78話
「炎導、ササラ……?」
「燼月。無事か? 炎導ササラは、北の盟主で、凍吉が自殺を選んだ理由の女だ」
声高に上がった名乗りに、永新は力なくよろよろと立ち上がる。
名前も忘れた、因縁をふっかけられた男の亡骸を横に立ち上がった永新は、声がする方に耳を傾けた後、即座に人形使いが去って行った方に目を向け、思考を切り替える。
何せ、「炎導ササラ」などと言う名前など聞いた覚えも無いから。
それよりもまずは人形使いを逃してしまった以上、人形使いが何を企んでいるかを考えて少しでも貢献できなければここに来た意味も無い、と焦燥感を滲ませたのも束の間、真宵の口から零れた決して聞き逃してはならない単語に、分割していた思考をまとめて引っ張られてしまい永新は過剰なまでの反応を示すのだった。
「――と、凍吉さんの、女!? 痛ッ……!」
「……怪我、しているのか?」
「す、少しだけです。お腹に、少し穴が空いたくらいで――わっ!?」
永新がそう言うと、真宵は瞬く間に表情を変え、永新の服を捲って傷口を確認する。
そこには、消毒もされずにただ焼いて止血されただけの痛々しい腹の傷があり、真宵の表情は険しいものになる。
「……痕が残ったら、どうする。適切な処置は、教えたはずだろう――いや、戦闘中にそんな事、出来るはずも無いもんな……」
「怒って、ます……?」
「いや、なんでもない。燼月、お前の治療を優先させる。この場から離脱するぞ」
任された人形使いは取り逃がし、あと数センチでもズレていれば死んでいたかもしれない傷痕を作ってしまう、と言う、真宵の下で修業したと言うには余りにお粗末な、余りにも不甲斐ない結果に真宵を怒らせてしまったのかと不安になって恐る恐る尋ねる永新。
それもそのはず、修行の過程で真宵は永新に過度な怪我を負わせることは無く、最も重症と呼べるものは骨折程度のものであった。その頃から真宵は「怪我一つ無く終わらせる完封勝利以外は認めない」と言って、永新に怪我を回避しながら戦う極意を叩き込んだ。その結果、永新が妖魔との戦闘に慣れない頃に傷を作って帰ってくると、異常なまでに心配されるようになった。
永新にとっては心配されるよりも怒られ詰られる方が慣れている為、「何をやっているんだ」と怒られる方が楽。その点、真宵の過保護とも取れるような心配っぷりには永新も返って不安にならざるを得なくなり、結果的に怪我の程度を軽くする戦闘の立ち回り方を覚えたのであった。
しかし、修行においては真宵の監視下であるせいか、打撲も打ち身も当たり前の過激な取り組みになるのは過保護の裏返しなのか、永新には真宵が何を考えているかは分からなかった。
そんな真宵の過保護っぷりが永新の脇腹の傷を見て再発してしまい、永新は慌てて真宵の行動を制止しにかかる。
「ま、ままま、待ってください、真宵先生! まだ、人形使いが……!!」
「人形使いの事なら放っておいていい。倶利伽羅の中から追い出す事が出来たのだから、それで十分だ」
「そ、それだけじゃなくて……! 人形使いは、死体を操る死霊使いだったんです!!」
「……何、死霊使い、だと? ならば、奴が向かった先は――」
人形使いが、本当は「死霊使い」だった、と言う情報は真宵ですら知らなかったのか、不安そうだった顔を一変させて立ち上がり、人形使いが去って行ったとされる永新の視線の先を振り返る。
その先にあったのは、たった今まで真宵が戦っていた場所であり、倒れているはずの男が立ち上がっている光景を目の当たりにするのだった。
「――キヒヒッ!! 世界最強の倶利伽羅の肉体、ゲットだぜぇ??? おら、帰るぞ、叢雨!!」
「目的は果たせたか? こちらも、片方とは言え新型霊具の奪取には成功した。流石に、この怪我で炎導ササラを相手にするのは厳しいからな。さっさとお暇させてもらおう」
「キヒャハッ! でかしたぞ……! 名前も知らない生意気なクソガキなんかよりも、態度と実力が見合ったお前が居てくれて助かるぜぇ?」
「待て!! これ以上貴様らの好きにはさせん!! 構え!!! 奴らを逃がしてはならない!!」
「「「――破魔弓術初級、雨垂れ!!!!」」」
「遅い遅い。キヒヒッ、でわでわ……。ごきげんよう? 燼月永新クン?」
心臓に刀が突き立つ老教師の体を操り、弄び、冒涜するかのように事切れた老教師の体を動かした途端、その余りの邪悪さに炎導ササラが率いてやって来た北の倶利伽羅達による矢の雨を降らせる。
