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第六章_第六節



「ヴォルフガング殿っ……!?」



 ――クラウスじゃない。そのことにフロレットは目を丸くした。



「どうしてあなたがこのような場所に……」


「そんなことはあとだ! たく、屋敷を見張っといて正解だったぜ。さっさとずらがるぜこんな薄気味悪いところ……」



 はっと背後を振り返ったヴォルフガングは、腕を瞬時に引いた。袖が切り裂かれ、その箇所から何かが滴り落ちる。



「まったく、いきなり痛いじゃないか……」



 ぬらりと立ち上がった男の手には、一本の鋭利なナイフが握られていた。



「てめえ……どこに隠し持ってやがった」


「ふふ……君だっていきなり俺にくってかかったんだからおあいこでしょ。まったく痛いねえ。なんだって君がこんなところに……と、まあ、そんなことはいいか。俺の人狼狩りさえ邪魔しなければね。さあ、俺の銃を返してよ。人の物を勝手にとるのは窃盗罪だよ」


「人の命を好き勝手に奪うやつは殺人罪に問われるだろうよ」


「なるほどね、たしかにそうだ……相手が人間だったらね。ねえ、ヴォルフガングくん、君も人狼の仲間かなあ? どうなのかなあ? それによって俺の取るべき選択肢は変わってくるよ」


「お前の取るべき選択肢は一つだ、黙ってそこで俺たちをお見送りしろ」



 かちり、と音を立ててヴォルフガングは手にしていた銃を構え、銃口をフォルカーに向けた。



「ええっ……ちょっとちょっと、それ殺人罪だよ。君が言ったばかりじゃないか」


「ああ、言ったさ。だがな、もし目の前で俺の大切なやつを殺そうとする人間が現れたとしたら、俺は迷わずその野郎を殺すだろうよ。大事なやつを守る方法がその人間を殺すしかないんだとしたらな」



 ヴォルフガングの言葉に、フォルカーは興味深そうに目を光らせた。



「へえ……君は俺に少し似ているかもしれないね」


「ふざけろよ。お前みたいなイカれた野郎に似たかないぜ。……おい、お前らは早く上に出ろっ」



 横目で合図を送られ、アルノルトとフロレットは金縛りから解かれたようにはっとした。



「し、しかしヴォルフガング殿……」


「いいから先に行け、お前らが残っても足手まといだ」


「そんなこと俺が許すと思うかい」



 言い終わるが早いかフォルカーはナイフを手のひらの中でひるがえし、ヴォルフガングへと一直線に投げつけた。



「っ――……」



 意表をつかれたのか、ヴォルフガングはとっさに銃身を反らしナイフを避けた。だが、その隙をつかれフォルカーに踏み込まれる。ひゅっと風を切る音がしたかと思うと、ヴォルフガングの手から銃がこぼれ落ちた。



「ヴォルフガング殿っ!」



 アルノルトの悲鳴に近い声が地下牢に響き渡る。



「てっめえ……一体何本ナイフを隠し持ってやがるんだ、くそったれ」


「さあて、一体何本でしょう。もっと君の身体を切り刻ませてくれればわかるかもよ」



 ヴォルフガングとフォルカーがとっくみ合うように、互いの腕を押さえつけ合っている。ヴォルフガングはフォルカーのナイフを持っている手を押さえつけているが、腕を負傷しているためか震えている。痛みに耐えるようにその鼻頭には深いしわが刻まれている。



「ヴォルフガング殿……っ」


「いいから行け! 早く!」



 一瞬のとまどいを見せるも、アルノルトはフロレットの手を引いた。



「行こう、フロレット殿っ」


「は、はい」



 まるで宙を歩いているかのように足元の感覚がなかった。ヴォルフガングは大丈夫だろうか。大丈夫、大丈夫と思いながら、フロレットは気が気ではなかった。灯りを持っていないために、途中から真っ暗になり足元がほとんど見えなくなる。


 そのとき地下から銃声が聞こえ、二人はびくりと震え足を止めた。誰かが銃を発砲した。フォルカーか、ヴォルフガングか。どっちが撃たれた。


 

「……進もう」



 そう言ったアルノルトの声は震えていた。フロレットを安心させるためか、それとも彼の不安を表しているのか、先ほどよりも強く手を握りしめられた。


 足裏を地面に這わせながら、なんとか転ばないように進んでいく。地上へと進んでいるはずなのに、まるで地獄へと突き進んでいる気分だ。今は力強く握りしめてくれているアルノルトの手だけが安堵を与えてくれていた。


 間隔を空けて、何発もの銃声が聞こえた。狭い空間に音が反響し、耳がおかしくなりそうであった。そのたびに、二人は震え、立ち止まり、そしてヴォルフガングを一人残してきた罪悪感に苛まれた。だが、足は戻ることを選ばなかった。


 もしやフォルカーがすぐさま追いかけてくるのではないかと気が気ではなかった。ヴォルフガングは無事だろうか。自分も何かすべきだったのではないだろうか。今から戻ってヴォルフガングを助けに行くべきなのではないだろうか。だが、考えが頭の中で回り続けるだけで、足はひたすらに地上を目指していた。

 うっすらと明かりが階段を照らし始めたとき、ようやくわずかな落ち着きを得ることができた。



「フロレット殿、もう少しだ……」



 不安に震えるフロレットを鼓舞するように、アルノルトが言葉を落とした。それに励まされ必死で前に進んでいたが、ふいにフロレットは足を止めた。



「あ……アルノルトさん……」


「どうした、フロレット殿」



 急に歩みを止めたフロレットに対し、もどかしそうにアルノルトは振り返った。その焦りを表すように、握りしめられた手のひらだけがぐいと前に引かれた。



「ぐ、軍警の人が表にいたらどうしましょう。私たち、元々……」



 フロレットの危惧がわかったのか、アルノルトはしばし言葉を選ぶように黙り込んだ。



「……今この地下への道に明かりが差し込んできているというということは、入り口の扉が開け放たれたままだということだ。軍の人間がすでに屋敷内にいたら、もうとっくにここの存在は知られているはず。だから軍警の者達が屋敷内に入っていることは考えにくい。……それに、あの二人は地下に入ってきてなおかつ扉が開いているにも関わらず、クラウス殿がここに姿を現さないでいることも少し妙だ。何かあったのかもしれない」



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