05
「意味、わかんないんだけど」
「そのままの意味よ? もっと下世話な言い方をするのなら、あのコを誘惑してオトしてちょうだい、ということかしらね」
「いや、何がどうなったらそういう話になるんだよ」
「真白は天使よ。文字通り、天からの使者。神様から遣わされて地上へ来たの。だけど、あのコは自分が天使だという記憶を失っている」
そう、いくら天ヶ原さんが神様からこいつを改心させるために遣わされた天使だとしても、記憶を失い、その目的を忘れているのだから、こいつが改心する可能性は低いだろう。こいつの言う通り、少しは希望が見えてきた気がしなくもないが、こんな状況では依然黒羽のほうが優勢だ。
それとも、彼女が記憶喪失になったのも、神様からの試練なのだろうか。それは、乗り越えられる試練なのだろうか。ていうか、神様はぼくに試練を与えすぎだろ。
「だから、今がチャンスなのよ。あなたが真白を懐柔してくれれば、あのコを人質にできるわ」
「人質?」
「そう。わたしはあのコを人質にして、神様と取引をするの」
「……どんな?」
「彼女を無事に返してほしければ、もうこれ以上わたしに干渉しないで、ってね。さっきも言ったけれど、わたしは自分のことを悪だとは思っていない。だから、天使なんて送られてきても改心するつもりはないし、そもそもそんなものする必要がないと思っているの。だから、彼女を懐柔して、人質にする必要があるのよ」
堂々と告げられた犯罪予告。さすが悪魔といったところだろうか。
だけど、
「それ、成功するのか?」
つぶやくように尋ねると、黒羽はにやり、と黒い笑みを浮かべた。
「神様はね、とても慈悲深いのよ。それこそ、こんなわたしにも改心の余地があるということを信じて、天使を遣わすくらいに。神様は自分が造ったこの世界、そしてそこに存在するものすべてを愛しているの。しかも、彼女は天使。つまり、神様の側近よ。ならば、余計に見捨てるわけがないわ」
確信をもってなされた熱弁は、相変わらずムダに説得力がある。こいつにとって神様は忌むべき存在なはずなのに、よく知っているなあと素直に感心した。嫌いだからこそ、その弱点をつくために知ろうとするのだろうか。
「お前の脅しが神様に効きそうだっていうのはわかったよ」
「まあ、脅しだなんて失礼ね。これは正当な取引よ」
「あっそ。――で、それはぼくに何かメリットがあるのか?」
確かに、これは黒羽にとっては大きなチャンスだ。この取引が成功すれば、こいつはもう神様に干渉される心配がなくなり、人間の目からすれば「悪」であることを、好き勝手に行えるようになる。
だけど、それはぼくにとってはピンチでしかない。ピンチはチャンスだと言うけれど、その逆もまた然り、ということだ。神様の干渉がなくなれば、黒羽が改心する可能性はゼロになってしまう。ひいては、ぼくの呪いが解ける可能性もゼロになってしまうのだ。
天ヶ原さんが黒羽を改心させるために遣わされた天使だと聞いたとき、ぼくは神様に少しだけ期待した。今まで乗り越えられない試練ばかりだったけれど、ようやくそれを乗り越えられるかもしれない、と喜んだのだ。
それなのに、結局は黒羽のほうが優位。希望はあまりにも脆く、崩れ去ってしまった。ならば、黒羽から何か見返りがなければやっていけないだろう。
「あら、そのメリットによってはやってくれるの?」
「何で意外そうなカオするんだよ。お前が言ったんだろ」
「だって、この取引が成功してしまったら、あなたが二十歳で死ぬことが確定してしまうのよ? まあ、今までもすでにそうだったけれど、まだ希望があったはずじゃない。あなたがこのお願いを聞いてくれるということは、自殺行為に等しいわ。――でもまあ、そうね、もしあなたがこのお願いを聞いてくれるというのなら、寿命を三年延ばしてあげてもよくってよ。それくらいなら、わたしも許容範囲だわ」
寿命を三年延ばす、ねえ。
「安くないか、それ」
「あら、三年もあればだいぶ違うんじゃなくて? とりあえず、大学は卒業できるわよ」
確かに、それは一つ大きな利点かもしれない。ただし、もし将来につながるものを見据えて学部を選ぶのなら、それが見えないぼくに大学へ行く価値があるのかどうかもわからないけれど。
「さっき、神様は自分が造ったこの世界と、そこに存在するすべてのものを愛している、と言ったわよね。だけど、この世界は平等ではない」
ぼくが黙っていると、黒羽が代わりに言葉を紡ぎ始めた。
「事件、事故、貧困、その他もろもろ。神様はすべてを愛しているはずなのに、すべての人が平等に幸せではない。それはあなたが一番痛感しているでしょう? 神様は時に残酷なのよ」
「それがメリットと何の関係があるんだよ」
「つまりね、神様は世界のすべてを愛しているがゆえに、一人ひとりの救いがおろそかになりがちなのよ」
「世界全体の救いのためには多少の犠牲も仕方がない、ってことか」
「そう。けれど、わたしは違うわ。わたしは、あなただけを愛している。世界なんてどうでもいい。あなたと二人なら、それだけでわたしは幸せなの。あなたのお願いなら、わたしは何でも叶えてあげるわ。ただし、わたしの利害と一致するものだけ、だけれどね」
