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怖い話_続2026年度読切  作者: 三葉


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2/2

白黒の脇道

七月の終わり。


日曜の昼。


外は、嫌になるくらい晴れていた。


窓の外では蝉が鳴いている。

部屋では野球中継が流れている。

テーブルの上には、溶けかけた氷入りの麦茶。


俺はソファに沈んでいた。


妻の実瑠は、買い物に出ていた。



【LINE】


12:41 実瑠

スーパー行ってくるね


12:41 高尾

いってらっしゃい


12:42 実瑠

アイス買う?


12:42 高尾

買う

チョコのやつ


12:42 実瑠

またそれ


12:43 高尾

信頼できるものに限る


12:43 実瑠

大げさ



実瑠は新しいものが好きだった。


スマホも先月、最新機種に買い替えたばかりだ。


カメラがすごい。

夜でも明るく撮れる。

肌もきれいに写る。

料理も勝手においしそうに撮れる。


そう言って、しばらく何でも撮っていた。


だから、最初に写真が送られてきた時も、俺は特に気にしなかった。



【LINE】


13:18 実瑠

ねえ


13:18 実瑠

こんな道あったっけ?


13:18 実瑠

[写真]



送られてきたのは、細い脇道の写真だった。


スーパーへ行く途中の、住宅街のどこかだと思う。


でも、妙だった。


写真が白黒だった。


正確には、完全な白黒ではない。


色が抜けている。


古い新聞の写真みたいに、灰色がかっている。


道の両側には、木の板を張った古い家が並んでいた。

電柱は細く、看板も古い。

アスファルトも、今の道路みたいに滑らかじゃない。


一枚だけ、時代が違っていた。



【LINE】


13:19 高尾

フィルター?


13:19 実瑠

かけてないよ


13:19 高尾

嘘つけ

昭和みたいになってる


13:20 実瑠

ほんとにかけてないって


13:20 実瑠

なんかここだけ涼しい


13:20 高尾

入るなよ


13:21 実瑠

ちょっとだけ見てくる


13:21 高尾

いやだから入るなって


13:21 実瑠

すぐ戻る



こういう時、人はどうして「ちょっとだけ」と言うのか。


ちょっとだけ火に触る。

ちょっとだけ崖を覗く。

ちょっとだけ変な道に入る。


人類、好奇心で何回滅びる気なんだ。


俺は電話をかけた。


けれど、つながらなかった。


画面には、すぐに表示が出た。


通話できません


電波はある。


アンテナも立っている。


なのに、つながらない。


野球中継では、三回裏が始まっていた。


実況の声が、急に遠くなった気がした。



【LINE】


13:27 高尾

今どこ


13:28 実瑠


13:28 高尾

それは分かるけど


13:28 実瑠

細い道


13:29 高尾

戻れ


13:29 実瑠

戻ってる


13:30 高尾

写真の入口まで戻って


13:31 実瑠

入口がない



俺はテレビの音量を下げた。


部屋の中が、妙に静かになった。


蝉の声だけが聞こえる。


いや。


聞こえすぎる。


窓を閉めているのに、耳元で鳴いているみたいだった。



【LINE】


13:32 高尾

どういうこと?


13:33 実瑠

まっすぐ歩いただけなのに


13:33 実瑠

後ろも前も同じ道


13:34 高尾

店とかある?


13:35 実瑠

ある


13:35 実瑠

でも変


13:36 高尾

何が


13:36 実瑠

自販機がない


13:36 実瑠

コンビニもない


13:37 実瑠

でも魚屋さんみたいなのがある


13:37 高尾

人は?


13:38 実瑠

いる


13:38 高尾

話しかけろ


13:39 実瑠

やだ


13:39 高尾

なんで


13:40 実瑠

みんな

こっちを見ないようにしてる



その文章を見た瞬間。


背中に、冷たいものが走った。


見てくるんじゃない。


見ないようにしている。


その方が嫌だった。


画面の向こうで、実瑠が息を潜めているのが分かる気がした。



【LINE】


13:41 実瑠

お店の人に聞いた


13:41 高尾

何て?


13:42 実瑠

帰り道は買ってからって


13:42 高尾

何を


13:43 実瑠

わからない


13:43 実瑠

でも買わないと帰れないって



俺は立ち上がった。


財布と鍵を掴む。


迎えに行こうとした。


でも、玄関まで行って足が止まった。


実瑠が今いる場所が分からない。


写真の道がどこなのかも分からない。


スマホの地図アプリを開いた。


実瑠の位置情報は共有している。


表示された場所は、いつものスーパーの前だった。


ただ、現在地の点が動かない。


スーパーの前で止まったまま。


それなのに、実瑠からはメッセージが届き続けていた。



【LINE】


13:47 実瑠

飴買った


13:47 高尾

どこで


13:48 実瑠

水無商店


13:48 高尾

知らない


13:49 実瑠

私も知らない


13:49 実瑠

お金を出したら

お店の人が変な顔をしたの


13:50 高尾

何円?


