一章 第三話 本ってすごい。
風に栞が揺られ、主人公の心も揺れる。
別天知はお悩み相談も受け付けております。
机で寝たせいか、体のあちこちが痛くてしょうがない。
「高揚感のまま勢いで酒飲んだせいか二日酔いで頭も痛いし…散々な日だな。全く」
身支度を済ませて、体を引きずってどうにかいつも通りの時間に出社することが出来た。
いつものデスクに向かうと、渡辺がやってきて
「昨日の記憶が朧げなんですけど、あの図書館に行ってから私無礼なことしてなかったですよね?先輩ならまだ雰囲気でどうにかなりますけど、私だとこう…見た目的にも一度悪い印象ついたら拭えないんで…」
朝のどうしょうもない気持ち悪さは、こいつへのイライラでどこかへ飛んでいってしまった。そう考えると、渡辺の無自覚イジりにも意味というものがあるのかもしれない。
なんとか仕事もやり切り、昼飯の時に隣から必死にあの図書館での出来事を探ろうと煩い声があったが、無視して黙々とやりきった。
退勤しようと持ち帰り書類をまとめ、帰ろうとすると後ろから肩を叩かれた。
「先輩。うざかったのは謝るので、あの図書館にもう一度連れて行ってもらえませんか?」
「いやだ。」
「あの図書館で何があったのかいまいち思い出せないんですよ。どう頑張っても溶けてる自分の姿しか思い出せなくて…」
「それであってるから今すぐお前も帰れ。上司にまた労基だのなんだの言われて面倒になるから」
「もう一回だけ。もう一回行かせてくれさえすればもういじったり戯れたりしないのでお願いします」
「言ったな。ついにお前はその言葉を言ってしまったな。よし。じゃあついてこい」
「えっ、えっそんなすんなり!?待ってくださいよ」
そうしていつもの道を通り、あの図書館へと辿り着いた。
「お待ちしておりました。あ、またいらっしゃったんですね。渡辺さんはどのような本をお探しですか?2回目の来館ですので、この棚から選ぶことが出来ますよ。佐藤さんはこちらの棚まで選べます。」
「じゃあ俺はこれで。以前、酒とスルメを持っていってリラックスして寝てしまった悔しさもあるので、リベンジも兼ねて」
「先輩がそれなら…自分はこの本にしようかな。まだ右も左も分かんないけど、似てる表紙のものだったら同じような作品でしょ!」
「お二人とも決まったようで何よりです。」
「そうそう、渡辺さんにはこちらの栞をどうぞ」
渡辺の栞はクチナシの栞だった。
「この花クチナシっていうのか。調べたら出てきたけどなんというか…渋いな。チョイスが」
「紫陽花、クチナシ、この図書館でいただいたものって旬を捉えていて凄く素敵ですよね」
「あぁ、初夏のこの頃が好きってだけで旬とかは特にないんですよ。偶然です偶然」
どこか怪しいような笑顔を見てどこか怖さを覚えた。
それに引き換え、渡辺は気にもせず新しい本を借りたことで、足取りが軽くなっていた。
「簡単に人を信じすぎるのも良くないとは思うんですけど、丁寧に接客されて新しい本を借りれる。これほど嬉しいものも無いですよね」
正直こいつってこんなキャラだったっけ…?とは思ったが、部下の趣味嗜好なんて読めたものではないので、どうでもいいやと気にしないことにした。
ふと、自分も昔は、このぐらい本一冊に一喜一憂していたのだろうかと気になりだした。
朧げな記憶として、図書館に毎日通っては本を一日で読み切り、すぐに新しい本を読む。
毎日通うので、顔パスで本を借りても許されていたような…
「いつも来てくれてありがとう〜」
いつも聞こえていたあの声。顔も年齢も分からない。しかし、安心出来たあの声だけは確実に思い出せる。
当時は物語系を読み、時々学校での話題作りとして漫画を読んだりした。
本を読んでいると、時々図書館員の方が隣の席に座って、雑談をしてくることがあった。
本の話はもちろん、何故か昔見ていた日アサシリーズの話や、好きな漫画のくじで当たった話など明らかにプライベートな話にまで話していた。
向こうとしてはなんてことない話だったかもしれないが、当時はそういうものに飢えていたような灰色の青春だったので、変な期待から好きになっていってしまった。
そんなある日、ふと目に入った本があった。
いつもは行かない大人たちが足を組みながら見ていた白い本。
表紙には〚イケてる男性の恋の常套手段〛と書いてある。
自分はこの本を借りなければ、という使命感に駆られていた。
いつもの図書館員の方が図書館特有の手持ちサイズのスタンプカードにハンコを押してくれるまではあの人にバレずに本を読んで告白出来るはずだ!なんて甘い考えをしていた。
今となっては、あんな動きは出来ないなぁ…年齢も世間体も許してはくれないだろうから。
その日本を一気に読み切って、うろ覚えのなんちゃって告白をした。
結果は…語らずともだろう。図書館員と俺では年齢が違いすぎる。何なら先客もいたし、言われた瞬間図書館員の方は少しだけ嫌な顔をしていた。勿論すぐに営業スマイルに戻って「気持ちだけは嬉しいよ」なんてテンプレート通りの解答をして、さっとバックヤードに消えていった。
初めての失恋。あの場所に行く勇気は、その日からどこかに飛んでいってしまった。
それからというもの、本を借りるということさえ億劫になり、ネット上の試し読みだけ読んでは後の展開を自分で付け足して補完して、殻に籠るようなことをしていた。
だから、会社からも生気を失っている。なんて評価をされるのだろう。
どうやら自分は弱虫だったようである。
「あの時に変なことなんてしなければ今頃もっと感性豊かな…いや、ないな。」
「急にどうしました?さっきまで、別天知来るまでの暗くて生きてるのかすら不安になるような顔してたのに」
そういえばいたな渡辺。
あの頃とは自分は変わった。いじってくれる部下も出来て、楽しく過ごせるようになった。
でも、この心に空いた何かは未だに埋められてはない…
「いや、少し考え事してただけだ。あんな鬱屈とした頃になんて戻りたくもないからな」
「そりゃそうですよね!野暮なこと聞いちゃってすみませんね」
こいつはそういうやつだってわかっているのに、何故こうも俺の尺に触ることを、次から次へとなんてことないように喋れるのだろうか。
つい数秒前に思った『楽しく過ごせる』なんてことは無かったと改めて理解した。
その後渡辺とわかれ、家に着いた。
楽しく話していた反動からなのか、それとも昔を思い出してしまったからなのか凄く家が冷たく感じた。
冷蔵庫を開け、缶を取り出しプシュッと開ける。
「ビールでやけになってもあの頃は…」
そんなことをブツブツと呟いているとチラシが足元にあった。
チラシを見ると、噂をすれば…というべきか、小さい頃行っていたあの図書館の場所がわかるチラシだった。
適当にポストの中身をクシャクシャにしていたから、どっかで入ったんだろうか。
とりあえず明日行ってみよう。
そうして浴びるように酒を飲み、ふて寝した。
冷静に考えればあの時の屈辱を晴らせないことなんてわかったはずなのに…
今になって思う。あの頃の幻想に今もなお囚われていた自分の情けなさが悔しいと…。




