完璧な旦那様の隠し事(2/6)
「ねえ、あなた。せっかくですから、お二人に発明品を見せてさしあげたら?」
「おお、それはいい考えだ」
ランジャック博士は顔を輝かせたけれど、フェルナンド様はなぜか早口で「いや、結構」と首を振った。
「私たちは、もう帰ろうと思っていたところだ。そうだろう、キャンディス?」
「えっ? 今来たばかりじゃないですか。もう少しいましょうよ」
わたしは慌てる夫を不思議な目で眺めた。「こちらへどうぞ」と言うランジャック博士の案内に従って、二階への階段を登る。
「そういえばフェルナンド様、どうしてわたしが風邪を引いて来られないなんて嘘を吐いたんですか?」
「……何か理由がないと、招待を断るのは失礼に当たるだろう」
渋々といった様子で階段を上がっていたフェルナンド様の足取りが、一瞬さらに遅くなる。わたしは不可解な気持ちになった。
「わたしがパーティーへ行かなかったのは、フェルナンド様に『来てもつまらない』って言われたからですよ。正直に、『私が妻を誘わなかった』って言えばよかったじゃないですか」
「それは……そうなのかもしれないが……」
なんだか歯切れの悪い返事だ。フェルナンド様、どうしちゃったんだろう?
疑問に思っている間に、二階に着いた。通されたのは広いワンルームだ。階下の部屋よりもたくさんの機械が並べられている。
いくつか椅子もあって、見学者は自由に休憩できるようになっているようだった。ちょっとごちゃごちゃしているけど、どことなく博物館を思わせる場所である。
「サロメ!」
部屋の奥まったところに置いてある椅子に親友の姿を見つけ、わたしは歩み寄った。サロメもミケットと同じく、「風邪は治ったみたいね」と真っ先にわたしの体調について口にする。
「フェルナンドさんも、ご機嫌よう」
「……ああ」
フェルナンド様は、サロメの挨拶に少々無愛想気味に返事をした。
でも、サロメの存在を苦々しく思っているわけじゃなさそうだ。よそ事に気を取られて、妻の親友に構っているどころじゃないって雰囲気だから。
どうやらフェルナンド様が気にしているのは、この部屋そのものらしい。ここにいることに強い不満を覚えているのが、ありありと表情に現れていた。
やっぱり、今のフェルナンド様はちょっとおかしい。いつもの余裕たっぷりの態度はどこに行っちゃったんだろう?
それにしても、フェルナンド様からこんなにも落ち着きを奪っているものの正体は何なのかな?
「皆様、今から面白いものをお目にかけましょう」
高らかな声が響き、わたしの物思いは中断する。ランジャック夫妻が、何人かの招待客と一緒に部屋に入ってくるところだった。その中には、ミケットと彼女の旦那様も交じっている。
招待客が全員入場し終わると、今度はわたしの背丈の半分もないくらいの使用人が……いや、からくり人形が部屋に入ってきた。
その人形は、手に紅茶の載ったトレーを持っている。博士が、「自動お茶運び人形です」と自慢げに解説した。
「お客様がトレーからお茶を取り、空のカップを戻すと、お代わりを注いで戻ってくるのですよ」
おお! すごい! 便利なからくりだなあ。
人形は滑るような足取りで、こちらに近づいてくる。フェルナンド様が道を譲ろうとしたのか、大きく後退した。
けれど、人形が「お客様」と認定していたのは、フェルナンド様だったらしい。フェルナンド様が後ろに下がった分だけ、彼のあとをしずしずと着いてくる。
「せっかくだが、私は喉が乾いていないんだ」
フェルナンド様は後ろ歩きをしながら、人形相手に顔を引きつらせた。
「茶を飲ませるなら、ほかの者にしてくれないか?」
けれど、人形に話が通じるわけもない。それでも、フェルナンド様は必死に説得を試みている。
変なの。別に喉が渇いていなくたって、お茶の一杯くらい飲んじゃえばいいのに。どうしてフェルナンド様は、あんなに一生懸命に逃げているんだろう? まさか、からくり人形が怖いわけじゃあるまいし。
「フェルナンド様、何をしているんですか?」
不思議に思ったわたしは、夫に声をかける。すると、フェルナンド様は我に返ったような顔で足を止めた。いつの間にか室内の視線は、すべてフェルナンド様に注がれている。
「……」
人形がフェルナンド様に向けてトレーを差し出した。フェルナンド様は、その様子を浮かない顔でしばらく眺める。
けれど、いつまでもこのままにしてはおけないと思ったのだろう。覚悟を決めたような顔でトレーからカップを受け取り、中身を一気に飲み干した。
「ごちそうさま」
フェルナンド様は重苦しい口調で言って、カップをトレーに戻す。
博士の説明によれば、このあと人形がお代わりを持ってきてくれるんだよね。
……だったよね?
