98話
人化した誠一郎が己の体に施した改造の種類は、多岐に渡る。
筋肉の増強、神経の加速、脳の異常発達等、その種類は様々。当然、その改造が誠一郎に支障をきたさぬよう同じ型の人間や妖魔で実験は済ませており、実験の過程で幾人が犠牲になったかなど誠一郎は覚えてすらいない。しかし、誠一郎はその犠牲があった事は決して忘れるはずもなく、必要な犠牲だったと割り切っているし、自分はその上で生かされていると自覚すらしていた。むしろ、印象的な実験結果をもたらした犠牲者の事は色濃く覚えてすらいると言う残虐性すら、垣間見せる。
ここで嘆き悲しむような、せめてその振りだけでもしてくれれば、誠一郎は人の形をしただけの魔物であると断定する事が出来て永新は胸の内に燻る思いも割り切れた。だと言うのに、誠一郎は限りなく邪悪でありながらも、ある意味ではまともな人間性とも言える片鱗を見せたのは、心の弱さを捨てきれない永新が躊躇う為に用意した舞台の演出であるかのように思えてしまう。
そんな誠一郎の考えを肯定してしまえるくらいに、永新の心は弱い。
そして、心が弱い事を永新は自覚していた。
傷付けられても尚、見捨てられても尚、裏切られても尚。永新は「優しさ」と言う名の心の弱さを捨てきれなかった。その弱さを理由に、何度も傷付けられてきた。時にはその弱みに付け込まれて傷付いて、弱さ故に言い返せなくて、傷付けられてきた。
だがそれでも、例え己の尊厳を切り売りしてでも、心の弱さは決して手放して来なかった。
それは、永新の心の弱さを「弱いままでいい」と亡くなった母親が肯定してくれたから。
それは、弱さに打ちひしがれていた時に、「優しさが貴方を強くする」と白が抱き締めてくれたから。だからこそ弱さを捨てなかったし、捨てられなかった。
その弱さを、優しさを認めてくれた人がいるからこそ、永新は今まで己の弱さを誇りに思い、弱さと共にここまでやって来た。
一連の流れの中で、誠一郎は容赦なく、しかも的確に永新の心の弱い部分を突いて来た。それが意味するのは、狙いが永新であると言う彼の言葉が嘘ではない、と言う事。であるならば、誠一郎が侮る永新の「弱さ」でもって、彼の邪道を阻むのみ。
だがしかし、それを言葉にして突き付ける余暇は、もう無い。
永新と誠一郎。
二人の間にこれ以上の言葉は必要なく、後は己の信念を翳してただ衝突するのみ。
武力による、凌ぎを削るぶつかり合い。
そこに意味があるかと問われれば、二人は揃って頷き返すだろう。
永新は裏切り者の制裁――などと言う高尚なものではなく、ただひたすらに、私怨が目的。果たすは裏切られて死んだ、羅威竿の仇討ち。羅威竿は、あんな死に方をしていい人物では無かったからこそ、彼の魂を継いだ自分がやらねばならない、と意気込んで。
誠一郎は、自分達に手を差し伸べなかったこの世界に恨みを果たす為に、この世界を破壊する。彼のにこやかな笑みとは裏腹に目的や手段は外道の極みを尽くすものであり、誠一郎はその為だけに生きてきた。故に、ここで誠一郎の心が入れ替わる、などと言う奇跡は絶対に起こり得ない。
「お願い、羅威竿。力を貸して。――我流・千変万火」
「……共に、最後まで踊り明かそうか、永新クン。終幕はもうすぐそこだよッ!!」
永新は霊力を振り絞って、体に紫電を走らせる。
千変万火によるあらゆる状況への適応。それは今まで、永新の実力不足が理由で机上の空論でしかなかった。しかし、永新は最後のピースとなる「羅威竿の魂」を宿した事で、机上の空論は決して夢のものではなく現実のものとして姿を顕現する。
課題となっていた実力不足の所以、それは反応速度。一朝一夕の努力では決して身に付かないと、特訓相手の羅威竿から直々にそう評されていた課題を、羅威竿の雷によって解決へと至った。
本来、脳が信号を送って体を動かすのには電気信号が介在し、神経を通ってそれを伝える速度は秒速50メートルもの速さで末端にまで行き渡るのだが、千変万火の理想を実現させるためには、それではあまりにも遅い。故に永新は電気信号を送るシナプスと、羅威竿の遺した魂とも呼べる雷を用いて、あらゆる神経を繋ぐ事に成功。それは永新の巧みな霊力操作によってのみ叶える事が出来る超絶技巧とも呼べるもので、一瞬でも気を抜けば文字通り永新の脳が焼け焦げてしまう。
永新の「千変万火」が、努力と絆の結晶だとするのであれば、それに対する誠一郎の妖魔化は、憎悪と執念の塊。
