02
その後、水族館に着くと、子供のようにはしゃぐ天ヶ原さんに時には振り回され、時にはこちらが制止をかけながら、館内を見て回った。リニューアルしてからあまり日にちが経っていないせいか、人が多く、彼女を見失ったときはちょっと焦った。
内容としてはそこまで大規模な変化はなく、水槽や展示の仕方がキレイになったくらいだと思うが、それでも見応えは十分にあった。おそらく、久しぶりに訪れたからだろう。
お昼過ぎに入館してから目一杯時間を使って見て回ったため、外に出たときにはもう夕方の時間帯だった。ただ、季節的にまだまだ明るいので、あまり夕方だということは意識しなければわからないくらいだけれど。
「うわあ、閉館時間までいたなんてびっくりですね! 時間が経つのがすごく早く感じましたよ!」
外に出て、時計を見た天ヶ原さんが大げさなくらいの口調で言って笑う。確かに、何だかんだでぼくも時間を忘れるくらいには楽しんでいた気がする。
「楽しかった?」
「はい、とても! わたし、水族館の雰囲気ってとってもすきなので。よかったら、また一緒に行きましょうね!」
――もちろん、黒羽さんも一緒に!
そう言われることを覚悟していたのだが、予想に反してその言葉はなかった。かなり意外なことではあったけれど、よく考えれば、ここに来る前にぼくがあいつの名前を出すことを禁止していたのだから、天ヶ原さんはそれを律儀に守っているだけであって、違和感を覚えたぼくのほうが悪いのだ。結局、あいつを一番意識しているのはぼくなのかもしれない。
「灰人さん、どうかしましたか?」
天ヶ原さんに声をかけられ、はっと我に返ると、彼女は心配そうなカオでこちらをのぞきこんでいた。
「ああ、大丈夫。ちょっと考えごとをしてただけだから」
「そうですか?」
かくり、と首を傾げた天ヶ原さんの顔には、眉を下げた心配そうな表情がまだ残っている。そんなに顔色悪いのかな、ぼく。
「――やっぱり、ちょっと休んでもいいかな?」
彼女の機嫌をうかがうようにしてそう尋ねると、天ヶ原さんの表情がぱあっと一気に明るくなり、生き生きとした声で、
「はい、もちろんです!」
と答えた。
「確かこの近くに公園がありましたよね。――あっ、あれですね! じゃあわたし、ちょっと飲み物を買ってきますので、先に行ってベンチで休んでいてください」
「え、じゃあお金を……」
「そんなのあとでいいですから! 早く行って休んでください!」
「あ、はい」
怒涛の仕切りに押し切られ、ぼくは言われたとおり公園に向かう。あたりを見渡せば、空いているベンチがいくつかあったので、一番見つけやすそうなところに腰を下ろした。別に具合はまったくといっていいほど悪くないのだが、彼女はきっと誰かに尽くすことがすきなのだろう。本当に、悪魔である黒羽との違いを感じる。
こういうとき、あいつは追い打ちをかけるだけだ。少しくらい我慢なさい、とか言って、家に帰るまで休むことを許さない。そして、最悪な状態にしてから、ぼくが動けないのをいいことに、甲斐甲斐しく看病するのだ。まったく、悪知恵だけは有り得ないくらい働くんだよなあ。それを少しでも「思いやり」というものに回してくれればいいのに。
「はあ……」
ベンチにもたれかかり、右腕で目を覆う。さあ、と吹いた風はまだ少しだけ冷たかった。
「――灰人さん?」
(――カイト?)
「く――」
「はい?」
腕をどかすと、そこに見えたのは空――ではなく、その間にひょっこりと現れた天ヶ原さんだった。
「……あ、まがはら、さん」
「大丈夫ですか? だいぶお疲れのようですが……」
ぼくのトナリに腰を下ろし、気遣いの言葉をかけてくれる天ヶ原さんは、すっと飲み物も渡してくれた。これが天使か。現代のナイチンゲールか。
「ありがとう。久しぶりだったから、はしゃぎすぎたのかもね」
「えっ、あれではしゃいでいたのですか?」
「どういう意味?」
「いや、だってはしゃぐっていうのはわたしみたいな感じかと……」
「あ、自覚はあるんだ」
「ええ、まあ、一応……」
バツが悪そうにもじもじとつぶやく天ヶ原さん。どうやら彼女なりに反省しているらしい。
「だ、だから、わたしのせいで灰人さんが……」
「大丈夫、天ヶ原さんのせいじゃないから」
「……本当ですか?」
「うん、本当にぼくがはしゃぎすぎただけ」
「本当に?」
「それだけ楽しかったってことだよ」
にこり、普段なら見せないような笑みが自然と浮かんで、自分でも驚いた。ぼくはまだ、こんなふうに笑うことができるのか。
すると、それで落ち着いたのか、天ヶ原さんも安堵したように破顔した。
「そう、ですか。それならよかったです。わたしもとっても楽しかったですよ」
にぱ、と向けられたまぶしい笑顔から、思わず目をそらしたくなった。ぼくは、彼女の純粋で無垢な感情を踏みにじっているのだ。楽しかったのは事実だけれど、彼女と同じくらい楽しかったとはとても言えない。
もらった飲み物に口をつけ、しばらくお互い無言でいると、先に均衡を破ったのは天ヶ原さんのほうだった。
「あの、一つお聞きしてもいいですか?」
「え? ああ、うん。別にいいけど」
「灰人さんと黒羽さんってどういう関係なんですか?」
「え?」
思いがけない質問に、中途半端にしか構えていなかった心臓が跳ねた。さっきは黒羽の名前が出なかったから、ちゃんと約束を守ってくれているのだと思って、油断していたのかもしれない。
「約束、守れなくてごめんなさい。だけど、黒羽さんがいない今がチャンスかなと思って」
「……それは別に構わないけど、さっきの質問はどういう意味?」
「黒羽さんが灰人さんのことをすきだというのは会ったその日に直接聞きましたし、日々の様子を見ていればよくわかります。それに対して、灰人さんは自分に自信がないから付き合っていないと言っていましたよね? でも、わたしにはそれだけが理由ではない気がするのです。それに、わたしと初めて会ったときとそのあとでは、黒羽さんへの態度が違いますし。間違っていたら申し訳ないのですが、むしろ嫌っているようにさえ見えます」
やはり、あのとき素であいつとやりとりをしたのがうかつだったんだ、と後悔したが、天ヶ原さんだってぼくたちが喧嘩しても、仲が良いですね、とか的外れなことしか言わなかったくせに、ここに来て洞察力の鋭さを発揮するとかずるいぞ。彼女はなかなかしたたかなのかもしれない。
ああ、こうなったら仕方がない。予定を変更して、ここですべてをバラしてしまおう。
「――天ヶ原さんはさ、天使とか悪魔とか、人間じゃないものの存在って信じる?」
「はい?」
「黒羽はね、悪魔なんだよ」
「……はい?」




