マッチポンプ
ライオスのターンです。イケおじの方が通りがいいかもしれない。え?誰って? そんなあ
木漏れ日の漏れる森の中を馬の背に乗って進む男がいた。
その男は左腕には薄く青色に煌めく盾、腰には決して華美ではないが、それでも抜けば美しい刀身を持つことが容易に想像できる剣を携えていた。
『龍殺しの英雄』とも呼ばれるエストハイゲンの支部マスター、ライオスである。
クラナハで黒龍に関する情報を交換し、そこの責任者であるナタールの「帝国領に戻っている可能性がある」という言葉に従って、元来た道を引き返していたところであった。
あの男は利に目敏い男だった。
本来なら王国との敵対国の英雄であるライオスを信じ、それと直接顔を合わせるなんてことはしないだろう。なにせライオスは単騎で龍を殺す実力者。どれだけ護衛を用意しようとも一人で全てひっくり返す可能性はある。
だが、彼はそれを考慮した上でライオスと対面し、それで黒龍を討伐するならと支援を惜しまなかった。ついでに、代わりにライオスの支部で活動している冒険者を戦争に参加させないという条件まで設けてきた。
それに関しては、現在は別の者が代理でマスターを務めているから確約はできず、そもそも冒険者は自由なものであり、ギルドと言えど最低限の規律を定めるのみと伝えたのだが。
それであっさり引いた辺り、彼はそんなこと承知の上でとりあえず言ってみただけなのだろう。案外帝国の事情にも詳しいらしい。
「逃げられちゃったね」
そう、上から透き通るような女の声がした。
ばっと声がした方を見ると、そこでは一糸纏わぬ少女が枝に腰掛けて足を揺らしていた。
腰ほどまである夜闇のような黒髪、白磁のように滑らかな白い肌。形のいい眉からスっと通った鼻梁に目を滑らせると、その下には主張し過ぎない仄かな色気を漂わせる小さな唇がある。
薄く微笑むだけで数多の男達が魅力されるような美貌を持った少女が、まだ微妙に幼さの残る容貌には似つかわしくない、狂気を孕んだ黄瞳でライオスを冷たく見下ろしていた。
だが、ライオスがもっとも目を奪われたのはそれらではなかった。
白い肌でも、黒い髪でも、美しい容貌でもなく、その美しい少女の腕を見て────正確には腕が無いのを見て、全身の血が沸き立つのを感じた。
彼が追いかけている黒龍、その人間の時の姿とぴたり合致したのだ。
それを知覚した瞬間、反射的に腰の剣を抜き放ち、勢いのままに黒髪に少女に向かって投擲していた。
木漏れ日を反射して刀身が紅に煌めき、そして、それが少女の顔に突き刺さる。少女の顔が驚愕に歪んだ。直後、つんざくような悲鳴を上げて少女が枝の上から崩れ落ちた。
ドシャッと少女が地面に落ち、悲鳴が止む。仕留めたのか? あの黒龍を、こんなにもあっさりと?
そんなわけがない。狂気に呑まれていても、あの龍は冷静だった。こんな考えなしに姿を現すはずがない。警戒を緩めないまま、そろそろと慎重に距離を詰める。
その前で、確かにそこにあったはずの少女の体が霧が滲むようにして消えてしまった。確かに突き刺さっていたはずの剣が、カランと音を立てて地面に落ちる。
「なんだ……?」
思わず声が漏れた。
「幻とはいえ、女の子の顔に酷いことするなあ」
そしてまた、後ろに気配。
剣との距離を転がって一気に詰め、手に取りつつ立ち上がって構える。
その視線の先に、近くの木に寄りかかるようにして、あの時の薬売りの少年が立っていた。
「やあ。手紙は読んでくれたかな?」
「何者だ。名乗れ」
剣を構えたまま鋭く問う。
少年は、そう問われてゆっくりと馬に向けていた視線をライオスに向けた。その目には、到底その年で宿せるはずがない知性を宿していた。
「薬売りの一人息子です。先日は祖父がお世話になりました」
そう少年が言った直後、少年の体から黒い靄が立ち上ったかと思うと、すぐにそれが形となって少年の横にその足で立った。
「久しいな我が息子よ!」
それはどこからどう見てもあの時道で出会った商人だった。少年が払うように手を振ると、老人はまた靄に戻って散ってゆく。
「分かり切ったこと聞く程暇なの?」
「そうだな、お前のような奴に構うほど暇ではない」
今の会話だけで理解した。あれはまともに会話をするだけ無駄な人種だ。敵意は無いようだし、それなら相手をする必要はないだろう。
