57.予想よりも早く回収されるあんな事
走るという行為は大抵の人は嫌いだと思う。
疲れるし、息も切れるし足も痛くなる。
学校の持久走とか毎年うんざりしてた覚えもあるのではないだろうか。
かくいう私も持久走とか100m超えた辺りで死にかけるレベルだったからいい思い出など1つもない。
あ、でも苦しむ同学年たちを尻目に車でゴールに向かうのはちょっと優越感あったかも。
それはともかく、こうして龍という規格外の体力を持つ生物に生まれ変わって、走るのも悪くはないかな、っていう気はしてきた。
なにより疾走感がいい。
程よく疲れると充実感があるのもたまらない。
これを味わった今、もし前世に戻ることができたなら少しは体力を付けようという気にもなるかもしれない。
それくらいには体を動かすのが好きになった。
だけど後ろにいる奴らのせいでぜーんぶ台無しだよクソッタレ。
これが持久走ならいるのは同じく死にそうな顔をした人間なんだろうけど、今後ろにいるのは最低でも足が6本はあるような害虫どもである。
無理。
あんなのに追われてて爽快感もなにもあるか!
そして振り返りざまに魔法をドン!
わはは、燃え上がれー!
……ってやってはみたものの中々無理げである。
だって先頭のやつらしか燃えなかったもん。
後続のやつらは目の前で仲間が燃え上がったというのに一切怖気づいた様子を見せずに次々と押し寄せてくるし、どこからか合流してるのか数が減ったようにも見えない。
てかむしろ増えてねこれ?
虫無限ポップとか誰得ですかー!?
くっそこの遺跡嫌いすぎる。
全て終わったら焼き払ってやる。
ずっとやってて癖になった目印を壁に刻みながら走る。
角を曲がる直前にちらっと後ろを見てみたけど、虫たちは疲れを見せずに追いかけてくる。
ひー視界に入れるだけで鳥肌が立つ。
てかこれ逃げきれるか?
足の速さは同じか、向こうの方が少し早いくらいだろう。
てことはこのままだといずれ間違いなく捕まる。
魔法をぶつければ勢いは弱まるけど、そんなことしてたら押し寄せる虫どもに飲まれるのは間違いないだろうし。
なんて、意識をそらしたのがいけなかったんだと思う。
踏んづけた床が私の足の下で光を放った。
やばっ!?
後ろ……引けない!
なら前行くしかねえ!
やったるぞー!
翼を広げ、床が消失する直前に思いっ切り前に飛ぶ。
そして小さく羽ばたいて一瞬落下を緩め、壁の出っ張りに鉤爪を引っかけて張り付く。
で、虫は!?
ばっと振り向いた先では、私を追いかけていた虫たちが次々と穴へ落ちていた。
それに気付いた後続は落ちずに済んだみたいだけど、その数は明らかに減っている。
チャンスだ。
今やるしかない。
幸い対岸までの距離もそうない。
前後に体を振って勢いをつけて向こう側に渡る。
ってあうえ!?
さあ魔法でもぶち込もうかと振り向いた私の目に映ったのは、壁やら天井やらを這って穴を渡る虫の群れだった。
いや、そりゃあ虫ですからそういうこともありますよね!
まあでも散ってくれた方が好都合ですよ!
前の奴らが壁になることもないから一気に殲滅できるからな!
壁やら天井やらをカサカサ渡ってくる虫たちに、今までの鬱憤の全てを叩きつける。
わははは!
落ちろカトンボ!
ちょうど下に穴があるから処理の手間もなくていいぞ!
足を離せば落ちるせいで避けようにも避けられず、次々と闇魔法が直撃してバラバラになっていく虫たち。
普段は鳥肌が立つキィキィって鳴き声も、散々追い掛け回してくれやがったやつらの断末魔だと思うと気分がいい。
掃討するのにそう時間はかからなかった。
ふう。
いやずいぶん走ったな。
このあたりはまだ来たことが無い辺りだ。
なにせ壁にあるのは真新しい傷だけ。
私が来たなら絶対跡を残してるし間違いない。
まあどうだろうと帰れるからよし。
……の前に休憩したい。
ぐでっと横に倒れる。
あー疲れた。
体力的にはまだそこそこ余裕はあるけど、ちょっとでも気を緩めれば虫たちに追いつかれて食われていてのだ。
精神的な疲労が大変なことになってる。
はあ。
水飲みたーい。
横になったまま聖龍に教わった水魔法で水球を作り、口に放り込む。
うん、美味しいかどうかと言われればまずい。
なんでなんだろうな。
そういえばなんか純粋な水はまずいって前世で聞いた覚えがあるな。
そういうことなんだろうか。
水魔法はあくまで水を作る魔法であって、そこに含まれる諸々の成分までは作られないとかそういうことなんだろう。
多分。
知らんけど。
はぁ、と最後に大きく息を吐いて身体を起こす。
よし、そろそろ落ち着いたし戻るか。
まあその前に罠の感知範囲がどのくらいか調べて……って戻ってなくない?
