79話
「ササラ様、ご無事ですか!!?」
「――ふんっ!!! 宿無真宵、あの妖魔め……がッ――!?」
「さ、ササラ様ァ!?」
炎導ササラ率いる北の倶利伽羅達が、宿無真宵の手で壁に蹴り飛ばされたササラを救出しようと駆け寄った所、ササラは自ら瓦礫を弾き飛ばして姿を現し、無事を証明してみせた。直後、呪詛返しもかくやと思う程にタイミングよく上から落ちてきた瓦礫が頭にぶつかってササラは盛大に舌を噛むのであった。
「はうぅ……。ひは、はんはぁ……」
「ササラ様、まずは撤収に入りましょう。そちらの音頭は私が取っても?」
「うぅ、定道、お願い。下火蔵もそっちに回しておいて。ササラは今回の件、火加々美家に取り次いでもらう為に話しておくから……」
立ち上がったササラは頭を軽く擦りながら霊具に付着した土埃を払った後、真っ二つに折られた旧式の刀剣型霊具を鞘に納める。
こちらを確実に動揺させる一言を放った後に起こったあの一瞬の攻防。否、攻防と言うには些か烏滸がましいと思える程に防御もままならないどころか、攻めになど転じる暇も無いくらい圧倒的な差を見せつけられたササラは、あの時真宵が本気で敵対していなくて良かったと心の底から安堵していた。
ササラの纏炎の出力の最大は、かつての最強、皇龍火をも越える程のもの。それを使っても尚、防御の上から受けた殴打はササラの体に衝撃を与えた。お陰で全身に鈍痛が走って、体が怠く重く感じてしまうと言うおまけ付。まさしく、「化け物」と評するに値するあの妖魔が本気で倶利伽羅に敵対すれば、現状では止められる者はいないだろうとすら思えるが故に、逆にどうして攻めて来ないのかを疑問に思う。
(……ササラを排除してから、裏切り者である連盟員を始末しに向かわれれば対処のしようも無かったと言うのに、あの化け物はそれをしなかった。って言う事は、本当に燼月永新はあの化け物にとって重要な何か? 男と女、何も起きないはずは無く――)
「……はあ、馬鹿らし。分からない事は、直接聞いた方がいいよね」
顎に手を当てて考え込んでいたササラだったが、思考が逸れて行くのを感じて早々に思考を放棄。今はそれ以上に考えなければならない事が山積みで、まずは目の前に転がる解決しやすいものから順番に、と言う性格がもろに出るような方式で順序決めした後、一人の少女の元に歩み寄っていく。
「こんにちは。火加々美家の娘さん、ですよね?」
「っ、炎導、ササラ、さん……。はい、そうです。初めまして、火加々美甘奈と申します。此度のご助力、感謝申し上げます。それで……どうかなさいましたか?」
一方向を見て呆然と佇んでいた少女、火加々美甘奈に声を掛けると、甘奈は僅かに警戒した様子を見せた直後、即座に冷静沈着を装って対応に当たる。その変わり身の早さは流石と言わざるを得ないのだが、同じく幼い頃より上に立つものとして教育を受けて来たササラの身からすれば、むしろ同じ環境に位置する、それも同年代の彼女に共通点を見い出せずにはいられなかった。
「丁寧にありがとうございます。今回の一連の流れについて、被害の経緯と規模。それから、こちらで入手した情報源に付いても話しておきたいのですが、よろしいですか?」
「はい。その件については私からも色々と聞きたい事がありました。まずは、落ち着ける場所に移動を――」
「――全部、話してよッッッ!!!!!!!!!!!」
「「っ!」」
東の盟主の娘と、北の盟主が賛同して場所を移り変えようと決めた、その直後だった。
耳を劈くような金切り声が上がったのは。
金切り声の主、それは、戦闘が終わったにもかかわらず、敵を穿つための弓に矢を番えた小暮日永恋。彼女は、共に戦い抜いた仲間であるはずの御厨七星に向かって弓矢を構えており、その目は決して虚仮脅しなんかではない、本気の色を宿して七星を恐喝していた。
