9. 勇者かどうかが問題で
_______魔王を倒した後、俺は『勇者』として沢山の人に出迎えられた。もうこの世界を脅かすものなど何も無い、俺は誰にも成し遂げる事の出来なかった事をやったんだ。
「勇者さま、魔王を倒してくれてありがとう!」
「世界が平和になったのも勇者様のおかげだよ」
「これで安心して街の外に出られるぞ! 感謝します、勇者様!」
「勇者様!」「勇者様!」
俺は幸せだった。ただ単純にいい事をしたと、そう思った。
でもいつからだろう。そう思わなくなったのは。
いつからだろう。そう思わなくなってしまったのは。
いつからだろう……
いつから________
「・・・・・」
「すみませーーん! 誰かいませんかーー?」
不快なリズムで叩かれるドアの音で、『彼』は静かに目を開ける。昔の嫌な夢を見ていた事もあってかとても寝覚めが悪く、いつも以上に不機嫌だ。
「誰だ……?」
このドアを叩く者はだいたい決まっている。国で時々起こる不可解な事件を全て『彼』の所為にしようとする、親衛隊の奴らだ。しかし奴らは必ず、決まった時間に訪問して来る。その時間は先程___こうして仮眠をとる前に過ぎたので、恐らく奴らではない。……そもそも、今このドアを叩く声の主が『女』である時点で、それはわかりきった事なのだが。
『彼』は硬い木の床から体を起こし、ドアの前で足を止める。依然としてうるさく響くノックの音を聴きながら、ドアノブに手をかけた。
「あれー? おかしいですね……誰もいないのでしょうか……」
ドアをノックする手を止め、リリは首を傾げた。
「そもそも本当に、こんな錆びれた家に勇者がいるんですか……?」
リリたちが訪れたのは、枯れ果てた荒野。そこにポツンと建てられた、勇者どころか人が住んでるとは思えないような家の前に来ていた。
「ええ、絶対にここにいやすよ。あっしの『千里眼』は、特定した人物が今何処にいるか、その場所を示してくれやすからね」
帽子とコートとサングラスで変装したゾン吉が自信ありげに言う。
「あれ? ゾン吉、お前帽子はさっきの女の子にあげたんだろ? 何で今被ってんだ?」
同じく変装したウル太郎が顎に手を当ててゾン吉を見た。
「ああ、これはですね、スペアですよ。魔界を出るときにリリさんに拒否された、あの分です」
「あぁー成る程。そういやあったなスペアが」
ウル太郎が手をポンと叩き納得する。しかしそれを聞いたリリが、ある1つの事実に気がついた。
「……ちょっと待って下さい? その帽子を最初からあの子にあげていれば、私たちが悪魔だとバレなかったのではないのでしょうか?」
「…………あ」
確かに気づくのが遅かった。今更誰が悪いなどと責めるつもりはなかったリリだが、つい口に出してしまった。
「ゾン吉、てめぇぇぇ!! 何でそれすぐやんなかったんだ!!」
「ひぃぃ! すいやせん!!」
「うるせぇ、クソゾンビ!!」
ウル太郎がゾン吉を追いかけ回した。そしてゾン吉が家のドアの前を通り過ぎたその時……
「ぶわっ!?」
突然勢いよく飛び出たドアに直撃し、彼はその下敷きになる。
「え……」
リリが家の方に視線を向けると、1人の男がだるそうに立っていた。
「誰だお前ら」
不機嫌な低い声のその男は、右手で首元を触りながら、首をゴキゴキならしてあくびをしている。若干パーマがかったボサボサの髪に、光のない目。無地のTシャツと黒のジャージを履き、自分の家のドアを蹴飛ばして破壊するその姿は、とても勇者には見えないが……
「あなたが……勇者様ですか?」
リリは恐る恐る質問した。その問いに彼は暫くだんまりを決めた後、小さく口を開いた。
「勇者……? 違うけど」
「え……!!」
勇者ではない……? ウル太郎はドアの下敷きになっているゾン吉を蹴りで叩き起こした。
「ゾン吉、どう言う事だ。違ぇじゃねーか」
「ぎゃああ! いや、そんな筈はないですよ!」
ゾン吉が慌てて起き上がり、リリから麦藁帽子を受け取って必死に訴える。
「千里眼によると、この帽子から勇者に関する情報が出たんですから!」
