70話
「――永恋ちゃん、命令を無視してまで着いて来なくてもいいんだよ?」
「いえ……、千夏さんを一人で行かせたら、どうなるか分からなかったので」
「何それぇ?」
「それに、命令無視なんて、今日が初めてじゃ、ないので」
永新達が動き出したのと時を同じくして、東地域一帯における倶利伽羅への作戦通達、及び作戦遂行の命令を無視して動く倶利伽羅の影が二つ、連盟本部で暗躍していた。
片方は成人女性、もう片方は少女と言う、姉妹と言われても不思議ではないような関係を見せる二人の倶利伽羅は人目を避けるようにして連盟本部を駆け抜けていく。
赤坂千夏と、小暮日永恋。
先日の満月の夜以来、永恋の方から千夏を気に掛ける関係性を築いた二人は、とある思惑の下で行動を共にしていた。
あの日の夜、同じチームの二人を失った千夏は半ば自棄になっていた。
隊長でもあり、父親代わりでもあった、虎徹。兄貴分の、天音。
これまでずっと一緒に過ごして来た家族同然の仲間が戦っていたのに、自分は逃げる事しか出来ず……、そんな自分に嫌気すら差していた千夏は、例え表面上では取り繕えていても、自分の心までは騙せずに苦しんでいた。
敵の手に堕ちた天音によって付けられた傷の療養中、何度二人の後を追おうと考えた事か。
しかし、それでも彼女が自死を選ばなかったのは、父親代わりでもあった虎徹の、最期の命令である「俺の仇を討て」と言う言葉が忘れられなかったから。
彼女はただ、虎徹と天音を殺した妖魔をその手で屠る為、復讐の為だけに今を生きていた。
あの満月の夜、関東南地区第十二区画における死者行方不明者の総数は八十六名。その内、千夏の仇である妖魔と対峙した三十余名にも渡る倶利伽羅の姿が消えてしまっていた。その中には当然、虎徹や天音も含まれており、生き延びた倶利伽羅の話や現場の状況から、妖魔の情報を保有するアーカイブズが妖魔の正体を特定した。それが――
――人形使い。
上級妖魔は身体的特徴や戦闘面の特徴を捉えた名を冠する事があり、上級妖魔「人形使い」は遥か過去、最後の上級妖魔が目撃された以前に記録が残されていた。
それは千夏にとって幸運かそれとも不運かは分からずとも、彼女の目の前に続く復讐の道程が晴れた事と同意であった。
そんな憎悪を抱く千夏に、あの満月の夜に行動を共にしていた永恋が近付いたのは偶然ではなく必然であった。ただ、永恋が千夏を復讐の道へと背中を押す為の更なる情報を手にしていた事は、本当に偶然だった。
「……あの妖魔を、私は見たことがあります」
貫かれた腹部の療養と経過観察のために入院していた千夏の元に、見舞いにやって来た永恋がそう言ったのは、永恋が千夏に同情したからだろうか。
永恋もまた、千夏とは異なる理由ながらも妖魔を追う者として、全てを失い奪われた千夏の気持ちを痛い程理解できた。それ故に永恋は、自分の欲しい言葉を千夏に投げかける。あの時、自分の胸が高揚したように。
「あの妖魔は、連盟本部の人間に化けているかもしれません」
永恋はあの夜、人形使いの姿を遠目からとは言え目撃していた。
とは言えそれも一瞬の事であり、確実性は限りなく低いものであった。それ故に永恋は断言が出来ずにいるものだと、著しく信憑性に欠けた永恋の戯言に千夏は初め、懐疑的であった。
沈んだ心は浮つきもせず、むしろ馬鹿げた話で期待させるような物言いに苛立ちすら覚えたせいで「帰れ!」と罵ってしまいそうになった。しかしそれも、ようやく永恋の方を向いた千夏は、永恋の真剣そのものと言った様子を目の当たりにして、罵倒の言葉はすっかり引っ込められてしまった。
しかし、永恋は人形使いを遠目から視認したに過ぎず、彼女の思い浮かべる人物とはどうやっても結びつかないはずなのだが、永恋は「間違いなくそうだ」と確信していた。
それは、言うなれば永恋の第六感が確信づかせていると言うもので、口で説明できるものではない。