「え、永恋……お願い、話を、話を聞いて……!」
「だから聞いてるんでしょ!!!!! 全部、包み隠さずに全部、話してよ!!!!」
「永恋、落ち着け、落ち着いてくれ。まずはその手を下ろして……。七星も、怖がってるから。こんな状況じゃ、話にならないから……。な?」
永恋の顔には悲壮感が立ち込めており、パニックに陥っているのが良く分かる。
傍では七星と同じ四家である天炎家晴也が永恋を刺激しないよう、その手を下ろすよう訴えかけるのだが、向けられるのは敵意の込められた鋭い視線ばかり。
その手が番えた矢には炎が宿っており、永恋は情け容赦なく霊技を放つつもりであるのは、彼女が纏う空気感が本気である事を証明しているかのよう。
如何に纏炎を発動しているとは言え、これだけの至近距離から、例え破魔弓術初級だとしても、彼女が狙う先の頭に当たればひとたまりもない。むしろ、妖魔ではなく人を貫くのであれば、初級でも問題無く目標を達成できるだけの威力はあると言うもの。
「早く、早く答えてよッ!! 貴方達は、永新に何をしたのッッ!!!? 永新が、何をしたの!!?」
「話す、話すから……! お願いだから、その手を下ろして……! 怖いよ、永恋……!」
「…………っ、嘘は、無しだから」
「うん、うん……。……燼月を、燼月永新を追い詰めたのは、あたし達四家なの……っ!」
「――ッ」
苛烈さを増していく永恋の剣幕に、誰もが手を出せずにいる中、ササラは話の内容に興味がある、とばかりに耳を傾ける。易々と道を違えてしまうかもしれない永恋を止めようとはせずに見守っていると、黄金世代では半数が知る事実を、永恋は初めて耳にする。
そんな馬鹿な、と思う反面、振って湧いたような怒りが瞬く間に永恋の感情を支配し、永恋はこれまで友人と呼んでいた人たちの事をまるで蔑むかのように睨んでは、四家に対する評価を地の底に落とす。それは七星が口にした直後に響いた、憎しみの込められた「ギリッ」と歯噛みする音がなによりも証明しており、もしも未だに弓矢を構えていたのなら、七星は無事では済まなかった事だろう。
そうして七星と晴也の口から語られたのは、子供の邪悪さと、中途半端に大人な狂気を混ぜ合わせたかのような、永恋にとっては聞くに堪えない内容。
話が進む程に七星は自分たちの行いを自覚して顔色を青褪めさせていき、険しさを増していく永恋の様子を見て晴也は口数を減らしていく。
「ごめんなさい、ごめんなさい……!」
「……」
全てを打ち明けた時、七星は罪悪感に押し潰されて泣き崩れるばかりで、晴也はいつからか一言さえも発しなくなっていた。
満ちた空気は最悪のもので、一際目立つのは、怒りに肩を震わす永恋が、己を諫めるかのように吐く荒い呼吸の音であった。
永恋の両手は、強く握り締められたせいで爪が皮膚を破って流血しており、反対の手では手にしていた新型の弓型霊具を握り潰していた。それだけ、今の話に抱く怒りと絶望、憎悪は大きいようで、そんな状態になっても手を出していない事に賞賛を与えて然るべきだとすら、余所者のササラは思えていた。
関係ないササラや、周囲で耳を聳てていた北の倶利伽羅からしても今の話は聞くに堪えないものであり、多くが眉間に皺を寄せている。感受性の豊かな者であれば、燼月永新に同情すらしてしまえるだろう。だがそれは俱利伽羅としてはご法度であり、この場において誰一人として、ササラを以てしても、四家を非難する事は許されない。燼月永新の肩を持つと言う事は、妖魔に与するようなものだから。
そんな中でただ一人、倶利伽羅の事情など知った事ではないと、全てを唾棄するように言い放つ人物が一人。
「最ッ、低……」
