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#032「無病息災」

「茉莉、葵、茜。いいニュースだぞ! あれ?」

「騒々しいわねぇ。葵くんは大学病院、茜ちゃんは買い物に出掛けてるわ」

「ただいま。何だ。福音を持ってきたのに、茉莉ひとりだけか」

「せっかく吉報を届けに馳せ参じたと申すに、これでは拍子抜けでござる」

「出鱈目な武士口調ね。――それで、何があったのよ?」

「今日の仕事場が、ちょうど芋洗坂の中学の近くでさ。帰りに事務所の面々とスイーツ・バイキングに行くところを、芋洗坂に見つかっちまったもんだから、一緒に連れて行ったんだ」

「そこで、オイラの食べっぷりの良さが社長の目に留まってな。グルメ・レポートを引き受けることになったんだ。凄いだろう?」

「へぇ、良かったじゃない」

「そうだろう? 俺も、美味しい話だと思ってさ。良い小遣い稼ぎになるし、ついでに空腹も満たされる」

  *

「それ、ホンマに大丈夫なん?」

「芸能プロダクションもピンキリだけど、蒼太くんの事務所は割合しっかりしてるから、特に問題無いと思うわよ、茜ちゃん」

「酷いところだと、出演料の未払いやポルノ作品への出演強制があるようですが、そういう心配が不要であることは、蒼太さんが証明しているでしょう?」

「そうやね。蕨くんが、えぇ証拠やわ」

「そうよ。何も心配すること無いわ。ねぇ、葵くん」

「えぇ。あとは、芳郎さんの活躍に期待しましょう」

  *

「早いモンで、もう十一月も半ばなんやねぇ、葉山さん」

「そうですね、茜さん。今日は十五日ですから、七五三ですね」

「三歳と七歳が女の子で、五歳が男の子やったっけ? うちの近所では、七五三のお祝いをする風習が無かったから、よぅわからんのよねぇ」

「江戸時代の関東で、武家の慣わしが元になって広まったとされている行事ですから、関西では馴染みが薄いかもしれませんね。三歳は髪置き、五歳は袴着、七歳は帯解きと呼ばれる儀式がルーツと考えられています。早い話が、医療の未発達で乳幼児死亡率の高かった時代、その歳まで無事に育ったことへの感謝と、大人に一歩近付いたことを祝う通過儀礼です」

「フゥン。こっちで言うところの、十三詣りみたいなモンやね」

「たしか別名を智恵もらいと言って、上方では、中学に入学する春に寺社にお参りするんでしたね」

「そうそう。晴れ着を着たり、お守りを貰たりするんよ。あと、帰り道に本堂を出てからは、鳥居をくぐるまで絶対に後ろを振り向いたらアカンねん。せっかく授かった智恵が返ってしまうからっていうてな」

「フフッ。何だか、地獄のオルフェのラストみたいですね」

「地獄のオルフェ?」

「天国と地獄、と言ったほうが良いでしょうか? 特に序曲の第三部が有名ですね。カンカンとかギャロップとか呼ばれる部分ですが」

「あぁ。運動会の徒競走とかリレーとかで流される、あの曲やね? チャンチャカチャカチャカ、チャカチャカチャカチャン」

「そう、それです。元は、オッフェンバックのオペラなんです。オルフェウスの『冥府下り』を下敷きにした作品でしてね。最後に主人公がハデスから、冥界から抜け出すまでのあいだ、決して後ろを振り返ってはならないと言われる場面があるんです」

「振り返ったら、どうなるん? 主人公は振り返ったん?」

「有名な話ですから、誰かに尋ねてみてはいかがでしょう? ――そろそろ、芳郎さんの出番ですね」


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