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81話

 



 ――俺の事は、忘れてくれ。



 それは、赤坂千夏が、燼月永新から受け取った永恋への伝言。

 炎導ササラに諭された今の永恋ならば受け止められるはず、と判断した千夏によってそれを伝えられた永恋は、自分の抱いていた恋心が一方通行であったと言う事実を突き付けられ、一人で泣いた。


 自分が失恋した事に対するショックはとてつもなく大きく、本当の意味で永新に拒絶された事を知った永恋は最初、伝言の意味を理解するのに時間が必要だった。だって、自分が本当に心の底から愛している人から、人伝に別れを告げられたのだ。そう簡単に理解が追い付くはずも無い。

 永新のその行動が不誠実だと罵る事など、永恋には出来なかった。否、永恋以外の人物であろうと、誰もそんな事が許されるはず無い、と言うのが正しい。永新が苦しんでいる間、誰も彼に手を差し伸べてあげられなかったのだから。永恋もまた永新を追い詰め、傷付けて来た側の人間の一人として、彼の行動を非難する権利など初めから所持しておらず、永恋はただ、永新の言葉の意味を飲み込むのに時間が必要だった。


 永恋がようやく自分が振られたのだと気付いたのは、自分の頬を伝う涙が零れた時。


 ――あぁ、私は、永新に振られたのか。


 その答えに至るのに必要な要素は幾らでもあった。でもそれに気付かぬ振りをして、無我夢中で、馬鹿の一つ覚えみたいに「約束」を信じ込んで、ひたすらに見えない振りをしてきたのも、遂に限界が訪れた。他でもない永新本人の言葉だからこそ、永恋は素直に認めるしかない。そうして認める事で、覆い隠していたベールを開けるしかないのだと、そう思えた途端、永恋の目からは、約束の日から堰き止めていた涙がとめどなく溢れてきてしまう。




「……ぁ、うぅ……、ぁ、ぇうっ、あぁ……、う、ゎあああああああああああああああん!!!!!」




 借りた部屋の中で、一人。永恋は天井を見上げて泣いた。

 おいおい、わんわんと、みっともないくらい声を上げて、永恋は泣いた。


 幼い頃に一度だけ、永恋が泣いた時があった。

 その時は永新が飛んでやってきては、何をすれば良いのか分からずオロオロとしながらも泣き止ませてくれたことが過去に一度だけ、あった。永恋は、永新のその様子を見るだけで、永新が傍に居てくれるだけで泣き止んだし、心も落ち着くような気がしていた。


 その後、永新が下の家の者だからか、小暮日家総出で永新が頭ごなしに叱られているのを見て、永恋は「もう二度と泣かないようにしよう」と心に決めたのだが、今にして思えば、あの時に永恋が「永新は悪くない」と彼の味方で居てあげられれば、未来は変わっていたのかもしれない。


 だが、幾らそんな事を思ったって、どうやったって過去は変えられない。


 永新は最後まで永恋の味方であった。

 永恋に自分の問題を背負わせる事無く、疾うに諦めたはずの夢を信じ込ませてくれて、最後まで永新は()()で戦い続けた。


 それがどれだけ寂しくて、どれだけ苦しくて、どれだけ辛い事か、今になって初めて一人になった永恋は永新の気持ちをようやく理解する。


 味方が誰もいない心細さ、世界で一人だけ浮いてしまったかのような疎外感、自分の声だけが聞こえてくる虚無な空間。そんな環境では気が狂うな、と言う方が無理な話である事を理解するのと同時に、永新に最も近かった自分がどうして味方で居続けてあげられなかったのか、と怠惰で傲慢な自分に対して、腹の底から怒りが湧き上がってくる。


 だがそれも、いくら考えたところで後悔には何ら変わりなく、後悔は後に立つから後悔なのであった。



「――ッ、永恋……!!」



 その時、喉が張り裂けんばかりに泣き叫んでいた永恋の泣き声を聞いたからか、気を利かせて外に出てくれていた御厨七星(みくりやななほし)が堪らず飛び込んできては、部屋の中で一人泣き崩れる永恋に駆け寄って、その体を抱き締めた。


 永新の抱いていた孤独に苛まれていた永恋は今、人肌の温もりに飢えていた。

 渇望する程に欲する温もりを与えられた永恋は、心に沁み込んでくるような温かみが更に涙を誘い、永恋は七星の腕の中で悲しみと怒りに塗れた涙と泣き声を、全て吐き出さんばかりに泣き喚く。


 こうして抱き締められるだけで心にどれだけ安寧がもたらされるものか、どれだけ心休まるものか。


 次から次へと思い知らされる己の残酷さ、無能さに、永恋は自分を許せない。



「さい、ごに――」

「永恋……?」

「最後に……、永新を、抱き締めて、あげたの……、いつ……だったかなぁ……?」

「ッ、永恋!!」



 嗚咽と共に吐き出された永恋の後悔。

 それは、永新を愛した彼女が、永恋が一人で背負うには重すぎる後悔。その事実を前にした七星は、我慢できずに永恋の事を力いっぱい抱き締める。彼女が苦しいと藻掻いても決して離したりするものか、と思いを込めて。



