69話
倶利伽羅の中心、倶利伽羅の心臓部とも呼ばれる、灼火導連盟。その本部。
本部は倶利伽羅の歴史が最も深い灼骨家がある西……ではなく、火加々美家管轄の東に置かれており、四家主導の新しい霊具の開発や、数多いる倶利伽羅の所在の把握に、毎月訪れる満月の夜に備えての倶利伽羅の適切な配備、更には術式を込めた護符の作成・販売など、業務は多岐に渡る。
その中には当然、倶利伽羅や妖魔の情報を保管する部門も存在していて、虎鐘はそのアーカイブズを管轄する人員であった。
しかし、自分の置かれた場所が倶利伽羅の集う連盟本部の中だと知らされた永新にとっては虎鐘の所属などどうでもよくて。彼が今扉一枚を隔てて応対している相手が倶利伽羅であると言う事実の方が永新にとっては重要かつ、危機感と警戒心を限界まで引き上げざるを得なかった。
「こ、ここが、倶利伽羅の、中心地、だって……!?」
「何度も言わせるな、燼月。倶利伽羅の心臓部、連盟本部の一室がここだ。……おい、現実逃避しようと掃除を始めるな、馬鹿者」
「御子様が私めの私物に御手を触れて下さった……!!! これら全ては家宝としよう、そうしよう」
「真面目だけが取り柄だった男にポンコツ属性まで加わるとはな……。この件が終わったら処分するしかないか……」
「ヒイィ!?! ま、真宵さん、落ち着いて下さいぃ……! み、御子様も、私めはミニマリスト故に掃除も簡単ですので、お手を煩わせる程ではありませぬぬぬぬぅ……!!」
「うわ……」
扉の向こうにいた人物との応答を終わらせた虎鐘が、一人だけ異なる意味で悍ましい程に顔を歪めて葛藤に及ぶのだが、その葛藤ぶりを目の前で披露させられたが為に永新は却って冷静さを取り戻す。
まるでジェットコースターのような感情の起伏に弄ばれた永新はどうにか呼吸を落ち着かせるに至るが、自分の鼓膜すらも震わせる鼓動だけは変わらずに早鐘を打ち続けていた。
「落ち着いたか? 落ち着くまで待つ暇がある訳でも無い。連盟本部に足を踏み込んだ理由を手短に説明するぞ。まず、オレ達の目的からだ。オレ達の目的はただ一つ。白麗様を殺すに至る可能性のある貴重な倶利伽羅、それを内部から分裂させ瓦解させる事を目論んでいる妖魔が、倶利伽羅内部に潜んでいやがる。今回目的は、そいつの駆除だ」
「潜んでいる……。つまり、スパイ、って言う事は――」
部屋に一つしかない高級椅子にどっかりと座り込んで足まで組んで話し出した真宵の言葉を、自分なりに噛み砕いて飲み込もうとした永新がポロっと言葉を零す。すると、永新も真宵もその言葉に心当たりでもあったのか、二人揃って視線が一つに重なりその言葉が意味する人物へと焦点が注がれる。
「……え? わ、わわわわわ私めではございませんよ!?!? と言うか、真宵さんはご存じのはずでは!?」
「冗談だ、冗談……な?」
「じょ、冗談には聞こえませんがぁ!??」
「とまぁ、うちの真面目なところだけが取り柄のスパイは置いて措いて、倶利伽羅内部に不和をもたらそうとする妖魔が潜んでいやがる訳だ。今回は倶利伽羅がそいつらに気付いて動き出すまでこっちも勝手に動く訳にはいかなかったもんでな、時間がかかった、って訳だ」
「そのスパイは妖魔……なんだよね?」
「それは確定情報だ」
「……うん、出来る。そいつを、倒せばいいんだね?」
俱利伽羅の心臓部、連盟本部にまでやって来たものだから、相手は倶利伽羅の裏切り者なのかと不安がよぎった永新であったが、真宵の話を聞いてようやく鼓動が落ち着きを取り戻すに至る。
相手は倶利伽羅ではなく、妖魔である。
この情報は永新にとっては朗報であった。
倶利伽羅と相対する事に関しては覚悟を決める事が出来るようになったとは言え、それには決して短くない時間が必要であり、出来る事なら避けて通りたい道であったが故に永新はホッと胸を撫で下ろすのだが、真宵は永新のその心を見抜いた上で沈黙を貫いて必要な事だけを述べる。
「……これは確定事項だ。お前の覚悟があろうとなかろうと、お前には強制的に参加してもらう。お前の成長したところを、少しは見せてみろ」
高圧的で、まるで突き放すかのような物言いに永新はほんの僅かに体を強張らせるが、「お前になら出来る事しかやらせない」と言う、いつかの信頼の裏返しである真宵の言葉を思い出して、力強く頷くのであった。