永恋の腹の底から引きずり出した声は、全てを呪うかのようにおどろおどろしいもので、聞き耳を立てていた者達の肌にさぶいぼを立たせる。
見下した目付きには笑みの一つも無く、光さえも宿っていない。永新を追い詰めた全員を殺したい程憎んでいると言う激しい怒りだけを宿して影を落とした永恋の表情は、誰も見る事が出来なかった。
七星、晴也、甘奈の順で視線を巡らせた後、永恋はそれ以上呪詛を吐く訳でも無く、黙ってその場から去っていく。
永恋の非難を浴びて彼女の背を追う四家はおらず、まるで静止した世界の中で永恋だけが動けるかのように悠々と、けれども行く先は地獄へと向かって歩いて行く彼女を、誰も止められない。
けれども、たった一人、戦闘後の傷跡が生々しい女性の倶利伽羅だけが「待って」と声を掛けて背を追って連盟本部から出て行く。その一部始終を目の当たりに、耳にしたササラは、誰一人として晴れやかな顔をしていない重苦しい雰囲気の中で、真っ先に声を上げた。
「火加々美さん、茫然自失のところ失礼しますが、わたしは彼女の後を追います。お三方は会議室で休んでいて下さい」
「……ですが」
「後の事は定道に任せていますのでご心配なく。……あなた方のしたことは、決して許されない事です。ですが、それを取り返す為には、態度で示すほかありません。反省して反省して反省して、その先にある罰を受けても許されない。そんな地獄が今後一生続くやもしれません。ですが、それを決して忘れない事。反省し続ける事で、貴方達のこれからの人生の評判は決まります。失望されたくないのなら、見限られたくないのであれば、今のあの子の目を忘れない事です。……今すぐにどうこうしろと言う訳ではありません。まずは落ち着いてから、ゆっくりと話しましょう。それで、いいですね?」
「……はい。ありがとうございます。ササラさん」
「これも、お姉さんの役割ですから。――定道! 後の事は任せます! 撤収が終わってから、私が戻るまでの間、暫し休息の時間を与えます。報告はその後行いますので、通達をお願いします」
「かしこまりました。下火蔵共は私にお任せください」
「えぇ、助かります」
当事者では無いとは言え、永恋の剣幕を前に他の倶利伽羅は息を飲む個しか出来ないでいる中、甘奈達とは三つ四つしか違わないのにもかかわらず、的確に現場を指揮する姿に、同じ俱利伽羅の盟主の下に生まれ育った身である甘奈は明確な実力差を思い知らされる。
何にも動じることなく、俯瞰して物事を見て判断する事が出来る。これが天才、これが最強。
しかし、今の甘奈はそれに対抗心を燃やす気力など無く、様々な出来事によって疲弊し切った精神を癒すために、泣き崩れる七星に肩を貸して、連盟本部の会議室に移動した同期三人は、揃って休息を図るのであった。
「酷い、話だったね……」
「永新の事、大好きなのに……っ。永新の事、何も、知らなかった……!! 私は、私は……っ!!」
連盟本部の敷地内にある景観のために人工的に造られた小川の辺で永恋は腰を下ろして啜り泣き、それに寄り添う形で千夏は宥めていた。
永新が去った後、彼から頼まれた伝言を伝えに走った途中で、千夏は四家による永新の虐めの話を耳にした。耳を塞いでしまいたくなるような話に、千夏は永恋の心境を誰よりも理解していながら、彼女の耳を塞いであげる事ができなかった。四家への憎悪を、止めてあげる事ができなかった。
それは、千夏が心のどこかで永恋の怒りを肯定しているが故の行動であり、永恋にとってはその後押しが何よりも心地良かった。
しかし、それでは永恋の心は決して報われない。
傷付いたまま、歪んだままの心で、ただ緩やかに、急速的に崩壊に向かっていくのみ。
例え永恋本人がその破滅の道を進むことを望んでいたとしても、それを止めるのが大人の役割である以上、千夏の行動は間違っているとも言えた。
