04[後] 鑑定不能オブジェクト
ピキ…… ピキ……
乾いた音が響いて水晶体──ベアトリスいわくドラゴンの卵──の表面に無数のひびが走り、内側から冷気をともなって白い気体が漏れ出す。
ピシッ
呆然と見守る私たち三人の目の前で、それは粉々に砕けた。白い気体がカウンターの上を這うように拡がって、その中心に鎮座するのは──
「……これ……が……?」
「ええ。まちがいなく、本に載っていた通りの雪輝龍の幼生──」
かすれた私の問いに、ベアトリスはしっかりと答える。
手のひらにすっぽり収まる大きさで、新雪のように真っ白なふわふわの毛玉。つぶらで小さな黒い目が点々と二つ、その間にこれも小さな黒い三角形のくちばし?
「──古代語では雪の妖精とも呼ばれています」
その言葉に応えるように、毛玉の内側から黒い小さな翼と細長い尾羽がぴょこんと生えた。
高鳴る胸をどうにか鎮めようと深呼吸する。だめだ、どうしよう。めちゃくちゃ可愛い。
「冷たッ!? おい、なんだこれ……」
今にも毛玉ちゃんを抱き上げそうな私の衝動は、アルバートの声で遮られる。彼は孵化の瞬間、反射的に腰の剣に手を掛けていたらしい。覗き込むと剣の鍔から鞘にかけ、びっしりと白い霜で覆われている。
「凍り付いて、抜けない……こいつがやったのか……?」
アルバートの語尾は震えている。同時に左側から何やらぶんぶんと風を切るような音が聞こえて視線を向けると、クロエが手にした投げナイフを振り回していた。その刃はこんもりと白い雪玉で覆われ、無力化されている。
彼女も、危険があればそれをドラゴンに投擲するつもりだったのだろう。
つまりこの毛玉ちゃんは自身に向けられた敵意を察知して、武器だけを封じた。
「──ドラゴンぽくないけど、確かにただの小鳥さんではなさそうね」
嫌な予感はしていない。なのにぞくりと背筋が冷えたのは、畏怖だろうか。──単純にギルド内が肌寒くなっている気もする。
「翼や角のある大トカゲが種族としてのドラゴンだと思われがちだけど、違うの」
私の言葉を受けて、ベアトリスが淡々と解説してくれる。
「龍種とはそもそも人の力の及ばない不可侵存在の総称であって、特定の種族を指す言葉ではない──わたくしの読んだ龍種大図鑑には、そう記されていました」
「あんた、なんかすごいな……」
アルバートがすっかり憧憬の眼差しを向けていた。でも実際、彼女の記憶力と実家蔵書に拠る知識量には毎回驚かされる。
「それで、この子の危険性は?」
「街をまるごと凍結させた、という記録はあるようですね」
「……マジかよおい……」
つぶらな目で私を見上げてくる愛らしい毛玉ちゃんでも、人の手に余る不可侵存在ということだ。あっ、首かしげた可愛い。
「……それで、アルバートさん。この子どうするの?」
「あ……どうしよう……掴まえて持ち帰ったら……」
もしかしたらプリシラは喜ぶかもしれない。でも、そのために王都を凍結させるリスクを冒すほど彼は勇敢でも愚かでもない。
まあ、そもそも鑑定できてしまった時点で本来の目的は果たせないので、彼がプリシラからねちねちなじられるのは確定だろう。半年前には同僚だった受付嬢の愛らしい笑顔を思い出し、思わず苦笑する。
何にせよ、ここはもうヨモギさんに判断を仰ぎたい。彼女はおそらく売店前で居眠りの続きだろう。来客の少ないこの時間帯は、それが彼女の日課だ。
呼びに行くしかないか……と私が席を立とうとした瞬間だった。
ピチチ
短く鳴くと、小さな翼を拡げて飛んだ。軌跡がきらきら光るのは細かな氷が舞っているのだろうか。見惚れる間にその姿は、私の右肩にちょこんと乗っていた。
「あ……」
呆然とする私に追い打ちをかけるように、毛玉ちゃんはそのふわふわの体で頬ずりをしかけてくる。ひんやり冷たい、けど見た目以上にふわっふわの感触。ああ、もう何も考えられない。
「鳥は、生まれて初めて見たものを親として記憶する習性があるといいます。この子はただの鳥ではないから、それだけでこんなに懐くものでもない気はしますが」
ベアトリスのまっすぐな目が「なんかしたでしょ」と問い詰めていたので、思わず目を逸らす。
そのとき、ギルド入口の扉が開いた。
「──えっ、なんか寒くない!?」
ギルド内に一歩だけ踏み出して固まっているのは、褐色肌にビキニアーマーの女戦士ライザ。彼女らアマゾネスは温暖な大陸南端の半島出身で、寒さに過敏だ。……うん、露出度のせいもあると思うけれど。
とは言え。直に触れ合ったことで、感じ取った。私への無垢な慕情と共に、小さな体のなかに眠る底知れない力を。
それは決して悪しきものではないけれど、無垢であるがゆえの危うさをはらんでいることを、どうしても否定できなかった。
ピチチ チチッ
そんな思考を察したかのように、毛玉ちゃんはふわりと私の肩から飛び立っていた。
そのまま上空を三回旋回すると、きらきら光る軌跡の円の内側から、羽毛のように白いものがはらはらと舞い落ちる。
手のひらに受けると、それは一瞬で水滴になって消えた。
「雪……」
この国の平地で雪は、冬のごく短い期間に降ることもあるし、降らない年もある。ここで生まれ育った私にとって、それは嬉しい贈り物だった。
ピチチ
別れを告げるようにひとつ鳴く。きょとんと見上げるライザの頭上を通り抜け、開け放たれた扉から、小さなドラゴンは青空へ飛び去っていった。
「……さよなら、元気でね……」
最後の雪がひとひら、呟く私の頬に触れる。目尻からこぼれた涙とひとつになって流れ落ちる雫に、いつか、どこかでの再会を祈りましょう。
──なお、その翌日から。大聖堂の軒下に愛らしい白い小鳥が住み着いて、道行く人々にささやかな癒しを振りまくようになった。




