動けない場所で君と出会った【13】
世界初のギア・フィーネ同士の交戦から一週間。
フェレンツェの医務室でシズフ・エフォロンは目を覚ました。
確かに眠ってばかりの人生であれど、一週間は眠り過ぎだったと他人事のように頭の片隅で思う。
傍らに着席した友人兼部下の真壁懐がいつもの柔らかな笑みでシズフの髪を撫でる。
動くのも喋るのも億劫で少し睨むが、真壁相手にあまり効果はない。
ほんの少し、傷心には心地いいのも手伝い止めさせる事を諦めてまた天井を見上げる。
「脳波に異常が見られるって。多分あの戦いで脳が強いダメージを受けたんじゃないかってセニラ先生の見立て。君自身はどう?」
「よく分からないな……」
「そう」
「…………」
シズフ・エフォロンは真壁懐が自分を憐れんでいるのだと気付いていた。
彼の人生において、シズフ・エフォロンという人間は余りにも恵まれていないように見えるのだろう。
だがシズフは自分が不幸だと思ってはいない。
母は自分を産み間もなく亡くなったし父に母や自分達兄弟に愛などないと知っていたが、上の兄達は優しかった……愛してくれた。
特にイクフ。
鬱陶しい程の愛を注いで育ててくれた。
友人も出来た。
こんな自分に声を掛け、イクフの居ない軍学校時代世話を焼いてくれたばかりか今もこうして助け支えてくれる部下として。
これが幸福でなくて何だ?
確かに彼は自分の持たない幸福も知っているのだろうが、それでも自分は幸せだと思う。
だからこそ彼が自分に向ける憐れみは、ほんの少し悲しいもので。
しかし彼の無上の優しさが詰まった感情であると思えて心が凪いだ。
彼は、真壁懐は本当に優しい男だと思う。
兄イクフに引けを取らない……優しい男だ。
「……しーちゃんさ、なんで撃ったの?」
その優しい男が目を逸らし、ほんの少し声を震わせながら呟いた。
真っ白の天井を見上げながら記憶を掘り返す。
絶望と同意見の言葉。
つい先程の事のように思えた一週間前のその日にシズフは兄イクフを撃った。
正確には兄イクフの遺体をビームライフルで蒸発させた。
イクフと真壁は兄属性同士惹かれるものでもあったらしく、非常に仲がよかった。
一度眼を閉じて思い出す。
あの日、自分を支配した絶望。
「死んでいた」
「!?」
「……だから撃った」
「……、……意味が分からないよ、遺体だけでも持ち帰ってくれば葬儀だって上げられたじゃないか」
「……上げた後どうする。ブラッディ・シリーズのノーティスは貴重だ……サンプルとして腐敗処理されありとあらゆる実験に使われ、ホルマリン漬けにされるか標本にされるか……。いつまで経っても……自由になれない」
母のように、とは言わなかった。
真壁の唇が震えて珍しく笑みが消えたのが少し悲しかったので、それ以上彼に自分達の末路を語るのは酷に思えて。
「……そんなの、酷いよ……」
「…………」
「人間扱い……されてないじゃないか……お兄さん、人間なのに……」
眠りすぎて少し頭が痛い。
けれどそれより真壁が泣いた方が驚いた。
共和主義連合は各国がノーティスの研究を推進している。
大和も例外ではないだろうに。
思いもしたが口には出さない。
真壁が知らないだけか、あるいは大和は強化ノーティスの研究より、二足歩行型戦闘機の技術研究の方に国力を注いでいるのかもしれない。
実際この艦の部隊に居る強化ノーティスは、真壁以外ミシア産のデザインベビーばかり。
ただ戦う為だけにナノマシンを胎児になる前の段階で投入され、遺伝子から強化された人間兵器。
彼だけは純粋なノーティスから強化手術を受け、こと珍しく副作用も出ずに生きている。
「ミシアはそういう国だからな」
「そんな……」
「……だからカイ、お前は絶対戦場以外で死ぬな。死んでミシアには行くな」
「!」
「お前は希少例だ。サンプルにはうってつけのな……アイツも欲しがっていた」
ミシアの強化ノーティス研究をしている連中にとって『真壁懐』という異端の成功例は魅力的な存在だった。
父が以前珍しく自分に会いに来た時に値踏みするような眼を真壁に向けていたのは忘れられない。
ギア・フィーネの登録者の父、という棚から落ちてきたような幸運で軍事参謀長にまでのし上がった権力の虜は、更なる功績、賞賛を欲している。
飽くなき欲望に利用出来るものは全て利用して……。
「シズフ……キミ、大和に来い」
「…………」
「ボクがキミを守るから、大和においでよ……っ」
俯いた真壁がそんな無茶を言う。
強く握られた手。
涙ながらに救おうとしてくれる友人が居る。
「……考えておく」
大和に亡命か……、悪くないと思った。
自分には守りたいものがない。
兄二人はもう死んだ。
ただ一人の友人がこんなに自分の事を考えて、言ってくれたのは純粋に嬉しい。
最も真壁も無理だと解っていて言ったのだろう、全く泣きやむ気配がない。
大和にはないのだ。
ブラッディ・シリーズのノーティスの、延命薬が。
二十歳を過ぎた頃から段々と内臓が弱ってきた。
イクフもよく三十近くまで生きられたものだと研究医達も笑っていた。
強化ノーティスの中でも特別に特殊な自分達が少しでも永く生き延びる為には、日々開発され続けている新薬しかない。
イクフもそうやって生きながらえてきたし、自分も二十歳を超えた頃から飲み始めている。
ただ生きたいのか? と言われたらそうでもない。
しかしそんな事、自分の為に泣いてくれる誰かの前で言えるわけがない。
