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2. 邂逅

 姓はオクトルール、名はリリィ。美麗にして可憐なる少女は人生最大のピンチを前に走馬灯のように記憶が蘇る。


「悪い子のもとには『――』という悪魔がやってくる。

そして、生きたまま想像もつかん恐ろしい場所に連れ去ってしまうんじゃ。だから、リリィはいい子でいなさい。じゃが――」


 リリィはもうこの世にはいない祖父の言葉を思い出していた。なぜ今になってそのことを思い出したのかはわからないが、きっかけならはっきりしている。


 目の前でふんぞり返る婚約のせいである。でっぷりと太り散らかし、脂ぎった顔面。着飾った二足歩行のブタ、と表現するのが一番しっくりくる醜態。その姿にリリィは嫌悪感が抑えられなかった。

 どうにか養豚場へお帰り願いたいところだが、男は図々しくも謁見の間に据えられた玉座からリリィを見下ろしていた。


―――なんでこんなことに……。


 リリィの脳内では現実逃避のように昨日の記憶がフラッシュバックした。



天授(ギフト)祝業(スキル)は神の寵愛だ。

悪鬼(イビルス)に抗う唯一の力。そして、それそのものが人間として最低限の証明と言ってもいい。だがお前にはそれがないだろう、ええ!?」


 父の冷たい視線と怒りに震える声が場を凍らせる。


 天授(ギフト)とは、神から与えられる己の定義とその才である。 

 例えば、【剣士】の天授(ギフト)を持つ者は剣の扱いに長け、【治癒士】の天授(ギフト)をもてば治療に関わる特別な才を得ることができる。

 また、それぞれに階位(ステージ)の概念が存在し、最高は五と言われている。

 現在、第五階位(ステージ5)に到達した者は世界に十といない―――


 一方で、祝業(スキル)とは天授を前提とした超常の(わざ)を指す。これを持つものと持たざる者では、同じ動作を試みても結果は別次元のものとなるのだ。

 先天的、後天的のどちらでも習得ができ、今のところ一人あたりの個数上限などは判明していない。

ちなみに歴代最多は百二十八とされている。


 世界はまさにこの天授(ギフト)祝業(スキル)に支配されている。優れた才を持つ者ほど神の寵愛を受ける者として、確固たる地位が約束されるのだ。そして、リリィはというと――


天授(ギフト)を持たぬ欠陥品が!いつまで経っても使途不明の役立たず祝業(スキル)しかないお前は我が家名の恥と知れい!」


 そんな一方的な暴言を受けて、冷静でいられるわけがない。実の父から「お前は人間のなり損ないだ」と揶揄された娘の反応なんていつの世も変わらないものである。


「黙らっしゃい!天授(ギフト)だとか祝業(スキル)だとか!そんなものでしか人を見られないから三流貴族止まりなのよ!」



 リリィの意識が現実に引き戻される。自らの失敗を悔い、深いため息と同時に発狂した。


――なんであんなこと言っちゃったのよおおお!


 リリィは昨日の短慮な言動を激しく後悔した。常日頃から待遇の改善を希いながら、父親兼当主の言うことには絶対服従でやってきた。表向きはお淑やかな良き令嬢を演じてきたというのに。

 

 溜まりに溜まったストレスが爆発した結果、翌日には嫁ぎ先が決まってしまったのだ。

 生まれてこの方、必死に猫を被り続けてきた苦労が水の泡になったのである。


 ならばせめて嫁ぎ先に期待、と思ったのが運の尽き。お相手はとある名門貴族の長男――と聞こえはいいがその人柄はまさにゴミクズ。女にだらしなく、酒癖は最悪、なおかつギャンブル狂いという三拍子揃ったクソ野郎だ。 世の悪評の一切を我が物とする正真正銘、社会の汚点である。


