74話
――仇を討て。
それが、赤坂千夏が父親のように慕っていた部隊長、竜ヶ谷虎徹から課せられた最期の命令であった。
そして、人形使いに操られた虎徹が、我が身を焼く炎に包まれる中、千夏にだけ聞こえるように口にしたのも、同じ言葉。
「ち、なつ……。かた、きを……うて――」
喉が焼かれてしまい、いつものように自分を叱ってくれる隊長の姿はない。けれども、あの満月の夜、最後に聞いた彼の声は、はっきりと思い出せる。
それが、千夏の部隊長であり、勇敢な倶利伽羅としての、虎徹の最期の命令ならば、遂行する他無い。
故に千夏は、虎徹を殺し、同じ部隊の仲間である進藤天音と敵対する倶利伽羅にとっての敵である妖魔、「燼月永新」に対して刃を向けるのであった。
「――ッ、隊長の、仇……!!!!! 天音先輩は、殺、させない……ッッ!!!!!!!」
千夏が放った刃、それは前だけを警戒せざるを得なかった永新を背後から襲い、ものの見事に、彼の人間である部位、脇腹を貫く事に成功する。
刀を握る手に伝わるのは、妖魔と言う霊力で体を構成する化け物の感触とは異なる、れっきとした人間の肉を裂いた感触。
それでも、怒りと憎悪が突き動かす千夏の体は容赦なくその刀を引き抜くと同時に、大量の鮮血が噴き出す。
千夏の視界を染め上げる赤い血は、千夏が纏う霊具にも返り血として跳ね、手にも、頬にも跳ねるのだった。
仇である妖魔の、燼月永新の体が噴出した血は熱く、生を感じさせる熱を持った血は鉄臭かった。
それは妖魔では決して起こり得ない事象であって、目の前で驚愕の表情を浮かべながらゆっくりと地面に落ちていく永新の体を見て、千早の脳内には「人を殺した」と言う変えようのない事実が浮かび上がってくる。
事実はやがて実感となって千夏に襲い掛かり、逸る鼓動、荒ぶる呼吸、止まらない汗となって千夏の体に変化を及ぼす中、こちらの気が狂いそうな程に気が狂った笑い声を上げる人形使いの声が千夏の脳を犯す。
「――キヒヒッ!! あぁ、上手くいきました……! ぅキヒャッ!! あの燼月永新が、遂に私の手の内に……!! 生意気なところは消してしまいましょう。素直なところは残しましょう。ただ強く在れと、妖魔の王を殺す為の私の手となり足としましょう。……それにしても、人間と言うのは本当に操りやすい。大好きな相手の声や仕草を真似れば、簡単に生きていると信じ込むのですから――っと、嬉しい事があるとついつい喋り過ぎてしまいますねェ?? 赤坂千夏さん?」
「ッ!!!? お前は、私に……何をしたッ!!?」
「――何も。強いて言うなら『ち、なつ……。かた、きを……うて――』って言ったくらいですかねぇ?? どうです、似てましたか? 私、声真似が得意なんです、キヒヒッ。でも、私は声を発しただけ。全ては貴方の手で行われたのですよォ? 無事に仇が討てて、良かったですねェ??」
どさっ、と音を立てて床に崩れた永新を挟んで、千夏は思わず頭を抱えてしまう。
仇を取ったはずなのに、晴れない心。曇っていく頭の中。
その全てが人形使いの言葉でひっくり返され、千夏は自分が虎徹に泥を塗ったと言う事実に耐え切れずに血の付いた刀を取りこぼし、膝から崩れ落ちていく。
手に付いた永新の返り血で千夏の顔が汚れていく様を、人形使いは笑って眺める。
「キヒヒャハッ!! 喜ばないのですかぁ? せぇっかく、御前立てして上げたと言うのに……? まぁでも、全ては私の思い通りに事が運んだ、と言う事で……。後は燼月永新の体を回収、し、て――ッ?!」
人形使いが意気揚々とネクタイを締め直して、その手の先から繋がる人形の進藤天音を操ろうとした、その時。人形使いは信じられないものを目の当たりにして、思わず動きを止めてしまう。