13:50 実瑠

百円玉


13:51 高尾

普通だろ


13:51 実瑠

これじゃ多すぎるって


13:52 実瑠

お釣りももらった


13:52 高尾

見せて


13:53 実瑠

[写真]



また写真だった。


今度は手のひら。


実瑠の手の上に、小さな飴と、古い硬貨が乗っている。


飴の包み紙には、知らないメーカー名。

色はやっぱり白黒に近い。


硬貨は十円玉のように見えた。


でも、妙に黒い。


そして、写真の端にレシートが写っていた。


印字が読める。


水無商店

七月二十八日

飴 一個

拾銭


俺は、スマホを持つ手に力を入れた。


拾銭。


そんな単位、今は使わない。



【LINE】


13:54 高尾

それを持ったまま戻れ


13:54 高尾

何も食べるなよ


13:55 実瑠

食べない


13:55 高尾

店の人は?


13:56 実瑠

奥にいる


13:56 高尾

何か言ってる?


13:57 実瑠

言ってる


13:57 高尾

何て?


13:58 実瑠

お連れさんは

家で待ってるのにねえって



俺は思わず、部屋の中を振り返った。


誰もいない。


テレビでは、さっきまで三回裏だったはずの試合が、なぜか一回表に戻っていた。


実況が言った。


「本日は、夏の強い日差しの中――」


そこで音が乱れた。


ザザ、と砂を噛むような音。


一瞬だけ、画面が白黒になった。


古い野球中継のように。


観客席も、選手も、全部が灰色だった。


すぐに元に戻った。


俺はリモコンを握りしめた。



【LINE】


14:02 高尾

実瑠

今すぐ帰れ


14:03 実瑠

帰ってるよ


14:03 高尾

どっちに歩いてる


14:04 実瑠

家の方


14:04 高尾

分かるのか?


14:05 実瑠

野球の音がする



俺はテレビを見た。


音量は下げたままだった。


なのに。


実瑠には聞こえている。



【LINE】


14:05 高尾

テレビの音?


14:06 実瑠

うん


14:06 実瑠

高尾が見てるやつ


14:07 高尾

音量上げるわ


14:07 実瑠

お願い



俺はテレビの音量を上げた。


普段なら近所迷惑を考える。


でも、その時はどうでもよかった。


実況。

歓声。

バットの音。


全部、部屋いっぱいに広がった。


窓も開けた。


熱い空気と蝉の声が入ってくる。



【LINE】


14:10 実瑠

聞こえてるよ


14:10 高尾

その音の方に来い


14:11 実瑠

うん


14:12 実瑠

でも


14:12 高尾

でも?


14:13 実瑠

さっきから

後ろでも同じ音がする



インターホンが鳴った。


ピンポーン。


俺は固まった。


スマホを見る。


実瑠から、続けてメッセージが届いた。



【LINE】


14:13 実瑠

今まだ道


14:13 実瑠

玄関じゃないよ


14:14 実瑠

誰か来ても開けないで



二回目のインターホン。


ピンポーン。


俺は玄関の方を見た。


廊下の先。


玄関の曇りガラスに、人影はない。


でも、確かに誰かが押している。


ピンポーン。


三回目。


俺は息を殺した。



【LINE】


14:15 高尾

大丈夫だよ、開けない


14:15 実瑠

よかった


14:15 高尾

こっちに来てるのは何だ


14:16 実瑠

わからない


14:16 実瑠

でもたぶん


14:17 実瑠

先に帰ったことにしたいんだと、、思う



意味が分からなかった。


でも、分かってしまった気もした。


実瑠より先に、実瑠の形だけが帰ってくる。


家に入ったことにする。


買い物から戻ったことにする。


そうしたら、本物の実瑠は。


どこに帰ればいい?


ピンポーン。


四回目。


今度は、インターホン越しに声がした。


「ただいま」


実瑠の声だった。


喉の奥が冷えた。


スマホが震えた。



【LINE】


14:18 実瑠

今の声、

私じゃない


14:18 高尾

分かってるって


14:18 実瑠

似てた?