しかしながら、大量に放たれた矢の雨が人形使いと叢雨勇哉に届く事は無く、老教師の影に浮かんだ人形使いの顔が悦に満ちたかのようににったりと笑ったかと思うと、足元より出現した炎が二人の姿を覆い隠し、炎に巻かれた二人の姿は矢が飛来すると同時に消えてしまうのであった。
「……悉く裏をかかれた、か。……チッ。悪いな燼月、プラン変更だ。ここを離れる前に、裏切り者を始末してから行く」
「裏切り者、ですか? それは、人形使いとその倶利伽羅じゃなくて……?」
「そっちではない。オレ達を売った、愚かな裏切り者の始末だ。――なァ゛!? 虎鐘ェ゛!??」
「――ヒぃッ!?!!?!」
人形使いが去った方向から、点と点が繋がったかのように閃いた真宵が、大きく舌打ちをして見せたかと思うと、今度は真宵が首だけで振り返って永新も知る人の名前をドスの利いた声で張り上げる。
傍で聞く永新でさえも肩を跳ねさせてしまう程の、圧。それを直に向けられたとあらば、情けない悲鳴を上げて隅っこでガタガタと震える事しか出来なくなるのも納得が出来ると言うもの。
身を翻した真宵は、ポケットに手を突っ込んで更に凄んで見せる。
「……虎鐘よォ。舐めた真似してくれたじゃねぇか。今の今まで、オレぁ、すっかり騙されちまったよ。妖魔であるお前が倶利伽羅に庇護を求めるたぁ、漫談か何かか? それに加えて、てめぇ……人形使いの奴らとも繋がっていやがったな? オレの情報も全部渡していやがった。なぁ……これが何を意味するか、分かってんだろうなァ??」
「そ、そそそ、そんな、め、めめ、滅相もございません!!! わ、私めは……! 私めはただ、御子様の事を思って――」
「虎鐘さんが、裏切り者って言うのは、どうして?」
一人完結する真宵の横で、虎鐘が裏切った事に単純に疑問を覚える永新は問いかける。
彼の「アーカイブズの管理者」と言う立場を用いれば倶利伽羅に寝返る事も出来ない訳ではないのだが、妖魔である虎鐘が倶利伽羅に寝返る意味が分からない。
それでも、真宵の言葉の通りに虎鐘は倶利伽羅が集まる中に身を寄せており、妖魔を決して認める事は無い倶利伽羅達も彼を遠巻きにしながらも手を下さずにいる、と言う事実が彼の裏切りを表していた。
永新にとって出会ったばかりの虎鐘の裏切りはショックでもなんでもないのだが、いくら考えても「何故」と言う疑問が解消されないのであった。
「さぁな。ただ、あいつの妙な言動と、あいつの部屋に残された何者かとの頻繁なやり取りの痕跡……そして今のこの状況。時間があれば十分答えに辿り着けるだろうが、今はあいつの口を塞ぐのが先決だ。余計な事を喋られたらたまったものじゃないからな」
「――そうは、させないッ! 紅蓮一刀流、初伝・桜花一閃」
殺気を迸らせた真宵に対して、迷わず真正面から突っ込んで来たのは、北の盟主にして大勢の倶利伽羅を率いる、炎導ササラ。
首に巻いたマフラーを棚引かせ、速さと安定性に長けた初伝を容赦なく打ち込んできたササラは、真宵の片足でその一撃を易々と弾かれてしまおうとも、その横を抜け、永新の背後を取って睨みを利かせる。
「炎導ササラ……。長旅ご苦労な事だ」
「宿無真宵、燼月永新。人の形をしていようとも、中身は妖魔。私の手で、切り伏せます。……聞いた話によれば、燼月永新の存在と言うのは思いの外、あなた方妖魔にとって大切な存在らしいじゃないですか? 宿無真宵、貴方が情報提供者を始末しに向かえば、私は燼月永新を殺します。貴方が瞬間移動を使えたとしても、情報提供者の周囲は私の指揮下にある倶利伽羅達で固めてある……。妨害を受けながら始末するのは、さぞかし手間がかかるでしょうね。それだけの時間があれば、私の手にかかれば手負いの妖魔を始末するなど造作もありません。……どうしますか?」
言うなれば、真宵は永新を人質に取られた状況。そして、倶利伽羅にとっても虎鐘には価値があると判断したと言う事。
それはつまり――虎鐘はまだ、倶利伽羅には最低限の情報しか流していないと言う事。
真宵が見た虎鐘の部屋の痕跡。
ミニマリストと言う割には、作業机の上は細かなもので埋まっていたし、連絡の頻度は数回では済まない数のものが見て取れた。もしもその相手が倶利伽羅であるのなら、既に情報は粗方絞れているはず。それなのに未だに虎鐘を重要視していると言う事は、虎鐘が売った情報は恐らく、倶利伽羅に自分を売り込むための最低限の情報のみ。つまり、虎鐘が繋がっていたのは俱利伽羅ではない可能性が高い、と言う事になる。
