100. 時代の終幕
「……ァが……!!」
アドネーの微かな叫びが浮遊島に響く。
サルタンの一撃を腹部に受けた彼は、そのまま地面に転がり落ちる。
『炎鬼王尽』による最後の攻撃____。今ここに、勝者が決定したのだ。
だが、その代償は余りにも大きなもの____。
『命』を捧げたサルタンは、最早全てを出し切っていた。
この瞬間。闘いは終わっていたのだ。
彼らがやっとの思いで辿り着いた、その時にはもう____。
「……サル様?」
激闘の最後の瞬間を目撃したリリたち悪魔と、アルフ、ロゼ、ミレトス。そしてリリは口元を両手で押さえながら、その名を口にした。
「サル様!! 何で天界に……いや、それよりも!」
ウル太郎が叫んだ時。
「サル様ぁっ!!」
リリは我を忘れてひとり、サルタンに駆け寄っていた。
「ああ、なんて酷いケガ……!」
膝をつくサルタンの身体のあちこちに出来た、キズの数々。リリにつられるように、ウル太郎、アルフたちもサルタンの元に到着する。
「ロゼ、何とかならないか?」
「……これ程のキズ、初めて見たけれど……任せて。すぐに回復魔法を……」
ロゼが髪を結び、魔力を手に集中させた時だった。
片膝をつくサルタンの口が、ゆっくりと……言葉を発した。
「よい……。手当は無用じゃ」
ロゼの回復魔法を手で制し、サルタンは首を横に振る。
「なにをおっしゃるんですか……。手当をしないと、だって……」
「無駄だ。大魔王はもう助からない」
一刻を争う事態。リリの言葉を遮って前方に現れたのは、鎧の男ツヴァイ。
「オリハ……!」
アルフはツヴァイを見るや否や一歩踏み出し、彼の真の名前で呼びかける。
ツヴァイの両脇に抱えられた人物……。ひとりはサルタンによって倒された、創造神アドネー。そしてもうひとりは……レイドの分身、半獣ジン。ツヴァイは、闘いによって敗れた2人を回収するために戻ってきたのだ。
そして、先程の彼の一言……。その言葉に、ウル太郎が目の色を変えて反論した。
「で……デタラメ言うんじゃねぇ! サル様が助からねぇだと!? ンなことあるかァ!!」
サルタンが助からない____。そんな筈はないと、リリたちは信じている。
だが、それが逃れられない事実だと知っている者もまたひとり____。
その青年は重く口を閉ざしたまま、俯いて立ち尽くす。
「…………」
全てを知る彼の胸中……。それは存外、想像し得ないもの。
「レイドさん……」
そんな彼を見つけたリリが、必死に願いを込めるように言葉を紡いでいった。
「レイドさん、私たち見ましたよ、サル様がアドネーを倒したところを……!」
「…………」
「勝ったんでしょう、レイドさん! 闘いは終わったんでしょう!?」
「…………」
だが、彼はその顔を伏せたまま____。
徐々に現実を受け止めていくリリは、涙を流していく。
認めては、いけない。
受け入れては、いけないと。
そんな思いが、葛藤が、彼女の頭の中をぐるぐると巡る。
「なんで……なんで何にも、言わないんですか……!」
俯くレイドが示す事実は、皆が一番『そうなってほしくない』という思いの塊。
彼だって勿論、同じことを思っている。
だがそれ以前に、彼は見ていたのだ。
大魔王という男の、その勇姿。皆を守るための、決死の覚悟というものを____。
ツヴァイはリリの言葉の一部を拾い、続ける。
「……確かにこの方は敗れた。その男の命を賭けた一撃によってな」
その瞳に映るのは、確固たる意志。そして、揺るがない思い。
「だが……この方はまだ、生きている。今回の闘いによるキズを癒し、今度こそこの世界を破滅させるだろう」
「…………!!」
その言葉に反応したのは、アルフとミレトス。
そしてそれが真実なのだとしたら……ここで退かせるわけにはいかない。
そう。恐らくツヴァイは逃げるつもりだろう。流石の彼であっても、たったひとりでアルフたちを相手に出来る筈もない。
「オリハ……お前はどうすんだよ?」
「この場は一旦、引かせて貰うさ。お前たちの手の届かない、別次元の場所までな」
アルフはどこからか『小さな結晶』を取り出す。そしてそれに意識を集中させると、彼の周囲の空間が歪みだし、別次元の入り口を出現させた。
その入り口から見える先の景色は宇宙空間にも似た、黒を主とする暗がりの世界。そこは果たして天界の一角なのか、それとも全く別の世界か……。
兎に角、今は憶測を広げている場合ではない。
その空間の先に入られてしまったら、恐らく追跡は不可能____。アルフは魔力を込め、周囲に重力魔法を展開させた。
「そんなこと、俺が許すと思うか?」
