プロローグ
よろしくお願いします。たぶん不定期。
今日の私はイライラしていた。箒に跨って空を飛んでいる間も、つかんだ箒に跡が残りそうなほど強く握りしめていた気がする。苛立ちというのは急かしとなって、普段より速いペースで飛翔を続けていた。
東の果て。峻険とした山脈が向こう側の景色を拝ませまいとそびえたっている。果ての壁とも呼ばれるその山脈は、大地を区切るように南北にどこまでも続いていた。山は途中から分厚い雲に覆われて、その山頂を拝むことすらできない。
「まったく……こいつに込めた魔力量だって馬鹿にならないのに。ここまで来るのにどんだけ消費したと思ってんのよ」
一人ぶつくさ文句を垂れながら、まだまだ山の中腹を飛んでいる私は、麓を目指して空を下る。いつものペースより急いた分、箒へ溜めた魔力の消費が激しかった。さして問題があるわけではないが、そのずれに更に不満が募る。苛立ったところで仕方ないとはわかっているのだが。
空は澄み渡っており、どこまでも爽やかに続いている。頬を切る風がやや寒くも心地よい。それでも気分は優れないけれど。どちらかというとマイナスだ。
もうしばらくして──と言っても一、二時間は掛かっていただろうが──ようやく麓の森へとたどり着いた。
上空から見ても森は果てしなく、地平線の向こうまで続いている。この広大な森をさらにもうしばらく上空から進んだところで、適当な木々の切れ目から、ゆっくり地面へと降り立った。コートの裾をはたいて、軽く深呼吸する。
不満たらたらで来てしまったが、ここから先は人間の領域だ。目立つ行動は控えなければならない。
いい加減、気持ちを切り替えなければ。これから要求されるのは、冷静さを失わないことと、警戒心を抜かないこと。
果ての壁のさらに東——魔の大地からやってきた私にとっては、こっち側は居心地の良い場所ではない。人間の領地は、魔族の領地とは勝手が違う。
本来は人間領になんて足を踏み入れたくはないのだけれど。
それでも今回は、とある人物に頼まれたから仕方なくやってきた。本当に仕方なく。行きたくなかったけれど。
文句を浮かべてもどうしようもないとわかってはいるが、自然と不満は湧いてくる。ここまで来てしまったからにはしっかり務めは果たすつもりではいるが。
もう一度深呼吸して、今度こそ気持ちを切り替える。この格好も人間の領地では目立つし、着替えておいたほうがいいだろう。
コートとつば広の帽子、そしてスカートを脱ぎ去り、リュックへとしまう。下着一枚になった私は、代わりに緑色のズボンやジャケットといったシンプルな装いのものを取り出し身に着けていく。偽装のための、一般的な装いといったところだろうか。
これで傍目に見ればごくごく普通な人間の町娘や旅人のように見えるはずだ。どちらかと言えば後者に近いか。過去にこの姿で訝しまれたこともないので大丈夫だと思う。私の容姿が人間と変わらないというのもあるけれど。
最後に髪をサイドテールからポニーテールへ直して、改めて自身の姿を確認する。いけない、箒を手にしたままだったことに気がついた。それもリュックにしまって、代わりに取り出した直剣を脇に携える。
目的地まで飛んでいきたいのが本音だが、人間領で空を飛んでいくのはそれこそ目立つ。面倒だが、移動手段は基本徒歩しかない。
いつどこで厄介ごとになるかなんてわかりようがない。なるべく人間らしく振舞わなければ。もし魔族だってばれたらそれこそもっと面倒くさいことになってしまう。
言動には殊更に注意したい。少なくとも協力者に出会うまでは、普段の私は決して表に出さないようにしないと。
天を仰ぐ。木漏れ日が差し込む森の中は、葉の擦れる音と静かな水流の音だけが響いていた。
まだ空は十分に明るい。休むには早いので行動するべきだろう。なんにせよこの森をまず抜けなければならない。あと何日の旅になるだろうか。危険な隠密旅行の始まりだ。
頭の中で立てておいた、目的地までの道筋をトレースする。まずは果ての壁からもっとも近い街、グラロスに向かうべきだろうか。かつて人間領へ赴いた時から四年は経っている。こっちの情勢だって変化があるわけで、現地での情報収集も重要だろう。
正直浮かない気分であるのは依然変わりないが、それでも私は一歩を踏み出した。
最終的な目的地。シーズ王国へ向かって——。