しかし、二人の間にある信頼関係を知らない虎鐘にとっては、彼が崇拝の如く期待を寄せる永新を真宵がパワハラよろしく追い詰めている図式にしか見えないせいで誤解が生まれ、間に割って入らざるを得ないのであった。
「ちょ、ちょっと待ってください真宵さん!! あ、あまり御子様を虐めないで下さい……!」
「は? 虐める? ……燼月がそう思っているかはわからないだろう」
「え、俺ですか……? 俺は、別に……。むしろこれは真宵先生に信頼されている証かと思っていますし」
「はぅあッ!? 御子様が毒されてしまっている……!?? ぬぅぅぅぅん!!! わ、私めが守らなければ……!!!! そ、そもそも、我等妖魔の希望である御子様がいらっしゃるのですから、わざわざ倶利伽羅に手を貸す必要など、無いのでは!? 私めもそろそろ倶利伽羅に囲まれる生活から抜け出したいですし……」
「倶利伽羅はあくまでも保険だ。燼月が失敗しないとも限らない以上、保険は多いに越したことはない。そしてそれをむざむざと貪らせる気などさらさら無いと言うだけだ。それに――」
「それに……?」
「……いや、なんでもない。目的が理解できたのなら、次は状況の説明に移るぞ」
途中まで言いかけた真宵はそこで言葉を切って話を動かす。
歯切れの悪い真宵が珍しい永新はそれを気に掛けるのだが、真宵の纏う空気から口ごもった言葉の続きを口にするつもりは無いのが分かったため、永新は黙って真宵の状況説明に耳を傾ける。
「――まず、倶利伽羅は現在、三手に散っている。それも、倶利伽羅がようやく自分達の体内に潜む病魔の存在に気付いたからで、それを確実に排除すべく倶利伽羅は動いている。……一つはここから数十キロ離れた先の工場跡地でそこでは北の盟主である炎導ササラを贅沢に使って囮にしている。囮兼戦力として数えているんだろうが、火加々美の当主はえぐい事を考えつく。そして二つ目が、神来戸獅子王本人。燼月を襲った際、やつはこのオレすらも知り得なかった実験段階かつ秘密裏に開発していた新型霊具を持ち出していた。見覚えはあるか? それを唆したやつ、ないし探ろうとするやつを炙り出す為に四家の監視の下、神来戸獅子王は囮にされている。そして三つ。最後の一つが、皇龍火の元。これは最悪数には数えなくても良い人数だが……正直動きは読めたものではない。虎鐘、これで合っているよな?」
「はい、現在倶利伽羅は裏切り者捜索に尽力。私めも存じ上げなかった新型霊具を巡ってのものであるのは間違いありません。裏切り者が全て排除されれば、その新型霊具はお披露目となるでしょうが……、真宵さんはそれをお望みで?」
「所詮、有象無象が身の丈に合わない木の棒を振り回すようになるだけだ。オレにしてみれば何も変わらない。それで、燼月。今のを聞いて何か質問は?」
「……皇、龍火ってあの人の事、だよね」
永新が気にかかったのは、その男の名。
かつて永新が教授し、そして永新が弾き飛ばした老教師の名。
彼の名を耳にした永新は表情を曇らせながらも、自分の右腕を切り飛ばした事、命を奪おうとした瞬間の光景が脳裏を過り、複雑な表情を見せる。
「……そうだ。お前を捨て置き、お前を憎んだ悪しき倶利伽羅。その男の名だ。だが安心しろ。奴は死に体だ。例え再び立ち上がったところで、死体が動いているのに過ぎない。お前が気負う事ではない」
「……俺は、真宵先生を信じてるから」
「あぁ、それでいい」
自分の問いに肯いを返した真宵の答えに嘘が無い事を確信した永新は、それだけ分かればいい、とばかりに顎を引き続く真宵の言葉を待つ。
「今言った三か所で、倶利伽羅は内に潜む病魔を誘き出そうとしている。だが、そこには二流三流の偽物しか現れない。どうしてか分かるか、燼月」
「妖魔は、もっと姑息だから。つまり、倶利伽羅に潜む妖魔は、裏の裏をかくんだ。……その為に必要なのは、倶利伽羅の、内通者。本物の、倶利伽羅を裏切ったやつが、いる……?」
「す、素晴らしい頭の回転の速さですな御子様は……!!!」
「その通りだ。妖魔は、倶利伽羅内部の情報に精通している。丁度ここの、虎鐘のようにな。だが、今回の妖魔は虎鐘よりももっと深く、倶利伽羅の深部にまで到達している可能性が高い。そしてそうなるように手引きが出来るのは、同じ妖魔である虎鐘を除けば倶利伽羅以外には考えられまい。恐らく、何人かの倶利伽羅は妖魔の甘言に惑わされ、寝返っていると考えるべきだ」