「な、な……なんで、立ち上がっているのですかぁ……!? その出血量では、出血性ショックで人である燼月永新は間違いなく気を失うはず……。意識も無いのに、何故立ち上がっているのですかッ!?」
人形使いの視線の先、そこでは、燼月永新の体から流れ出た血の海が出来ており、燼月永新はそこに両の足で確かに立っていて、燼月永新が手で押さえる傷口からは今も流血が絶えない。
このままでは間違いなく彼が死んでしまいかねない状況に、人形使いは酷く戸惑いを覚えずにはいられなかった。人形使いの目的は燼月永新の生け捕りである以上、死んでいては意味が無いのだから。
早急に連れ去って治療を受けさせなければならない、とそう判断したのも束の間、まるで夢遊病患者のようにゆらり、と佇む永新は突如として掌に霊力を纏わせ、それを傷口へと押し当てた。
「――う゛ッ……、っ……、ハァ……ッ!!!!!!」
ジュッ、と傷を焼く耳障りな音が聞こえたかと思えば、力なく俯いていた顔を勢いよく振り上げ、灰の中の空気を全て吐き出さんばかりに息を吐くと、酸素を求めて喘ぐ気道を黙らせるために浅い呼吸を繰り返す。
「…………っ、どうした、人形使い? 死人が蘇ったとでも、思ったか?」
落ち着いた呼吸を取り戻した次の瞬間には、永新は人形使いを煽るように言葉を発していて、人形使いは永新の血の気の引いた顔で笑顔を浮かべる様を前に、僅かにたじろぐ。
「っ、燼月永新……、お前は、何者ですか……!? 不死身だ、とでも言いたいのですか……?」
「不死身……? だったら、よかったけど……っ、痛いな、ちくしょう」
「い、痛いで済むはずが、無い……! 確実に、意識を失っていたはずです!! なのに、どうして立ち上がったのか……。理解、出来ません……ッ!」
永新は土気色の顔で背中側の傷も止血を施すと、明らかに具合の悪い様子ながらも、しっかりと日本の足で地面捉えて人形使いと対峙する。
人形使いの言う通り、永新は一度に大量の血液を失った事によってショックを起こし、自らの血溜まりに倒れ込むようにして間違いなく意識を失っていた。だと言うのに、意識が無い状態で立ち上がった理由はただ一つ。真宵との修行によって、意識が無くなろうとも立ち上がり、生き残る為の最善手を取らなければならないと、頭ではなく体に叩き込まれたお陰であった。
真宵との修行では意識が無くとも迫り来る攻撃を避けねばならないし、動き続けなければならなかった。その為、永新が意識を失った事で全てが終わったと勘違いして手を止めた人形使い相手であれば、永新の体がひとりでに立ち上がって意識を取り戻す行動を取るなど、なんらおかしい事では無かった。
そして、わざわざその事を説明する義理など無いわけで。困惑の渦中にいる人形使いは放って、永新は自分を刺した倶利伽羅の女性、赤坂千夏の腕を引いて立ち上がらせる。
「え……?」
「力を貸してほしい。人形使いと、あの人形を、解放するための」
「ど、どうして……?」
「この傷じゃ、満足に動けないから」
「ッ、ご、ごめんなさい、私、気が動転して……! 仇を、討たなくちゃ、って、思ったら体が、勝手に動いて……!!」
「大方、人形使いに、そう、仕向けられたんだろう……。あの時の攻撃は、やけに前だけに集中していたしな。俺の、不注意でもあったが、動くのには問題ない。……ただ、この状態で人形使いを仕留められるかと言われたら難しい。あの倶利伽羅を足止めしてくれる相手がいないから」
「……天音先輩を、私が? 私、なんかが、天音先輩を――」
「出来るか出来ないか、どっち」
「っ、や、やります……、私が、やらなくちゃ、いけないから……!!」
「それじゃあ、出来る限りよろしくね。……自己紹介は、要る?」