私の視線の先では、さっきの落とし穴が未だに底の見えない大穴をぽっかりと開けていた。
なんだ?
壊れたとか?
不思議に思って魔力探知を穴に向けてみる。
そして。
「ぎぃぃぃぃっ!!」
その瞬間、穴の縁からムカデが飛び出してきた。
「は!?」
思わず声に出た。
だって全部落ちたと思ってたのに!
いやまあすぐに探知しなかった私も悪いが!
慌てて飛び退き、闇魔法を構築してムカデの頭に向かって放つ。
が、それは避けられた。
舌打ちしつつ次弾を組み上げ、発射しようとして違和感に気づいた。
待って、魔力一つじゃない。
二つある。
しかも、この魔力って……。
鼓動が早まる。
本能が警鐘を鳴らしている。
まずい。
に、逃げないとだめだ。
こんな近距離で鉢合わせたら勝てない。
あれとやり合うならもっと距離を取って近づかれないうちに仕留めないといけない。
突如、ムカデが下に引っ張られるように消えた。
遥か眼下の穴の底まで魔力が落ちていく。
そして、代わりに穴の縁に手がかかった。
え?
手?
ほんとに?
人間の手?
かなり薄汚れてるけど、間違いなく人の手……だよねこれ。
なんでこんなところに……
予想してなかった事態に固まる私の前で、その持ち主が穴から這い上がってきた。
まず見えたのは腕。
骨と皮ばかりで、私より細いんじゃないだろうかってくらい細い。
まあそれでもぎょっとしたけど、まだありえなくはない。
こんな地下に長くいればやつれもするだろう。
だけど、次に見えたのは明らかに異常だった。
何故って、その腕の持ち主には頭がなかったのだ。
は?
頭がないのに動いてる?
あり得ないあり得ないあり得ない。
だって人間だったら頭がないのに動くはずがない。
頭がない人間なんて間違いなく死んでる。
動くはずがない。
動くはずがない……のに。
脳が理解することを拒んでる。
考えようとすると熱に浮かされたかのようにぼうっとして考えられない。
そして、頭のない化け物がついに全身を現した。
そいつは土気色の風船に手足が生えたみたいな気味の悪い姿をしていた。
全体的なシルエットは人に近い。
直立し、胴体が一つあって手足も一対ずつある。
だが、頭は無い。
本来それがあるべき首の上には何もないのだ。
そしてその胴体もふやけたみたいにぶよぶよでまるで蝋のような色をしている。
それらの特徴を合わせ、一切言葉を選ばずに言うなら首の無い水死体だ。
首の無い水死体が、ぼろぼろになった剣を手に立っている。
あまりにも現実離れしすぎた光景に思考が止まる。
何も考えられない。
だって、あれなんで動いてるの?
死体でしょ?
この世界に幽霊なんていないのになんで?
分からない分からない分からない。
「おぉあああぁぁぁぁぁあ!」
そいつが突然上げた人間のうなり声みたいな咆哮に体が跳ねる。
そうだ、呆けてる場合じゃない!
逃げないと!
闇魔法を二発、即座に展開して化け物に向かって放つ。
確実に殺すつもりで、そいつが人間と同じであれば心臓があるであろう胸に向かって。
しかし化け物は剣を以てその軌道をずらした。
うっそだろこんな10mもない距離で!?
慌てて飛び退りなにも考えず後ろに走り出す。
やばいやばいやばいやばい追ってきた!
てか全裸で追ってくるな気色悪い!
私も全裸だが!
心の中で喚き散らしながら後ろに向かって闇魔法を撃つが、全て弾かれて意味を為さない。
てか足早い!
追いつかれる!
あ、そうだ!
なにも直接攻撃する必要ないじゃん!
思い立ったら即行動!
走りながら土魔法で化け物の邪魔になるように次々と障害物を生成していく。
ふと崩壊の危険性が脳裏を過ぎったけど、そんなこと言ってられるか!
さすがにこれなら大丈夫でしょ!と思ったら後ろで轟音がした。
首だけで振り返ると、そこには全く勢いを緩めないままタックルで障害を破壊する化け物の姿があった。
なんでだよ!
意味わからん!
そして最後の障害が突破され────化け物に目の前に小さな火種が浮かぶ。
普通の思考能力があれば間違いなく避ける。
けど化け物は全く気にせず突っ込んできた。
馬鹿め!