昔から永恋はその第六感である「勘」と言うものが良く働き、背景と同化しかけていた何でもない永新を見つける事が出来たのも、彼女のその「勘」が働いた結果であった。
これは小暮日家に代々伝わる神子と呼ばれる伝承であり、過去にはその「勘」でもって倶利伽羅に益をもたらし四家に招きあげられたという伝承がある程のもの。近代になってその勘を持って生まれる子は居なかったが為に四家からは離れ、名家としての存続を続けてきた小暮日家であったが、先祖返りとも呼べる第六感を持って生まれた永恋は、小暮日家にとって重宝されていた。故に自分勝手に運命の人として最底辺に属する燼月家の一人息子を婚約者として迎え入れる事が出来ていた。
そんな永恋の第六感が指し示した人形使いの正体。既視感を辿ったその先には、永恋がかつて名刺を受け取ったあの連盟の男に繋がっていて、永恋が調べ上げたアーカイブズの資料と共に千夏の前に晒し出される。
「間違いなく、この男が人形使いです。私が、千夏さんを案内します」
「こいつが、人形使い……!!」
連盟の名簿に載っていない連盟の男。
けれども、確かに連盟に在籍している矛盾だらけの男。
隠し撮りされた写真の数々を強く握りながら、千夏の目からは大粒の涙が零れ落ちた。
「虎徹さん、天音さん……、仇は必ず取ります……! だから、私に、力を貸して下さい……!!!」
その決意の表れである涙声を承諾の合図として、二人は行動を開始した。
求められるのは、確実な死の遂行。
過去に人形使いと呼ばれる妖魔と同じ個体であるのは、あの満月の夜の蹂躙劇から見ても考えられる事。それに加えて、今まで倶利伽羅の内部に息を潜めていた周到ぶり。そう簡単にはチャンスなど訪れないし、そう簡単には相手も隙を見せない。
であるならば、千夏の仇討ちに求められるのは、相手にこちらを脅威と思わせる事だった。
相手が上級妖魔で手練れである事は重々承知の上で、たった二人でそれを討たねばならないと言う課題はあまりにも実現不可能に近かった。しかし、不可能を可能にする方法ならあった。
それが、新型霊具。
新型霊具には刀剣型の他にも様々開発されており、小暮日家の力を十全に振るった永恋は、その全てを手に入れる事が出来る立場にあった。
その上で、人形使いを討つ絶好の機会を待ち続けた結果、倶利伽羅が大々的に動くその日を決行の日に決めたのであった。
「……止まって下さい。そっちの道じゃ無くて、こっちを通りましょう」
「え、どうして? こっちの方が近いのに――っと、それも、永恋ちゃんの勘、なんだね?」
「はい」
「確かに、永恋ちゃんの言う通りに進んできたけど誰にも会ってない。本当に便利だねぇ」
予知能力や未来視、そんな言葉で持て囃された事もある永恋の「勘」。
先祖返りだなんだと期待された当時は、小暮日家当主である祖父から「お前の力は特別なものだ」と言い聞かせられて育ったため、悪用はしない、乱用はしないと決めていた。
これは、特別な力。自分の為じゃ無く、誰かの為、倶利伽羅の為の力なんだから、と言う一心で。
しかし、今の永恋本人はもう、それを特別なものとは思っておらず、こうして配属命令を無視して連盟本部に残る目を避けて目的地に向かう為の手法の一つとして乱用していた。
そんな心変わりを覚えたのは、紛れもなく永新の妖魔堕ちの一件がきっかけであり、二人の約束の日を間近にして知った永新の置かれた環境に自分を許せなかったのが始まりだった。
――学園でも居場所が無く、親から憎まれて家庭にも居場所を失った永新の変化にすら気付けない「勘」なんて、無用の長物。
予兆はあった。
永恋はそれを自分の忙しさにかまけて、見抜けなかった。――否、永新は強いから、優しいからと決め付けて、自分の要求だけを叩き付けていた事実から目を背ける為に、永恋は全てに絶望した振りをした。
そうじゃないと、そうしないと、永新がもう二度と、戻ってこないような予感がして。