だが、千夏もそれを理解していない訳では無い。傷付き、脆くなった今の永恋には、時間が必要である事が分かっているからこそ彼女の心を休ませる為に動いたのだが、それを壊すかのように、稀代の天才は現れた。
「――本当に酷いのは、どっちなんですかねぇ」
「っ、だ、誰ッ!?」
「え、炎導ササラ、さん……ッ!?」
「はぅあ〜。毎度毎度、登場する度にそんな反応をされると、わたしも傷付くなぁ……」
音も無く現れては、二人のすぐ側に腰を下ろしたササラを見て、永恋と千夏はまるで幽霊でも見たかのように飛び跳ねる。
「初めまして、小暮日永恋さん。わたしは、炎導ササラ。盗み聞いちゃってごめんなさい。でも、一つだけ貴方に聞いておきたい事があって」
「聞きたい、事……?」
「貴方と、燼月永新との関係を。貴方にとって、燼月永新とは、何なのですか? 倶利伽羅であって、妖魔である彼は、一体どのような関係なのですか?」
永恋にとって永新は何か。
そんなもの、考えるまでもなく、永恋は間を置かずに返答する。
「――永新は、私の全て。私の世界に永新が居ない事なんて認められないし、永新は私の世界の全てなの。だから、何があっても私は永新を傷付けた皆を許さない……! 許しちゃ、いけないの……!」
感情的で、衝動的な答え。
だからこそそれは永恋の本音であるが故に、ササラは小さく笑う。そして、ササラの笑みの理由が分かるが故に、千夏は息を飲む。
「ふふっ」
「何が、おかしいの……!? あなたも、永新を否定するの!? 否定するなら――」
「――いいえ。わたしが否定するのは、貴方。燼月永新の虐めを知らず……、違いますね。貴方はそれを知ろうとせず、倶利伽羅から総じて非難を浴びせられる燼月永新の味方でいる自分に酔い痴れていた貴方を……、わたしは否定すると言っているのです」
「っ、は、は……? 私、が……?」
両膝を立て膝の前で手を組んで座る、俗に言う三角座りをしたササラは、なんでもないような風を装って言い放つ。その言葉は、あまりに無情で、あまりに残酷。
「わたしは、貴方を慰めに来たわけじゃ無いの。多くの倶利伽羅を管轄する一人の盟主として、一人の倶利伽羅が道を踏み外すのを止めに来ただけ。だから慰めの言葉を期待していたなら、ごめんなさい。わたしはこれから、貴方に現実と言うものを叩き付けます」
これから語られる話はササラなりの励ましでもあると同時に、永恋の心を、野心とも言える渇望を打ち砕く内容でもあった。
「小暮日永恋さん。貴方は今回、東の盟主である火加々美家から下された配属命令を無視してまでも、この場所に足を運んだ。あまつさえ、秘密裏に開発された新型霊具一式を、家族すら騙して用意させる周到さ。わたしは、これを称賛しますよ。普通に出来る事ではありませんから」
倶利伽羅は都市伝説のように存在しているとは言え、盟主を頭に階級毎に区切られる軍隊のような仕組みが整った組織であり、命令に背くと言う事は俱利伽羅として欠かせない家格に直接関わる非常に不味い行為だとも言える。
それを、永恋は目的が定かではないにしろ、何かの為に命令を無視した。それは他の倶利伽羅でも相当に肝が据わっていないと出来ないような行為であった。
倶利伽羅としては決して褒められた事ではないと自分で言っておきながら、ササラは永恋のそれを称賛する。慰めに来たわけではない、と言った直後に謎の賞賛を受けた永恋は、余計ササラが何を言いたいのかが分からなくなってしまうのだが、決してその場から逃げようとは思わなかった。――否、ササラがこの場の空気を支配しているが故に、勝手に口を挟むことも、勝手に行動する事も許されていないかのようで、永恋は疎か、千夏までもが一歩たりとも動く事を許されないでいた。