「燼月永新くん、知ってます。有名だから。……私は、赤坂千夏。そしてさっき燼月くんと戦ってたのが、私の隊長で、あれが、天音先輩。私を含めた、命を預け合うスリーマンセルのチーム……家族だった二人」
「謝りはしないよ。彼らはもう、死んでるんだから」
「え……? それって、どう言う――」
「そのまんまの意味。人形使いは、死体しか操れない。言わば、死霊使い。言葉で操る、って言うのも、人形使いだと言う嘘を本当のように見せかける完全な嘘。その点も相俟って上級妖魔の真偽を尋ねたら、こんな事になっちゃったんだけどね」
「……死体を、弄んでいる、って事? そんな、そんなのって……」
端的に、的確に、短い言葉で選択を余儀なく突き付ける永新に対して、千夏は一つ一つに悩む時間を与えられずに矢継ぎ早に答える事を要求される。その過程で永新は千夏の抱く激情の矛先を正しい方向へと向けさせ、彼女に立ち上がる力を与える。
「……私が、やらなくちゃ、いけないんだ……! 私が、二人の仇を、討たなくちゃいけないんだ……!! なのに扇動されて、間違った事をしちゃって……。私は、私が恥ずかしい……っ!! 隊長の最期の命令も、天音先輩の覚悟も、私が必ず報わせる。私が……やるんだっ!」
顔を上げた千夏と同じくして、人形使いも困惑から解放されて苛立った様子で人形を操る。
「燼月永新……! そんな死に体で、私に勝つ……? この私も随分と、舐められたものですねぇ!!!」
人形使いは右手で倶利伽羅を、左手で瓦礫を操作して永新の行く手を阻もうと画策するも、示し合わせた通りに千夏が先陣を切って切り込み、操られた進藤天音の一太刀を受け止める。
「天音先輩の、太刀筋は全部、覚えています……ッ!!! それに比べれば、意志の乗っていない刀なんて、重くは、無い――ッ!!!!」
「……っ、紅蓮一刀流、初伝重ね技、桜花一閃・双月」
千夏の実力はコンディションに大きく左右されて安定しないものの、最大級のパフォーマンスが引き出せる状態であれば、虎徹に次ぐ天音と同格の実力を持っていた。そして今、彼女が手にするのは持ち主の霊力を増幅させ、最適化して放出する事が出来る最新の新型霊具。全ての歯車がかっちりと噛み合った時、千夏は天音の亡霊をはるかに上回る実力を発揮するのであった。
「えぇ、天音先輩ならそうすると思いました……っ。――略式詠唱、防御血界・烈火晶!! これは、隊長からの気付けです――」
何度稽古を付けてもらったか数え切れない。
そんな相手の太刀筋は知り尽くしていて、千夏は天音の振るう刀を全て最小限の動きで弾いていく。しびれを切らしたのか、それとも人形使いが決め手を急いたのかは不確かながら、天音が放つのは彼が最も得意としていた牽制も制圧もどちらも取れる万能な得意の一手。
しかし、千夏はそれすらも読んで、予め用意していた護符を発動。
最も速い初撃をそれで防いだ後、続く二撃目は体を横に動かす事で回避。そうして生まれた最大限の隙を突いて、千夏が放つのは虎徹の十八番。
「――紅蓮一刀流、中伝・火炎獅子ッ!!!!」
その一瞬。
完璧に隙を突いた千夏の一撃は、避ける事など不可能な天音の体を確実に捉えていて、無防備を晒した天音の体に、獅子を象った炎が吸い込まれていく、その瞬間だった。
千夏の目に、天音が満足そうに微笑んだ顔が映ったのは。
『よくやった』
まるでそう言っているかのように見えた千夏は、思わずその手を止めてしまいそうになったところで、天音も、虎徹もこれを望んでいるから、と奥歯を砕かんばかりに噛み締めて、その刀を振り切るのであった。
「ああああああああああああああああああッ、ああああ……ッッッ!!!!!!!!!!!!!」
直後、カラン、と音を立てて千夏の手から落ちる霊具。