だからこそ、永恋は自分の第六感、その力を憎み続ける。
今この瞬間すらも、憎み続けている。
本当に助けるべきは永新であったと強く思いながら、自分を安全な元へと導く忌々しい「勘」を、憎み続けているのであった。
「……ごめんね、永恋ちゃん。こんな事に、付き合わせて」
「これは、私の為でも、あるんです」
「そっか。やっぱりね。私もなんとなく、そうなんじゃないかな、って感じてたよ。永恋ちゃんには、何か別の目的があるんじゃないかな、って。永恋ちゃんはずっと、今じゃ無くてここから先の未来を、遠くを見ている気がするな、って。……永恋ちゃんはその、例の燼月永新を、ずっと追いかけてるんでしょ?」
「ッ」
「妖魔堕ちした、燼月永新。倶利伽羅の間では知らぬ者はいない、近代における大罪人。そんな彼の事を、永恋ちゃんはずっと追いかけてる。私だってお姉さんだからそれくらいは分かるよ。その上で、聞かせて欲しい。……永恋ちゃんは、この先の何を見ているの? 永恋ちゃんの勘は、何を伝えているの?」
「…………何も」
「え?」
「私の第六感は、永新の事に関して、一切、何も、伝えてくれません」
千夏の疑問に、永恋は何一つ包み隠すことなく、真実だけをありのまま伝える。
永恋の先祖返りの力。
千里眼。未来視。予知能力。数多ある呼び名はあれど、それに通ずるのはどれも「勘」と言う所有者である永恋だけが分かる神通力。
過去にはその力によって大災害を免れたり、数多ある危機を乗り越えたりと様々な恩恵をもたらしてくれたと言う伝承が残る力は今――、永恋が最も欲してやまない奇跡を辿る事すらなく、沈黙を保つのみ。
連盟員に見つかる可能性を知らしめてくれている点から、間違いなく効力を発揮していると言えるのだが、永恋が求める彼に関しては、一切の沈黙を貫いたままなのであった。
それが永恋にとってどれだけ残酷であるか、一瞬にして思い至った千夏は思わず息を飲んでしまう。
もし仮に千夏がその力を得ていたとして、その力が人形使いに決して辿り着かないのだとしたら、それは激しい絶望を余儀なくされるだろう。
それ故に、千夏は怒りを露わにする永恋の背に向かって謝罪を投げかけるのだが、どこか諦念の乗った声で永恋は「構いません」と返すばかりだった。
「……それでも私は、一生をかけてでも、永新を探します。命をかけて、永新と、会えるまで……」
「わ、私で良ければ、協力するよっ。……ううん。協力、させて欲しい。永恋ちゃんの、力になりたいの」
「そうですか。でもその前にまず、人形使いを仕留めないといけませんから。覚悟は、いいですか?」
「そうだね。……フゥ。いつでも、行けるよ」
「では、作戦通りにお願いしますね――」
たかだか倶利伽羅二名の力では到底太刀打ちできない上級妖魔を相手する為に考えた策、それは奇襲策以外に考えられず、背後からの一撃で致命傷を与えられなければその時点で撤退することまで考えていた。
そして、この作戦において奇襲と言う重要な役割を担うのは、千夏の方。
対する永恋の役割は人形使いの気を引く事。
普通に考えれば霊力の総量が多い永恋の方が致命傷与える役割としては適任ではあるが、人形使いの気を引く行動を取れるのは永恋に限られているがためにこういった役割分担となっていた。
障害物の影に隠れて移動していく千夏を他所に、永恋は開けた場所に堂々と歩みを進めて行く。
永恋と千夏の二人が決戦の場として選んだのは、連盟本部一階、エントランスホール。
本来であれば多くの倶利伽羅や連盟員が情報の精査に行き交う光景が見れるのだが、東地域一帯に任務が要請されている今、連盟本部一階のエントランスホールを利用する人物はほぼゼロに近い状態が広がっていた。普段では決して見る事が叶わないような光景、昼夜問わず騒めきが支配する空間が、シン、と静まり返ったそれは、まるで深い海の底に迷い込んだかのような違和感に襲われる。
