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82話

 


 燼月永政(じんげつながまさ)

 永恋が彼に抱く印象は、「クズ」。この一言に尽きるもので、永恋が愛すべき燼月永新の全てが詰まっているとも言える燼月邸にこれまで足を運ばずに現実から目を背けてきたのは、燼月永政と言う男に視界に入れる事さえ憚られるだけの理由が存在していたから。

 久し振りに顔を合わせた燼月永政は目の下に濃い隈を作っていて、伸びたままの無精髭がものぐささを強調するかのような、だらしのない大人の見本のように成り果てていた。そんな男を見て、永恋が喜ばしく思うのは、永新の顔が彼に一部位すらもに無かった事だろうか。


 そんな不潔さに磨きのかかったこの男は、永新が妖魔に堕ちた夜に、永恋の前で永新の事を人殺しだ、忌み子だと罵った。永恋が永政を嫌う理由としては十分過ぎる理由であり、永新の父親、と言う唯一の接点が無ければ永恋の人生で永政と関わり合いになるような事など無かったとも言える。


 パニックに陥っていたとは言え、永政は到底我が子に向けていいような言葉ではないものを口走った。

 だからこそ永恋はこれまで永新の家での様子から目を背け、知ろうとしなかった。永恋にとって生理的嫌悪を抱く燼月永政と言う男が居るから、という理由ただ一つだけで、現実からを目を背ける言い訳としていたのであった。


 だがしかし、現実を受け入れる覚悟を果たした永恋にとっては自分が傷付く程度どうってことは無い。そんな事よりも、これ以上目を背けて本当の意味で手遅れになる事の方が、永恋にとっては恐ろしい。自分が傷付かない事よりも永新の傷を知る事の方が優先されるべき、と言う考えが永恋の中には生まれていた。



「うっ……」

「……どうかされましたか」

「……いえ、なんでもありません。それより、永新の部屋は、どちらですか」

「あの子の部屋なら、二階に上がってすぐの部屋です。一切触れていないので綺麗なままかと思いますが、案内しましょうか?」

「いいえ、結構です。お先に、失礼します」




 永新が妖魔堕ちしてから、二週間程度しか経っていないにもかかわらず、永恋達が踏み入れた燼月邸は見るも無残に荒れ果ててしまっていた。

 永新が寝る間も惜しんで清潔に保ってきた燼月邸は、酒の缶が溢れ返るくらい詰められたゴミ袋で埋まっており、埃っぽい空間は閉め切られたカーテンと相俟って陰険な空気を醸し出していた。


 招かれるままに燼月邸に足を踏み入れた直後、永恋達に襲い掛かってきたのは強烈なアルコールの匂いと、放置されたゴミたちが放つ悪臭。

 その場に居るだけでも病気になってしまいそうな空間に気後れしてしまいそうになるも、永恋は構わず積み上げられたゴミの隙間を歩いて、永政が指差した二階へと向かって進んで行く。



「……燼月さん。少しお話、よろしいですか?」

「私と、ですか? ……では、リビングにどうぞ」



 先に行った永恋を他所に、千夏は永政に声を掛ける。

 足の踏み場がなんとか確保された廊下を歩いてリビングに通されると、一般家庭よりも広いはずのリビングが手狭に感じられる程にゴミが敷き詰められた燼月邸のリビングで、千夏は永政と相対する。



「……赤坂さん、でしたか。私とはどこかでお会いした事がありましたか?」

「えぇ。ですが、無理して思い出してもらわなくて結構ですよ。……随分と、お酒のゴミが多いようですが。控えられた方がよろしいのではないですか?」

「医者にも言われましたよ。ですが、妻を亡くして、息子には不幸を被られ、往く先々で同輩からのやっかみが飛んでくる中……正直酒が無いとやってられない、と言いますか……。ね? 分かるでしょう?」

「さらには、燼月永新による倶利伽羅の殺害まで加われば、流石に燼月さんの肝臓が心配になりますけどね」


「……もう、知れ渡っていますか。いえ、そうですよね。分かってはいましたが、覚悟なんて出来っこない。あんな親不孝で、不出来な息子――いえ、最早私の子供とすら思いたくも無い。早くどこかで死んでくれれば御の字なんですがね。……妻に似てさえいなければ、あのような恥を世間一般に晒す事など無かったと言うのに……! 妻を見殺しにしたと思えば、次は私を心労で殺すつもりですかね……なんて。まぁ、私はあの忌み子がくたばるその日まで、死んでたまるものかと思って生きていますので。ハハハ、心配なさらず。……あぁ、お掛けになってもらって大丈夫ですよ」



