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59.それは夜のこと

 ────深夜。

 私は冴え切った目でベッド横の壁を眺めていた。


 寝れぬ。

 寝れぬのだ。

 腕の治療もしたし、普段ならとっくにゴーイングドリームワールドしてる時間なのに、いくら目を瞑っても頭の中であの龍の咆哮が聞こえて胸が高鳴る。

 そう、まるでクリスマスの前日のように。

 まあ私はクリスマスの前日とかイライラして仕方なかったんだけども。


 それはひとまず横に置いておこう。

 今は体の異常の方が問題である。

 意識してないと知らず知らずのうちにベッドに爪を立てそうになるし、喉の奥でグルルルって威嚇みたいな音が出そうになるしで初体験過ぎてどうすればいいのか分からない。


 声を上げるのを我慢しながら、ちらっと床で規則正しい寝息を立てる聖龍を盗み見る。

 こうやって大人しくしてると、ほんと端正な顔立ちの女の子にしか見えないんだよなー。

 齢4000年を超えるBBAなのに。

 そういえば龍の人間体の年齢ってどうやって決まるんだろ。

 聖龍が10代前半くらいで私が10代後半くらいだから歳は関係無さそうだけど。


 あー、ダメだ、気を逸らそうとしても全然逸れない。

 どころか、聖龍の顔を見てると闘争本能が昂ってますます寝られなくなってきた。

 息が荒くなりそうなのを辛うじて抑え込む。


 ふー、ふー、ふー。

 いやいやいや我慢だ我慢。

 聖龍とも腕が治ったら、って約束してるんだから破る訳にはいかない。

 衝動を押さえつけようと枕に顔を押し付け、ベッドシーツを握り締める。

 小さくピリって音がして中の藁が飛び出した。


 そこで。

 そこで、だ。

 聖龍がグルルルと、喉の奥で音を立てた。

 胸がドクンと脈打つ。

 さっきからずっと続いてた身体の震えがすっと収まった。

 そして、目の前が真っ赤に染まる。

 多分ただの寝言だと思うし、本当はもっと間抜けな音だったに違いない。

 けど、私にはそれが、威嚇する唸り声のように聞こえて。

 あ、ダメだこれ。

 ちょっと我慢できない。

 このままここにいると聖龍を襲うかもしれない。


 物音を立てないように、かつなるべく急いでベッドから降りる。

 これから私が何をしようとしているのか。

 私は、聖龍との腕が治るまでという約束を、一日も経たずに破って龍を殺しに行こうとしている。


 聖龍が私を心配してくれて、最大限意思を尊重してくれたのは分かってるし、それを申し訳なく思う気持ちは本当だけど、それの何倍もの高揚感に襲われて落ち着かない。


 けど正直に白状したら昼間みたいに止められるだろうし、そうなったら多分聖龍にも襲いかかりそうな気がする。

 だからどうかとは思うけど何も言わずに出ていくしかない。


 そのまま足早に去ろうとして、衣擦れの音がして気づいた。

 服は邪魔だな。

 ていうか元々聖龍のものか。

 だとしたら置いていこう。

 どっちみちこんな手段を取ったらもう戻っては来れないだろうし、置いていくのが筋だろう。

 服と靴を脱ぎ、せめてもの礼儀として綺麗に畳んで置いていく。


 じゃあ、今まで2週間ちょっとの間、お世話して治療してくれてありがとう。

 面と向かっては言えないけど、割と嫌いじゃなかったよ。

 あと本当にごめん。

 心配してくれたのに、約束は守れそうにない。


 心の中で感謝を伝えて聖龍の巣穴を出る。

 どうやら今日は満月だったらしい。

 普段はなんとも思わないのに、今日はやけに冷たく脳の奥まで差し込まれるように感じる。

 あと少しで龍と殺し合いができるという事実に胸が踊る。

 どうしたんだろ、私ってこんなに好戦的だったっけ?

