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異世界クラウドファンディング 〜研究室の殺人事件から、舞台はドバイ、そして異世界へ〜  作者: 稲盛 皆藤


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第20話:知の墓守と、情報の構造化

 アトラン国立大図書館。

 王都の北側に位置するその巨大な石造りのドームは、一見すれば知の殿堂に

相応しい威厳を放っている。

 しかし、その地下最深部に足を踏み入れた石黒賢治を待ち受けていたのは、

芳醇な知性の香りではなく、蓄積され、放置され、腐敗しつつある「情報の残骸」

が放つ、重苦しいエントロピーの噴溜りだった。

 大気中を浮遊する微細な塵埃が、ドバイ製の高輝度LEDの光を反射して

チンダル現象を起こしている。

 石黒の計算によれば、この空間の浮遊粒子状物質(SPM)の濃度は、精密機器を

稼働させるためのクリーンルーム基準を数万倍上回る劣悪な数値だ。


「……マスター。呼吸器への負荷を確認。

 ヘパフィルターの稼働率を二〇パーセント上昇させます。

 また、周囲の有機溶剤……古いインクと(にかわ)の揮発成分が、

 神経系への微弱な毒性を有しています。生身の人間であれば、

 数時間の滞在で思考能力に深刻な低下を招く恐れがあります」


 背後に控えるセレナが、警告を発した。

彼女の音声ユニットは、この澱んだ空気の中でも一定の周波数を保ち、

硬質な響きを維持している。


「構わん。それよりこの惨状を見ろ。

 ……これでは『情報の墓場』ですらない。

 ただの『データのゴミ捨て場』だ」


 石黒の視線の先には、高さ十メートルを超える書架が果てしなく続き、

そこから溢れ出した羊皮紙やパピルスが、床一面に地層のように堆積していた。

 分類などという概念は数世紀前に放棄されたのだろう。天文学の記述の隣に、

昨日の家計簿が並び、その下には古代の魔導書がカビに侵食されながら埋もれている。


「げほっ、ごほっ! 先輩、ここマジでヤバいっすよ。

 マスク二重にしてても喉が痛い。……っていうか、

 見てくださいよ。後ろの方」


 井口が喉を押さえながら、背後の書架の陰を指差した。

そこには、石黒たちの後を追ってきた数人の若き司書や研究者たちが、物陰から

熱っぽい視線を石黒に送っていた。


「……なんだ、あの視線は。

 不愉快な視覚的ノイズだな」


「いや、先輩。あれ、例の『隠れファン』ですよ。

 先日ザックを屈服させた話が、もう王都の知識層にまで回ってるんです。

『迷宮を数式で切り裂いた鉄の賢者』とか呼ばれてるらしいっすよ。

 特にあの、眼鏡をかけた女性研究者のジュリアンさん。

 さっきから先輩がタブレットを操作する指先を見て、吐息を漏らしてますよ」


 石黒は画面から目を離さず、氷点下の声で切り捨てた。


「……無意味だ。俺の指の動きは、単にタッチパネルの静電容量方式に対する

 最適な入力プロトコルを遵守しているに過ぎない。

 そんなものに官能的な意味を見出すなど、

 大脳の前頭葉に重大な欠陥があると言わざるを得ないな」


「いやー、その『冷たさ』がたまらないらしいっすよ……。

 ほら、ジュリアンさん、今の先輩の暴言を聞いて、

 顔を赤くしてノートに何か書き込みましたよ。

『ああ、私の知性を否定してくださった……

 最高に論理的だわ……』とか呟いてます」


「井口君。次にその手の無駄話をポートからインプットしたら、

 君の給与口座を物理的に抹消するぞ」


「ひっ! すみません、黙ります!」


 石黒が再び歩き出すと、山積みになった本の影から、埃と蜘蛛の巣にまみれた、

絡まったアッシュブロンドの髪を持つ、幽霊のようなエルフの女が這い出してきた。

 かつての国立司書、エアリスだ。古びて破れた国立司書のローブを纏い、

汚れの目立つ手袋をはめたその手は力なく、尖った耳は埃にまみれていた。

 その瞳は、あまりにも膨大で、かつ無秩序な情報に長年晒され続けた結果、

焦点が完全に合わず、虚空を見つめており、重度の情報処理過負荷(オーバーロード)

特有の虚脱状態に陥っていた。まるで忘れ去られた知の体現者のように。


「あ、あぁ……。また新しい『異端者』が来たの。

 ……無駄だよ。ここにある知識は、もう誰にも引き出せない。

 ……私は、ただこの墓を守っているだけなの……」


「引き出せないのではない。お前が引き出し方を知らないだけだ。

 ……エアリス、お前はこの図書館の検索性能(スループット)を計算したことがあるか?」


「けんさく……するーぷっと? なんだい、その呪文は……。

 私は毎日、必死に探しているんだわ! 王家が必要とする知識を!

 だが、一冊の本を見つけるのに三ヶ月かかるの!