まるで役目を終えたかのように床の上に転がった傍で、膝を折った千夏は、ポロポロと大粒の涙を流しながら、地面に崩れた天音に向かって、思いの丈を口にする。
「ありがとう、ございました…………っ!」
千夏の口を突いて出た言葉、それは、感謝の言葉。
謝罪の言葉ではなく、感謝の言葉が出たのは、天音も虎徹も、自分を責めたりなどしていない事を誰よりも知っているから。故にこそ、不甲斐ない自分をここまで連れて来てくれた二人に、感謝の言葉を口にしたのであった。
しかし、戦いはまだ終わっておらず、人形使いが言ったように「死に体」であるのは間違いない永新は、その死に体の状態で人形使いに向かって前進を続けていた。
「一人になったな、人形使い。どうする、他の人形を呼び出すか? それとも、このまま消耗戦を続けるつもりか?」
「消耗戦なのは、貴方だけです、燼月永新……ッ!! 大人しく、私に捕まっていればいいものを……!!」
人形使いは、その気になれば簡単に潰す事が出来る永新を「生きた状態で捕らえる」と言う条件が邪魔をして押し切れずにいて、反対に永新はその条件を逆手に取って迫り来る数多の瓦礫と、捕縛しようと伸びる霊力の糸を捌きながら前進していた。
しかしながら、このままでは人形使いの言う通り、永新が動けなくなるまで消耗して捕まってしまう、と言う敗北を喫する未来が待っているのみなのだが、死に体の永新は満足に踏ん張ることすら難しい状態にあった。
それも全ては腹部の傷であり、一度に大量の血を失った事が非常に大きかった。
霊力は血、血は霊力とも言うように、永新の体は今、本来であればまともに活動する事すら困難な状況にあった。それを、永新の霊力で血を代用する事で辛うじて動けているのであって、戦闘など以ての外と言える状態。しかしこのままでは確実に消耗を待たれてしまうだけである以上、永新はたった一度の機会を虎視眈々と待ち続けていた。
そして、その好機が遂に訪れる。
「――紅蓮一刀流、初伝・赤牙波羅ッ!!!」
その一撃と共に永新と人形使いの間に割り込んできたのは、血に染まった霊具をたなびかせた、千夏。
轟、と音を立てて瓦礫を裂いた一撃は、永新から人形使いまでの道を一瞬だけ切り拓く。千夏の乱入に気を取られた人形使いがそれをすぐに塞ごうと試みるのだが、この好機、この一瞬だけを待ち続けていた永新にとってみれば、人形使いが塞ごうと動き始めた頃には既に動き出しており、たった一度きりの踏ん張りと言う切り札をここで切るのであった。
「我流・千変万火ァァァァアアア!!!!!!!!!!!!!!」
人形使いは、気炎を吐いて迫り来る永新の道を塞ごうと、まるで積み木を組み立てるかのように瓦礫を動かして積み上げていくも、永新の足は止められない。
人形使いは床を隆起させ、押し潰し、挟み込みなど様々な手を取って永新が自分の下に迫るのを防ごうと試みるが、人形使いの糸繰りよりも永新の駆けてくる足の方が速い。一つを成したと思えば、永新は既にその場所を抜けていて、人形使いは即座に次の妨害へと移らなければならなくなる。一手先を回ろうにも、今の永新を止められない限り人形使いは延々と後手に回らざるを得ないのであった。
そんな妨害を潜り抜けた先、永新が血反吐を吐きながら最後の一つを抜けて、遂に人形使いを間合いに捉え、永新が人形使いへと手を伸ばした――その時だった。
「……キヒッ」
嫌味な程に弧を描く口元を見せつけるかのように笑った人形使いは、いつの間にか懐から一枚の護符を取り出しており、術式には既に火が回っていた。
刹那、護符が燃え尽きる中、護符の内部より倶利伽羅の片腕が刀と共に出現したかと思えば、それが永新の眼前で断頭台のように振り下ろされ、永新が伸ばした右腕はストン、と切り落とされる。