 酒は百薬の長だ、と言いながら客の前で悠然と飲み始めた永政に対して、千夏は椅子に腰かける事無く立ったままの状態で話に耳を傾けていた。

 酒と言う名の燃料が注がれたせいか、永政は口にする悪態が加速していく。燼月家と関りの無い千夏でさえも聞いてるだけで不快な気持ちになっていくような、父親どころか人として失格とすら言える内容に千夏は永政の視界の外で眉を顰める。

 あまりにも聞くに堪えない永政の独白は、しかしてアクセルを踏み込んだまま続いていく。



「永新は、小さい頃から本当に頭が悪くて……。頭が悪ければ要領も悪い。良い所なんて一つも無いような子供だったんですよ。あいつが何度か庭で鍛錬している姿を見た事がありますが、何の効果もないような体操を何時間もかけて繰り返し繰り返し。笑えますよね? 本当に、無能。無能極まれりってのはあいつの事ですよ。落ちこぼれで虐められるなんて、あいつの無能さが悪いだけですよ。本当に、期待の一つも出来ないゴミのような存在でした。……ただ一つだけ、小暮日家との縁を繋いでくれた事だけは褒めてやってもいいですけどね。まぁそれも、小暮日家から妻の治療の面倒を引き出す為の手段でしか無かったんですけどね。小暮日家の娘さんが物好きで良かったと、本当に心の底から思いましたよ。飽きられない為に媚を売って、永新には嫌われなければそれでいい、とご機嫌伺いの仕草まで教えたって言うのによ……小暮日家はヤブ医者を寄越しやがったんだ。そんでもって、あの野郎……、新夏(わかな)を見殺しにしやがったんだ……。許せるわけ、無い……!! 新夏は、俺の、全てだったのに……!!!」



 典型的な酔っ払いと言うべきか、酔いが進んで行くほどに、地雷原を馬鹿の一つ覚えのように駆け抜けていく様は滑稽と言う他無い。もしもこの場に永恋が居たなら、永政は疾うに事切れていたに違いない。

 それだけ鬱憤が溜まっているかのように、人として持つべきモラルを問われるような失言をぺらぺらと口にしていく永政に対して、千夏は同情する姿勢を見せる。



「本当に、奥さんを愛していたのですね」

「あぁ……、本当に、愛していた。新夏は、俺の全てだった……。心の底から愛していた。今も、これからもずっと、新夏以外の女など、考えられない程に……」


「――それにしては、最近はガールズバーに頻繁に通っているそうですね?」


「は……? …………ッ!? な、なんで、それを――」

「情報源が何処か、なんて関係ありますか? それよりも、ガールズバーでは随分と羽振りが良いそうで。操を立てる、でしたか? 日夜、女の子たちをアフターに誘っては熱烈な夜を過ごしているとか……。ふふっ……下劣、ですね」

「ち、違う……! 俺は、俺はただ、寂しさを、紛らわせようと……」

「それを、奥様の墓前でも同じ事が言えますか?」

「――っ」



 しかし、姿勢を見せたのは初めだけで、次に言葉を紡いだ時には、永政を地獄に叩き落す。

 延々と続いていた深酔いも一瞬にして覚めるような肝が冷える思いに、咄嗟に言い訳を募る永政であったが、冷静な千夏から告げられた言葉におもわず手に持っていた缶を握り潰さざるを得ない。それでも、千夏の言葉は永政の渇いた心に深く突き刺さったようで、その状態のまま、テーブルに突っ伏して嗚咽を上げ始める。



