7.最終需要者
取引は止まった。
会社が救われたのか、傷ついたのかは、まだ分からない。
私と黒瀬は、自宅待機を命じられた。
真壁は事情聴取を受けた。
海藤も、情報の入手経路と公開未遂について調べられることになった。
誰も英雄とは呼ばれなかった。
会社の広報文には、「社内手続き上の確認事項が生じたため、出荷を一時保留した」とだけ書かれた。
世界を救った文章には見えなかった。
だが現実は、だいたいその程度の文章で動く。
別れ際、海藤が私に言った。
「帰るのか」
「はい」
「家族には理解されんぞ」
「説明してみます」
海藤はしばらく黙った。
「家族が待ってくれなかったんじゃない」
彼は言った。
「私が『あと一件だけ』を繰り返した」
国家も、半導体も映っていない顔だった。
ただ、帰る場所を見失った一人の老人がいた。
家に着いたのは、午後九時二十三分だった。
リビングのテレビは止まっていた。
『VIVANT』の新シーズンは、冒頭三分の神田明神の境内で一時停止されている。
妻と娘が食卓に座っていた。
「遅い」
娘が言った。
「すまない」
「三人で見るって言った」
「うん」
テーブルには、赤い饅頭が置かれていた。
その下に、娘の字で紙がある。
〈次の任務〉
〈皿を洗う〉
「合図の使い方が正確だな」
「前半だけ読んだから」
私は饅頭を割った。
中には普通の餡しか入っていなかった。
暗号も、記憶媒体も、国家機密もない。
それが、泣きたいほど嬉しかった。
娘が聞いた。
「パパ、日本を守ったの?」
私は考えた。
「分からない」
「じゃあ、誰を守ったの?」
最終需要者は誰だ。
紙には、そう書かれていた。
「あの荷物が最後に届く場所には、知らない誰かの家族がいた。その人たちが道具の的になるのを、一便だけ止めた」
娘は、よく分からないという顔をした。
それでよかった。
国家安全保障を十二歳に分かりやすく説明できる人間は、たぶん何かを省略している。
妻が立ち上がった。
「無事でよかった」
「ありがとう」
「だから、今から怒ります」
私は覚悟した。
銃撃戦ではない。
爆発もない。
それでも、ここからが今日いちばん危険だった。
本当の冒険がいま始まる。