人形使いは、初めから永新が何かを企んでいる事を見抜いていた。
そして死に体の彼に残された機会はたったの一度きりである事も。
故に、彼の好機を完膚なきまでに叩き潰す事だけを、最後に希望を見せたその瞬間に斬り落とす事で、完全なる勝利を手中に収めようと動いたのであった。
これで、最後の機会を潰された燼月永新は完全に動けなくなる。
その事実だけで達してしまいそうになる人形使いの眼前で、永新は叫んだ。
「――千夏ッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「……外したら、ごめんけどッ!!! ――破魔弓術初級、火打ち!!」
瞬間、人形使いの視界の外から飛来した、鏃に火を付けた一本の矢が、寸分の狂い無く空中で落ちていくだけだった永新の足裏に届き、破魔弓術初級が小さな花火となって炸裂する。
その衝撃で浮かび上がった永新は、肘から下をすっぱりと斬り落とされた右腕も構わず、護符より出現する人形を飛び越え、勝利の美酒に酔い痴れていた人形使いに向かって飛び込んでいき、人形使いの胸に飛び乗った永新は人形使い諸共地面に倒れ行く。
「ぐっ……、そんな、馬鹿な真似が出来るはず、もが――っ!!!??!?!?!」
「死に晒せ。渾成気闘・蝕」
普通に考えて有り得ない、ただでさえ死に体の永新をさらに危機に瀕する可能性すらある行為を、ましてや今日出会ったばかりの、それも妖魔と倶利伽羅の敵同士で行うなど、正気の沙汰ではないものを目の当たりにした人形使いはあまりの衝撃に飛び乗って来た永新の事も忘れて叫び声を上げる。
しかしそれも、人形使いの胸に馬乗りになった永新が振り被った、肘から先を失った右腕を口に捻じ込まれて声を上げる事すら不可能になる。
一瞬にして広がる鉄の味と、汚泥を煮詰めたような、血の匂い。最下級のそれと似て非なる味に人形使いは眉を顰めるも、続く永新の黒い笑みと共に放たれた霊力に、人形使いは必死で藻掻き始める。
だが、マウントポジションを取った永新の前では細身の人形使いの藻掻きなど意味を成さず、それを見た永新が霊力を変換した、次の瞬間。
「――ッ!!!!!!!!!!!!!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?????!!!」
声にならない叫び声を上げて人形使いの目や鼻、口や耳と言った、人形使いの穴と言う穴から妖魔を焼き尽くす黒い炎が噴出したかと思うと、次の瞬間には人形使いの頭が爆散し、あちこちに黒い炎が飛び散る。
「ハァッ、ハァ……っ」
黒い炎は永新にとっても危険であるのには変わらないのだが、永新は黒い炎の生成と同時に勢い余って後方に弾き飛ばされており、黒い炎がその身に降りかかる事は無かったのだが、後方に下がっていたが故に、見逃さなかった。
「――キヒッ」
「っ、人形使いは、まだ、生きてる……!!!」
倶利伽羅内部に長年潜んでいたスーツの男さえも、人形使いが持つ人形の内の一つ。
てっきり人形使いは人化の術を使っているからと思っていたが、実際は違う。人形使いはずっと、妖魔の状態で人形の中に隠れて、人形を操っていたに過ぎないのだと。
そんな人形使いが死んだと油断したその隙を狙って、人形使いの本体が取った選択は「逃亡」であった。
人形使いの本体、それはまるで影のように床を滑って移動し、永新達から遠のいて逃げて行く。
「逃が、さない……!」
霊力の大半を失い、肘から下の右腕を失い、全身は軽度から重度の火傷、脇腹には刀が貫通した傷跡。
本来なら動く事すらままならないはずの永新が、限界を超えて、死力を振り絞って立ち上がる。
視界は朧気で、息も絶え絶え。