「あたしも……、あたしも、背負うから……! だから、一人で抱え込まないで……! 永恋は、一人じゃないから……! もう、燼月の時と同じ思いは、しない為にも……、永恋の荷物も、あたしに、少しでもいいから、背負わせて……ッ!」



 その言葉を口にした途端、七星もまた、罪の意識から燼月の事で自分は泣いちゃ駄目だと涙を堰き止めていたダムが遂に決壊して、彼女の目からも大粒の涙が零れ落ちる。



「……」

「……甘奈(かんな)


「……そっとしてあげましょう」



 永恋と七星。二人して声を上げて泣き叫ぶ姿を見て沈黙するのは、火加々美(ひかがみ)甘奈(かんな)

 思うところがあるような顔で二人の顔から目を離せずにいた甘奈であったが、晴也に寄り添われ、大人である千夏が気を遣って開きっぱなしになったドアを閉じていく。



「……晴也さん、そんな目で見なくても、私にも罪の意識くらいはありますよ」


「なら――」


「なら、あの子達のように、感情豊かに罪の意識で泣き崩れろって言いたいんですか!? ……泣けるなら、私だってそうしたいのは山々ですよ。……でも、私はいずれ上に立つ者として、判断が鈍るような感性を捨て去るように教育されてきました。そうしないと……いざと言う時に、動けなくなってしまうから……。だから、私は…………っ」


「甘奈……。お前は、誰かの為に傷付く事が出来るし、誰かの為に泣ける優しい女性だ。だから、無理しなくていい。俺達の前でなら、好きなだけ泣いていいから……」


「……少し、席を外してきます」



 強がるように顔を背け、肩を震わせる甘奈に対して、晴也は彼女の目の端に光るものが見えたのを決して見逃さなかった。

 故に、晴也は甘奈を後ろから抱き締めるし、甘奈もまた、二人きりになったのを見計らって晴也に身体を委ね、小さな嗚咽を漏らすのであった。


 それから間もなくして、一頻り泣いた甘奈はすぐに正気に戻って、ぴったりとくっついたままの晴也の体を引き剥がす。残念そうな顔をする晴也に苛立ちを覚えて睨むも、少しだけ赤くなった目元で睨まれても晴也としては怖さなんて普段の百分の一すら感じられない。



「…………一度転んだとて、私は立ち上がります。何度だって立ち上がって、前に進みます。それが、生きると言う事ですから。私は、先に戻ってお父様とササラ様とで対策を講じます。……当然、燼月永新に対しても。では、失礼しま――」


「……まだ、手を繋いでいたい、ってか?」


「……お先に、失礼します」



 晴也から離れようとした甘奈であったが、彼女の手は不思議と晴也の手に吸い付いたかのように離れておらず、お互いに握り合っていた事すらも忘れていた程に二人の距離は近く、立ち去ろうとした甘奈の手が不思議と晴也の手を離そうとしない事に甘奈は驚きを示す。


 けれども、晴也の問いに対する返答は無いまま僅かな時を過ごした後に、甘奈は目を伏せた状態で晴也の手を振り払うと、いつも通りの毅然とした様子で、普段よりも足を音を立てて去っていくのであった。



「……可愛い所は、相変わらずだな」



 残された晴也は、甘奈の言いたい事を理解していながらもポカン、と呆ける事しか出来ずに立ち尽くし、部屋の中から二人が出てくるのを、戻って来た千夏と共に部屋の前で待ち続ける。

 結局、二人の泣き声が止んで、二人が外に出てきたのはそれから一時間弱程経った後の事で、その間、晴也と千夏の間に会話は生まれないのであった。











「――燼月永新は倶利伽羅を、人を殺したのだぞ!? それを放って、人形使いを追えと言うのか!?」

「だから……、燼月永新は人形使いの敵の可能性が高いから、叩くのなら、脅威の大きい人形使いからって話なだけだ!! 並行して燼月永新の捜索、及びに抹殺は行われると周知されたはずだろ!?」

「だとしても、あいつは、あの磐田(いわた)家の子をその手にかけたのだ!! 敵の敵は味方であると、誰が決めたッ!? その凶刃が我々に向けられないと言う確信は、どこにあると言うのだ!?」

「そ、それは、だな……」

「そもそも、我々倶利伽羅の安泰の時を破壊したのは全て燼月永新が始まりだったはずだ! もしや、裏で全ての糸を引いているのは、燼月永新に間違いないのでは!? やはり、奴こそが諸悪の根源であり、特異点である事は間違いない……! 燼月永新さえ、始末してしまえばこの事態も収束に向かうはず――」