なぜか、人形はトレーを差し出した格好のままで固まっている。フェルナンド様が決まり悪そうな顔になった。
「博士……その……」
「おや! ネジが切れたようですな!」
博士は快活に言って、天井からぶら下がっていた呼び鈴の紐を引っ張った。
「少々お待ちを。今、私の助手が専用のネジを持ってまいりますので」
言った傍から、ドアにノックの音がする。人のよさそうな顔をした栗色の髪の白衣姿の青年が、巨大なネジを片手に部屋にやって来た。
「人形が動くようにしたまえ」
博士が威厳たっぷりの声で命令する。ランジャック夫人はそんな夫をうっとりと眺めていた。
「はい、博士!」
助手さんは元気よく言って、ネジを片手に人形に近づいていく。
けれど、彼は突然ネジを手から取り落とした。助手さんが口を開けて見ていたのは、わたしの隣にいたサロメだ。
「す……素晴らしい……」
助手さんは自分の使命などすっかり忘れてしまったような顔で、フラフラとサロメのほうに歩いていく。そうかと思えば急に早足になって、サロメの間近まで迫った。
「あなた、お名前は?」
「……サロメですけど」
サロメは困惑気味に返事する。助手さんが「名前も素敵だ……」と呟いた。
「あなたのような方とお会いしたのは、生まれて初めてです。生きていてよかった……」
「はあ……」
サロメは生返事をしつつも、その表情はまんざらでもなさそうだ。
けれど、彼女の目はあくまでも冷静な光を宿したままだった。助手さんを上から下まで素早く眺め回し、相手にする価値がある男性かどうかチェックしている。
ここに来て、わたしはようやく何が起きているのか悟った。どうやらこの助手さん、サロメに一目惚れしちゃったらしい。
「えっほん」
大げさな咳払いの声が辺りに響く。ランジャック博士が片眉をあげて、助手さんのほうを見ていた。
それまでだらしなく表情を緩めていた助手さんは、今は仕事中だったと思い出したらしい。「またお話ししましょう!」とサロメに言うと、慌ててネジを拾って人形の背中の穴に差し込んだ。
でも、彼の視線は未だにサロメに釘づけになっていて、自分が何をしているのかもあまり分かっていないようだった。うう~ん。これはかなりの重症だ。
「ちょっと待ちたまえ」
手元をまったく見ずにネジを巻き続ける助手さんを見て、ランジャック博士が眉根を寄せた。
「そんなにネジを巻いたら大変なことに……」
人形が突然異音を発し始め、このままだとどんな大変なことが起きるかという説明は不要になった。
人形がその場でぐるぐる回り始める。トレーの上から吹っ飛んだカップが、床に叩きつけられて粉々になった。
と思ったら、人形は円盤投げをするようにトレーを窓の外に投げ捨て、自身もそれを追って窓から身を投げてしまう。
全員が呆気に取られる中、フェルナンド様が助手さんの肩にそっと手を置いた。
「失敗は誰にでもある。そう気を落とさなくてもいい」
なぜか、フェルナンド様はほっとしているようにも見えた。からくり人形が投身自殺しちゃったのに、なんでそんなに笑顔でいられるんだろう……?
「あれを回収してきたまえ」
ランジャック博士が不愉快そうに助手さんに命じた。
助手さんはサロメと一秒たりとも離れるのが苦痛のようだったけれど、肝心のサロメのほうはもう彼から完全に興味を失っていた。どうやら、助手さんはサロメの理想の相手ではなかったらしい。
「さて、気を取り直して次に行きますか」
助手さんが部屋を出ていき、博士が何事もなかったように発明品の紹介を再開する。
「今度のは、少し複雑ですよ。……キャンディスさん、でしたかな? こちらへどうぞ」
名指しされ、言われるままにわたしは博士の近くへ行く。
博士は、一脚の椅子を指差した。右手のところに、鍵盤がたくさんついた装置が設置されている。
「こちらにお座りください。しばらく身動きが取れなくなりますが、ご容赦を」
「はい」
よく分からないままに、わたしは言われたとおりにしようとした。けれどフェルナンド様がすかさず前に進み出て抗議する。
「博士、私の妻に何をするつもりだ? 危なくはないだろうな?」
「ご安心ください。怪我をする確率は、ほんの少ししかありません」
「ゼロでないなら、キャンディスは協力しない」
フェルナンド様は断固とした口調で言って、わたしの肩を抱いて自分のほうに引き寄せる。わたしは「大丈夫ですよ?」と言った。
先ほどの「自動お茶運び人形」の件は少々ショッキングだったけど、あんなのはただのアクシデントだ。まさかこの椅子に座った途端に、窓の外に放り出されたりはしないだろう。
「発明者本人が平気だって言ってるんですから。……それとも、フェルナンド様がここに座りますか?」
「……何だって?」
「おお! それは名案ですな! ささ、どうぞご遠慮なさらずに!」
「いや、私は……」
ランジャック博士は、フェルナンド様の言葉が終わらないうちに、彼を椅子に座らせてしまった。
その途端、椅子から金属製の輪っかがにゅっと出てきて、フェルナンド様の両手と両足、それに胴体を拘束する。博士が言っていた「身動きが取れなくなる」ってこのことだったんだね。
フェルナンド様が座っている椅子の背もたれの後ろ側には、ひじ掛けの先にあるのと同じような装置がくっついていた。こちらも鍵盤一つにつき文字が一つずつ書いてあり、タイプライターのような見た目である。