「貴方には、それが出来るだけの行動力があった。アクションを起こせる勇気があった。……なのに燼月永新の虐めを知らなかった、妖魔堕ちを知らなかったのは、どうしてですか? 貴方にとって、彼は全てだったんでしょう? それなのに、彼の些細な変化に気が付かなかった……? それはおかしいですよね。でも、仕方が無かった。そうでしょう? だって貴方は、燼月永新の身に起きた異変に気付かなかったんじゃない。気付かない振りをしたんですから。だからこそ、虐めの事実は知らなかったんじゃない、知ろうとしなかったんです。そしてそれは、彼の為なんかじゃない。理想の彼という虚像しか見えていなかった、貴方自身の為。自分の理想を崩したくない為。……違いますか?」
「ハッ、ハッ、ハッ……!? そんな……っ、嘘……! 違う……ッ、私は……違う、違うの、永新……!!」
淡々と告げられるササラの言葉に、過呼吸を患った永恋は胸を押さえて地面に蹲る。
それは、永恋が目を背け続けてきた、紛れも無い事実。手紙を書き続けたのも、約束を信じていたのも、全ては永恋が作り出した理想の自分をトレースしただけの行動に過ぎない。本来の永恋であれば、筆まめなんて言うのは嘘で、手紙を書く暇があれば、強引にでも永新の家に乗り込んで謝罪していたに過ぎない。約束を信じていたのも、奥ゆかしい自分になりたいが為に、一方的に取り付けた約束を信じ込んでいただけの話。全てを振り返ってみれば、そこに永新の意思は介入しておらず、全ては永恋の独り善がりであったと言う事実に、永恋は自分の恋心さえも嘘だったのかと疑って胸を掻き毟る。
違う違う、と地面を涙で湿らせていくが、想起される思い出は全て永新の意志が尊重されていないものばかり。自分勝手で自分本位。永新の事など、何一つとして見ていない自分。他のクラスメイトと同じように、永新の事も自分を飾るアクセサリーか何かと同じように考えていた自分に、胃袋をひっくり返してもまだ足りない程の吐き気を催す。
そう思っていたからこそ、永新が本気で困っていたのに気付かない振りをした。
そう思っていたからこそ、永新が傷付いた時に悲しんだ振りをした。
――だって私は、永新の事が大好きだから。
恋愛感情はただの錯覚、とはよく言ったもので、全ては子供の無邪気さが生んだ邪悪さ。
幼き日の永恋にとって、永新とは自分を彩るアクセサリー。それも、一番大きなダイヤモンドに過ぎなかった。それにどれだけの価値があるかもわからない子供にはもったいないくらい、大きくて、綺麗で、澄んだ色をした永新は、いつしか淀んでしまい、子供の永恋は遂には見向きもしなくなった。
それが全てであった。
永恋にとって永新はその程度。その程度であれば、わざわざ心配する必要も無ければ、首を突っ込む事も無い。だから虐めも知らなかったし、興味も無かった。けれども、悲しむ振りをしていれば、悲劇にヒロインになれる。そう、思っていた――。
「――でも……っ。私は……、永新が、好き。大好きなの……。この想いだけは、嘘じゃない……! 嘘に、したくない……ッ!!!」
涙と鼻水で汚れた顔を上げた永恋は、それでも、と心の底から思いの丈を口にする。
噓から出た実。
真実が嘘になって、嘘がまた真実に変わる。
戦う為に育てられた倶利伽羅にとって、一人前の大人として認められた今ならまだしも、幼児期に抱いた感情と正しく向き合うのは難しい話。幼い永恋には、恋や愛を理解するのは早すぎたのであった。
だからこそ、正しく理解できた今だから言える。私は、永新の事が好きだと。大好きだと。
ビル群が立ち並ぶ都会の街並みに沈んでいく太陽が生み出す夕焼けの茜よりも赤くなった顔で泣き叫ぶように、自分に言い聞かせるように叫んだ言葉は、ササラの顔に笑みを差す。