それでも、自分のやるべき事を見誤らずに、永新は地面に転がった刀を拾い上げ、惨めにも逃げていく人形使いの後を追いかける。
「ハァッ、ハァ……っ!!!」
千変万火の加速力を発揮さえ出来れば、人形使いとの距離など無いにも等しいが故に、永新は一歩を踏み込んだ。
――人形使いを、倒す。
ただその一心で踏み込んだ一歩は永新の強い決心に呼応した霊力がいつかの日のように制御できない程に膨れ上がり、気が付いた頃には永新の体は浮遊していて、目と鼻の先に人形使いの本体が迫っていた。
「あああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!」
正真正銘、死力を尽くした一撃は、永新の体が倒れ込むようにして逃げる人形使いへと刀が差し迫る。
人形使いが逃げるよりも早く、永新の刀がその身を刺し貫くかに思えた、次の瞬間。
「キヒヒッ」
人形使いの笑い声が響いたかと思えば、肉を裂く感覚が永新の刀を握る手に伝わってくる。
「……は?」
そんな呆けた声に続けて、咳き込む声と水音が永新の耳に飛び込んでくる。
永新がゆっくりと顔を上げると、そこに見えたのは、妖魔擬きの磐田陸人の胸に深々と刀が突き立つ光景。彼は「なんで俺が」と困惑の渦中にあるようだが、確実に心蔵が貫かれている彼は、最早助かる見込みはない。
「俺、は、妖魔のはず、だから……、俺は、こんなんじゃ、死なな、くて……? え? あ? に、人形使い、おれ、俺は、妖魔に、なって……、妖魔にしてくれ、たはずで……?」
「キヒヒャハッ!! 殺したなァ、燼月永新ン……? お前は私の想像を遥かに超えた化け物だった、賞賛に値する、が……、私の狙いはお前だけじゃ無かった訳だ。そして私は今から、別の目的を果たす。それはつまり、私の勝ちと言う事だ……ッ!!! キヒヒャハハハハハッ!!」
「待、て……!!!」
「人、形使い……、俺は、俺は、どう、なる……?」
「……私は今、燼月永新と話しているんだよ。そもそも、遊ばなくなった人形を構う奴が、どこにいるって言うんだ? 所詮は愚図の倶利伽羅だったからな、妖魔として殺すのも、勿体ない。命が尽きるその時まで、死の恐怖を味わうと良いさ」
「あ、あ……!! う、嘘だ……! た、助、けて――」
得意げに永新に勝ち誇った顔を見せる人形使いであったが、磐田の問いに対しては酷く冷徹に答えを授ける人形使い。
悍ましい程の笑みを湛えた泥沼のような人形使いは、妖魔であって妖魔ではない彼に絶望を叩き込み、彼は絶望のままに心臓の鼓動を停止させ、瞳から色を失っていく。
「キヒヒャハッ!! 見てくれたか、燼月永新。これが、実験の成果だ……! 楽しんでくれたか? 次に会う時は、もっとお前が興奮して、絶望するようなサプライズを用意しておいてやるよ!!! キヒヒッ! では……、また会おうか、燼月永新クン??」
床に這う影のような妖魔、人形使いはその陰に目と口だけを浮かべて勝ち誇った笑みを見せた後、床に溶け込むようにして去っていく。
「ま、て……」
その後を追って、永新は立ち上がる。されども、再びの奇跡が永新の元に舞い降りる事は無く、磐田陸人の亡骸を置いてふらつく足取りで人形使いが去った方向へと歩みを進めるのみ。
――こうして、連盟本部での燼月永新対人形使いの戦いは終わりを迎える。
永新は人形使いを仕留めきれず、千夏は家族と呼べる二人を解放したものの仇討ちには至らなかった。
決して胸を張って勝利したとは言い切れずとも、たった二人で上級妖魔と対峙してどちらも欠ける事無く生き残ったという事実は、倶利伽羅にとって非常に大きな成果だったと言えよう。共闘し、生き残ったその片方が燼月永新でなければの話ではあったが――。




