15【後】専属契約はじめました
「──で、そのギルド対抗戦には、専属契約をした冒険者しか参加できないわけですね」
「そういうこと」
私の説明に真剣に聞き入っていたトーマスくんは、大きくうなずく。
「僕でお役に立てるなら、ぜひ契約させてください!」
目がきらきら輝いて見える。悪い大人に騙されないかちょっと心配になる。……いや、私はちゃんとメリットもデメリットも包み隠さず説明したから、悪い大人でも悪い女でもない……よね?
「それじゃあ、登録を更新しますね。右手をちょっとお借りしてよい?」
分厚い冒険者登録台帳をカウンターにどんと置く。ぱらぱらと自動でめくれて、トーマスくんの登録証の貼り付けられた頁が開いた。
「は……はい……」
おずおずと差し出された彼の右手を登録証の上に導いて、薄く浮かぶ手の甲の紋章に私の手をそっと重ね、台帳に押し付ける。手のひらを通して伝わる、微かな震えと温もり。
──夢の中で女神様から授かった使命なんです。
ふと、先日のトーマスくんの言葉が浮かんだ。たしかに彼の左胸には強力な『祝福』が宿っている。ただ、重ねた肌からも伝わるその手触りは、選ばれし聖なる勇者だとか、そういう輝かしいものではないように感じた。
もちろん、本物の勇者を知らない私が断定することはできない。けれど彼に宿るそれはもっと切実で、たくさんの祈りの結晶のように思える。
そう、アマゾネスのライザが持つ戦斧に込められた先祖代々の祈りにも似て──
「セシル、どうしました? トーマスさん、困ってらっしゃるわ」
手の空いたベアトリスが声を掛けてくれて、我に返る。気付けば、手のひらを重ねたまましばらく無言でトーマスくんをじっと見つめてしまっていた。彼は真っ赤な顔に虚ろな目で、うわ言のように「めがみ……さま……」などと呟いている。
「あっ、ごめんなさい! それでは、専属契約を結ばせていただきます」
「は……はひ……」
定められた鍵呪文を、聞こえないよう唇だけで微かに唱える。二人の手の隙間から、一瞬だけ強い光が漏れる。
そっと手を離すと、一拍遅れて彼も手を引っ込め、その右手のひらを自分の左胸に添えた。何かを鎮めようとするように。
「そういえばトーマスくん、剣はどこで習ったの? いつからそんなに強くなったの……?」
深呼吸して息を整えている彼に、問い掛けてみる。歴史上、勇者と呼ばれた者たちの多くは、幼い頃からその強さの片鱗を見せる逸話があるものだから。
「え!? ええと、僕より強いひとはいっぱいいますが……」
ちらりと私の左側のクロエに視線を送りつつ、彼は続ける。
「小さいころは、すごく病弱でした。でも十年前のひどい流行り病のとき……村の子供のなかで、僕だけが生き残った」
「──蒼白病、ですね」
ベアトリスの言葉に、トーマスが無言でうなずく。十年前、大陸全土で猛威を振るったその病は、十歳以下の子供だけが感染し、発症すると意識を失って体温がみるみる下がり全身蒼白になっていく。
治癒魔法も魔法薬もほとんど効果がなく、その多くが二度と目覚めることはなかった。唯一効果があったのは、当時の聖女による祝福だった。
冷たい我が子の体を抱いた親たちが大聖堂に列を成し、当時の聖女はほとんど寝ずに祈り続けた。けれど彼女一人ではとても追いつかなかった。まして辺境の村では、発症したらほぼ助からない状態だったと聞く。
──やがて、とある天才魔法使いが特効魔法薬を開発し、病禍は収束に向かった。その一連の出来事が、女神信仰の衰退の決定打になった。
「僕も発症したけど……夢の中で女神さまに『勇者になりなさい』と言われて、目が覚めたときにはもう完治していました。家には村のみんなが集まって夜通し祈ってくれてて……」
辺境の村であれば子供もそう多くなくて、村人たちはみなが家族のようなもの。そして辺境ほど、女神への信仰はまだまだ根強い。
「女神さまのことを話したら、みんな泣きながら『がんばりなさい』って……」
きっと彼らは悲しみの中で、最後に残ったトーマスに希望を託して祈りを捧げたのだろう。せめてこの子だけはと、願ったのだろう。
彼の左胸に宿る『祝福』の正体が、分かった気がした。
「それから、棒切れを剣に見立てて毎日振り続けました。だんだん体も丈夫になって、あ、この剣は十三歳の誕生日に、村のみんながお金を出し合って行商人から買ってくれたんです」
腰に佩く、使い込まれた長刃剣の柄に触れる。
「いい剣ね。流通品だけど、作りがとてもしっかりしてる」
「はい。それと、冬が近付くころいつもふらりと村に来る旅人が、村に滞在する間に剣の稽古を付けてくれて、次の年までの課題も出してくれました。それをこなすうちに、いつの間にか村の周りの魔物より強くなっていて」
「そう。人に恵まれたのね」
「はい! だからそのひと──バルザックさんが僕の剣の師匠です。去年の冬に『もう教えることはない』と言われたけど、まだぜんぜん敵う気がしない……」
──ガタン、と売店の方から何か物音が聞こえた。ヨモギさんはまた居眠りだろうか。
結局、勇者らしい華々しい逸話はない。伝説の剣に選ばれてもいない。
その強さは目の前にいる素朴な彼の印象通り、人々の切なる祈りと、愚直に積み重ねた研鑽の賜物だった。
彼は本物の勇者ではないかも知れない。夢に現れた女神も、病に浮かされる中で祈りの声が見せた、幻覚なのかも知れない。
──けれど、そんなのは些細なことだ。
私は受付嬢として、そして私として、できる限りのサポートをするだけ。
それに案外、勇者とはそんなものなのかも知れない。
「師匠の最終課題が『龍の庭』越えでした。魔王の大迷宮がある南の隣国──この国に渡ることもできるから、使命を果たすためには一石二鳥だって……」
「やっぱり、大地龍を倒したのはあなたですね」
ベアトリスの言葉に、目を丸くしながらトーマスがうなずいた、そのとき。
「──ええっ、ドラゴンを!? キミすごいね!」
彼の後方から飛び込む朗らかな声。肩越しに見える褐色肌に赤髪の美女は、アマゾネスのライザ。彼女にも専属候補として魔信を送ってあった。
「ああ、ちょうどよかった」
彼女が専属契約を受けてくれたら、二人はチームとして一緒に戦ってもらうことになるだろう。
それに、いずれトーマスくんが上級冒険者になって、大迷宮に挑むための固定パーティを組むなら、そのメンバーに相応しい人材。顔合わせもできてよいタイミング……そう、思ったのだけれど。
「……ッ!?」
振り向いた彼の目と鼻の先に揺れているのは、頭一つ背の高いライザの胸部装甲に包まれた、圧倒的な迫力を誇る褐色の双丘。
「ん? どした? 顔が赤いけど……」
ライザの問いに応えず、ぎぎぎと軋む音が聞こえそうにぎこちなく私に向き直った彼は、再び虚ろな目で口をパクパクさせている。
「……めがみ……さま……」
あ。鼻血が、たらりと。
──ギルド対抗戦、開幕まで残りひと月ほど。なんだか急に不安になってきた。