黒光りするボディスーツのような妖魔の体は、誠一郎の人間であるシルエットをくっきりと浮かび上がらせるかのように洗練されているものの、その下では先に見せた通りの改造された凶悪な肉体が牙を研いでいる。その上、顔全体を覆い隠すかのようなマスクまで備えられた誠一郎の姿は、永新にとって非常にやりづらい。
千変万火は敵の体から滲む情報すらも精査して全ての環境を網羅するのだが、頭のてっぺんから足の爪先までをすっぽりと覆い隠すような姿を見せる誠一郎は、千変万火を展開した永新にとって非常に相手取るのが困難な敵、と言えるものだった。その対応はまるで永新の千変万火を熟知しているかのような対処法であり、永新が実戦で千変万火を用いたのは現状では先日の人形使いとの闘いの時のみ。虎鐘の死に様を知っていたように、あの時あの場所に誠一郎も潜んでいたのかと考えれば目の前の結果も妥当だと納得出来はするものの、実際に相対した訳でも無いのにただ見ただけでここまで対策を仕込んでくるとは、やはり侮れる相手ではない、と永新は息を飲む。
「ハァッ――!!」
「フッ……!!!」
お互いに地面を駆った二人は、彼我の取った距離を瞬く間に零にした中間で、激しくぶつかり合う。
拮抗は一瞬。先の猛攻の時点で手は知り尽くしているからこそ、お互いが取るのは最善手のみ。故に、少ない手数で勝負は決まる。
――永新が突き出した拳は誠一郎の妖魔化した腕に防がれるのだが、金属同士を激しく打ち合った時のような音を立ててぶつかり合った後、殺しきれなかった衝撃が誠一郎の腕を覆う妖魔化のコーティングを引っ剥がす。その事実に顔面を覆うマスクの奥からくぐもった吐息の音がした直後、すかさずカウンター、とばかりに誠一郎が拳を永新に向ける。しかし、空気の流れと誠一郎の初動から反撃を予測した永新は脅威の反応速度を見せて体の半身を逸らす事で簡単に躱して見せる。
そうして行動の猶予が生まれた永新は直後、攻撃の後隙を突くように突き出された腕に身を寄せ、誠一郎の顎を下からかち上げるようにして殴り付ける。その動きは瞬き一つも無い、正しく無の間隙を埋めるような閃光の如き一撃であり、誠一郎は防御不可能なままクリーンヒットを貰う。
普通であれば、まず間違いなく意識を奪われるような一撃。
脳震盪に留まらず、顎を粉砕されるような一撃であり、その威力を示すかのように打たれた顎の部位は覆っていた誠一郎の妖魔化すらも剥ぎ取って彼の口元を露わにして見せる。
「にひ――っ」
しかし、誠一郎は普通では無い。普通では無いからこそ、マスクの下では笑って見せる。瘦せ我慢ではない、正真正銘の心からの笑みを、誠一郎は浮かべて見せる。
そして、その邪悪と称して遜色ないような笑みが過った一瞬だけは永新の脳も理解の範疇の事象を前に息を飲まざるを得ず、誠一郎の攻撃が永新に通る。
――この一瞬、拮抗が崩れる。
肉体改造を果たしたその体を持った誠一郎が選択したのは、巴投げ。
しかし、永新の上裸の肉体には掴む襟は存在していないと、いつの間にか前傾姿勢に倒される中、ようやく息を吹き返した永新の脳は、誠一郎が永新の人間部分である胴体に指を貫通させているのを確認する。人間の体に干渉できる、とは聞いていたものの、その余りにも常識の埒外を行く使い方に永新は瞠目し、抵抗の余地も無い状態で腹部に強い衝撃を受けて空中に放り出されてしまう。
「く、うぅ……っ!?」
全身の神経と脳を繋いでいる所為か、軽度の衝撃のはずが重度の衝撃となって直接永新の脳を揺さぶる。驚異的な反応速度を生み出すと言う大きなメリットに比べれば小さいけれども、万が一を考慮すれば無視できないような致命的なデメリットを受け、中空に放り出された永新は小さな悲鳴を漏らす。
永新の表情が苦痛に歪む瞬間。誠一郎がそれを見逃すはずは無く、彼はすかさず攻めに転じる。
「これは……どう避けるかな? 永新クンッ!」
誠一郎が繰り出すのは、異界の空間掌握によって変容させた巨大な二つの壁。気付かれる事無く、いつの間にそんなものを用意したのかと言う疑問が生じる永新に対して、情報処理が加速する永新の脳が聞いてもいないのに答えを導き出す。
(落とし穴に落ちた時から、仕込んでたってか……)