聞く人が聞けばこれは大胆で情熱的な告白なのかもしれないが、こいつと利害の一致なんてしないほうが多い。結局、こいつはぼくの願いなんてちっとも叶えてくれないんだ。
「人生には、選択肢も決断もたくさんあるわ。たとえ間違えたとしても、やり直したり、次に生かしたりすればいい。だけどね」
にやり、のぞきこむようにして顔を近づけてきた黒羽が、不敵に笑う。
「生死に関わる選択だけは、間違えてはいけないの。あなたは今、その岐路に立たされているのよ」
間近で見た顔は相変わらずムカつくくらいにキレイだが、その口から出た言葉は残酷でしかない。
「世界のすべてを愛しているけれど、個人をおろそかにする神様と、あなただけを愛しているわたし。どちらを選ぶべきなのか、あなたならわかるわよね」
本当はどちらも選びたくはない。だって、どちらもぼくにメリットはないに等しいのだから。
でも、
「――わかったよ。やればいいんだろ、やれば」
こいつが言うように、まだ見ぬ神様よりは目の前にいる悪魔のほうが少しだけ信じられる。神様が個人をおろそかにするから、人間はどんどん堕落していくのかもしれない。
「ふふ、物分かりがよくて本当に助かるわ。じゃあ、明日あたりからさっそくよろしくね」
「ていうか、お前が友達として自分でやればいいんじゃないのか?」
「それでもいいのだけれど、あなたがあのコを気に入っているようだから、協力してあげようと思って」
「はあ?」
「最後はわたしのものになるのだもの。生きているときくらい、すきなように恋したいでしょう?」
ここに来て何だっていうんだ。今まで散々告白してきた子たちを牽制していたくせに。いや、正確には「告白してもいいけれど叶わない」ということになるよう、外堀を埋めていったくせに、か。そのせいで、ぼくはそもそも恋愛というものをあきらめていた。それなのに、今さらそんなことを言われても、もう遅い。
それに、もし天ヶ原さんをすきになったとしても、彼女は天使だ。そのあとどうやって付き合っていけというのだ。
「男ノコってああいうタイプがすきなのでしょう? それに、真白からは純粋さや善性、さらには聖性もあふれている。むしろ惹かれないわけがないでしょうね」
「別に、そんなの興味ないよ」
「あらそう? でも、彼女のこと、すきになっても構わないのよ。まあ、最終的にはわたしのものになるのだけれどね」
ほらみろ、やっぱりそういうことじゃないか。結局こいつは優越感を味わいたいだけなのだ。ほかの女子に対しても、天ヶ原さんに対しても。
「なあ、やっぱりぼくのメリットが安すぎるから、条件をつけてもいいか?」
「内容にもよるけれど、とりあえず聞くだけ聞いてあげるわ」
「お前のことだから、どうせ隠れてぼくの様子を監視するんだろ」
「まあ、人聞きの悪い。でも、アタリ。そうしない理由がないもの」
自分で言っておいてなんだが、どうして尾行されることが当然のようになっているのだろうか。これは立派なプライバシーの侵害だ。まあ、悪魔の犯罪を立証することは不可能だろうけど。
ぼくは大きなため息をついてから、再度口を開いた。
「監視はまだいいよ。どうせダメだって言ってもやるんだろうから」
「失礼ね。そこまでデリカシーのない人間じゃないわよ」
「お前は悪魔だろ。……まあそれはおいといて、ぼくが言いたいのは、見てもいいけど会話は聞くなってこと。盗聴禁止」
「ふぅん、そういうこと。いいわよ、あなたの条件を飲みましょう」
どうして? と聞かれるかと思ったけれど、意外なことに黒羽はすぐ了承してくれた。どうにか言いくるめるつもりでいたので、ちょっと拍子抜けだ。
しかし、
「でも、まさかわたしを裏切ろうとしているのではないわよね」
少し首をかしげて、いつもより低めのトーンで言葉を発した黒羽。口は笑っているのに、目は笑っていなかった。
どうして? と聞かなかったのは、その理由に心当たりがあったから。そんな単純なことだったのだ。
「ま、さか」
たった一言であるにもかかわらず、のどに引っかかったように上手く声が出ない。やばい、変に思われただろうか。
嫌な汗が背中を伝ったとき、真顔でじっとぼくを見つめていた黒羽がにこ、と笑った。
「それならいいの。そのくらいの条件で二度と改心を強要されないようになるのなら、安いものね」
本当に、この条件では安すぎるくらいだ。天ヶ原さんの懐柔が成功すれば、黒羽はこの先一生の自由を得られるのに対して、ぼくはたった三年の寿命が延びるだけ。こんなの、割に合わない。
それでも、ぼくがこの条件を出したのは――
「――でも、ねえ灰人」
「何だよ」
「わたしに改心、してほしい?」
そう尋ねてきた黒羽の笑みが哀しそうに見えたのは、眉が下がっていたからだろうか。こいつが殊勝だなんて、珍しいを通り越して少し気持ち悪い。
「さっきは当たり前だろって言ったけど、ぼく、叶わない願い事はしないから」
「ふふ、ならよかった」
そう、叶わない願い事はしない。神様に叶えられない願いなどあるのか、という疑問もなくはないけれど、願うならもっと違うことにするさ。もっと確実で、いい願い事を、ね。