「さすがにそれは口が過ぎぬか!?社会の汚点とな!貴様、女の分際で誰に物申しておるのだ!」


「あら、失礼。本音は隠せぬものですね、うふふ。」


「本音ええ…!」


「この評価はお気に召しませんか。そうですか……。うーん、貴方様といえばこの王国の名家(笑)、テーヘン伯爵家の次期当主様。では、改めましてこういうのはどうでしょう。貴族の面汚し、と。貴方の顔面醜し、のダブルミーニングですわよ。」


「罵倒が小賢しいわ!先ほどもしれっとブタ呼ばわりしたこと、忘れておらんからな!」


「あら、耳ざといこと。」


 リリィは自分でも呆れるほど連連と罵詈雑言がこぼれる。この会話を聞いた者はこのご子息が寛大なように見えてしまうかもしれない。

 だけど断言する。それは勘違いである。彼はこのあとのお楽しみを夢想して、その余裕からふんぞり返っているにすぎないのだ。

 だからリリィの言動は、打首にならない程度に言いたいことを言ってしまえ、というせめてもの抵抗だと思ってほしい。


 リリィは改めて思う。今このときばかりは己の美貌が恨めしい、と。自分で言うのもなんだが、ルックスだけは抜群にいいのだ。万人が万人、口を揃えるレベルで。巷では王国一とも言われているほどに。


 ただ、それ以外には何もなかったから。どんなに些細でも天授(ギフト)さえ発現していれば王家にでも嫁げた。

 そうでなくとも優れた祝業(スキル)さえ扱えていたなら、人生はもっと自由なはずだった。

 だけど意味不明な祝業(スキル)しかなかったリリィに下される評価はどこへ行っても『美しいだけの人間もどき』。


 そんな見目麗しいだけの残念な女に与えられる道は二つ。上級貴族様のアクセサリーになるか、使い捨ての性処理道具になることだ。


 ちなみに今回の場合は最悪のケースに近い。ブタは下心を隠す気もないらしく、鼻息を荒くして、既にイチモツをおっ勃てている。まさに発情期のブタである。リリィはそんな姿に目も当てられない。


「よぉし、貴様がそのつもりなら明日を待つまでもあるまい。今からだ。婚約の儀を交わしてそのままっ…ブフォッ、ブヒヒヒ。」


 いよいよ鳴き声までブタである。

 

「キモ。」


「捕えい!」


 余計な一言でブタの堪忍袋の緒が切れたらしい。このまま捕まればリリィの人生はお先真っ暗、ブタの性欲を満たすだけの日々が待っている。


「ごめんね、おじいちゃん!やっぱり無理でした。私、悪い子になります!」


 リリィはブタに手をかざし祝業(スキル)の名を叫ぶ。


「【狐化かし(アウトフォックス)】ッ!」


 ブタを守る近衛兵含め、この場にいる全ての者が奇襲を想定して身構えた。

 ちなみに【狐化かし(アウトフォックス)】の効果は【発動時に相手の意表をついてビックリさせる】。

それ以上の効果は――ない。


 リリィは摩擦で火を起こす勢いで踵を返すと、謁見の間から飛び出し長い廊下を駆け抜けた。しばらくして、背後から――


「あの女狐えええ!絶対に捕えろおおお!」


 ぶちギレた鳴き声が響いた。リリィは完全に包囲される前にこの屋敷から脱出しなければ、と全力で走る。

 巡回中の衛兵を掻い潜りながら出口を目指す。が、たかが貴族の小娘にはあまりに難易度が高い。あれよあれよと行き絶え絶えの無力な少女の一丁上がりである。

 衛兵の目を何とか盗んで人気のない通路を曲がると、その先には異彩を放つ扉が一つ。


 リリィは導かれるように、その無駄に凝った装飾の扉から中に入る。中は真っ暗だった。疲労が回復するまで隠れるのには都合がいい場所だ。手探りで奥へと進むとコツン、コツンと自分の足音だけが暗闇に響く。

 十メートルほど中に進むと、偶然にも天窓から月の光が差し込んだ。ちょうど雲の隙間から月が姿を現したときだった。


 リリィは今までに感じたことのない強烈な寒気を感じた。何者かの視線がリリィに向けられている。それも一つやニつではない。何十もの――


 そして、リリィはその視線の正体を知りゾッとした。天窓から差し込んだ月光がすべてを照らし、その姿を露わにさせる。そこには何十人もの美しい女性がリリィを取り囲むように佇んでいたのだ。


