後のピース。本来ならばもう少し準備を整えて確実に得るはずだったホグトンの天授【内弁慶】の弱点。
「お初にお目にかかる、ホグトン・テーヘン。アンタに名乗る名など持ち合わせてはいないが、あえて名乗るなら……『鉄血機構』。聞き覚えくらいはあるだろう?」
「パラべラム!?」
ホグトンはひどく動揺した表情を浮かべるが、一呼吸の間に落ち着きを取り戻した。驚愕から嘲笑へ。明らかにアシェルを見下すように鼻で笑う。
「ブッヒ。なにかと思えば神に見捨てられた穢魔の徒党ではないか。驚かせるでないわ。」
「口は慎めよ?俺の任務は国家反乱の芽を排除することだ。」
ピクリとホグトンが反応する。図星だ。
「な、何を馬鹿な。反乱などと……そんな証拠がどこにある!?」
「証拠って。」
アシェルは辺りにいる様子のおかしい女性を見渡す。探すまでもない、とでも言わんばかりに。天授の力を使って操っているうら若き女性たちは反乱の道具なのである。
そうでなくてもその態度。アシェルの経験上、いきなり証拠を求める容疑者が白だった例はない。
「う、うるさいうるさい!こやつらを養女にしてやったことの何が悪い!むしろ貴族になれたのだから感謝すべきであろう!」
「いや、あの……。」
「そもそもだ!こやつらを有力貴族に嫁がせて、我が【内弁慶】の手中に収めようなどと、言いがかりも甚だしいわ!」
「全部言うじゃん。」
――いや、知ってはいたけどね?
とアシェルは思ったものの口にはせず。そんな企みは知っているからこそ自分がここにいるわけで。調査にもそこそこ時間をかけてきた。その労力が本人の自白で全て台無しになったのである。今の発言を聞いて少女もドン引きの様子。
「ぐっ、貴様あああ!我を謀ったのか!?よもや自白系の祝業を……!」
「やかましい!俺は貴様の言った通り穢魔だ、たわけが。言わせるな。『よもや』じゃないんだよ。罪の告白なら神にでもしてろ。」
「許さぬ、許さぬぞおおお!」
ホグトンは完全に逆上した。己の失態を逆ギレすることで有耶無耶にしようとする救いようのない愚かさ。恥の上塗りはお得意技か、と心中あきれ果てるアシェル。
「いつまでボーっと見ているつもりだ、『牛飼い』!早く此奴を始末しろ!」
刹那、巨大な質量がドスンとホグトンの傍らに着地するとアシェルに向かって突進を始めた。
アシェルはひらりと横に躱すとその巨体は壁に激突し亀裂が走る。だがそれで動きは止まらない。巨体は振り返ってアシェルの動きに追従しようとする。
アシェルは衝突の瞬間、溶けるように身を屈めると、相手の死角から足元を刈った。
バランスを崩したその巨体は勢いづいたままゴロゴロとホグトンの元まで転がっていく。
アシェルは襲いかかってきた男の正体に気づいている。ホグトンに金で雇われた用心棒と言ったところだ。
「【猛進】のゴズだな。なら、もう一人いるはず――」
アシェルが言い終える前に頭上から刃物が飛来する。
――一、二、三…四つ。
アシェルは瞬時に見極めると腰に装備していた刀で全てを払い除けた。カランカランと飛び道具が床に落ち、それから追撃はなし。短い静寂が訪れる。
その静寂は長くは続かなかった。沈黙を破ったのは闇に隠れていたもう一人。そいつはホグトンの影から妖怪のようににゅっと姿を表した。
「お見事、お見事。」
手足が長く、全体的に細長いシルエット。ねっとりとした口調の男。アシェルはその特徴に覚えがあった。
「【暗殺者】第四階位、メズだな?」
「御名答。」
『牛飼い』は【暗殺者】のメズと【猛進】のゴズの二人組みだ。
ゴズが場を荒らし、メズが確実に敵を仕留める。その連携が彼らの常套手段。
そしてアシェルにとってより厄介なのはメズだ。一般的に位階が一つ上がるごとに戦力としては五倍以上。】第四階位ともなると裏の世界でもかなり数が限られてくる。
「はあ、骨が折れる。」
「ハッハア!骨ぇ折るだけで済むわきゃねえだろう!お前はここで死ぬんだよお!」
脳筋のゴズはアシェルの言葉を額面通りに受け取ったようで勝手に闘志を燃やし、メズがそれを冷静にたしなめる。
「喋るな、ゴズ。無知を曝すだけだ。」
「なんだとう!?」
「あれは精神干渉系かもしれん。無闇に会話するものではない。」
