#031「緑の屋根と赤い煙突」
――はい。シンキング・タイム終了。その人物とは、このレコード一式を譲ってくれた、いまは亡き僕のお婆さま。
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「クイズとしてもミステリーとしても、出来が今ひとつだったかもしれないね。でも、他の登場人物でカモフラージュしようがないから、大目に見てほしいな。――そうそう。考えてもらってるあいだに、レコードを取り替えたんだ。こっちがカラヤンだよ」
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――当たり前かもしれないけど、念のために続柄を説明しておくと、お婆さまはお父さまの母で、お母さまからは姑にあたる人物なんだ。お婆さまは、その、何というか、ちょっと変わった考えの持ち主でね。親戚からは、どこか腫れ物に触れるように扱われていたんだ。
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「見た目は、清楚な貴婦人そのものだったんだけどねぇ」
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――お婆さまは、僕が中学に上がる前に介護施設に移ることが決まるまで、ビルの谷間に立つ小さな平屋建ての一軒家に一人で住んでいて、音楽教室を開いてたんだ。僕は毎週土曜日に、そこでピアノのレッスンを受けてたんだ。
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「お母さまとしては、もっと有能な先生に習わせたかったみたいだったけど、技術面よりも情操面を鍛えるべきだって、お婆さまが熱弁してきかなかったのと、僕にそれほどピアノの才能が無いことが判明したのとで、折れることにしたみたい」
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――レッスン自体も面白かったんだけど、それよりも僕が楽しみにしてたのは、終わったあとで迎えの車がくるまでにあった、お茶の時間なんだ。ゼリーやアイスをプラスチック容器のまま食べて良かったし、サイダーやジュースをビンのままラッパ飲みしても咎められなかったからね。
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「そこは、僕にとってライナスの毛布に該当する場所。自由が許される聖域。無法地帯にして安全地帯」
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――いずれ花は彩を失って枯れ果て、形あるものは必ず壊れるように、誰だって少年の日と訣別するときが来る。僕の場合、それは小学四年生の初夏。六月の、雨の降り止まない日だった。
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「その日のお婆さまが、消音ペダルも無い、古ぼけたアップライト・ピアノで奏でた音色は、外の雨音と実にマッチしていた。その曲が、ショパンのワルツ第九番だと知ったのは、中学に入って、しばらくしてから」
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――それなら、そのショパンを流せばいいと思うかもしれないけど、どのレコードを聴いても、あの日のお婆さまの調べとの違いが気になってしまってね。
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「そろそろ、誰か帰って来るかもしれないから、ここまでにしよう」
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――家主を失った僕のサンクチュアリー・スペースは、お婆さまが亡くなって半年ほど経ってから取り壊された。それでも、あの大正ロマン漂う文化住宅は、僕の心の中に、いまも色褪せずに存在している。過ぎ去りし日々の、貴重な思い出として。