そんな中を、我が物顔で革靴の音を鳴らしながら連盟本部を闊歩する人影が、一つ。
縦に長い全身を黒いスーツに押し込んだ、糸目のニヤケ面が胡散臭い男。
見る角度によって色が変わる黒髪は時折永新の藤色の髪に見えて腹が立つのだが、その苛立ちを微塵も感じさせずに永恋はやって来たその男の前に姿を現す。
「ちゃんと、来たわね」
「来るに決まってるじゃないですか、やだなぁ、もう。……でも、私にも仕事と言うものがありましてね、あまり時間は無いんですが、それでもよろしいですか?」
「なにをそんなに急いでいるのか知らないけど、きちんと電話したでしょう? 文句でもあるの?」
「……一方的に電話で用件だけを残して、後は着信拒否ってのは約束もクソも無いんですがねぇ?? でも、こうして会えたのですから、いいでしょう。それで? 決心は付いた、と言う事でよろしいですか?」
「一つだけ聞かせて」
「はい、なんなりと。燼月永新の居場所から、彼が今何をしているかまで、全てお教えできますよ? 何が聞きたいのですか?」
「……永新は、私について、なんて言ってた?」
「それはもう……燼月永新も、会いたい、と言っておりましたよ。恨み言の一つも吐かずに。小暮日永恋さん。あなただけが、大切な存在だから……と。それから……、四家に強い恨みを抱いている、とも。自分がこうなったのは、すべてあいつらの所為だ、と。小暮日永恋さん、あなたが今もまだ彼らと共に居る事が、甚く嘆かわしい……と仰っていましたとも。私と一緒に来れば、燼月永新に会えます。共に参りましょう?」
糸目を更に細く歪めながら得意げにそう口にした男は、ただひたすらに永恋の神経を逆撫でする言葉だけを選んで口にしていく。嘘を真実のように、言葉を巧みに操る男は永恋を引き込もうと、自分の駒にしようと動くその様は周到かつ姑息。
そもそも、男の計画では自分の下に連絡が来た時点で計画は完遂しており、この後に何が待っていようとも永恋を自分の駒にする事は確定しているようなものであった。これまでもそうであったように、今回がイレギュラーな事だとは微塵も考えていないのは、自らが上級妖魔である自負による驕り。
しかしそれも、男の正体が露見している状態であれば滑稽なものにしか見えず、永恋は必死に笑いを堪えながら、歓迎するかのように腕を開いた男に対して拒絶の意を突き付ける。
「――嘘ね。永新はきっと、誰も恨んでなんかいない。私がどれだけ永新と一緒に居たか分かってるの? 人生の半分。いや、もっと長い時間一緒に過ごしたのに、私は何も気付けなかった。だからこそ、私は、私達は、自分を許しちゃいけないの。責め続けなきゃ、いけないの。……悪いけど、私はあなたとは一緒に行けないわ。私は私で、永新に続く道を往くから。だから貴方は――」
「小暮日永恋、お前は、何を、言っている……?」
「――地獄に行くの」
どこか優しい笑みを浮かべた少女、永恋の姿を前に、男は表情に困惑を浮かべる。
しかし、男が永恋に対して違和感を抱くには遅すぎた。
永恋がゆっくりと持ち上げた手を逆さに翻して彼女の親指が地面に向けて突き立つと同時に、背後で莫大な霊力が膨れ上がるのに驚愕の意を示す。
だがそれも、気が付くには遅すぎて。
「紅蓮一刀流、奥伝。朧花月――」
音もなく近付いた千夏が、轟炎を纏う刀を振り上げると同時に男も振り向く。
その顔には焦燥と驚愕が滲んでいて、同時に千夏は復讐心を更に燃やす。
そうして振り下ろされるは、虎徹の魂を宿した紅蓮一刀流の奥伝。
本来であれば千夏の霊力では放つ事すら難しかったそれを刀に宿したのは偏に、彼女の復讐心に霊力が応えた証。
それはつまり、千夏の思いが、復讐を実現させるに至ったのであった。
馬鹿な、と悲鳴を上げる事すら許さない、とばかりに振り下ろされる奥伝は、やがて男の身を焼き尽くす。上級妖魔の魂までもを焼き尽くす一刀。
千夏の怒りが、憎しみが、復讐を果たさんとばかりに、振り下ろされて――