そう判断して剣を収め、落ち着かなげに足踏みをしている馬を落ち着かせて鞍に跨る。
「なんで僕と初めてあった人って無視決め込むのかな。僕虐められてる?」
なにやら宣っているが、それも無視して馬を歩かせる。
てっきりやかましく着いてきながら文句を言ってくるものかと思っていたがそんな様子もなく、少年はすんなりと諦めたようだ。振り返っても影も形もない。
「なんだったんだ今のは……」
なにか魔物の類に化かされたのだろうか。そんな魔物は聞いたことがないが……。などと考えながら少し進んだところで、さっきの少年がにやにやと嫌らしい笑いを浮かべ、木の枝に足を引っかけてぶら下がっていた。
「……」
「逃げられないよ。そういう風にしてるからね」
少年の言葉に辺りを見回してみると、確かに先ほどまでと森の雰囲気が一変していた。生物の気配が消え、前後左右全く変化のない風景が続いていた。見上げれば移動したのにも関わらず、先ほど少年の言う幻の黒龍が座っていたのと同じ枝がある。
魔法には詳しくないが、恐らくこの場所を起点として一定以上進むと戻されるようになっているのだろう。それがどれほどの技術を要するのか、ライオスには見当もつかない。
何のためにそんなことをするのか。最初の言葉から考えて黒龍を逃した制裁でも加えに来たのだろうか。馬に跨ったまま無言で剣を抜き、横に垂らす。
しかし、ライオスの予想に反して少年は特に敵意を見せるようなことはしなかった。地面に降り立ち、平然とした様子でライオスに話しかける。
「僕は今のところ君と剣を交えるつもりは無いし、そのつもりになったらこんな悠長なことしてないでさっさと殺してるから安心していいよ。それとも一回やり合ってみる? 剣を交えてわかるものがある、みたいな。君みたいな剣に誇り持ってる人ってそういうの好きでしょ。僕は全くわからないけど」
そう言って、少年は目の前の空間を切り裂くように斜めに手を振った。次の瞬間にはその手にはどこから取り出したのか少年が扱うには長すぎる長剣が握られており、極めて自然な動きでライオスに向けられる。
だが、ライオスの目はその行動よりも向けられた剣に吸い寄せられた。
それは異質な剣だった。ライオスにはまるで闇を削り出したもののように見えたのだ。
刀身は光を呑み込むような漆黒で、柄も握る者を傷つけるように刀身と同じ色の棘が幾本も突き出し、通常ならばガードとなるべき部分は一際大きな棘がその役割を担っている。
あれはまともな方法で作られたものではない。少しでも斬られれば魂が肉体から剥がれ、永遠の苦痛を味わうのではないか。そんな根源的な恐怖を沸き起こす剣だった。
その剣が持つ異形の雰囲気に呑まれ、ライオスの背筋に冷たいものが走る。
思わず動きを止めるライオスに、しかし少年は唐突に笑いだすと剣先を下に向けた。
「ぷっははは。やだなあ。冗談だってば。やり合うつもりはないんだって言ったでしょ。じゃ、こんな危ないものはしまっちゃおうね」
そして、少年はその異様な剣をまるで小石を扱うかのように雑に後ろに放り投げる。思わず身構えてしまったライオスだが、しかし彼が危惧したようなことはなにも起こらず、地面に落ちる前に宙に呑まれるようにして消えた。
「僕がしたいのはね、簡単な取引なんだ。君が嬉しい、僕も嬉しい。そしてそれは黒龍の力を削ぐことにもなる。どう? 悪い話じゃないでしょ?」
「具体的に何を要求して、何を見返りにするつもりだ。お前は俺を知っているようだが、俺はお前のことを何も知らない。信用できると思ってるのか?」
「ふむ、それももっともだ。じゃあこれでどうかな」
少年が手で宙に円を描く。すると、そこにここではないどこかの風景が映し出された。
右腕のない、黒の長髪をなびかせる少女。それはライオスが追いかけているあの黒龍の、人間の時の姿だ。
黒龍はこうして見られていることにも気づかず、遺跡のような場所で壁に手を触れてそこに描かれている壁画に見入っていた。
「これ、今の黒龍の居場所。君の持ってる情報だと今は帝国にいることになってるんだっけ? 残念、今は王国内にいるし、これから帝国に行く用事もないみたいだよ」
