6話
明くる朝、いつもの如く新夏から激励の言葉を背に受けた永新であったが、その心持ちはいつもとは異なっていた。
嫌が応でも他者と比べられ、コンプレックスを植え付けられる環境に身を置いて来た永新にとって初めて芽生えた自信のようなもの。それが永新の背筋をピンと立たせており、学園へと向かう足取りはこれまでで一番軽いと言っても過言ではなかった。
それに何よりも、父親である永政から向けられた関心に心が躍っていたのも理由の一つと言えよう。
今朝は既に倶利伽羅としての責務を果たしに永新が起きるよりも早くに家を出てしまっていたが、今日こそは、とばかりに期待に胸を膨らませてもいた。
「……、」
けれども、そんな自信や期待も学園に近付けば近付く程薄れていってしまい、教室の扉の前に辿り着いた頃には今まで通りの、俯きがちで背を丸くした永新の姿に戻ってしまう。
扉一枚を隔てた教室から聞こえてくる喧騒に身の毛もよだつかのような緊張を永新に押し付けて来る。これは比喩でも無ければ大袈裟な話でもない、毎日永新が晒される環境への恐怖が体に染みついている所為であり、たかだか付け焼刃程度の自信ではやはり乗り越えるのは難しい。
「おはようっ、永新!」
「――ひょわっ!?」
言いようのない不安が押し上げて来たその時、天高く晴れ行く快晴に響くような晴れ晴れとした声で永新の名を呼び、その背を叩く者が現れたせいか永新は思わずと言った様子で肩を跳ね上げる。
学園において永新の事を下の名で呼ぶ者は永恋以外にはいない為、一瞬「すわっ、永恋か!?」と心の中で叫び声を上げるも、聞こえて来た声が男の声であった事を思い出して、驚き竦めた肩のまま恐る恐る声がした方に顔を向けていく。
するとそこには、太陽のような笑みを湛えた男児、才覚と環境に恵まれた四人の天才の内の一人である、天炎晴也の姿がそこにはあった。
「よっ、永新! 昨日は大丈夫だったか? 俺達皆心配してたんだぜ? それにしても、昨日のお前の破魔弓術、凄かったなぁ。昨日から永新の事、みんなして神童って呼んでるんだぜ? 俺達の自慢だよ、お前はさ」
「っ……!」
屈託のない笑顔、軽やかな会話、距離感の詰め方。
これまで四家として、名家の子供達に混じる不純物としてしか見ていなかったはずの永新に対して突然の対応の違いに戸惑わざるを得ない永新は、言葉に詰まってしまう。
「教室の前で屯されては他の方に迷惑ですよ、晴也さん、燼月さん」
「……」
「おはよっ、永新!」
天炎晴也に肩を抱き寄せられて困っていると、後ろから更に声がかかる。
その声の主は、晴也と同じく四家の令嬢、火加々美甘奈。どこか含みを持たせるような声とは裏腹に、表情はにこやかであり、そんな彼女と共に現れた御厨七星と小暮日永恋は正反対の反応を見せていた。
「あっ、永恋ーー」
「ねっ? あたしが言った通り、永新は凄いんだからっ!! ほら行こ、永新! みんな待ってるよ!」
これまで四家の面々は、永新の事を呼ぶ事は疎か視界に入れる事さえしてこなかった。
四家から見た永新の印象は「永恋の腰巾着」。ただそれに尽きるのみで、甘奈や七星に至っては意図して避けてさえいたのが、霊力の実践授業が終わった翌日からこれまでの対応が嘘のような豹変ぶり。永新にとってそれは胃を鷲掴みにされているような居心地の悪さを感じずにはいられず、逃げるように永恋が手を引くままに教室へと飛び込んでいく。
しかし教室へと逃げ込んだところで結果は変わらず、拭いきれない居心地の悪さは追い込み漁のように永新を絡め取って離さなかった。
「昨日のあれ――」
「あの時倒れたのって――」
「もう動いても――」
ガラガラ、と音を立てて永恋が扉を開けた刹那、教室中に広がっていた喧騒がはたと消えたかと思うと、教室中の目が一斉に永新へと向いたかと思うと、永新は忽ち生徒の壁に囲まれては怒涛の勢いで質問攻めに合う。
「――何をしている! 既に鐘が鳴ったのが聞こえなかったのか!! さっさと席に着け!! 燼月、お前もだ!」
怒涛の質問の嵐に圧倒され、何一つとして満足に答えられないでいた永新であったが、いつの間にかやって来ていた老教師の喝によって永新の元に集っていた生徒たちは渋い顔をしながら散り散りになって各々の席へと戻っていく。