 ああ、多分あれだ。

 私は一時でも遺跡の最深部の龍と本気でやり合うつもりだったからだ。

 前に他の龍とやった時は、少なくともしっかり勝敗は付いてたけど、今回は戦えそうだったのに我慢したから、それこそお預けを食らったみたいになってるんだ。


「おい」


 なんて冷静な部分で考えてたら、巣穴を出て少しのところで聞き慣れた声に呼び止められた。


「もぞもぞしてるかと思えば。どこへ行くつもりじゃ?」

「遺跡、の、龍の、とこ」

「腕が治るまで待つという話じゃろう」

「待てない。ねえお願い、止めないで。殺したくない」

「お主に殺される程やわではないわ。戻ってこい。死ぬ可能性は少しでも下げた方がいい。お主も分かるじゃろ」


 そんなの分かってる。

 腕がないのは当然不利。

 私が今までどうにかなってきたのは翼が腕の代わりになる構造をしてたのと、相手が格下だっただけ。

 今回は聖龍の言う通り、同じ龍かつ閉鎖空間という事もあって私と同等以上と見るべきだ。


「分かってもできない」


 聖龍が眉をひそめた。


「そこにいる。あと少し手を伸ばせば届く。我慢しようとしたのに落ち着かなくて、熱に浮かされたみたいになる。だからできない」

「……お主は何事も無く奥まで辿り着けると思っているようじゃがな、それまでに倒れる可能性もあるじゃろう。準備が過ぎることは無い」

「……ごめん」


 目を逸らしながら口にしたら、聖龍は頭を掻きながら苛立たしげに息を吐いた。

 気まずい空気が流れる。

 少しして、聖龍が視線を落としたままぽつりと呟いた。


「若い奴らの事はいつも分からぬ。小僧も仔等も、お主もそうじゃ。何か悪いモノに憑かれたように危険な道を駆けていく」


 聖龍の言う小僧も仔も知らない。

 でも私がどうしてこうなってるのかは言える。

 ごくごく簡単な事で、けれどとても振り払うのが難しいこと。


「多分、本当に何かに取り憑かれてるから」

「ならばお主のは死霊じゃ。死してなお仔を縛る悪霊の類じゃ」


 そうかな。

 そうかもしれない。

 でも私は嫌じゃない。

 本当にお母さんの悪霊に憑かれていたとして、復讐がお母さんの望むことなら、私は喜んで体を貸す。

 それでお母さんの無念が晴れるならその方がずっといい。


「……お主、遺跡に潜るつもりなら冷静にな」


 うん。


「浮き足立っていては要らぬ事故を招く。最奥を目指すならばこれまで以上に慎重に見極めよ」


 分かった。


「最後に餞別をくれてやる」


 そう言って、小さな革袋が放られた。

 受け取ったそれは首から提げられそうな革紐で括られていて、中には不快な刺激臭のする葉が入っていた。


「魔物避けの香草?」

「それを持っていれば魔物が避けるかもしれん。逆に目印にされる事もあるやもしれぬ。不要なら燃やすなり捨てるなり好きにしろ。上手く使うんじゃな」

「ありがとう」


 首から提げておくほうが手も空いて便利だな。

 せっかく革紐がついてるんだし。

 頭を通して邪魔にならないように調整する。

 魔物が寄ってこないのはいいけど、これ私も鼻が効かなくなる気がする……。

 まあなんとかなるかー。

 索敵はどのみち魔力探知頼りだからあんまり関係ないしね。


「それと」


 聖龍が背を向けて言った。

 その背中は頼りなくて、見た目通りの女の子のように見えた。

 それ以上失うのを恐れてる子供のように。


「ここを飛び立った時、お主は死んだことにする。死んだか死なぬかを気にして、今か今かと待ちぼうけるなど真っ平御免じゃ。ならば無謀な阿呆は死んだ事にした方が心が安らぐ」

「……そう」

「そうじゃ。たとえ生還したとしても二度と顔を見せるな。その時はわしが殺してやる。どこかで出逢えば殺されるものだと覚悟せよ」


 弱々しい背中を見ていたら、目の前の4000年も生きた龍は、もしかして全然強くないんじゃないかと思った。

 いや、もしかしたら4000年も生きたから弱くなったのかもしれない。

 大事なものができて、楽しく過ごして、でも龍の時間の流れに寄り添える物は数少ない。

 だからそれを失う事を怖がって、失っても傷つかないように予防線を張る。


 全部私の妄想だ。

 妄想だけど、あながち間違ってもいないんじゃないかとも思う。


「聖龍」


 声をかける。

 反応はない。

 それでも、私が言いたいだけだから構わず続ける。


「私は素直じゃないから、最後じゃないとこんなこと言えないと思うから言わせて欲しい。愛してくれてありがとう。貴女がどう思ってたかは分からないけど、私は貴女が気にかけてくれるのが嬉しかった。だから……」


 ちょっとだけ、その先を言うか悩む。

 これは私にとって大事なラインだ。

 聖龍はそこを踏み越えるに足るかを考える。


 いや、考えるまでもないか。

 お母さんの育ての親で、その娘の私に対しても優しく本気で心配してくれていた。

 ならなんの問題もない。

 だからはっきりと口にする。


「だから、私は貴女の事を家族みたいに思ってる。さようなら。いつまでも元気で」


 返答を待たずに龍へなり、空に飛び立つ。

 私は唯一の肉親だったお母さんを殺されて、意識しないようにしていただけで孤独を感じていた。

 同族は出会い次第殺すつもりで、人間は初めから相容れぬ異種族。


 でも聖龍は違った。

 私が殺そうとしても軽くいなして、お母さんの事を心の底から悲しんでくれた。

 もう会えないけど、そういうヒトが確かにいたということだけはしっかり覚えておこう。




 でも、本当に何もかもが終わって、時間ができたら、ちょこっとだけ会いに来てみたりもいいかもね。

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