 今回の一件を経て、東の盟主が出した声明は以下の通りであった。


『同胞たちの奮闘の結果、倶利伽羅内部に潜んでいた病魔は追い出す事に成功した。しかし、妖魔根絶を掲げる倶利伽羅として二度と同じ目に逢わない為にも、逃げた妖魔の抹殺を最優先事項に変更。それに伴い、妖魔堕ちである燼月永新の抹殺命令は一時保留とする。逃げた妖魔の名は、人形使い。この妖魔は放置すればするほど脅威が増す妖魔であり、早急な討伐が求められる。妖魔の能力は――』


 その後は人形使いの詳細な能力、人形使いに付いて行った叢雨勇哉の話等が続き、最後に多くの倶利伽羅が人形使いに唆されて倶利伽羅を裏切り散った話が付け加えるかのように添えられている、と言うもの。


 声明を聞いて倶利伽羅達が示した反応は、大きく分けて二種類。

 声明文の通りに人形使いに脅威を感じ取り、新たな指令通りに動き出す者達と、燼月永新が同じ黄金世代であるはずの倶利伽羅をその手にかけたと言う事実に恐れ戦き、燼月永新を人形使いと同列かそれ以上の脅威として認識し出す者の、二種類。


 後者が全体の一割かと思えばそんな事は無く、凡そ半数にも渡る人数が燼月永新を脅威に感じているのだった。



「妖魔に堕ちたやつを殺したんだから、永新は何も悪くないのに……ッ」

「まぁまぁ、落ち着いて永恋ちゃん。もう少し冷静になれば改めて内容を受け入れるだろうから、今はまだ我慢の時だよ」



 燼月永新に全ての罪を被せようとする後者の声に、偶々横を通りがかった永恋が腹立たしく思いながら、隣を歩く千夏に宥められて横目で睨むだけで終わらせる。もしもこれが自暴自棄になった永恋であれば、永新の悪口が聞こえたらすかさず間に割って入り、同じ倶利伽羅であろうとも半殺し以上の目に逢わせていたに違いない。


 されども、泣き腫らした目が示す通りに永恋は荒ぶる感情を全て吐き出した後であり、今はただ規律違反によって裁定を食らった者同士である千夏と共に謹慎を図るべく行動に移る道中。一言に謹慎とは言え、禁じられるのは武力の行使のみで、連盟に与する下部組織での雑用が任されるのがお決まりであった。明日から始まる雑用の前に、永恋は向かわねばならない場所がある、と一人では心細いが故に千夏と共に向かっているのであった。



「七星ちゃんは、随分と粘っていたけど……」

「あの中じゃ、一番私を気遣ってくれる子でした。でも、永新の一件があってからは、私が一方的に遠ざけて……。あまつさえ、武器を向けちゃって……」



 二人して存分に泣き明かした後、永恋には謹慎が、七星と晴也には別の任務が待っているが為に再び離れなければならないとなった時、七星は駄々を捏ねた。如何せん、これから永恋が向かう先を知っているが故に、永恋の傍に居たかったのだろうが、いくら友情が美しかろうともそれでも駄目なものは駄目である。

 最終的に、「明日、絶対永恋の所に行くから!」と約束して、晴也に引きずられて行かれる光景は二人の記憶にも新しい。


 そうして結ばれた約束がある限り、永恋は自棄になる事は無い。そう言った制約を掛けたかったのだろうが、現実を受け入れ、冷静になった永恋はそう易々と自棄になったりなどしない。けれども、七星のその優しさが心に染み入るのは永恋にとって素直に「嬉しい」と思えるものなのであった。



「七星ちゃんは優しいね」

「はい……っ」



 その想いを裏切る事が無いよう、努めて落ち着くよう心掛けてみるものの、いざ目的の場所を目の前にすると胸の中が騒がしくなるのを感じる。


 傍に立つ千夏は、永恋が落ち着くのを黙って待っていてくれて、深呼吸を繰り返して決意を固めた永恋は、意を決してインターホンに指をかけた。

 ピンポン、とくぐもった音が聞こえた後に間もなくして、永恋には聞き馴染みのある、されども記憶とは異なる声がスピーカーから聞こえてきたかと思うと、しばらくしてその家の主が扉の奥から姿を現す。



「…………お久しぶりです、永新のお父様」

「話は、伺っております。小暮日様、赤坂さん。散らかっておりますが、どうぞ、お好きに調べて貰って構いません」



 永恋が足を向けた先、それは、燼月永新が生まれ育った場所。

 彼がどのような生活を送っていたのか、どのようにして傷付いていったのか。永新と永恋、二人の傷を開くような行為であると分かっていながら、永恋は前に進むために、それを知らなければならなかった。故にこそ、永恋は千夏を伴ってここ、「燼月邸」に足を運んだ次第であり、これまで目を背けてきた真実と対面する覚悟を決めてここにやって来たのであった。


 そう言った永恋の複雑な感情を乗せた挨拶を受けたのは、燼月永新と唯一血のつながりを持つ彼の父親、燼月永政。しかして彼は永恋の挨拶に何の感慨も受けていないかのように、ただひたすらに無機質に回答し、二人を燼月邸に招き上げるのであった――。









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