そう告げるのは、言外にライオス一人では黒龍に辿り着くのすら難しいと告げる為だろう。そしてそれは事実だ。こうして飛び出してきたはいいが、龍の移動する距離は馬で走るそれの何倍にも及ぶ。その辺りは先読みや情報を集めることでどうにかなると判断していたが、接触の機会はそう多くはないだろう。
「ならば、お前は黒龍の居場所を俺に教えるという事か」
「そそ。君が僕の頼みを聞いてくれるならね」
となれば、ライオスにとって魅力的な話になる。どうやっているのかは分からないが、この少年が黒龍の居場所を把握しているのは確かだ。それならば情報自体の信憑性はある。この少年を信用できるかは別として、だが。
値踏みするように鋭い視線を向けるライオスの視線を、少年は肩を竦めて受けた。
「僕が嘘を教えるんじゃないかって? そんなつもりはないよ。ちゃんと居場所は教えるし、君がそこに辿り着くまでに黒龍が移動したらまた教える。先回りして教えてあげてもいいしね。その辺りは信用してもらってもいいと思うけどな」
そこまで言うのなら信用できるのだろう。ライオスとしてもそれならば問題は無い。だが、代わりに何を要求されるのかが分からない。それまでは軽率に頷くべきではない。
「なら、お前は私に何を求めるつもりだ」
聞くと、少年はにやりと笑った。
「『龍殺しの英雄』に相応しいものを。僕が場所を教えた龍を殺して欲しい」
「なんだと?」
「君なら十分殺せる奴だから安心してよ。僕だって少しは手伝うし、場所だって君が近くに来たときに教えるくらいだから時間も気にしなくてもいい。まあ、それだけ黒龍の居場所を教える回数も少なくなるけどね」
黒龍の居場所を知るというのと、他の龍を殺すという事を天秤にかける。
まず気がかりなのは、少年が得るものが不透明だということ。龍を殺す、それで少年が得られるものが分からない。相手の思惑が分からない取引ほど気味の悪いものはないものだ
加えて、ライオスには命を失うというリスクがあるのに少年のリスクと言えば目立ってそれらしい物はない。やり口が詐欺師のそれだ。
黒龍の居場所を知れるというのは魅力的ではあるが、やはり受けるべきではないか。ライオスが断ろうと口を開いた時、それに先んじて少年が口を開いた。
「言っておくけど、もう断ろうとか考えるだけ無駄だからね。僕が聞いてるのは素直に従うか、それとも死んだ方がマシな目にあってから従うかなんだから」
「……初めから取引などするつもりはなかったな」
ライオスが忌々しげに苦言を漏らすと、少年は見た目相応に無邪気を覗かせる笑みを浮かべた。
「僕と取引? それならそれだけの価値を見せなよ。君を自由にさせて、それで僕が得をするなら何してもいいよ。けど今はそうじゃない。ほっといたら黒龍が万全になるまで出会う事は無いだろうし、万が一、偶然確実な居場所が掴めたとしても魔力を察知されて逃げられるのが関の山だ。でもそれじゃ面白くないでしょ?」
面白くない。
それが誰にとって、なのか。恐らく少年にとってだろう。
「だから手伝ってあげる。居場所を教え、探知の網を潜る方法を授け、傲慢に空を飛ぶ龍を叩き落とす手段を与える。代わりに、君はちょこっと僕のお願いを聞く。ね? 公平でしょ?」
ライオスが目的を果たせなさそうだから、ではなく自分が面白くないから介入し、手助けする。まるで闘技場の剣闘士にでもなった気分だ。
だが、ライオスはそれでも構わない。無論警戒を怠るべきではないが、そもそも英雄であるライオスの英雄譚は、町の広場にでも行けば一日一度は吟遊詩人によって歌われているのだ。今更誰かの娯楽にされようとなんとも思わなかった。
「いいだろう。お前の言葉に嘘がなく、また契約を真摯に守るなら、その取引を受ける」
ライオスが了承を告げると、少年はおもちゃを得た子供のように目を輝かやかさて指を鳴らした。
「よし、決まり! じゃあそんな君にはこれをあげよう」
「これは?」
そう言って少年が放って寄越したのは青地に金色の装飾が施された腕輪だった。見た目には重厚な金属製に見えるが、実際には全く重さを感じさせない不思議な腕輪だった。
「それを着けてる間、君の魔力を全く別の誰かに偽装する事ができる。まあつまり魔法具だ。7日経つとまた別の魔力に変わるから、変化先の魔力を覚えられる心配も無し。まあ着けてる間は常に魔力使い続けるけど、どうせ魔法使えないし関係ないよね」