(お前もこんな気持ちになったのだろうか……イクフ)
繋いだ手の温かさが嬉しい。
泣かせてしまうのが申し訳なくて切ない。
先に死ぬのがどうしてか悔しい。
痛い――。
(……ありがとう、カイ……。お前が泣いてくれて、良かった)
泣き方を知らない自分には兄の為に泣くという行為は出来なかったから、本当に感謝した。
こんなにも融通の利かない世界で。
こんなにも理不尽で、やり切れない世界で、闘いに明け暮れるばかりの自分の世界に。
他人の為に泣ける誰かが居てくれるのは、人生の幸福と呼ぶには十分だろう。
***
メルサ・ビルリノの戦死を聞かされたのは、あの戦闘の一週間後。
ラウトは世界で初めてのギア・フィーネ同士の戦いの後、脳に異常をきたし一週間目を覚まさなかったのだと言う。
そして今日、目を覚ました早々に告げられたのは脳波に異常が残っている事とガリッツ達の同僚だったあの少女の死の知らせ……。
また、ディアス・ロスがベイギルートに帰還したという事。
腕に差し込まれた点滴を眺めながら何の感慨もなく、ラウトは話をただの情報として処理しぼんやり思考を緩やかに低下させていった。
何も考えたくはない。
あの戦いで、出し切ってしまったかのようだった。
「……今はゆっくり休むといい」
その情報を齎した直属上司ガーディラ・マーベックは、ラウトを一瞥して退室していく。
ぼんやり色のない天井を見上げながら、ただ思う。
自分は死なない。
絶対死んでやるものか。
「よう」
掛けられた声に視線だけ動かず。
赤褐色の長い髪を結った紫色の軍服。
切れ長い眼に厭らしい笑みを浮かべたその男は、先程出て行ったガーディラと同格の騎士。
第四軍事主要都市ベイギルートの司令官、ソレイヴ・キーマ。
五将の一人がうろうろと……。
呆れた気分になりつつ、この男の前で横になり無防備を晒す事が気分悪く思えたラウトは、起き上がろうとした。
しかしソレイヴに肩を押し付けられベッドに沈められる。
近付けられた顔に息を飲み、抵抗しようとしが、ソレイヴの眼は至って真剣なもの。
「ミスタースミスには気を付けろ。お前をギア・フィーネの付属品としか考えていない」
「………」
それだけ言うと離れていく。
少し驚いた。
まさかそれだけ言う為に都市司令官が直々に来たのか。
痛む頭を抑えながら起き上がる。
「何故……」
「ミスタースミスだけじゃない。お前はハイエナどもにとって足を折った羊だ。意味、分かるな?」
「…………」
「誰にも心を許すな。他人を切り捨てても傷付かない心を持て。それが辛くて出来なくなったら俺のところへ来な。俺はギア・フィーネじゃなくてお前が欲しい。身も心もぜーんぶ、な」
変態め、と頭の片隅で罵りながらもラウトは眼を伏せる。
力が欲しかった。
何者にも踏みにじられない為の力が。
力があれば強くなれる。
強くなれればもう何も失わない。
だが、自分は何を失わずに済むのだろう?
自分に何が残っているのだろう?
膝を抱えてベッドの上で丸まっているこんな自分に、何が?
分かっている。父も母ももう戻ってこない。
もう、会えない。
頼りない同室の同級生の顔が浮かぶ。
生きたいと言ったお節介焼きの男も。
自分などを好きだと言った馬鹿な少女の姿も。
扉が開いて、それから閉まる音。
消えた人の気配。
声もなく泣いた。
自分は力を手に入れたはずなのに、ちっぽけで弱いまま。
(……俺は…………)
力があれば何も失わずに済むと思った。
(……絶対に……)
けれど力があっても何一つ残らない。
失うのが怖いから、関わらないように生きているのに、心を閉ざしていたのに結果はどうだ。
痛み、喪失感に見舞われるばかり。
ソレイヴは正しい。
切り捨てても傷付かない心があれば、こんな想いはしなくて済むはずだ。
それを、手に入れる。
そして自分は世界を壊す。
(こんな世界、俺は絶対に許さない……!!)
この感情と一生を共にする。
そうしなければ壊れてしまう。
この感情がなければ、自分は自分を失う。
例えどんなにたくさんのものを失おうとも自分自身だけは失うわけにはいかない。
どうして生まれてきた。
どうして生きなくてはいけない、こんな世界で――。
分からない。
分からないから、だから……今分かる事を、選ぶ。
自分はギア・フィーネを手に入れた。
ソレイヴは言っていた。
ハイエナどもが狙っている、ギア・フィーネという力を。
それは他の軍事主要都市に限らず、共和主義連合国群、フェンスゲイム研究機関、民間軍事機関なども含まれている。
都市司令官直々の忠告は恐らく他にも無数の輩に狙われているという意味だろう。
だがギア・フィーネは登録者にしか動かせない。
登録者に纏わりつくのはそういった“力”を欲する亡者の影。
そんな事は分かっている。
イクフにも随分忠告されていた。
ギア・フィーネを手に入れたい連中はあの手この手でお前を手に入れようとする
お前がギア・フィーネの登録者だから、と。
だからソレイヴの事も、信用はしない。
ギア・フィーネをいらないと言ってもあの男は都市司令官なのだから、
そう、誰も信じるな。
誰にも心を許すな。
忠告だけは的確だと認めてやろう。
(俺はもう誰も信じない。絶対に信じない。……みんな殺してやる……)
強く心に誓った。
ラウト・セレンテージは世界に復讐する者になる
この先、一生……自分はこの場所から動かない。
例え憎悪の先に何もなくても