「だけどよぉ、あいつが自分で穢魔つったんだぜ?」
「ブラフの可能性もあるだろう。」
メズは無駄な深読みをする程度にはアシェルから警戒を解いていない。暗殺者としては当然の心がけではあるが、アシェルがそれに付き合う義理はない。
「『牛飼い』。一度だけチャンスをやる。今この場から去れば痛い目を見なくて済むぞ。」
アシェルの視線の先にはゴズ。すぐさまその言葉を挑発と理解したのだろう。ゴズは瞬く間に怒りで顔を赤くした。
「チッ、まさか知っているのか!?」
メズが少し驚きの混じった反応を見せる。
そう、アシェルは知っている。彼ら能力者が最も知られたくない急所を。全ては計画に織り込み済みだ。アシェルの狙いは二人を分断させることにある。
「行くぜえええ!」
「止まれ!」
制止するメズの声はゴズの怒声にかき消される。アシェルの二倍近くはある体躯が猛スピードで先陣をきった。
十メートルはあったはずの間合いが一秒にも満たない時間で埋まる。瞬間移動した、と錯覚するほどの速度。鉄の扉をも粉砕すると言われるタックルがアシェルの目前に迫る。
何の情報も持っていなければ今頃アシェルは原型も留めぬほどの肉片になっていたことだろう。
だが、アシェルは知っている。
天授名、【猛進】。
能力は【直線移動をするとき、攻撃力と敏捷力が加速度的に増加する】。
そして体当たりの際に使用する祝業は【硬化】。
【任意の体組織を鋼鉄と同等の硬度へ昇華させることができる】。
そして――
アシェルはゴズの体当たりを寸前で躱しながら、その右肩に刀の峰で一撃を入れる。さらにゴズが止まりきれずに壁に激突した瞬間、アシェルはゴズの背後から残る左肩と膝に同様の剣撃を叩き込んだ。
「弱ぇ、弱ぇ!虫でも止まったか…お?」
息巻いていたゴズだが自身の身体の変化に違和感を覚えたらしい。
「た、立てねえ!何だこれはあああ!ゴブッ!」
喚くゴズの後頭部をアシェルが思い切り蹴りつけると顔面は壁に強く叩きつけられた。
場が再び静かになる。最初に口を開いたのはメズだった。
「まさかゴズの約因を知っているのか。」
約因。人々が天授という身に余る力を与えられる代わりに背負うこととなる制約。
それは戦闘の優位性を決定づける重要な勝機となる。力を持たないアシェルにとっては特に。
そして、ゴズの約因とは――
「【挑発を受けると知力が低下し、即時に戦闘行動を開始する】だろ?」
そしてゴズの得意技は【硬化】を使用したタックルだ。つまりゴズの攻撃手段とタイミングは初めからアシェルの掌の上にあったわけだ。
その条件をもってすれば、すれ違いざまに【硬化】の及ばない肩関節を外し、追撃で膝の腱を斬ることは容易なことだった。
「いいや、それでも…ありえない。知っていたからとてできる芸当ではない。まして天授を持たぬ生身の人間が。」
「なら、その身で確かめるといい。」
アシェルはメズに向かって駆け出した。ゴズは十メートルの間合いを一秒未満で詰めて見せた。だが、残念なことに天授のないアシェルに同じことは不可能だ。どれだけ努力しても初手の十メートルには一.六九秒かかる。
「なっ…!」
メズは完全に虚を突かれた表情を見せる。アシェルは次の動作を待たず刀を一閃。が、その手にはやはり手応えはない。メズだったものはアシェルの眼の前で霧散したのだ。
当然だ。【暗殺者】の約因は決まっている。【標的の視界にいる間は攻撃力と敏捷力が半減する】のだ。簡単に本体が姿を曝すはずがない。
だが裏を返せば標的の死角にいると確信すれば仕掛けてくる。
アシェルは初撃に暗器が飛んできた方向から既にメズの位置を逆算し特定していた。今、アシェルの死角にメズはいる。その位置は――
――頭上後方からの奇襲だ。
アシェルはその場から即座に跳び退くと、ちょうど自分がいた場所にメズが短剣を振り下ろしていた。
「チッ、やはり読まれていたか!」
相手に本体を晒した【暗殺者】の行動は逃走の一択。第四位階の【暗殺者】ともなれば必ず有効な祝業を持っているはずだ。
案の定、メズは撤退の姿勢を見せた。だが――
「逃さない。」
既にそこはアシェルの間合い。思考する暇さえ与えない。十分の一秒にて刀を一閃――峰打ちだが意識を刈り取るには充分な一撃だった。