【 Section 38.狩りの刻(前編)】
《1998年12月20日 12:02PM エルハイト市内 ビアンカ・メグレー孤児院》
クリスはマリアを引っ張って、孤児院内の菜園に駆けこんだ。菜園の片隅にある倉庫に飛び込んで、一個の床石を力任せに持ち上げる。
こんな小さな体のどこに、これほどの力が眠っているのだろう? クリスは、十数キロはありそうな分厚い床石を持ち上げ脇に投げた。床石の下には、四角くくり抜かれた抜け道のような穴が隠してあった。
「早く! 来て、マリア」
クリスは穴に飛び込んで、マリアを促した。有無を言わさぬその気迫に、マリアも黙って飛び込んだ。
「なに……この道は?」
どうしてこんな道があるのか知らないが、クリスはこの抜け道を使って、ときおり孤児院から逃げ出していたらしい。マリアの細い体でも、通り抜けるのは一苦労だった。泥だらけになって、一生懸命クリスに続く。十メートルほど進んだところで、孤児院の外の排水溝から顔を出した。
「マリア! 早く」
すでに外に出ていたクリスは、急いでマリアを引っ張り上げた。
「どういうことなの!? お願い教えて……ヒューマノイド狩りって……」
問われても、クリスはそれに答えない。彼女の手を引っ張ったまま、パニック状態で走り続けた。
「クリス!」
大きな通りを走り抜けて細い路地に逃げ込んだところで、クリスはようやく足を止めた。息を切らして赤い顔をしながら、あえぐようにマリアに答えた。
「……抜き打ち、検査だよ。ヒューマノイドを、探して、連れてく。……パパもママも、それで殺られた」
マリアの手を握りしめるクリスの手のひらは、冷たく汗ばみ、ふるえていた。爪が食い込むほど強く、強く強くマリアを握りしめている。
マリアは青ざめ、息をのんだ。
「ヒューマノイドを……?」
C/Fe検査。別名“ヒューマノイド狩り”。
八年前に連邦政府がヒューマノイドの全例回収・廃棄命令を下した直後、全個体うち二割近く――約二十万体のヒューマノイドが、所有者の命令に従って逃亡した。人間に紛れ込んで社会に潜伏するヒューマノイドたちを摘出するために行われたのがこのC/Fe検査だ。抜き打ちで街を閉鎖して、ペンライト型の後方散乱エックス線装置を用いて一人ひとりの市民を照射し、人間(C)かヒューマノイド(Fe)かを判別するのである。
ヒューマノイド回収命令が出た直後には国内全土で頻繁に行われたC/Fe検査だが、ここ二年間はまったく実施されなかった――だれ彼かまわずエックス線を照射する乱暴な手法が、人権団体や各種組織の反発を買ったのだ。また、当初二十万体いた逃亡ヒューマノイドの数は、回収令発効後四年のうちに五万体まで減少し、その後は横ばいになっていた。人口七千五百万人の国民の中に紛れるたったの五万体を摘出するために、大掛かりな検査を実施するのは税の無駄だと批判を浴びたのだった。
「ちくしょう……どうしていまさら、ヒューマノイド狩りなんてやるんだよ!」
壁に拳を打ちつけて、クリスは歯ぎしりをしていた。
この少年の体を震わせているのは恐怖と、寒さ。
いつしか雪も降り始め、気温は零度近くなっていた。クリスもマリアも、コートも持たずに飛び出してきてしまったのだ。寒くないわけがない。人間は、外気温に対してロボットとは比べ物にならないくらい脆弱だ。まして、こんなに小さい子供なら。
「……クリス」
マリアには、どうしたらいいか分からなかった。少年の肩にしっかりとしがみついて離れずにいた友人ロボットのロビィも、心配そうに少年の顔を覗き込んでいる。
「マリアを絶対死なせない! 逃げよう」
息が整うと、クリスは再び駆けだした。
「逃げるって――どこへっ!?」
逃げられるはずがないのだ。各街区の境界線には、当局所属のPRIMUSシリーズが配備されている。外周から囲い込んで検査を執行し、徐々に輪をせばめていく手法である。
『そこの貴方たち。直ちに静止しなさい』
曲がりくねった路地を抜け、人通りのない旧道に出たところで、一体のPRIMUSに見つかった。金属的な硬い声音で、PRIMUSはクリスたちを止めた。
『C/Fe検査執行中は、他街区への移動は禁止されています。静止なさい。静止して、検査の順を待ちなさい』
「くそっ」
マリアを引っ張り踵を返し、クリスは別方向に駆け出していた。
駆ける。駆ける。立ち止まる人々をよけて二人が駆ける。人々のほとんどが、当局の命令通りに静止していた――なまじ不審な動きをして、疑われたくないからだろう。
人々は不愉快ながらも服従しているのだ。苛立ちながら時間を持て余していると言った表情である。活動をいきなり中止させられて、エックス線検査の順番待ちをしなければならないのだから、ストレスを感じているのも無理はない。
「クリス! わたしたちだけ動いていたら、おかしいわ!」
それでもクリスは答えない。
駆けるふたりを、奇異な目をして人が見る。当局の捜査官は、一本一本の通りを区切ってしらみつぶしに検査しているらしい。マリアたちの走る通りには、まだ捜査官は現れていない。
――何なの、これは。
駆け抜けていく冷たい景色を、マリアは、どこか非現実的な物として見ていた。こんなの異常だ。
「おい! お前、ヒューマノイドなんじゃないのか!?」
後ろでわめき声が聞こえて、マリアは走りながらどきりとしてふり返った。
「ふざけるな、俺がヒューマノイドなわけないだろう! お前こそ、化けの皮をかぶってるんじゃないのか」