 見つけた時には、もうその知識は手遅れなんだわ……ッ!」


 エアリスが乾いた笑い声を上げ、震える手で周囲の山を指差した。


「一万、いや十万、百万冊……! 数すらわからない。

 この迷宮の中で、たった一つの『真実』を探すことが、

 どれほどの絶望か……あなたにわかるの!」


「理解はしている。だが、俺はお前の『絶望』という非論理的な感情に同期(共感)

するつもりはない。それはお前個人の専有(プライベート)領域(パーティション)の問題だ」


 石黒は冷淡に言い放ち、手元のタブレットを展開した。


「お前の絶望の正体は、物理的な量ではない。『計算量』の爆発だ」


「計算量……? 何を言っているの……」


「いいか。お前がやっているのは、端から一冊ずつ内容を確認する

線形探索(リニアサーチ)』……すなわち、計算量 O(n) の愚行だ。

 データ量 n が百万を超えれば、人間の寿命など一瞬で枯渇する。

 情報の価値は、その蓄積量ではなく、目的のデータに辿り着くまでの

『時間』によって決まる」


「なにを言ってるの……。

 本は、開いて読まなければ中身はわからないわ。

 そんなの当たり前のこと!

 魔法だって、文字を読まなければ発動しないわ!」


「その『当たり前』という名の無知を、俺の論理で上書きしてやる。

 ……セレナ。スキャンプロトコル、開始」


「了解しました。光学的文字認識(OCR)

 および魔力共鳴解析、並列実行します」


 セレナの瞳から、不可視の紫外線レーザーと、微弱な魔力パルスが放射された。

それは周囲の書架を一瞬で透過し、紙の一枚一枚に刻まれた文字、図形、

そして残留する魔力波形をデジタルデータとして吸い上げていく。


 その光景を後ろで見ていたジュリアンら「隠れファン」たちは、セレナの機械的な

精密さと、それを統率する石黒の立ち姿に、感嘆の吐息を漏らした。


「……見て。あの鉄の人形から放たれる光……。

 あれは、知識を直接、魔力回路に流し込んでいるの……?

