宛先:読者様 件名:私達は足掻きます
◆◆ PM 18:00 ◆◆
「ごめんお兄ちゃん!お待たせ――ひッ!?」
痙攣する首の無い死体と、窓の外に群がる有象無象の生ける屍達。
そのあまりにショッキング過ぎる光景に、綾乃は思わず喉の奥で悲鳴を漏らす。
「遅いよー。お前がモタモタしてる間に”アイツら”が集まってきた」
晋は呆れた顔で窓の外を親指で示す。
生ける屍が腐肉を撒き散らしながら窓ガラスを引っかいている様は、さながらB級ホラー映画のワンシーンのようだ。
「ごめんなさい……店長の悲鳴を聞いたら手が震えちゃって、うまく服着れなくて……」
泣きそうな顔で項垂れる綾乃。
晋は言葉を返す代わりに妹の頭を軽く撫でてやった。
すると――
「あ!生存者だ!!生存者がいるぞ!!」
一人の従業員が放った言葉に、皆が一斉に窓の外を振り返った。
そこには、生存者と思われる中年の男性が、負傷したらしい足を引き摺るように歩いている。
負っている傷が見た目よりも重症なのか思うように走れないらしく、チャンスをみてゾンビ共が焼肉店に群がっている間に通り抜けようとしたらしいが……。
「ヤベェ!!”やつら”が気づいたぞッ!?」
「に、逃げろーーーー!!」
男性の存在に気づいた数匹のゾンビが呻き声をあげた。
『ヴアアァァァ……』
『ひいぃぃっ!!』
気づかれたと察して必死に逃げる男性。
だが、ゾンビに追われているという恐怖からか、足をもつれさせて転んでしまった。
片足が負傷していなければ、まだ逃げ切ること可能だったかもしれないが……。
『くるなっ!こないでくれぇぇぇ!!!』
ゾンビは、無防備に転がる獲物に容赦なく追いすがる。
結果は――
「見るなッ!!」
『ひぎゃああああぁぁぁぁ!!!!』
晋は妹に狂気の惨殺シーンを見せまいと、慌てて綾乃を自分の胸に抱き寄せた。
だが、夜気に轟いた悲痛な絶叫までは防ぐことができなかった……。
「……っ!!……っ!?」
晋にしがみつき、震える綾乃。
その顔色は、真っ青を遥か彼方に置き忘れ、病的なまでに白く染まっていた。
あまりに現実離れしすぎた恐怖に、混乱することさえままならないらしい。
男性の生々しい悲鳴は、魂の奥底にある潜在的な恐怖心を打ち震わすのに十二分な効力を発揮してくれたのだ。
映画とゲームでしか見たことのない殺戮を目の当たりにし、晋の心も底なしの恐怖に呑み込まれそうになる。
しかし、愛しい妹の存在がそんな彼に冷静さを保たせてくれた。
「……綾乃、気をしっかり持ちなさい」
晋は穏やかな声で諭そうとするが、綾乃はまったく聞く耳を持たず、兄にしがみついたまま脅えるだけだった。
よくみると、周りの従業員も綾乃と似たような表情をしている。
晋以外にこの恐怖に打ち勝つことができた人間は皆無のようだった。
「あやのっ!」
「――っ!?」
決して力任せに怒鳴ったのではない。
だが、この兄の一声は、恐怖と絶望の闇に囚われていた綾乃を一気に現実へと引き戻した。
「お、お兄ちゃ――」
「……大丈夫だ」
晋は優しく妹を包み込んだ。
兄の静かな心臓の鼓動を聞き、激しくぶれていた綾乃の心が徐々に落ち着きを取り戻していく。
「お前は、俺が命に代えても護るから――絶対に護るから」
この一言で何かが吹っ切れた綾乃は、兄の胸から顔を上げ、強い意志を秘めた瞳で晋をみつめた。
そんな妹の眼差しを真正面から受け取った晋はこう言い放つ。
「足掻くぞ。全力で!」
「はいっ!」