これまでの情報と照らし合わせて、たった一言の会話でそこまで見通した真宵は、臨戦態勢を取るササラから目を離さずに対峙する。
「あの野郎から、何を聞いた? それが全部嘘だと言う可能性は? お前達が、騙されているという可能性は? それこそ……、オレが燼月を見捨てると言う可能性も、考慮した方が良い。それを言ったのは妖魔のはずだ。全てが嘘だった時、お前は全てを失うはずだ。あいつが実は裏切って居なかったら? オレの能力があれば、あの程度の倶利伽羅を全て葬れるとしたら? ……どうした、顔色が良くないぞ、炎導ササラ?」
「お生憎様、情報の裏付けは取れています。これまであなたが不用意にも倶利伽羅の前に姿を現して来てくれたおかげで。あの山頂でも、貴方は瞬間移動を使っていたし、燼月永新を守るように動いていたという報告が上がっているのです」
「それだけで裏取れたとか言ってんのか? 倶利伽羅のおつむが心配になる――」
「――それに。宿無真宵、あなたの瞬間移動には、制限がある、と言う話も聞いています」
「……」
繰り広げられる舌戦を、多くの倶利伽羅が睨みを利かせて耳を傾ける。
それは永新も同様ではあるが、永新は自分が真宵の足手纏いになっているという事実にも挟まれており、この状況を切り抜ける方法を模索し続ける。
前には炎導ササラ、後ろには赤坂千夏に加え、大勢の倶利伽羅が待機している中で、どうすれば真宵が虎鐘を始末する間を耐え忍ぶ事が出来るのかどうかを頭をフル回転させながら正解を求めるが、導かれるのは炎導ササラの刀に首が斬り落とされる末路のみ。せめて負傷が無ければ、と悔し気に歯を食いしばるのだが、立つので精一杯な今の状況で永新に出来る事は、何も無かった。
永新が八方塞がりの現実を前に汗を滲ませている傍らで、炎導ササラは更に言葉を続けていく。
「自身の瞬間移動は無制限で行えるのに対して、他者を移動させるには多くの制限がある。今すぐにでも燼月永新抱けを離脱させないのは、そう言う理由ですね? 恐らく、移動には本人が付き添わなければならない、とか……ですか? それだとすぐに戻って来れば済む話か……。なら、他者を移動させた後は、自分の瞬間移動にも制限がかかる――ふふっ、どうやら図星のようですね。顔色が優れませんよ、宿無真宵」
「……推理ごっこはお終いでいいか? ……その程度の情報しか仕入れる事が出来ないのなら、あいつを始末する理由にもならないな。帰るぞ、燼月。これ以上ここに留まる理由も無い」
「……ごめんなさい」
「燼月が謝る事ではない。むしろ、謝るのはオレの方だ。情報に踊らされてしまったからな。まさか虎鐘が情に絆されるとはな。少しばかりぬるま湯に浸け過ぎたか? まぁ、今となっては捨て置いて構わないがな」
自分が足手纏いである事が明白である以上、永新が謝罪を口にすると、真宵は右手で永新の体を引き寄せ、慰めの言葉を掛ける。それを見た炎導ササラは、少なくない焦燥感を滲ませながら、煽る。
「……逃げるのですか?」
「現状で最強と呼ばれているからか分かんねぇが、噛み付く相手は見定めた方が良いぜ、炎導ササラ。オレはあの馬鹿な妖魔を差し置いて、お前から殺す事だって出来る。それをしないのは何故か、分かるか?」
「……」
「分からねぇなら聞いてみな。まぁ尤も、あいつが知っているかどうかは、分からねぇがな」
「……宿無真宵。貴方は、何者なんですか?」
「答える義務は無いね。……あぁそうだ、凍吉が――フブキが言ってたぜ? また会おう、ってな」
「ッ、フブキ、が――ッ!?」
フブキ。凍吉の名を口にした刹那、炎導ササラが目を瞠ると同時に、退散しようとしていた真宵は永新の傍から姿を消し、炎導ササラに襲撃を仕掛けた。かと思えば、次の瞬間には炎導ササラの体は反対側の壁に突き刺さり、真宵は永新の隣に戻って来ていると言う、時空を超越でもしたのかとすら思える決して真似できない芸当に永新は感嘆の息を漏らすばかり。
永新の目が捉えたのは、あの一瞬で五発の殴打を炎導ササラに叩き込む光景。炎導ササラも反応を見せて防御姿勢を取ったものの、真宵の殴打は容赦なく炎導ササラの意識を刈り取り、最後に派手な蹴りを見舞って壁に突き刺したのであった。
「――虎鐘ぇ!!」
「ヒぃッ……!?」