「千里眼……? へぇ、便利なモンだな、その千里眼ってのは」
勇者? が腰に手を当てて微笑した。褒められたゾン吉は鼻を高くする。
「えぇ、いやそれほどでも……」
「でもさ、悪いけど俺は勇者なんかじゃないんだ」
それでも尚勇者ではないと言い張る彼に、リリたち3人は顔を見合わせる。
「正確には、『今はもう勇者じゃない』んだよな」
勇者? はそう言うと、家の中央に配置してあるイスに腰掛けた。
「……? どういう事ですか?」
「まぁ、その話をする前にお前らも入れよ。茶くらい出すぜ」
「……はぁ」
マイペースな勇者とのやり取りに若干やりにくさを感じながらも、リリたちはその家にお邪魔した。
「っと、茶だったな。適当な紅茶でいいか?」
1つしかないイスには勇者が座り、リリたちはそのテーブルの周りに集まっている。ゾン吉は辺りを見回し、疑問を口にした。
「この家、テーブルとイスしかありやせんよね。紅茶なんて、どっから出すんですかい?」
「ん? ここから」
勇者が何もない空間を人差し指で上から下へと軽くなぞると、まるでカバンのファスナーを開けるかの様に、空間に亀裂が入る。勇者はその中に腕を突っ込み、ティーセットを取り出すとテーブルの上に置いた。
「おー、良かった。ティーカップ4つあって」
勇者が使いこなす高度な魔法に、リリは素直に関心した。
「今の……異次元格納魔法ですね。中々簡単に扱える人はいませんよ」
「便利だろ? これ。『シーカー』って魔法なんだけど、この空間に入ってる物は温度とか鮮度をそのまま保ってくれるんだぜ。だから武器防具はもちろん、食べ物とかも保管できるんだ」
勇者が逆の動作をして閉じた空間の跡を、ウル太郎が指でつつく。
「すげーな。急に出たと思ったら、跡形もなく消えやがった」
3人は、改めてこの人間がかなりの手練れ……『勇者』であるという事を認識する。
「でも出したはいいが、紅茶いれるのめんどくせーな。そこのゾンビ、代わりにやってくれないか?」
「何であっしが……て、え?」
ゾン吉は勇者の言葉に動揺した。帽子を被っているのを手で確認し、サングラスだって着けている。今自分を『ゾンビ』だと知っているのは、リリとウル太郎だけの筈。
「あっしがゾンビって……ハハ、一体何言って…」
「とぼけんなよ。悪魔だろーが、お前ら」
「………!!」
一切の光を宿さない勇者の鋭い目つきは、その場の和やかな雰囲気を一気に凍結させた。
「久しぶりに見たぜ、悪魔なんてよ。人間界には知能の低い魔物しかいねぇからな」
「……どうして、分かったんですか…?」
リリが額に汗を浮かべながら勇者に問う。ゾン吉とウル太郎は、勇者が不審な動きをしないか細心の注意をはらうが、しかし勇者は若干の呆れ顔を見せながら答えた。
「……いや、お前らがドアの前でやってた悪魔だの帽子だののくだり、全部丸聞こえだったし」
「あ………」
人数分の紅茶を面倒くさそうにいれだす勇者に、リリたちはハトが豆鉄砲を食らった様な顔をしていた。
「建て付け悪かったしな、あのドア。そりゃ声も漏れるって」
優雅に自分の紅茶に口をつける勇者を尻目に、3人は醜い言い争いを繰り広げ始めた。
「だ……誰ですか! 最初に『悪魔』なんて言ったのは!」
「自分じゃないですよ! ゾン吉、お前だろ!」
「濡れ衣です! あっしは憶えてますよ! リリさんの余計な一言であっしがウル太郎さんに追いかけ回された事! そこで確かにリリさんが『悪魔』って言ってやした!」
「な、なにぃ!? って事は、リリさんが犯人じゃないですかー!」
「ひー! すみません!」
それぞれに罪をなすりつけようとするその姿は、まさに人間が想像する悪魔の一部分そのものだった。まあ、それは当然人間にも言える事だが。
「……おーい、もういいか?」
それまでリリたちのコントの様なやり取りを黙って見ていた勇者は、話し合いに割って入る。ティーカップをテーブルに置いて立ち上がると、リリたちは勇者から距離をとって身構えた。
「そんな警戒するなよ。悪魔だからって、闘うつもりはないさ」
「え……そうなんですか?」