重力魔法の白い球体は、まるでそれぞれが小さな星のように点在する。アルフとツヴァイの間の距離はおよそ10メートル___。そしてその距離は、アルフの魔法の射程圏内だ。
「アルフ。次こそはお前を倒す。それまで……待っていろ」
ツヴァイはジンを空間の中へと粗末に放り込み、アルフに背を向ける。
「……許さねぇ、って。言ってんだろ、オリハ!!」
アルフがその叫びと共に球体をツヴァイ目掛けて放った時___。
ツヴァイは振り向き、腰に納めていた剣を取り出して振るった。
それにより、アルフの魔法は消滅____いや、弾かれてしまう。
「!!」
「さらばだ……また会おう」
ツヴァイはそのままアドネーを抱えて、空間の中へと消えていった。
「くそぉっ!!」
アルフは地面を叩く。
アドネーがまだ完全に倒されていないということ。
そしてツヴァイは今もなお、アドネーに肩入れしているということ。
アルフにもまた、様々な思いがあるのだろう。
だが、悪魔の者たちは。
リリたちは____それどころではなかった。
「サル様!!」
「サル様ぁ!!」
リリ、ウル太郎、ゾン吉。そしてロゼが、サルタンの名を何度も呼びかける。
魔界の先代王、サルタン。
今の魔界を作り上げた張本人。
そんな人物を、彼らが心から慕うその人物を、どうして放ることができようか。
「く……ダメ、キズが全然塞がらない……!」
ロゼはサルタンに制止されたものの、持てる力の全てを持って回復魔法を注いでいた。
彼女自身、大魔王という存在が人間界にとっての脅威になり得るのではないだろうか、と思ってはいただろう。だがそれは、本人を目に映した瞬間に一瞬にして消え去っていたことは明白。
それ故に、全身全霊をかけて治療を施しているのだ。
……だが、しかし。
そんなロゼの回復魔法も虚しく、サルタンには少しも良くなる兆しが見えない。それどころか、どんどんと____身体のあちこちが、白く。染まってゆく。
「そんな……!!」
リリは必死に祈りを込めて、サルタンの身体に触れた。
「ダメです、サル様! 死んじゃダメです!」
片膝をつくサルタン。あれだけ決まっていたドレッドヘアーも、明るくたくましい人となりも、今となっては最早、見る影もなくなっていた。
「ふはは……すまんのぉ、皆の者。格好悪い所、見せてしもうて……」
「サル様……イヤですよ。フィア様も、サル様もいなくなってしまったら、私は一体、どうしたらいいのですか……!」
涙が溢れ出て、止まらない。
リリだけではない。ウル太郎も、ゾン吉も。そして今日初めて会った筈のロゼまでもが、止めどない悲しみを露わにしている。
そして、レイドも。
顔を俯かせたまま、その頬に流れる一筋のそれは隠しきれずに____肩を震わせ、唇を噛み締めていた。
最期の時。
苦しくて仕方ない筈、なのに。
サルタンの心は、満たされていた。
暖かい何かで、いっぱいに。
「皆……泣いておるのか。こんな、儂の為に……」
「サル様……」
「嬉しいのぉ。お前たちは立派に、フィアの意志を継いでおる……」
「サル様……全ては、貴方のお陰です。貴方がいたから___今の私たちがあるのです」
「そーっス……。サル様よりもスゲー悪魔なんて、俺知らねーっスから。これまでも、これからも」
「うぐぅ……ひっく、サル様ぁ、死なないでくだせぇ……。もっと、あっしたちにいろんな事教えてくだせぇよぉ……」
「……新しき時代には、古きものなど入る余地はないのじゃ。これからは主たちが、歴史を創っていく番じゃよ……」
サルタンは、辺りを見回す。
「……ベゼル。そこにおるか……?」
「うん……」
ベゼルの声が聞こえた方向へと。
サルタンはゆっくり、歩いて行った。
「今まで、色々と。苦労をかけてしまったな」
「……ううん」
「魔界は、好きか?」
「うん」
「……ベゼル。大きくなったら、お前は……何になりたいんじゃ?」
「僕は____」
「……僕は、勇者になる……!」
「ふはは、そうか……。」
「ベゼル……」
「立派な勇者に、なるんじゃぞ……」
サルタンはそう言って、ベゼルの頭を優しく撫でる。
そしていつものように「ふはは」と笑うと_____。
____そのまま、もう二度と。その笑い声を聞く事はなかった____
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____新しき時代には、新しき歴史が生まれる。
それを創り出していくのは、今を生きるものたちに他ならない。
始まりが来れば、終わりが来る。
その時は少しずつ、近づいてくる。
勇者と魔王の物語。
それらを取り巻く物語は、一つの終幕を迎え、今。
新たな歴史を創り出す______。
【三界戦争編】完




