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第六章_第一節



◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「誰か助けて――!」


「――フロレットさん!」



 耳元に響いてくる声に、フロレットははっとした。視界は何かに覆われて、うっすらと暗い。自分の身体を抱きしめているぬくもりを感じ、ゆるゆると顔を上げた。



「クラウス……さん……?」


「大丈夫です。君はちゃんとここにいる。誰も君を傷つける人はいない」


「あ、あ……クラウスさん、私、火、火が……」


「火はどこにもありません。ここは、僕の屋敷です。何もありません」



 フロレットはあえぎながら、首を動かした。身体を焼き尽くす炎は、どこにもない。のどをしめつけていく煙も、罪を浄化する煉獄の炎も、何も。――夢、だった。全部が、夢。これも、夢? 何が現実なのだろうか。

 フロレットは、顔を上げた。目前にクラウスの顔がある。ふいに、地下牢に閉じ込められた記憶がよみがえり、息を飲み込んだ。小さな悲鳴をのどの奥で上げ、思わずクラウスの胸を押し返した。



「すみません、女性に対して不躾でしたね」



 フロレットの反応を恥じらい故と勘違いしたのか、クラウスは微笑みながら謝辞をいれた。だが、フロレットの表情を見て、何か違和感を覚えたように眉をひそめた。



「あ、クラウスさん……あ、あなたは……」



 夢? 夢――? あれは夢での出来事? 一体何が現実なのだろう。私が今いるここは一体どこなのだろう。夢の中? でも、たしかな存在を感じている。



「あなたは、人狼を地下に、閉じ込めている……?」



 否定してほしい。そう願いを込めて呟いた。だが、クラウスの表情を見た瞬間、その希望は打ち砕かれた。クラウスは、驚いたように目を見張っていた。どことなく頬や唇の端が強ばっているように見えた。彼は、何かを言おうとして口を開きかけ、言葉のかわりに小さな吐息をこぼした。どこか観念したような表情であった。



「どうして、君が……」



 居心地の悪い沈黙に包まれる。常であったら、クラウスが気を利かせてなごませるような言葉選びをしてくれていただろう。だが、今の彼にはその余裕はない。

 クラウスは慎重に言葉を選ぶように、ゆっくりと言葉を落とした。



「……僕も、君に聞いて良いですか。先ほど意識が混濁としているときに、うわごとのように君は自分のことを人狼だと告白した。まるで懺悔をするかのように」



 フロレットは息を飲み込んだ。私は、自分でそのようなことを言ったのだろうか。様々な記憶が入り交じって、何が真実なのかわからなくなる。



『――人殺しの獣には檻の中の生活がお似合いですよ――……――まったく、獣が一人前に人間らしい振る舞いをしないでほしいですね。本当に汚らわしい。……まあ、僕の実験の材料になるくらいには、役に立ちますから生かしておきますよ』



 クラウスに吐きつけられた言葉がよみがえってくる。あれは、夢? 何が夢? これから起こることを予知しているのだろうか。わからない。何が現実なのかわからなくなる。



「わ、私は……」


「君は、人狼について一体どこまで知っているのですか。それに、どうしてこの屋敷のことを。僕が見た限り、おそらく君は――」



 クラウスの言葉は、大きな物音によってさえぎられた。どうやらその音は、大広間から聞こえてきたようである。何やら大声で言い争っていることも伝わってきた。

 クラウスはフロレットの顔を一度見てとまどったようにとどまりながらも、すっと立ち上がった。



「……フロレットさん。すべてのことが終わったら、君とゆっくり話がしたい。良いですね」



 そう言うクラウスに続くように、フロレットもゆっくりと身を起こした。


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