マリアたちのことを言っているのではなかった。道すがらの男たちが、ストレスまじりに罵倒しあっている。
閉鎖エリア内の全員のチェックが終了するまでは、誰ひとり外に出してもらえない。だからみんな、ヒステリックだ。何人かが、クリスとマリアに食って掛かった。
「おい! お前ら、どうして逃げるんだ?」「全員の検査が終わらないと、出られないじゃねぇか」「止まれ!」
駆けるクリスたちを、腹いせのように止まらせようとする者もいた。
「おいガキ、止まれって」
「うっせえ!」
立ちはだかった大人を、クリスは体当たりで突き飛ばした。人目が集まる――
「怪しいぞ、そのガキと女」
「当局に突き出せ!」
なにがなんだか分からない。誰に追われているのかもわからないまま、マリアはクリスに引っ張られて走っていた。
真冬の冷たい空気が、肺の奥まで差し込んでくる。
冷たい。
冷たい。
まるで悪夢のようだった。
【 Section 39.狩りの刻(後編) 】
《1998年12月20日 3:00PM エルハイト市 第五街区》
どこをどう走ったか、マリアはもう覚えていない。
人々をふり払い、せばめられていく当局捜査官の包囲網の中で徐々に逃げ場を失って。
いまはクリスと、橋の下に隠れている。
護岸された川辺に身を潜め、橋脚の陰から見上げて、上の様子をうかがった。人はいない。
「はぁっ、はァ、――――」
クリスの呼吸は、異常に乱れていた。全力疾走したからではない。おびえているのだ。恐怖と寒さに震えながら、琥珀色の目を見開いて、クリスは狂ったように繰り返していた。
「逃げなきゃ。……逃げなきゃ。逃げ――」
ちらりちらりと降る雪が、無情にクリスの体温を奪う。
マリア以上に、この少年はおびえているのだ。失うことに、おびえている。過去のヒューマノイド狩りで大事な“家族”を奪われたことがあるからこそ、マリア本人よりも現実的な恐怖を感じているのだろう。
マリアだって、逃げたかった。でも、
「無理よ……逃げられない」
逃げられるわけがないのだ。
マリアは、さっきの警報を思い出していた。
《なお、ヒューマノイドの隠匿を行った者に対しても、ロボット管理法第六十九条第三項の定めるところにより懲役九年処罰の対象となる》
わたしは逃げられない。
でも、この子は?
わたしと一緒にいたら、クリスも処罰されてしまう。
……そんなの、ダメ。
「クリス。わたしと一緒にいたら、あなたも危ないわ。だから、あなたは……」
「ばか!!」
マリアはクリスに頬を叩かれた。
――痛い。
痛みが恐怖を連れてきた。喉からせり上がってくるような、恐怖の奔流。
「マリア……逃げなきゃ……。殺されるんだよ? 捕まったら、頭からつま先までバラバラにされて、脳を割られて心臓取られて血を抜かれて、――いやだ。いやだ……いやだ!」
――殺される?
「マリア。……マリアが、死んだら、――僕は、どうしたらいいの」
すがりついてくる小さな体を、マリアも抱きしめ返していた。マリアはいつしか、クリスの体と同じ温度でふるえていた。
……でも。
それでもマリアは、何をすべきか見失わなかった。
「だいじょぶよ!」
声のふるえをこらえながら。できるだけ、明るい声を出したつもりだ。
「一つだけ方法があるの」
にっこりと。いつもみたいに笑ったつもりだ。
「ねぇ、クリス。お願いだから、わたしを残してドクター・シュルツのところまで行ってほしいの。あなたは人間だもの、検査が終われば、外に出られるでしょ?」
クリスは驚いて顔を上げた。
ドクター・シュルツ? どうして、あんな奴のところに? ――琥珀の瞳がそう問てくる。
「わたし、検査で捕まってしまうと思うけど。でも、ドクターだったら何とか助けてくれると思うの」
「な、なに言ってるの、マリア。捕まったら、助けるなんて出来ないよ」
「できるわ。あの人はすごい人だから」
花咲くような、いつもの笑顔。そんな笑顔を、マリアは浮かべたつもりだった。
「わたし、ドクター・シュルツと初めて会ったときに約束したの。あの人は絶対わたしを守ってくれる。そしてわたしは、あの人のために絶対死んじゃいけないの。だから……」
彼女はクリスの肩をぽん、と押した。
「わたしを本当に助けたいと思ってくれるのなら。お願いだから、早くあの人のところに行って。わたし、一人でだいじょぶだから」
クリスの体は、よろよろと後ずさった。二歩、三歩。
「……マリア?」
琥珀色のうつろな瞳が、マリアを見つめる。マリアは深くうなずいた。
「お願い、クリス。――ね?」
マリアに最後の念を押されて。
クリスは、彼女に背を向け走り出していた。
「………………ありがとう、クリス」
小さな後ろ姿が見えなくなると。マリアは、へなへなとしゃがみこんだ。
――ごめんね。わたし、嘘ついちゃった。
ドクター・シュルツが、わたしを助けるわけがない。何の役にも立たない、こんなわたしを。
あの子を引き離すためとはいえ。バカげた嘘をついてしまった自分がとても情けなかった。
マリアはポケットの中にひそませていたカフスボタンを取り出して、すがるような目で見つめていた。シュルツの髪と同色の、あの美しいカフスボタンだ。
握りしめる手は、ふるえていた。
「わたし、ほんとにバカ」
自嘲の笑みをこぼしたつもりだった。けれど。
ぽた。ぽた。
こぼれていたのは、涙だった。
ほどなくして現れた当局捜査官により、IV-11-01-MARIAは捕捉された。