「ひぃぃっ!」


 自分でも聞いたことのない情けない声が口から漏れ、思わず尻もちをついた。

 状況が飲み込めず、ただ混乱した思考の中で彼女たちを観察する。


 微かに聞こえる呼吸音や衣擦れが精巧な人形ではないことを物語っている。けれど一様に、まるでリリィが見えていないかのように無反応だ。


「なんなのよ……これ。」


 そのとき、ギイと軋む音を鳴らしながらリリィが通った扉が開かれる。


「ブッフッフ。まさかここを見られてしまうとはな。」


 リリィは遅ればせながらに悟った。見てはいけないものを見てしまったことを。そして思い出した。この男の天授(ギフト)が人心を操ることに長けた【内弁慶(ライオナット)】であることを。

 その効果は【自身の家名に連なる者に対して行動の強制権を得る】。


 自失呆然と立ち竦む彼女たちがその支配下にあることは容易に想像がついた。それだけ異様な光景なのだ。そして、リリィは凶行の現場に居合わせてしまったことになる。そんな彼女をこのブタが見逃すはずがない。絶対に。


 リリィは考えるよりも先に逃げ道を探し、脚を動かしていた。


「動くな!」


 たったの一喝。その一言でリリィの脚は自分の意志とは裏腹に動きを止める。脚だけではない。首も腕も、手の指さえも自分の力で動かすことはできない。そこで彼女の脳裏にある可能性が浮かぶ。


 婚約者は既に【家名に連なる者】に該当するのでは――


「よくも手間をかけさせてくれたものだ。この贖いは相応の奉仕によって成さねばならぬ。手始めに、ほれ。」


 ブタは無造作に巻かれた書類とナイフをリリィの前に投げ捨てる。


「その契約書に拇印を押すのだ。」


 リリィの体は自分の意志に反して命令通りに動き始めた。書類を解き広げると『婚姻契約』の文字が目に映る。


 【内弁慶(ライオナット)】は家名に近しい者ほどその効力を増す、というのは有名な話。正式に婚姻関係を結んだ人間ともなれば「死ね」の一言で簡単に命を落としかねない。


――絶対に嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。


 どれだけ心が拒絶してもリリィの手はひとりでにナイフを握りしめ、自分の親指に刃を入れる。


 「痛っ…!」


 痛み程度でその手は止まらない。血の滴る指が広げた契約書に吸い寄せられる。ナイフを投げ捨てた片方の手で、契約書に向かう腕を抑えるが僅かに遅らせる以上の意味はない。

 拇印が押されるまで残り数センチ。


――嫌だ。

助けて…誰か。

誰だって…何だっていい。

ここから逃げられるのなら私は何にだって魂を売れる。


 だが、心の悲鳴など誰に届くはずもなく。

 リリィの脳裏をよぎる。尊厳を踏みにじられながら生きる最低の人生。老いたら捨てられるだけの惨めな展望。想像しうる最悪の未来が確定する――


 そう覚悟した瞬間、激しくガラスが砕かれる音が大広間に響き渡った。


 失望に伏していた顔を外気が撫でる。リリィの体の硬直が解け、自然と音の鳴る方向に目を向ける事ができた。


 リリィの視線の先。月を背景(バック)に漆黒に身を包んだ人影がゆっくりと降り立った。まさしく闇夜に降臨した悪魔のように。


「な、なな、なんだ貴様は!何者だ!」


 動揺したブタの鳴き声など無視するように、黒いそれはリリィを一瞥する。そして、すぐに視線をブタに戻した。


「お初にお目にかかる、ホグトン・テーヘン。アンタに名乗る名など持ち合わせてはいないが、あえて答えるなら……」


 そして、僅かな間を挟んで彼は答える。罪深き悪魔の名を。


「『鉄血機構(パラベラム)』。聞き覚えくらいはあるだろう?」

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