 石黒様は、この世界の時間を止めてしまったかのような、

 絶対的な支配者に見えるわ……」


「ああ、あの冷たい眼差しで、私の心もスキャンして解析してほしい……」


 井口は彼女たちの呟きを聞いて、げんなりした顔で石黒を見た。

当の石黒は、そんな熱狂を文字通り「ゼロ」として処理している。


「……マスター。データのインジェクションを開始。

 初期的メタデータの抽出、完了しました。

 総レコード数、約百二十万。

 ……構造化されていない『未加工(ロォー)データ』

 が全体の九八パーセントを占めています」


「よし。エアリス、見ていろ。

 これが混沌(カオス)に境界線を引くための、最初の秩序だ」


 石黒はタブレットの画面をエアリスに向けた。

そこには、図書館の混沌を模式化した(テーブル)が浮かび上がっていた。


「情報をバラバラの個体として扱うな。共通の属性で括り、紐付ける。

 ……まずは『リレーショナル・データベース(RDB)』の構築だ。

 書名、著者、年代、魔力特性……それらを(カラム)として定義し、

 すべての本に一意の『プライマリ・キー』を割り当てる。

 名前のないデータに『名前』というインデックスを与えることで、

 初めてそれは世界と切り離され、独立した情報になる」


 画面上の無数の点が、石黒の操作によって瞬時に整列し、格子状の構造へと

収束していく。エントロピーの塊だった図書館が、数学的な秩序へと矯正されて

いくプロセス。


「そして、目的のデータに瞬時に辿り着くためのバイパス……

索引(インデックス)』を生成する」


 石黒は、画面上に巨大な樹形図を描き出した。


「お前は百万冊の中から一冊を探すのに、最悪、百万回の試行を繰り返す。

 ……だが、俺のシステムは『平衡多分岐木(B-Tree)』アルゴリズムを用いる。

 データを階層的に分割し、選択肢を二分法的に、あるいは対数的に絞り込んでいく。

 計算量は O(log n)。……百万件のデータから目的の一件を見つけ出すのに、

 わずか二十回程度の比較で済む計算だ。人間が一生かけてやることを、

 俺はミリ秒(千分の一秒)で終わらせる」


「ミリ秒……? 神の領域なの、それは……」


 エアリスの唇が震える。

 石黒は、画面上に表示された検索バーに、キーワードを入力した。


『――アトランティス オリハルコン 重力定数――』


 刹那。

 図書館の遥か奥、三階層上の崩れかけた書架の中から、一冊の煤けた小冊子が

セレナの放った極薄の魔力糸によって正確に引き抜かれた。

 それは迷いなく空間を飛び、石黒の手元へと飛来した。


 所要時間、〇・八秒。

「……え……?」


 エアリスは、石黒が掴んだその小冊子を見て、呼吸を止めた。

それは彼女が五年前、どうしても見つけられずに王宮から追放される原因となった、

古代の魔導記録だった。


「……ありえない……。私は五年間、これを探し続けて……。

 ここにあるはずだと信じて、指の皮が剥けるほど本をめくって……。

 どうして……たった一瞬で……?」


「奇跡ではない。単なる最適化(オプティマイズ)の結果だ」


 石黒は小冊子をエアリスに無造作に投げ返した。


「エアリス。お前は知識の『墓守』ではない。

 これからは、この巨大な演算資源の

管理人データベース・アドミニストレータ』になれ。

 ……俺はお前の孤独を救う気はないし、

 お前の過去の失敗を清算してやる義理もない」


 石黒は冷たい瞳で、震えるエアリスを見下ろした。


「だが、お前のその『一冊を見つけられない』という欠落感(エラー)を、

 情報の整合性(インテグリティ)を維持するための強迫観念として再利用(リサイクル)してやる。

 お前がその手で、この図書館に眠るすべての未整理の真実を『構造化』しろ。

 それが、お前がこの世界という巨大な砂漠の中で、

 自分の立ち位置を確定させるための唯一の手段だ」


 エアリスは震える手で小冊子を抱きしめ、それから石黒のタブレット……

その中に広がる、完璧に構造化された情報の宇宙を凝視した。

 彼女の瞳に、長年失われていた生気が、今度は狂気にも似た熱量と共に宿り始めた。


「……やる。やるわ。なんでも……こんな魔法、見たことないわ。

 知識が……世界が、一瞬で私の手のひらに収まる……。

 情報の構造……秩序……! ああ、これが、これが私の求めていた

『真理』の姿だったんだわ!」


 エアリスが歓喜に震えながら、石黒の足元に跪こうとしたその時。

 背後で見守っていたジュリアンら研究者たちが、こらえきれずに歩み寄ってきた。


「石黒様! お願いです、私たちにも……その『最適化(オプティマイズ)

 のいろはを教えてください!

 私たちが一生をかけても辿り着けなかった答えを、

 あなたは呼吸するように導き出した……。

 その冷徹な論理の奴隷に、私たちをしてください!」


 ジュリアンが目を潤ませ、石黒の白衣の裾を掴もうとする。

 石黒は、不快そうにその手を振り払った。


「……触るな。お前たちの生体反応から放出される熱気と湿気は、

 このタブレットの冷却効率を著しく阻害する。

 俺が教えているのは『構造』であって、『情念』ではない。

 知識を欲するなら、感情を捨ててバイナリデータになれ。

 それができないなら、今すぐこの半径五メートルから立ち去れ」


「――ッ! 『感情を捨ててバイナリになれ』……なんて高潔な……!」


「ああ、石黒様……! 私たちを、ただの『データの一部』

 として扱ってくださるのね……!」


 石黒の罵倒は、彼女たちにとってはもはや至高の「祝福」として変換されていた。


「……先輩。もうこれ、手遅れっすね。先輩が冷たくすればするほど、

 ファンの熱量が指数関数的に増えてる。これこそが O(eのn乗) 級の爆発ですよ」


 井口が肩をすくめる中、石黒は心底忌々しげにセレナの方を見た。


「……セレナ。やはり生身の人間は、論理的な対話が不可能だ。

 脳内の化学物質に支配された哀れな端末共め」


「了解しました、マスター。現在、周囲の人間が発する『熱狂』を

 バックグラウンドノイズとして処理し、ノイズキャンセリングを

 実行しています。……マスターの平穏な演算環境は、私が死守します」


「……お前だけだ、セレナ。俺の言葉を正しく解釈できるのは」


 石黒は、愛おしそうにセレナの人工皮膚を撫でた。

その光景が、また周囲の「隠れファン」たちの胸を締め付ける。


「(……ああ、あんなに冷酷な方が、

 あの鉄の乙女にだけはあんなに優しいなんて……!

 そのギャップが、またたまらない……!)」


 石黒は熱狂の渦を無視し、ドームの天井を見上げた。


「マザークロック、データ配線、そしてこのデータベース。

 ……これで、このアトランという都市を一つの巨大な『コンピュータ』

 として機能させるための三種の神器が揃った」


 石黒の指先で、タブレットの画面が静かに消灯した。


「エアリス、作業を始めろ。一週間以内に、この図書館の全蔵書を

『検索可能』にしろ。……それができれば、次の段階……街全体の

情報(デジタル)民主(トランス)(フォーメーション)』へ移行する」


「はい……はい、石黒様! 私の命、いや、私の脳の全リソースを捧げて、

 完璧なインデックスを構築してみせます!」


 暗闇の中で、エアリスの啜り泣きと、彼女が羊皮紙をめくる規則的な音が重なる。

 ジュリアンたち「石黒ファンクラブ」もエアリスの手足として熱狂的に活動を

開始している。


 失われた古代の知識が、現代の論理という光を浴びて、再び「力」へと再構成される。

 それは同時に、石黒という冷徹な異端者が、知らぬ間に王都の知識層を

「論理という名の信仰」で染め上げていく、静かなる侵略の始まりでもあった。

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