これが先程少年が言っていた探知の網を潜る方法なのだろう。確かにこれがあれば接触することすらなく黒龍に逃げられる、といった事態は避けられそうだ。
だが、1つ問題があった。
「私に魔法具は扱えない。魔力を操る事は疎か見る事すらできないからな」
そう、ライオスは生まれつき全く魔力の類を察知することが出来なかった。
そこらの村人でも近場で大きな魔力の発現があれば、原因は分からないまでも違和感を抱くのだが、ライオスにはそれすら出来ず、ただ培ってきた経験と直感でそれを察知することしか出来ないのだ。
「知ってるよ。だからそれ、使用者から常に魔力を吸い取るように出来てる。聖遺物、って言えば伝わる?」
「聖遺物だと?」
少年の言葉に、ライオスは思わずそう聞き返していた。
聖遺物。
それは人類だけでは対処しきれない大きな災いが訪れた時に神が地上に落とすと言われている、人智を越えた奇跡を引き起こす魔法具の事だ。それを喧伝しているのは北の神聖皇国のみで、しかも教皇しか立ち入る事の許されない神殿の一角から運び出されるということで、あまり信じられてはいないのだが。
とは言え、それが人間では作ることの出来ない高位の魔法具であるということに変わりはなく、どんなに使い道の無い魔法が込められていたとしても高値で取引されているほど希少な物なのだ。
「君の意思とは裏腹に腕に嵌めている間魔力を吸収し続け、それを用いて魔法を発動させる。外せば元通りだ。使う魔力もそんなに多くないから君なら問題ないよ。君、魔法使えないくせに魔力だけは人並み以上にあるし」
魔法が使えたならそちらでも一線級になれただろう。かつて師にもそう言われたことがある。今さら落ち込むことでもない。
「私には小さいようだが」
「伸びるよ、それ」
言われ、まじまじと腕輪を見つめる。見た目には間違いなく金属だ。とても形が変わるようには見えない。半信半疑のまま試しに指先を近づけてみると、信じられないことにライオスの腕に合わせるように穴が拡張した。先ほどまではライオスの手首よりも小さかったものが、今は腕に嵌めるのに丁度いい大きさになっているのだ。
大きさを変えた穴に腕を通し、剣を振るときのように軽く動かしてみる。しかし、腕輪はズレることなくピッタリと嵌っていた。
「凄いものだな」
「でしょ。慣れれば何してても気にならなくなるよ」
少年の言う通り既に違和感はかなり小さくなっている。1時間もすれば着けていることすら忘れるだろう。
「じゃあこんなところでいいかな。心配しなくても君に不都合なことなんかしないさ。君は僕が言う通りに龍を殺して、僕は代わりに黒龍の居場所を教える。忘れないでよね」
そう言って少年が手を振った。それに合わせるかのように森に変化が起き、どこまでも続いた同じ景色の先に、新たな道が現れる。
それを見届けると少年はライオスに道を譲るように脇にどけ、芝居がかった動作で先を促した。
「それで、今はどちらの番だ。私が龍を殺すか、お前が居場所を教えるか」
「前に教えたし、龍を殺してもらおうかな。まあこの辺りにはいないんだけど。ふうむ、けどそれじゃあ君も何をすればいいか分からないだろう。ザックリ北にでも向かったら? 王国内のどっかにはいるよ」
「分かった」
少年の大雑把な指示と頭の中の地図とを突き合わせてみる。が、大雑把すぎて全く範囲を絞れなかった。王国は東西に長い国土を持つのだ。これだけの指示で分かるはずがない。
だが、これ以上を望むのはそれこそ契約外であろう。
「そういえばお前は……」
何と呼べばいい、と続けようと振り返るも、そこに既に少年の姿は無かった。音もなく、気配を察することもできずに忽然と姿を消したのだ。これ以上話すことはない、という事だろう。
ライオスは気にせず前に向き直った。黒龍の居場所を教える、という契約は結んだが、だからと言って何もせず待ち続けるわけにもいかない。
相手は空を飛ぶ、巨大な龍だ。姿を隠して移動するのにも限度がある。北に向かったというのならその途上で姿を見たという者がいるはずだ。
北に向かいつつ村を探して情報を集めよう。そう決めて、ライオスは馬の手綱を振った。
これ以上のマッチポンプがあってたまるか