「ああ、最も……俺が今からする質問の返答次第だがな」
冷たく尖らせたその黒い目を見て、リリは唾を飲み込む。
「し、質問……?」
「ああ。お前ら、その帽子をもとに俺を探し出したんだよな?」
「ええ、そうですが……」
「だとしたら俺はその帽子の持ち主を知っている。だがここにあるのは帽子だけだ。お前ら……」
勇者は中途半端に言葉を切る。先程までの彼とは同一人物と思えないほど、静かな怒気に包まれていた。
「その帽子の持ち主に……ロゼに何かしたんじゃないだろうな……!?」
そのあまりの迫力に3人は圧倒する。ゾン吉は気押され、尻もちをついた。
「……この帽子は、ロゼさんと出会った時に、私たちの持っていた帽子と偶然入れ替わってしまったものです。ですから、貴方の言うロゼさんには何一つ危害を加えていませんよ」
リリは声を振り絞って出すと、勇者の炎の様な殺気は綺麗に消え去った。
「……何だそうなのか。ハハ、すまないな、変な誤解したりして」
「えっ?」
ころっと180度態度を変える勇者に、3人は思わず呆気に取られた。
「そんな簡単に信じちゃうんですか……?」
「まぁな。お前ら悪魔だけど、悪い奴らじゃなさそうだし」
イスに座り直し、異次元格納魔法『シーカー』から市販のクッキーを取り出す。今の出来事など、とうの昔に忘れたかのようだ。
「さぁ、俺が聞きたい事は終わったし、いいぜ。お前らの質問タイムだ」
クッキーを食べながらのマイペースな勇者に、リリは少し呆れながらも要件をかいつまんで話した。
「実は______」
話が進むにつれて、勇者の顔は何とも言い難い顔に変化していく。口を開かずとも、顔を見ればその返答は分かっていた。
「_____という事です。勇者様、一緒に魔界へ来てくれますか?」
「え……嫌だ」
「やっぱり……」
ゾン吉とウル太郎は口を揃えて言う。
「ど、どうしてですかっ?」
「わかんだろっ! かつての魔王の息子の誕生日プレゼントとして、俺に魔王城に住んでほしいだぁ!? 誰が喜んで了承するか!」
「別に一生魔王城に住んでほしいと頼んでる訳ではないんです! ほんの100年ちょっとでいいですから……!」
「いや、死ぬわそれ、生涯持ってかれてるわ! 人間の寿命なめんな!」
「そんな……」
リリはがっくりと膝を落とす。これではベゼルに合わせる顔がない。
「そもそもなぁ、俺はもう勇者じゃないって言ってるだろ!」
勇者は再三その言葉を繰り返す。
「勇者じゃない……さっきからその言葉を聞きますけど、一体どうしてですか?」
「それは……」
勇者は腕を組み、何か考え出した。
「うーーん、どう説明したら早く分かってもらえるか……」
手をポンと叩き、リリたちに提案した。
「やっぱり実際に闘ってみた方がわかるかもな……」
「えっ?」
状況が飲み込めないリリたち。勇者は立ち上がり、3人に言った。
「軽く手合わせしてみようぜ。それが1番手っ取り早い」
「な、何でいきなり……?」
「いちいち口で説明するの、めんどくさいしな。それに、そっちのあんたは闘う気満々だし」
勇者はウル太郎を指差した。ウル太郎はにやりと笑い、変装をといてオオカミの姿を露わにする。
「へっ、さすがに気付いたみてぇだな」
「ウル太郎さん、ダメですよ! 闘いなんて……!」
「大丈夫ですよ、リリさん。ちょっと手合わせするだけですから」
「でも……」
リリが2人の対決を渋る。なにか闘ってはいけない理由でもあるのだろうか。
「いいじゃねえか。お前らが勝ったら、魔界でも何処へでも行ってやるよ」
「大した自信じゃねぇか。後悔すんなよ」
勇者とウル太郎が一触即発の雰囲気を醸し出す。
「ウル太郎さん! 勝って下さいね!」
闘いを渋ってたリリだが、心変わりしたかのようにガッツポーズでウル太郎を激励した。
「リリさん……心変わり早すぎっす……」
ウル太郎がため息をつくが、すぐに気持ちを切り替えてゾン吉の肩を叩いた。
「さぁ、行くぞゾン吉! まずはお前からだ!」
「え!? あっしも闘うんですかい!?」
突然の予期せぬ変化球に、ゾン吉は今日1番の驚きを見せていた。