「……奥様への愛を少しでも息子に向けられていたら、きっと全てが変わっていた事でしょう」



 それこそ、新夏だって死なずに済んだかもしれない。

 そんなありもしない可能性を口にする程千夏は野暮ではなく、黙って背を向けた後に、永恋を追って二階へと続く階段を上がっていく。


 永政は二階には用が無かったのか、山のように散らばるゴミ袋は階段の下までで、一階の様相が嘘のように二階は綺麗なままだった。


 そうして階段を上って行った先、中途半端に開いた扉の隙間から永恋の背中が見える部屋に足を踏み入れた瞬間、千夏は異様な光景に目を疑う。




「……何も、無い」

「千夏、さん……」




 千夏が見た光景。

 それは、酷く無機質で、()()()()部屋。


 否、何も無いわけではない。勉強机もあれば、ベッドだってある。

 しかし、あるのはそれだけ。


 この部屋の持ち主を示す趣味の物や、小物の類は何一つとして置かれていない空間は、ただただ物悲しいと言う感想を抱かせる。

 何色にでも染められる白いキャンバスのような新居とは異なり、永新の部屋と言われてやって来た部屋には「何も無い」と言う答えだけが在るようで、それは見紛う事無く無色透明を表しているかのようであった。



「燼月永新って一体……何者……?」



 趣味の無い人、と言うのは少なからずこの世界には存在している。

 当然、千夏の周りにもそんな人間がいる為、理解は出来るのだが、この部屋は余りにも殺風景過ぎて、千夏は思わずそんな言葉を吐き出してしまう。


 例え趣味が無くとも、人との関りさえあれば多少は外からの影響を受けたりするもの。

 そしてそれは生活に波及し、その人を形作る上で必ずその人の一部となると言うのに、燼月永新がここに居た事を表す証拠が、この部屋には微塵も存在していないのだ。この家の主である燼月永政が「綺麗なまま」と口にした以上、燼月永新がここで過ごしていた事は確実であり、わずかに残る生活感がそれを物語っている。だが、燼月永新がここで過ごしていたのだとしたら、余りにも私物が少なすぎる。本来は数多くの私物があって、それらを倶利伽羅本部が持ち去ったと言うのならまだ受け入れられただろうが、この部屋には、今永恋と千夏が目の当たりにしている物以外が存在していた形跡など、どこにも見当たらない。それはつまり、燼月永新はこの何も無い空間で生活していたのは疑いようのない事実であると言う事。


 そして、このような環境で心休まるはずなど無いのは想像に容易く、追い込まれた燼月永新の心は常に疲弊していたのだと理解できてしまう。



「……私、永新の事、何も、知らなかった……っ。永新が、こんなにも苦しんでいるのを、知らなかった……」


「……っ」



 部屋の中心で蹲る永恋の胸には、缶が抱かれていた。何も無いこの部屋の中で、唯一色が付いているかのような、異物のような存在の中身は、六年もの間永恋が送り続けてきた手紙の数々。


 大事に取っておいてくれた、と言う感慨に遅れて、その手紙のどれもが、一度たりとも開封された痕跡が無いのを見て、千夏は言葉を失う。


 けれども、それを見て千夏や永恋が永新を責める事は出来ない。

 何しろ、燼月永新の部屋を目の当たりにした以上、彼の境遇がどれだけ窮するものなのかを理解してしまったからこそ、まともな精神性を持っている限り、彼に同情しないと言う事は決して有り得ない程に、苦痛に満ちていたから。


 ――誰からも突き放され、必要とされず、見放され、終いには裏切られる。


 そんな経験をして傷ついた心は、家に帰ったとて癒える事無く傷を増やし続ける。

 ()()父親が、傷付いた永新を慰めるとは到底思えないし、母親は寝たきり。


 そのような環境下でも学園に通い続けたのは、ただ一つの救いを求めての事だったのかもしれない。

 永新にとって心の安寧を取り戻す事が出来たのは、学園で――否、この世界で唯一、自分を認めてくれた永恋との会話、永恋との触れ合いだけだった。だからこそ、どんなに辛くても、どんなに苦しくても、無間に続く曇天に差した日の光のように輝く希望を糧に、永新は日々を生きていた。


 ……だと言うのに。

 永恋のたった一つの気の迷いが生んだ行動が永新を突き放したせいで、永新の世界は本当の意味で暗闇に閉ざされた。


 それでも諦められなかったのは、いつかもう一度、自分の世界に陽の光が差すと信じていたから。

 信じていたからこそ、目の前の課題を一つずつ乗り越えて行こうとした結果、永新は目の前の事で精一杯になって、自分の事など後回しになってしまった。だからこそ、こうも無色な部屋が生まれたのであった。