永新が誠一郎とのやり取りに夢中になっていた傍ら、誠一郎は来るかも分からないこの一瞬の為だけに最終決戦に向けて温存しておかねばならない霊力を割いてまでもこの壁を地面と同化させて生成していたのだと教えてくれる脳に、永新はこの状況をどうやったら切り抜けられるのかを算出させる。
千変万火が有用なのは、当然の如く地に足を付けた状態での活動に違いなく、推進力を用いずに放り出された中空では藻掻く事しか出来ない。それに加えて、誠一郎が選択した「面」での攻撃。もしもこれが先の猛攻時に見せた大量の蛇が襲い来るかのような柱での波状攻撃であったならば一撃や二撃貰ったところで態勢を整える事が出来ていた。しかし、壁によって押し潰される、と言った「面」の攻撃と言うのは千変万火が最も苦手とする攻撃であり、その上今の永新は態勢も整えられぬまま放り出された状態。
そんな状態を鑑みて永新の脳が算出した答えは、この状態を切り抜ける為には霊力の消耗を抑えてなど居られない、と言うものだった。
推進力が無いのであれば、生み出せばいい。
残り少ない霊力とは言え、この状況で出し惜しみが出来る程、中空に放り出された永新に余裕など無かった。
「我流・邪空之葬――」
永新の口からその言葉が吐かれる直前と直後。二度に渡って巨大な霊力の発現が起こった。
一度目は、まず初めに自由の利かない無防備な肉体の制御のため。
次に取る行動につなげる為の姿勢制御であり、生み出したエネルギーを十全に用いた結果、一瞬とは言え、永新の体は地面と平行になって空中で佇む。
そして二度目の霊力の発現が起こる。
永新の両手に宿った炎が過剰な霊力の注入によって爆発し、永新の体がその場で錐揉み状に回転した直後、永新の体を中心にして、空中に円を描いたかのような輪が出来上がり、その外周に向けて炎が噴出したのであった。これが二度目の爆発的な霊力の発現。
その結果、永新を押し潰さんと迫っていた巨大な壁は、左右両方共が炎熱によって破壊され、永新は一切のけがを負う事無く地面に降り立つのであった。
「ハァッ、ハァッ、ハァ……っ」
しかし、その代償は決して小さくなく、永新は地面に膝を付いて過度な疲労を負った様子を見せる。
ただでさえ永新の精神面は羅威竿の喪失に加えて、香織と絵麻を傷付けたと言う件で脆くなっている中、莫大な霊力の殆どを費やさねば発動できない「千変万火」を行使している状態。そこに更なる霊力の消耗が重なれば、永新と言えども霊力の前に精神力が持たなくなる。強い思いに応えてくれるのが霊力。その励起の仕方しか知らない永新にとっては、精神力が尽きたその時こそが霊力の限界であり、今はただ自分を騙して、嘘で言い聞かせて奮い立たせているようなギリギリの状態である事に違いなかった。
それが導く答えとはつまり、先手必勝を取る事でしか永新に勝ち目は無かった、と言う事。
決着、と言いながら永新は誠一郎の意見など聞くつもりもなく、ただ一方的に蹂躙する事だけが目的にあった。新進気鋭の永新と、時間をかけて仕込んできたあらゆる小細工で敵を翻弄する誠一郎とでは、倶利伽羅としてではなく妖魔としての才覚に恵まれた永新と中途半端な恨みつらみだけで上り詰めた誠一郎の間にある実力差は明確。だからこそ、誠一郎が手を尽くす間もなく終わらせようと行動に移したものの、想定外にも誠一郎は奮闘。その結果、永新に二人の実力差を突き放す最たる要因である莫大な霊力を使わせる事に成功し、誠一郎は永新を同じ土俵に引きずり下ろす事に成功。
つまるところ、永新は今、追い詰められているのであった。
「息つく暇も与えないよぉッ!!」
誠一郎も、面による攻撃を切り札にしてただ見ているだけではなく、壁は壊されることを想定した上で永新が地面に降り立つと同時に攻めに転じる。言葉の通り、永新に息を整えさせはしない、とばかりに。
永新が膝を付いて荒い呼吸を繰り返す中、誠一郎は既に地面を蹴っており、朦朧とする意識の永新の眼前に己が脚を差し出す。
「そぉれ」
「っ!?」
誠一郎の行動に永新が迅速な反応を示すものの、サッカーボールでも蹴るのかと言うような気楽さで放たれた蹴りは、見事に永新を蹴り飛ばす。咄嗟に腕を差し込んで頭部を庇う事に成功したものの、気楽さとは一転して肉体改造によって増大した筋肉と表層の妖魔化による増強から繰り出される蹴撃は、永新の体をゴムボールのように簡単に蹴り飛ばす。