浮かべた火種に一気に魔力を流し込むと、それは急激に膨張し、大爆発を引き起こした。
まあこの距離で爆発させれば当然私にも影響がある訳で、爆風に押されてごろごろ地面を転がる羽目になった。
いったいあっつい!
で化け物は!
受け身を取って振り向いた先には、青白い死人みたいな肌に大やけどを負いつつもしっかりした足取りで歩く奴の姿。
い、意味わからん……。
なんであれまともに食らって生きてるんだ……。
なんて想像以上の耐久に苦い顔をしてたら、また化け物が走りだした。
私も弾かれたみたいに走り出す。
少しは遅くなるかなと期待したのに、それどころか化け物は怒り狂ったのか咆哮を上げながら速度を上げて迫ってきた。
底無しか……いやそんなわけない。
間違いなくダメージは追っている。
さっきのを繰り返せばいずれ力尽きる。
大丈夫、勝てる。
問題ない。
そう確信して前を向く。
L字路だ。
ここでもう一発仕掛けるか。
曲がった瞬間さっきのと同じ爆発を引き起こす。
あんまり距離が近すぎると私も巻き込まれるから、私が曲がったところに置きボムするのがいいだろう。
曲がり角で遮るのだ。
そう決めて足に力を入れ直した時、左の太ももに激痛が走った。
「がっ……!」
足がもつれて思いっ切り転ぶ。
なんなんだいったい……!
目を向けた先。
そこには化け物が持っていた錆び付いた剣が突き刺さっていた。
どんな馬鹿力で投げたのか、貫通して太ももの前側からも突き出している。
「っつぅ……!」
痛い痛い痛い痛い痛い痛い!
しっかり手入れされた鋭利な刃物より、錆び付いてガタガタになった刃物の方が傷みが大きい。
そう前世で聞いたことがある。
まさかそれを体験することになるなんて、聞いた時は思ってもみなかった。
聖龍に腕の治療をされた時以上の痛みに視界が明滅する。
ダメだ、気を失うな、しっかり保て。
剣を抜いて治療すればまだ走れる。
「ふぅーっ! ふぅーっ! ……ぐぅっっ!」
歯を食いしばって柄を握り、一気に引き抜く。
刺さった時以上の痛みに襲われ、喉元まで出かかった悲鳴を必死に噛み殺す。
そして治療しようとして────それは叶わなかった。
その前に追いついた化け物が私の首を締め上げたのだ。
「おぉああぁぁあ!」
やばい。
力が強すぎる。
片腕だけじゃ満足に抵抗もできない。
翼も私の下敷きになって満足に動かせない。
ほんの少しでも力を緩めたらその途端首をへし折られそうだ。
「は……な……せ……っ!」
無事な右足を魔力で強化して化け物を蹴り上げ必死に抵抗を試みるが、化け物は意に介することもなく逆に腹に膝をついて動きを封じてきた。
その衝撃で肺に残っていた空気を吐き出してしまう。
「か……は……っ!」
私の顔に首を近づけ吠える化け物の首からねばねばと粘着質で悪臭を放つ何かが垂れてきた。
それが滴り落ちる首に目を向け、私は目を疑った。
首の断面には人間とほとんど同じ造形の顔があったのだ。
つまり、この化け物は頭が無いのではなく、単に頭が引っ込んで体の中に仕舞われただけなのだ。
それに気付いたからなんだという話なんだけど。
もう酸素不足で脳が仕事を放棄しようとしている。
だんだんと腕から力が抜け、徐々に首に掛かる圧力が強くなっていく。
意識が掠れ、体は麻痺してるように鈍い感覚しか返してこない。
視界がゆっくりと暗闇に覆われていき……そして、通路中に響く咆哮が聞こえた。
「おおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ………………」
同時に化け物の手から力が抜ける。
「かはっ!がっ!はぁ、はぁ、はぁ……」
ようやく自由に息を吸えるようになり、咳き込みながら喘ぐように酸素を取り込む。
しかし、化け物は自由になった私のことなどすっかり忘れてしまったようだ。
小刻みに震え、呆然と咆哮が響いてきた通路を見ている。
「おおおおおあああおあああぁあぁぁぁぁぁ…………………」
また、聞こえてきた。
それが聞こえた瞬間、化け物は走り出した。
一目散に、私のことなど完全に忘れて。
けど、それは私も同じだった。
太ももの傷を忘れ、顔に汚らしい唾液をぶっかけられたのも忘れて化け物が走り去っていった通路の先に視線をやる。
何故なら。
さっきの咆哮は、紛うことなき龍の咆哮だったからだ。




