10【中】執行者フレイザー
「ほう、驚いた。よくもそれほどの強さを私に気取らせず……」
フレイザーの声と表情には、驚きより感嘆が色濃かった。その視線はクロエだけでなく、私にも向けられている。
「……まつ毛くんのおかげ」
クロエが目で示すのは、へたり込んだまま「え、オレ?」みたいな顔で口を半開きのアルバート。
ベアトリスの様子から、フレイザーがおそろしい手練れであろうことは予測できた。
もし私がクロエの動きを意識すれば、僅かな視線や仕草からでも警戒されてしまう可能性がある。アルバートに意識を集中することで、それを誤魔化すことができた。あとでちゃんと褒めてあげよう。
「──しかし、こうなってはベアトリス様の賢明なご判断も水の泡ですね。誠に申し訳ないが、当ギルドは今日をもって廃業だ」
続けてフレイザーは残念そうに──わざとらしく──首を振りながら告げる。笑みの形をした両目の隙間から、底冷えするような眼光が漏れた。
「そんな……二人とも、どうして……」
「クロエちゃんが言ったでしょう。今日みたいに忙しい日は特に、あなたがいてくれないと困る」
席を立った私は語りかけながら、呆然とするベアトリスの傍らに歩み寄る。
「そんなこと言ってる場合じゃないの。彼らは執行者なのだから」
執行者。語感と彼女の口ぶりから察するに、王家に属する汚れ仕事を請け負う存在か。おそらく北の隣国においては、畏怖の対象なのだろう。
「とにかく! わたくしは守りたいの、居場所をくれたこの東ギルドを……」
「まだ、わからない? いないと困るってことはねベアトリス、あなたはもうとっくに東の一部なの。だから」
私は彼女の強い瞳をまっすぐ見詰め、言い聞かせるように言葉を続けた。
「ギルドを守るなら、あなた自身もその中に含めなきゃダメ」
「……あ……」
いっぱいに見開かれた碧の瞳が揺れる。これで、わかってくれただろうか。
「さて、話はついたかな。では執行させていただく」
そこに響くフレイザーの無機質な声。同時に彼の背後に控えていたもう一人の影が動く。それに一瞬の遅れもなくクロエが追随する。
ガギィィィン
再び、より激しく鳴り響く金属音。それはフレイザーの抜き放った細剣の切っ先を、クロエが喉元で逆手に構えたナイフの腹で受け止めた音。そこに至る途中の動きは、私には全く見えなかった。
「──ほう。これを止めるか」
フレイザーの声も、今回は驚きが勝っているようだ。
「これ、剣じゃなく鞘に細工してあるね。風系魔法か何かで抜刀を加速してる?」
「……参ったな、見事な鑑定眼だ」
「受付嬢だからね」
クロエは淡々と答える。
対してもう一人の男は、カウンターの上に跳び乗りしゃがんでいた。
「──で、旦那。こいつも殺っていいんだな?」
ひょろ長い腕の先に構えた短剣の冷たい刃が、私の首筋にぴたりと添えられている。私に押しのけられたベアトリスが、背後で息を呑む。
「全員だ」
クロエと対峙したままフレイザーは短く答える。言葉に重なって断続的に聞こえるのは、互いの刃を受け止め弾く金属音だ。
どうやら、こちらはこちらで対処せねばならなそう。
「だとさ。それにしても綺麗な白い肌、白金の髪、蒼い目──きっと綺麗な紅い血が流れてるんだろうなァ」
生臭い吐息が掛かるほど顔を近付け、舌なめずりして見せる男。その蛇を思わせる三白眼をまっすぐ見据えながら、私は無抵抗を示すようにゆっくりと両手を後頭部に持っていき──そこに結んだ白いリボンをほどく。
「セシル、何を」
「……あァん?」
背後のベアトリスと眼前の蛇男が、同時に疑問の声を上げる。
するり足元に落ちたそれは、特別なリボンじゃない。ただの日課として、カウンターに立つ私は毎日このリボンを結び、この髪型で受付嬢をしてきた。それを、いま、解いた。
「おやめなさい」
白金の波になって背を流れる髪と共に、静かに、言い聞かせるように。
「は? そうか、おまえ死にたいのか。なら望み通り……」
首筋の刃に、力が加わる。
「……あ……? なんだ……これ……なぜ俺は……」
けれど男の言葉は、途中でぴたりと止まった。
三白眼を大きく見開いた彼の手の刃は、言葉と同じくそこで静止する。歯を食いしばり、必死に短剣に力を込めているようにも、引き剥がそうとしているようにも見えた。
「何を遊んでいる。さっさと終わらせろ」
クロエと牽制し合って膠着状態のフレイザーが、男の異変に気付く。
「ちがう……ちがうんだよ旦那……こいつは……このひとは駄目だ……」
「何を言っている。そいつはただの受付嬢だ」
「……自分でもわからない……ただ、これは取り返しがつかない……それだけわかる……」
男の声と唇は震えていた。三白眼が潤んで、いまにも涙があふれそう。
「女、きさま何をした? そうそう幻術の類が効くような男ではないぞ」
細剣を鞘に納めたフレイザーが、視線をクロエに向けたまま私に問う。鞘による加速突きを警戒してか、クロエはナイフを構えたまま動けない
──私は何もしていない。ただ私として、此処に在るだけ。
膠着を破ったのは、ギルド入口のドアだった。バタンと勢いよく開き、しかしドアの向こう側は無人で、冷たい風だけがギルド内に吹き込む。
「もういい、お前はこっちをやれ」
痺れを切らしたフレイザーが言い放つ。次の瞬間には指示を理解し、カウンターからとんぼ返りでフレイザーの頭上を跳び越えた蛇男がクロエを強襲。フレイザーは倒れた巨漢を踏みつけながらカウンター前に転身する。
「さらばだ、ベアトリス」
彼の冷たい視線は私を通り抜け、背後のベアトリスだけを見ていた。
部下の戦意を喪失させた何かが私にある。だから私を意識の外に置き、細剣の加速突きで私ごとベアトリスを串刺しにする気だろう。
そして彼に踏みつけられた巨漢はうめき声をあげていた。どうやら意識を回復した様子。
──恐ろしく適切な判断と行動。けれど、ひとつだけ彼には誤算があった。
細剣の柄を握る手に力を込める。しかし、それは鞘から抜けない。まるで凍り付いたかのように。
「な……に……!?」
ずっと笑みの形を保っていた彼の両目が、見開かれる。
視界にきらきらと光る粒子が舞って、仄かな冷気と柔らかな感触が、私の肩に降り立っていた。
「……それは……そんな、ばかな……」
「覚えていますかフレイザー。我が家の書庫で、一緒に読みましたね」
私の横に進み出て、ベアトリスが凛とした声で訊く。対するフレイザーは呆然と、うわ言のようにその名を口にする。
「……雪の妖精…………雪輝龍……!」
ピチチッ
──私の肩で、毛玉ちゃんが愛らしく応えた。