老教師の到来は永新にとって救いの船であったが、飛び交う質問の中に聞こえた「神童」と言って自分を持て囃す声に、居心地の悪さを忘れてしまえるような充足感を覚えてすらいた。
永新の元に駆け寄ってきた生徒たちの中には、当然これまで永新に対して邪険な扱いや厭う視線を向けて来た者達もいると言うのにも拘らず永新の心に満ちたのは、父親から関心を得られた時と同じ、満足感。それを以て、自分自身をようやく認めることが出来たような、けれども自分の事では無いような不思議な感覚は永新の胸の奥を疼かせる。
これまでの苦難の数々が報われたような心地に、老教師に叱られたのも気付いていないかのように席に着いた永新はどこか上の空で、言うなれば有頂天に昇り詰めていた言っても遜色ない様子を見せるのであった。
そんな永新の隣で、永恋は大好きな永新が皆に認められたと思う反面、自分だけが知る永新の魅力に皆が気付き始めた――取られてしまうかもしれない、という独占欲が顔を覗かせるのだが、これも永新の為だと膨れっ面を見せながらも見守るに留まる。
永新にとって憂鬱でしか無かった朝の時間に革命が起こった永新に対して、老教師はどこか浮ついた空気もそこそこに何事も無かったかのように授業を始めていくのだが、そこに横やりを挟むが如く声を張り上げる生徒が一人。
「――先生! 燼月のような霊力を俺達が使う事は出来るのでしょうか!?」
授業に取り掛かろうとした老教師の手を止める発言に、教室中にピリッとした空気が流れる中、永新はその発言をした生徒からの粘り付くような気配を察してようやく我に返る。
発現した生徒の名前は分からないが、彼が永新を良く思っていない事は確か。
これまでに幾度となく永新に対して執拗なまでの嫌がらせを行ってきた生徒であり、そんな彼も倶利伽羅の中では有数の名家の子供である以上、永新が逆らうような真似は出来なかった。けれども昨日の霊力の実践授業による一件は、永新が心配していた四家の面目同様に、名家の面子を潰すには十分な出来事であった。面目に関しては、四家以上に体裁を気にする名家である。今回の一件で出る杭を打つ役目を担ったのはその家の子供であった。
「……霊力の励起に関しては、現時点ではこればかりは才能と言う他無い。つまり、燼月はあれだけの霊力を一度に励起させると言う才に恵まれたのだ。しかし、だからと言って他の皆に才覚が有されていないという訳ではない。通常、霊力の励起は段階を踏んで行っていくもの。体に流れる霊力に慣れてから一段、また一段と量を増やしていくにつれて、肉体は霊力に耐えうる強度を保てるようになる。そこを、燼月は他の皆よりも数段上の場所からスタートしたと言うだけの話だ。お前達も鍛錬を積めば、早い者では一年もあれば追いつけるだろう。鍛錬を、弛まなければの話だがな」
授業を邪魔されたせいか、不機嫌な様子を隠さない老教師だが、それでも子供達に分かりやすく説明を果たす。
老教師の言う通り、永新が行ったのは鍛錬によって取り戻せるだけの範疇にあるもの。
四家や小暮日家と言った成績優秀者が、学園に通う前から霊力の実践を行っていたのと話は何も変わらない。彼ら彼女らに四半期か半年の実践経験と言う名のリーチがあったとするならば、永新には才覚と言う名の一年のリーチを持っていたに過ぎない。
この有利を生かすも殺すも本人次第、と言うのは昨日老教師から直々に告げられた内容と同じものであった。
しかし、それでは納得など出来ない生徒が一人、二人――。
「先生! ですが、燼月は下級の家の者です。家庭教師もろくにつけられないような家の子が、我々は疎か四家の方々をも出し抜く事など、本当に可能なのでしょうか!? もしかしたら燼月は――」
尚も引き下がらない生徒の一人は、老教師に向かって抗議の声を強くする。
その声に釣られたのか、四家や永新に駆け寄ってきた数名を除く殆どの生徒は永新に対して懐疑的な視線を送っており、教室全体に「燼月永新は不正を行ったのではないか」と言う空気が満ち満ちる。
段々と騒ぎが大きくなっていくのに反比例して永新の肩身が狭くなっていく中で、老教師は教室は疎か学園全体に響き渡るかのような喝を叫び、一瞬にして静寂を取り戻す。
永新に対して不正を声高に叫んでいた男児に至っては、老教師の喝を真正面から受けたせいか涙目になりながら静かに椅子に腰を下ろしていた。