「…………嘘にしたくないのなら、どうすると言うのですか? 燼月永新と同じように、妖魔に堕ちますか? それとも、彼の恨みを果たす為に片っ端から黄金世代を殺して回りますか? まぁ、どちらも止めさせてもらいますけど」
三角座りの状態で後ろに重心を傾けたササラは、楽しそうに揺れながら永恋に選択を迫る。それが、盟主としての役割だから。
そんなササラに対して、永恋は霊具に皺が寄る程に胸元に置いた手を固く握り締め、荒い呼吸のまま吐き出す。永新に対して、誠実さを見せる為の方法を。贖罪に繋がる道を自ら見つける為に。
「……永新の事を、もっと、知りたい。もっと、知らなくちゃいけない。私の知らない永新を。永新の全部を、知らなくちゃいけないから、知る為に、動かなくちゃ、いけない……」
全ては、永恋が理想を抱くきっかけになった問題の一つである、会話の不足と言う問題の解消に永恋は目を付けた。
お互いの家での過ごし方も知らなければ、好きな食べ物の一つも知らない環境は、永恋が永新に「付加価値」を見出すのに十分な環境であり、相互理解が欠如した関係など、すぐに破綻するに決まっていた。
故に、永恋はまず人間関係の初歩の初歩である、その人を知る工程から始めようと口にしたのであった。
そして、その答えを導き出した炎導ササラは満悦そうに微笑んだ後、「よしっ」と呟くと同時に張り詰めていた空気をぱっ、と泡のように弾け飛ばす。
「はわぁ……。ンっ、んんッ……!! わたし的には、その答えが聞けて満足、ですね。正直、盟主としての責任とか、果たしたくないって言うのが本音ですし。やるならわたしの目が届かないばしょでやって~って感じですし」
「……なんか、さっきと全然空気が違うんですけど」
「まぁね。こっちがわたしの素ですから。気を張り続けるって、結構疲れるんですよ? それに、宿無真宵に思いっきし吹っ飛ばされたせいで体の節々が痛いしで……」
すっかり毒気の抜かれるササラの切り替わりについて行けない二人は呆然と立ち尽くすばかりなのだが、近寄りがたかった空気感が一転し、接しやすいどころかフランクを通り越してフレンドリーな様子に早変わりしたササラに掛ける言葉が思い付かないでいた。
「はぅぅ……、束の間の休息ですぅ……。あ、そうだ、小暮日永恋さん。燼月永新を知る道を行く前に、報告会には出て下さいね。命令無視に対する罰則が下されるでしょうからぁ。まぁ、今回は特例と言う事で、わたしの一存で限りない減刑まで持ち込んであげますからぁ」
涅槃像の姿で横になってこめかみに手を当てたササラはそう言いながら腕時計を覗き込むと、すっかり予定の時刻を過ぎている事に気が付いて、大慌てで立ち上がるや否や、乱れた霊具を整えて「いざ行かん」と足取りの重い永恋と千夏の手を引く。
永恋からすれば、侮蔑を言い放った挙句の果てには自分も同じ非難されるべき立場だったと思い知らされてから、合わせる顔が無い、とばかりに足が重くなっているのだが、千夏に関しては単純に罰則の事に関して非常に苦い顔を見せるのだった。
「美味しいほうじ茶とお茶菓子を用意させてますから、早速行きましょう! はぅあ~! 楽しみですねっ」
「苺のショートケーキが良かった」
「要観察処分のくせして生意気言いますねぇ。でも、貴方のある意味では一途なところ……、非常に好感が持てますよぉ。その為にも、まずは先の不仲を仲直りするところからですね。さぁ、レッツラゴーです」
「あ、ちょっ――」
小暮日永恋の行きつく先は、正にササラが想定した通りの決着であり、彼女が想定した中でも最も価値ある、未来ある結末に導く事に成功したササラは、疲弊し切った頭が糖分を欲しているように二人の手を楽々と引きながら来た道を引き返して連盟本部へと戻っていくのであった――。