 永新が自分の事を後回しにするのは、その時からではない。

 昔から、決まって永新は誰かの為に生きていた。母親の為、父親の期待に応える為、永恋に認めてもらう為。いつだって、永新は自分の為に生きた事など無かった。だからこそ、こんなにも絶望的な状況にあっても尚、自分の為に助けを求める事をしなかった。助けを呼んでも良いと言う事を、知らなかった。


 そんな、精神が摩耗していく中でも歩く事を辞めなかった永新の心にトドメを刺したのは、四家達。

 けれども、その切っ掛けを作ったのは、永恋であるのは間違いない。


 人生の半分以上を費やして永新の事を考え続けてきた永恋にとって、この部屋に足を踏み入れた時点で永新の苦しみは理解出来る。それだけで理解できると言うのに、それでいて踏み込まなければ考え及ばないのか、と、呑気に手紙を記していただけの自分に対して怒りが湧いてくる。



「……千夏さん。今度は、私に協力してくれますか」

「……無理はしない、って約束できるなら。七星ちゃんの約束を、守るなら」

「それでも足りなかったら、届かなかったら……。その時は、千夏さんが私を止めて下さい。殺してでも、止めて下さい」

「何を、するつもりなの?」

「もう二度と、永新を一人になんてしない為に。私には、まだ知らなくちゃいけない事があります……」

「それは……?」

「千夏さんもさっき言った事です。……永新が、何者なのか。それを突き留めないと、いけない気がするんです」

「お得意の、勘?」

「……いいえ。これは、私の経験に基づいて導き出した、論理的な答えです。まずは、永新が生まれた病院に行きます――」



 永恋の手紙が収納された缶の中。

 そこに永恋の涙が落ちた瞬間、手紙に火が付き、火種は瞬く間にコーヒーを零したかのように燃え広がっていく。


 永新の事を思って綴った文字列は、永新の目に触れる事無く燃えカスと化していく。

 永新の事を思って選んだ便せんは、色の無い炭となって缶の中に落ちていく。


 嗅ぎ慣れた焦げ臭いにおいが充満する部屋の中、永恋は缶の蓋を閉じ、颯爽と部屋を後にしていく。

 千夏は、永恋が横を通り過ぎる際に覗き見た永恋の顔を見て、彼女の決意にこれ以上口を挟む事など出来ず、黙って彼女の後を付いて行くばかりであった。











「……ん、うぅ。酷く、悪い夢を見たような気が――」


「キヒヒッ。ようやくお目覚めか、燼月永政ァ?」


「――ッ!? 貴様、何者だ……」

「お前の質問は受け付けて無い。私はただ、燼月永新の弱点を探りに来た次第だ。それにしても、お前のアルミのお城は随分と守りが薄いもんだねェ」

「っ、どいつも、こいつも……! 貴様もか、妖魔……ッ! 俺は、あいつの事など知らん。あいつは、疫病神だ。呪われた忌み子、人殺しだ。俺はあいつの事は知らないが、それ以上だと言う証拠は何一つ無い。正しく最底辺の人間だ。世界のゴミクズである妖魔に堕ちたのは身分相応とも言えるだろうな! どいつもこいつも、そんな奴の、何が知りたいと?」

「聞きたい事? 無いよ、そんなもの。だって――お前の記憶に聞けば、十分だからなァ……?」

「な、何をするッ!? 止め――ッ!?」



 ――その日、燼月永政は謎の妖魔による襲撃に逢い、死亡した。

 しかし、彼の遺体は見つからず、燼月邸には派手に散った血飛沫が残されており、人のものではない霊力の痕跡も残されていた事から、それを成したのは妖魔であると判断され、その日燼月邸を訪れていた永恋と千夏の二人には容疑すらかけられなかった。却って、この件に関しては無関係であるはずの燼月永新が真っ先に疑われ、燼月永新には「親殺し」のレッテルが張られる事になる。奇しくも、燼月永政が現実から目を背けるために用いた言葉と同じであり、倶利伽羅達の間では根も葉もない噂が錯綜するようになる。


 その後、永恋と千夏は予定通り三日間の謹慎を終え、新型霊具の適性検査を受けて改めて正式な形で新型霊具を手にした二人は、水面下で動き出すのであった。









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