14:19 高尾

似てた


14:19 実瑠

やだ



インターホンの声が、もう一度言った。


「高尾、開けて」


俺は返事をしなかった。


テレビの音量をさらに上げた。


実況が叫ぶ。


打球が伸びる。


観客が沸く。


その声に混じって、玄関の向こうの実瑠が言った。


「アイス、溶けるよ」


その言い方が、いつもの実瑠にそっくりだった。


一瞬、手が動きかけた。


でも、スマホに次のメッセージが届いた。



【LINE】


14:21 実瑠

今日アイスまだ買ってない



俺は玄関から離れた。


野球中継の音だけが、部屋に響いている。


インターホンは、それきり鳴らなくなった。



【LINE】


14:24 実瑠

近い


14:24 高尾

そのまま来い


14:25 実瑠

知ってる道に出たよ


14:25 高尾

どこ


14:26 実瑠

スーパーの裏


14:26 高尾

迎えに行く


14:26 実瑠

だめ


14:27 高尾

なんで


14:27 実瑠

道がまだ、、

こっち見てる



言い方が嫌だった。


道が見てる。


人じゃない。


場所が、こちらを見ている。



【LINE】


14:31 実瑠

歩いてる


14:31 高尾

ゆっくりでいいから


14:32 実瑠

家の前まで来たら

合言葉決めよ


14:32 高尾

何にする


14:33 実瑠

高尾がこぼしたもの


14:33 高尾

麦茶


14:34 実瑠

うん


14:34 実瑠

私が玄関で言うまで

開けないで


14:34 高尾

分かった



それから、五分。


十分。


メッセージは来なかった。


テレビでは、試合が進んでいる。


蝉の声はいつの間にか止んでいた。


部屋の中は、冷房をつけていないのに、少し寒かった。


そして。


インターホンが鳴った。


ピンポーン。


俺はスマホを握ったまま、玄関へ向かった。


曇りガラスの向こうに、人影がある。


細い肩。


買い物袋。


実瑠の背の高さ。


声がした。


「高尾」


俺は返事をしない。


続けて、声。


「麦茶」


その瞬間、俺は膝から力が抜けそうになった。


鍵を開けた。


ドアを開ける。


実瑠が立っていた。


顔色は悪い。

額には汗が浮いている。

手には買い物袋。


でも、確かに実瑠だった。


俺が名前を呼ぶと、実瑠は泣きそうな顔で笑った。


「ただいま」


俺は、初めて返事をした。


「おかえり」


実瑠は玄関に入るなり、靴も脱がずに座り込んだ。


買い物袋から、冷気が漏れていた。


中には、スーパーで買った野菜。

牛乳。

卵。

そして、俺が頼んだチョコのアイス。


全部、普通だった。


レシートも普通。


近所のスーパーの名前。

今日の日付。

いつもの金額。


俺たちはしばらく黙っていた。


実瑠は、例の飴を持っていなかった。


古い硬貨もない。


「捨てたのか?」


俺が聞くと、実瑠は首を振った。


「気づいたら、なくなってた」


「写真は?」


「残ってる」


実瑠はスマホを出した。


最初に送ってきた、白黒の脇道の写真。


それだけが残っていた。


他に撮ったはずの写真は、全部消えていた。


脇道の写真を開く。


やっぱり、古かった。


灰色の道。

木の家。

細い電柱。

見たことのない看板。


でも、人は写っていない。


何かが立っているわけでもない。


ただの道。


ただの、古い道。


だから余計に嫌だった。


その写真の撮影時刻は、こうなっていた。


13:18


日付は、今日。


ただし、年だけがおかしかった。


昭和五十一年


実瑠は、声を出さずに泣いた。


俺はその写真を削除しようとした。


でも、実瑠が止めた。


「消さない方がいい気がする」


「なんで」


「分からない」


「でも、消したら」


実瑠はスマホの画面を見つめたまま言った。


「帰り道が、なくなる気がする」


その日は、二人とも外へ出なかった。


野球中継も途中で消した。


夜になっても、実瑠は玄関の方を何度も見た。


俺も、何度も見た。


何もなかった。


何も来なかった。


そう思いたかった。


翌朝。


買い物袋を片づけていた実瑠が、小さな声で俺を呼んだ。


「高尾」


台所へ行くと、実瑠が一枚の紙を持っていた。


レシートだった。


昨日のスーパーのものではない。


薄く黄ばんだ、細い紙。


印字はかすれているのに、なぜか読めた。


水無商店

七月二十八日

飴 一個

拾銭


その下に、手書きみたいな文字があった。


昨日の写真には写っていなかった文字。


震えたような、細い文字。


奥様 御帰宅済


さらに、その下。


少し間を空けて。


次ハ 御主人様


俺はそれを見た瞬間、昨日のインターホンの音を思い出した。


ピンポーン。


ピンポーン。


ピンポーン。


その時、実瑠のスマホが震えた。


画面には、写真アプリの通知が出ていた。


一年前の今日の思い出


実瑠は、去年のその日に何も撮っていないと言った。


でも、通知を開くと、写真が一枚あった。


白黒の脇道。


昨日と同じ場所。


ただ、昨日より少しだけ手前から撮られている。


道の入口に、古い看板が立っていた。


そこには、こう書かれていた。


高尾様 こちら


俺たちは、しばらくそれを見ていた。


蝉が鳴いていた。


昨日より、ずっと近くで。

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