「オレがいつでもてめぇを殺せるって事、忘れんじゃねぇぞ。その時が来るまで、精々残りの生を楽しむんだな、裏切り者」
遠く離れた場所にすらも届く真宵の狼のような睨みを受け、虎鐘は盛大に腰を抜かした後に周囲の倶利伽羅に「助けてくれ」とみっともなく縋る。それに対して、前線に立っていた倶利伽羅、炎導ササラが率いた北の倶利伽羅と思しき者達は総じてササラの元へと駆け寄って行き、こちらへの注意が逸れていく。
「さて、帰るか」
「――あ、あの……!!」
真宵が霊力を放出して陽炎を生んだと同時に、それを引き留める声が背後からかかる。
鬱陶しそうに「次は何だ」と苛立ちを隠さずに振り向く真宵に釣られて永新も振り返ると、そこには武器を捨てた倶利伽羅の姿、赤坂千夏の姿がそこにはあった。
何か用か、と問いかけるより先に、赤坂千夏は手を体の横に添え、突如として深々と頭を下げた。
「ごめんなさい……! 私が、人形使いに良いように使われて……燼月君のお腹を刺しちゃったせいで……!」
炎導ササラとのやり取りの一部始終を最も近い場所で見ていたから、千夏は分かっていた。自分が作ってしまった傷のせいで事情がややこしくなっている事を。
しかし、頭を下げる相手は妖魔であり、千夏が謝る事は無い。倶利伽羅として正しい事をしているのだから。それでも、千夏が謝罪に踏み切ったのは、燼月永新の為人を知っているから。
しかし、永新と真宵には赤坂千夏と言う倶利伽羅がどうして頭を下げるのかが分からず、謝られても困るばかりであった。しかも真宵に至っては、永新の腹を刺したのが目の前の女だと分かって、彼女の過保護な部分が顔を出すかのように殺気を漏らす。
「燼月、お前を刺したのは、倶利伽羅なのか?」
「はい。そうです。……けど、恨んではいません。我を失えば、俺も同じことをしてただろうから。いや、力がある分、もっと酷い事を、取り返しのつかない事をしていたと思うから」
「そうか。お前が良いならいい。謝罪が済んだなら行かせてもらうぞ」
それが分かっているからこそ、永新は彼女を敵と見做さず、むしろ自分だったら、と言う論理的な思考でもって真宵を納得させるに至る。この瞬間、千夏にとって永新は命の恩人になるのだが、永新も千夏もその事には気が付かない。
「あ、ま、待ってください……!」
「早くしろ」
「あの……燼月君、良かったら、永恋ちゃんに、小暮日永恋ちゃんに、会ってもらえませんか!?」
「――っ、永恋、に……?」
「永恋ちゃんはここに来てます。でも、今この場でって訳じゃないです。何時でも良いんです。あの子は、今でも燼月君を好きでいて、今でも燼月君の影を追っていて……。でも、凄く不安定なんです。いつか、道を誤ってしまうんじゃないか、って言うくらい、不安定で……。だから、そうなる前に、一度だけで良いんです。あの子に、永恋ちゃんに、会ってくれませんか……!?」
「……」
千夏の口から、まさか永恋の名前が出るとは思ってもおらず、永新はこの瞬間、初めてこの場に永恋達が来ている事を知る。しかし永新はそこですぐに頷く事は出来ず、伝言を伝えてもらうに留まるのであった。
「永恋には、こう伝えて下さい――」
その後間もなくして永新と真宵は連盟本部より離脱し、羅威竿とルゥが待つ事務所へと移動するのであった。
「……あれで良かったのか?」
「分かりません。でも……」
「気になるならいつでも言え。どこにだって連れて行ってやる。ただ、今は少し情報の整理がしたい。ルゥ、観測した情報を教えてくれ」
「あいあいさー」
連盟本部で行われた、裏切り者の炙り出しと、始末。
しかし、本来の目的は何一つとして叶う事は無く、妥協点として人形使いを倶利伽羅の内部から追い出す事に成功した。しかし、真宵と対峙した老教師、かつては最強の倶利伽羅と呼ばれていた皇龍火の死体は人形使いに奪われ、永新が関与していないとは言えもう一人の倶利伽羅の裏切り者である叢雨勇哉には半壊しているとは言え新型霊具を奪取された。
それだけに留まらず、妖魔側の密偵として潜入させていた辰巳虎鐘が倶利伽羅に寝返り、妖魔側の情報を横流しされてしまう。
失ったものに対して、永新達が手に入れたものは限りなく少ない。
特に永新にとっては己の力不足に加えて空虚な思いが押し寄せてきており、まるでそれを振り払うかのように、手持ち無沙汰な羅威竿と共に修行に取り組むのであった――。