「……以前から言っているだろう。他人の実績を羨むことはあれど、妬んだところでお前達が強くなるわけではないと。燼月の霊力におかしな点は何一つとして無い。正真正銘、燼月本人の霊力で間違いは無く、彼の才能だ。……ちょうどいい機会だから教えておこう。霊力は血に宿った力。自分の血に眠る霊力を起こす以外に身に宿る霊力を増やす方法は、無い。外部からの影響で霊力を一時的に増強させる【霊具】と言うものも存在しているが、それはあくまでも外付けのもので、お前たち自身の身体に眠る霊力を増やしているわけではないのだ。そして、その霊具と言うのが、お前達の両親、祖父母、兄姉が身に纏う法衣こそが霊具であり、それらは【成人の儀】を迎えた者にのみ与えられる品だ。そして、それ以外の手段で霊力を増強する手段は【外法】と呼ばれ、倶利伽羅において禁忌に指定されている。外法に手を染めた倶利伽羅、それらは総じて――妖魔と同じ扱いを受ける事になる」
「妖魔と、同じ扱い……ですか?」
「外法に関しては家庭教師が扱ってはならないとされているから、四家のお前達も知らないのも無理はない。では、天炎よ。この世界において妖魔とはどんな存在か? 答えて見せろ」
「はい。妖魔は、ただ人を襲う悪しき存在。倶利伽羅が、浄滅しなければならない存在です」
「その通りだ。つまり、外法を用いた倶利伽羅は、同じ倶利伽羅の手によって滅せられる……言葉を濁す必要もあるまい。同じ倶利伽羅の手によって、殺さなければならないのだ。この意味が分かるか? 今、燼月に対して不正を、外法を用いたのではないのかと疑いかかった者は、燼月に対して『お前は妖魔である』と言ったのと同じ事だ。……これ以上私の口から燼月を貶めるような言葉を出させるようであれば、私はお前達に倶利伽羅になる資格は無いと判断し、私はお前達の今後の指導を放棄する。……燼月は紛れもなく才児だ。それはお前達も同じ。現時点において燼月が神童であるのは紛れも無い事実だ。理解したのなら、もうこれ以上その口を開くな。……無駄な話は終いだ、授業を再開する」
心底不快である、と細められた目の奥から覗く眼光は、四家と言えども子供に向けるような眼ではなく、それ以降は誰も無駄口を叩く事は無くなった。
永新を擁護するような、贔屓しているような発言とも取られかねない今の言葉は、永新に対して味方を作るような発言どころかむしろ敵を作るような発言であったのか、その日一日はそれ以上のやっかみは無かったものの、消えたと思い込んでいた悪意の視線がより色濃くなって注がれるのみであった。
それでも、永新にとってみれば老教師が自分を認めてくれている、と言う事実だけでも背中を押されているような気持ちになったのだが、その認識だけでは永新に対する不満と言う名の火種は延々と燻り続けるのであった。
「永新、一緒に帰ろ?」
「うん……」
永新を中心にそれだけの出来事があったとしても、永恋は変わらない感情を永新に向け続けてきてくれる。
「じゃあな、永新っ」
「また明日、お会いしましょう」
「……フンッ」
「……良い気になるなよ」
これまで一言たりとも話しかけられた事のない四家が、永恋に続いて別れ際の挨拶まで飛ばしてくる。
これを異様な光景と言わずして何と言うのか。
永恋が普段と変わりない様子で声を掛けてきてくれているのに対して、四家は今までとはまるで違う対応を見せる現状に永新は今日一日鳥肌が立つような思いを強いられていた。
そんな中で唯一普段と変わりない様子を見せていた永恋だが、そんな彼女も四家のようにいつか、なんらかのきっかけで変わってしまうのではないか、と思うと、永新は永恋の思いに正直に応えることが出来ない不信感が宿っている事に、自ずと気付いてしまった。
永新にとって、永恋との関係は望んだものでは無い。
故に、この関係は永恋が飽きたらお終いであって、そうなれば永新はこの地獄のような環境から解放される。けれどもそれは母親を失う事に繋がっており、永新としては望んではいない。そんな複雑に絡み合った相反する感情に苛まれる永新は、気が変わって欲しいと願っている自分と、今まで通り接し続けて欲しいと願う自分と言う、自分自身の余りにも傲慢な側面を理解して、自分で自分が嫌いになりそうだった。
四家からの挨拶に曖昧に答えた永新は、永恋に手を引かれるがままに帰路につくのであった。