人の心を乱し、惑わせ、付け入る。
知性を持った姑息で周到な妖魔が使う手法で、一度懐に入られたらそう簡単には抜く事が出来ない、厄介な存在。そんな事が出来るのはまず間違いなく上級妖魔であり、恐らくその妖魔は今回の神来戸獅子王の一件で新型霊具があると言うのを確信したはず。
であるならば、そいつが現れるのはどこか――、そこまで語った真宵は、話のバトンを虎鐘に渡す。ここから先は実際に倶利伽羅の内情に詳しい虎鐘が担当する。
「倶利伽羅内部には階級と呼ばれるものが存在していて、分かりやすく言えば、どれだけ妖魔を倒したか、どれだけ強い妖魔を倒したかで評価が決まります。現時点で最上に君臨するのは、北で上級妖魔を仕留めたと言われている北の盟主、炎導ササラ。それに続くのが――」
「その話は今は関係ないだろう。さっさと先を話せ」
「……と、とにかく、倶利伽羅にも上下関係と言うのが存在するのです。それは長年やっていれば上がると言うものでは無く、質と言うものを重視する能力主義。それは戦闘技能を習得し得なかった後方支援担当の連盟員であっても同じ事なのです。私めはその点、アーカイブズの管轄を任される程に情報整理が出来ると言う評価を与えられており、連盟の中でもトップクラスの評価を得ております」
「唐突な自慢……?」
「えぇ、これは私めが誇れる重要な点であって――っと、これ以上の脱線は真宵さんの目が怖いので本題の戻るとしましょう。……コホン。つまり、何が言いたいかと言いますと、今日に至るまで姿を隠し続けてきた倶利伽羅内部の妖魔、それは私以上の評価を手にした連盟員、と言える、と言う事です」
「連盟員……。それってどれくらい凄いんですか?」
「凄い、と言うものではありません。頭に『とんでもなく』が付く程に粘り強く我慢強い妖魔だったと評価しても尚余りある根性の持ち主だと言えます。何せ、今日に至るまでにどれだけの時間を費やしたのかなど、想像すら出来ない程のものです。……先程、年月と質に応じて昇格があると申しましたが、後方支援に徹するしかない我々にとって質の評価、と言うのは非常に難しいものでありまして、中級妖魔を倒せば評価が上がる、と言った分かりやすい基準が存在しないのです。それ故、連盟員として評価を上げていくには、決まって時間が必要。……それも、管轄を任される私めよりも上の立場と言えば尚更の事」
「上の立場……?」
「はい。そもそも、既知の妖魔や所属する倶利伽羅全て、霊具の種類や護符に至るまでの全てが網羅されているべきアーカイブズを管轄する私めですら今回の一件、新型霊具と言う情報は寝耳に水の情報だったのです。そんな、噂すらも断絶していた情報を手に入れられるとしたら、開発を担う四家に近付ける存在しか有り得ない。もしくは、それに接触できる人物に限られます」
「――っ、待って。連盟の上の存在だけじゃなくて、四家の身内すらも、妖魔に寝返った可能性が、ある……!?」
「えぇ、それは十分に考えられます。そうでなければ、ここまで倶利伽羅の動きの裏をかけるはずが無いのです。そして私めはその線から洗って疑わしき人物を徹底的に調査しました。その結果、容疑が固まったのはただ一人……」
虎鐘が仰々しい様子で次に口にする言葉を今か今かと待ち構える永新。
そうして紡がれるのは、倶利伽羅の情報を網羅するアーカイブズを管轄する虎鐘が精査した、極めて正確性の高い情報であり、真実であった。
「――天炎家の指南役に抜擢された、上等級の資格を持つ東地域随一の倶利伽羅、叢雨勇哉。この男が、間違いなく妖魔と繋がっています」
「天炎家……っ!? なんで、そんなところの倶利伽羅が、妖魔に……」
「燼月、自分の事を棚に上げて物を言うつもりか? 外法を用いていないだけで、その男は妖魔に堕ちたようなものだ。お前と同じだろう」
「それ、でも……っ」
「真宵さん、それは言い過ぎです。御子様には、御子様の立場と訳があって――」
「――それでも、だ。その男に石を投げていいのは現役の倶利伽羅のみだ。そこを履き違えては、オレ達はただの野生の獣に堕ちるのみ。オレ達妖魔は、妖魔らしく、妖魔として邪魔者を排除するのみ。違うか?」