二度、三度、と地面を跳ねて転がる勢いを殺す事は出来ずに地面に放り出された永新が立ち上がろうと奮起する中、盛大に永新を転がした犯人である誠一郎は既に次の行動に移っていた。
「だから、息はつかせない、ってば――」
永新に休む暇を与えぬ、とばかりに誠一郎が腕を振るう。
すると、異界の地面が波打つように揺れたかと思うと、様々な形を伴って永新に襲い掛かるのだった。
「くっ……!?」
その場に留まっていれば、地面から出現する棘に串刺しにされ、襲い来る柱に押し潰される。
それ故に永新は呼吸を整える暇も無いまま逃げ回る。
疲労困憊の中で羅威竿の雷を使って「千変万火」を使う訳にはいかない。こんな状態で使った日には、内側から雷に焼かれて死んでもおかしくない。単なる自殺行為である以上、滅多な事では使えない。使えたとしても、ほんの一瞬。トドメを刺しに行く僅かな一瞬のみであり、それまではただひたすらに自力で逃げ延びる他なかった。
当然、誠一郎の繰り出す攻めの手が都合よく緩んでくれるはずもなく、むしろ勢いを増して襲い掛かってくる中では息を整えるどころか、限界が近付いてくる。
時間が掛かれば掛かるほど誠一郎にとって有利な盤面が整っていく中、誠一郎が動きを見せた。
「――そぅら、二人を守ってご覧よ、永新クン?」
朦朧とし始めた意識の中、不意に聞こえた声に永新が視線を動かすと、誠一郎が指差す先で、誠一郎の足元より出現した柱が横たわる香織と絵麻の元へと突き進んでいく光景が目に映る。
生憎、永新が立っている場所から二人の元へはこれまで積み重なって来た障害が多い上に、この位置取りになるよう狙って追い込まれたかのように、最短距離でなければ二人の元へは永新の足では恐らく届かない。その上、直線切っていくには二人に迫る柱とは別に、今も追われる誠一郎の攻撃の幾つかを無視しなければならない。しかし、この土壇場での負傷は決して無視できるようなものではない――。
そんな逡巡が頭の中で巡らされる間も、二人の元に柱は迫っていく。
これまで捌いて来たからこそ分かる。誠一郎の柱は、無抵抗の人間など簡単に押し潰せるだけの重さと勢いがある。故に、永新が間に合わなければ、あの二人は間違いなく、死ぬだろう。
「死なせるわけ……、無い……ッ!!!!!!」
あの二人は、死んでいい人達じゃない。
自分に、心を思い出させてくれた、大切な人だから。
これ以上、誠一郎なんかに、自分の大切な人の命を、奪われてたまるものか。
これは、意地と言ってもいい。これは、永新が生まれて初めて見せた、我儘。癇癪のようなものであり、瞬間的に霊力を滾らせた永新の体は鉄砲玉のように地面を駆り、来た道を戻るかのようにして二人の元へと駆け寄っていく。その道中、永新を追っていた異界の妨害達が走る永新に襲い掛かるのだが、永新はスピードを落とさない為に最低限の動きだけで避けて見せるのだが、全てを完璧に躱す事は不可能であり、額に、肩に、脇腹にと傷を負ってしまったものの、柱が二人を押し潰す寸前で間に割り込むことが出来たのであった。
「ぐ……っ、ぅああああああ゛あ゛ッッッ!!!!!」
柱の重さはこれまで以上の重みとなって永新に襲い掛かり、ジリジリと後ろへと足を引きずられながらも鬼気迫る永新の迫力のお陰で柱は勢いを失い、香織と絵麻の二人は安穏を保たれる。
全身から命の根源を滴らせながら、その事実に安堵して胸を撫で下ろした――刹那だった。
突如として永新の左の視界が奪われると同時に、体を貫くような熱が、寒気が、全身を襲う。
「は――」
「ふ、ぁははッ!! 言っただろう? 君の弱さは、君を殺すって、ねぇえええええええ゛!!!!」
一歩、二歩と後退った永新が辛うじて認識できたのは、柱から生える誠一郎の姿。彼が伸ばすその手の平から、なにかを握り潰したかのような血肉が零れ落ち、妖魔化によって覆われていたマスクが剥がれて醜悪な笑みが日の目を見る。
瞬間、永新の記憶が筋違いの答え合わせでもしてくれるかのように、数瞬前の光景をフラッシュバックさせる。
――そうだ。あの時、あの瞬間、あの言葉を最後に、誠一郎の姿は、消えていた。
しかし、その答えに辿り着いてももう遅い、とばかりに誠一郎は永新の愚行を嗤い、永新に語り掛ける。その声は子守唄のように優しく穏やかながらも、心臓を鷲掴みにされたかのような不快感に満ちた声で、永新の頭の奥に触れていく。
「……君の負けだよ、永新クン。君は、僕には、勝てないんだ――」