永新の経緯を知るからこそ守りたくなる虎鐘に対して、永新の一生を知るからこそ守るべき一線は越えさせない真宵の間で対立が起こるも、真宵の言葉に「その通りです」と自分の認識を改めた永新が話を途中で止めた事に対する謝罪を一つして、虎鐘に続きを促す。
「御子様が良いなら、良いのですが……。オホン、そして私めは叢雨勇哉の行動を把握しております。倶利伽羅が倶利伽羅の思惑で動く一方、本来であれば四家として神来戸獅子王の監視に動いていなければならないこの男は今――この連盟本部に居ます」
「……そこに、妖魔が居るんですね?」
「はい。新型霊具の奪取に動いた妖魔が、倶利伽羅の作った隙を突いて今、叢雨勇哉と共にこの瞬間に動き出しているに違いありません」
「……待て。それが他の場所同様に偽物ではない、という証拠は? その妖魔が本物であると言う確実性は本当にあるんだな?」
「っ、それは……!! ……連盟員の名簿に、その男の名が無いのです。全ての連盟員と照らし合わせても、その男だけは存在しない。けれど、確かに連盟員として存在しているのです。名前も、何もかもが不明の男ではありますが、確実に存在している、としか言えません……」
真宵の問いに「うっ」と冷や汗を流した虎鐘に、任せた仕事を完遂していない虎鐘に鋭い目付きを向ける真宵は露骨に舌打ちを見せる中、助け舟として入ったのは他でもない永新であり、思案顔のまま虎鐘の謎多い発言をフォローする。
「話を聞く限り、その妖魔は酷く完璧主義なんだと思う。だからきっと、その叢雨勇哉と一緒に居るのは、間違いなく妖魔だと思う。だって、ここまで来て倶利伽羅や他の妖魔に成果を掠め取られる可能性を残しておくなんて、これまでの妖魔の動きとは考えられない。矛盾しているよ。だから、その妖魔は間違いなく本物で良いと思う。……問題は、その妖魔がどれだけ強いのか。どんな手を使ってくるのか、だと思う」
「そう! 完璧主義です! ここで動かないのだとしたら、これまでと動きが異なる……つまりそう言う事ですね。流石は御子様です!!」
「どんな手を使って来ようが、燼月、お前のやるべきことはただ一つだ。妖魔をぶち殺す、それだけだ」
その声に、永新は一度瞼を下ろした後、少しの間を置いてからゆっくりと瞼を開く。
先日相対した中級妖魔、異界をモノにして上級へと成ったばかりの、知性の欠けた妖魔とは異なる正真正銘の上級妖魔との邂逅。それに備えて覚悟を定めた永新は、にやりと微笑んだ真宵と目を合わせて頷くのであった。
「――よし、やる事がハッキリと分かったのなら、早速行動開始だ。……オレや虎鐘の援護は期待するなよ。上級妖魔相手にその期待は必ず隙になる。燼月、お前はお前の力だけで最初から最後まで乗り切るつもりで戦いに臨めよ」
「はい!」
「虎鐘ェ、案内!!」
「わ、私めもですか……? 戦闘能力は無いと、申したばかりでは――」
「……お前の崇拝する御子様の戦闘を、見ないんだな?」
「――ッ!? よ、悦んでこの目に焼き付けさせていただきますッ!!!!!」
二人を見送るつもりだった虎鐘の尻を叩いて先を行くよう告げた真宵は、虎鐘が部屋の外に誰も居ない事を確認している間に椅子より立ち上がり、本当にただ寝る為と資料の整理しか目的ではないミニマリストな虎鐘の部屋を軽く物色した後、安全を確認した虎鐘に続いて永新が出て行くのに着いて連盟本部を歩いて行く。
虎鐘が叢雨勇哉の行動を把握しているとの事で、最も人との遭遇率の少ない抜け道を通ってそこに案内するのだと言う。
「……何があっても、な」
「……? 何か言いましたか、真宵先生?」
まるで厳重な研究施設もかくやと思しき廊下を興味深そうに視線を彷徨わせる永新の後ろを歩きながら、真宵はそんな事を呟くと、緊張で肩肘張った永新が振り向いてくるのだが、真宵はその後ろから肩を掴んむと、永新の耳元で声を囁いた。
「……見ていてやるから、成長したところを、師匠に見せてくれよ」
緊張を見抜かれた永新であったが、その声に自分の両頬をパチン、と叩いて赤くさせた頬を見せると、再度真宵を見上げた顔からは迷いも緊張も消え去っていて、やる気に満ちた足取りで、倶利伽羅に潜む妖魔の元へと歩みを進んで行くのであった。




