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5話

 

「――目が覚めたか」


 深い水底から浮かび上がってくるように意識が覚醒していき、重い瞼が持ち上げられる。

 目が覚めて一番に飛び込んできた情報は、はっきりとしない視界が捉える見慣れない天井よりも先に、嗄れた声が耳に入ってきた。


 永新はその声のする方へと頭を動かすと、次第にはっきりとしてくる視界が捉えるのは、普段と変わらない顔色を見せる老教師の横顔。


「……せん、せい」

「まだ横になっていると良い。燼月の身体は今、霊力を大きく損耗している状態にある。霊力は血、血は霊力である以上、過度な貧血状態と言っても過言ではない。そうなっては、体を休める他回復する手立ては無い」

「でも……」

「……燼月は気苦労の絶えない性格だな。授業の方は気にする必要は無い。別の教師に代わりを任せているし、燼月が遅れている分の課題は当然用意してあるからな。それを熟す為にも、燼月は自分の身に何が起こったのかを知る必要がある」


 老教師を前にベッドの上で寝そべったままと言うのは忍びないのだが、永新の身体は全くと言っていい程言う事を聞いてくれない。


 老教師から見た永新の顔は真っ青を通り越して青白さすら浮かばせているが、老教師はそれが普段からの過労も加わっているなどとは考え及ばない。


 そんな永新は体を起こすどころか、手指を動かすことでさえ一苦労。目が覚めた永新が意識してしまえば、頭を動かすことでさえ精一杯と言う程までの虚脱感に襲われていた。全身に重りが付けられているかのような、味わった事のない極度の脱力感を前に恐怖心すら抱いてしまいそうだったものの、老教師と言う頼れる大人が傍に居てくれる安心感がそれを薄めてくれる。


 ――かと言って永新が自分に与えられた環境から抜け出す為に老教師を頼るかと言われたら「NO」と答えるのだが。


 それは、永新が自分に与えられた試練が如き環境を、憎んではいないからであった。

 永新もまた、母親である新夏(わかな)を救う為には自分がこの環境に身を置き続けるしかないと理解しているからであり、大好きな母親の為ならば分不相応な努力だって耐えられる、と本気で思っているからであった。

 父親である永政が自分を少なからず憎んでいる事も、施された情操教育の一環に加え、顔色を伺い生きて来た短い人生の経験から、子供ながらにして理解している。

 しかし子供にとって、永新にとっては親こそが世界の全てであり、新夏の体調が快復に向かっている間は嘘でも永政が褒めてくれるからこそ、永新は頑張ることが出来ていた。例えそれが歪んだ愛情だとしても、永新は幼心から親からの無償の愛と言うものに飢えているが故に、今の永新をこの環境から引き離そうとしてもそれを欲するあまり自分の意思で地獄に身を置きたがるのであった。


 完全なる負のサイクルに身を置いているというその事実を知るのはこの世に一人としておらず、永新に見向きもしない永政は疎か、新夏でさえも我が子の秘められた心の奥底までは見抜くことは出来ていなかった。


 そんな歪んだ子供心がまさか自分の胸の奥で渦巻いているとは露とも知らない当人、永新は自分の身に何が起こったのかを老教師の口から聞かされる。


 圧倒的な脱力感に苛まれて再びの睡魔が永新の脳内を侵す中、永新は必死になって意識を失う前の記憶を浚って思い出す。けれども、永新が思い出せるのは、自分が想像もできないくらい大きな炎を生み出して永恋が喜びを露わにしたその瞬間まで。その後はすっかり記憶が抜け落ちているのだが、老教師が語る内容で永新の記憶は補完されていく。


 ――曰く、永新が破魔弓術を放つ際に、先生の言った通り永新の身体に眠っていた霊力が永新の願いに()()()のが原因なのだと言う。


 しかしそれは永新のみならずに他の生徒も同様。

 生徒の子らも彼らの内包する霊力が応えたからこそ、ほぼ全ての生徒が破魔弓術の初級を発現させてみせたのだから。


 霊力は、老教師の解説の通り、持ち主の強い思いに応えてくれるもの。

 それを、今回の実践授業において実際に体験させ、子供達に霊力を定着させるのが目的であった。

 その為には必要な憧れであったり、明確な目標を見据えさせることで子供たち一人ひとりに霊力を励起させることを老教師は念頭に入れて、これからの倶利伽羅としての芽吹きを計画していた。

 それに一役買ったのは言うまでもなく一番に破魔弓術の初級を皆の前で披露した成績優秀者達、四家と小暮日家の子息令嬢達であり、老教師は恐れ多くも彼ら彼女らを示範として扱ったのであった。けれども、それがあったからこそ生徒らは活気づき、自分達も追いつきたい、やってみたい、と強く願ったからこそ生徒たちの霊力は呼応した。


 普通、初年度の齢六つを数えたばかりの子供達であれば、初めての実践授業でまともに霊力を放つことが出来るのは良くて半数程度。その反省を踏まえつつ、霊力への理解を深める授業と体作りを並行して行う事によって、半年後までには全員が破魔弓術の初級を使えるようになるのが通例であった。

 だと言うのに、今年は四家が揃い踏みした事に加えて、小暮日の秘蔵っ子までもが加わった事によって、生徒の多くは触発されて、初めての実践授業において九割もの生徒が破魔弓術の初級を発現させると言う異次元とも呼べるような結果を叩きだしたのであった。

 残る一割の生徒も、初級の発言には叶わなかったものの、矢の先に火を灯す事に成功したりなど、欠片も可能性を有さなかった者は存在しない、まさに黄金世代と呼ぶにふさわしい結果を残していた。


 当初予定していた例年通りの授業計画と言う名の老教師の目論見は黄金世代が作り出す光景を前に崩れ去ってしまい、想定を遥かに上回る若い芽が次々と頭角を現す光景に一人興奮し熱を上げていたのだが、そんな老教師の前に更に常識を覆す存在が現れた。それこそが燼月永新であり、永新は四家や小暮日家をはるかに凌ぐ例外中の例外であった。


 霊力の励起と言うのは、例えるならば蛇口を捻る事に良く似ている。

 初年度における霊力の励起と言うのは、家庭教師による指導や事前の予習の進行度において程度は変わるものの、基本的には軽く捻ってちょろちょろと水が出る状態。四家や小暮日家が見せた破魔弓術の初級も、現時点では潜在的なストッパーがかかっているが故に軽く蛇口を捻っているのに変わりはない。それでもあれだけの威力を出せるのだから、彼らの将来性は推して知るべしと言える。


 それならば永新も将来性は凄まじいのかと言われれば、全くの逆。


 永新が行った霊力の励起は、蛇口を捻るどころか元栓を引き抜いてしまい、貯蔵庫の中身を全て吐き出したと言える。


 そうなるとどうなるかと言うと、破魔弓術の初級は初級とは思えぬ威力を持って、四家や永恋ですら中った的に火を灯すので精一杯だったというところを、内から爆散させ、更には周囲へ炎を撒き散らして延焼を誘う、と言う過剰と言える程の威力を放ったのであった。あれだけの威力を持つ初級であれば、最下級である低級妖魔にも通じるだろう、と実際に俱利伽羅として数多くの妖魔を討滅してきた老教師からのお墨付きをもらったところで、永新は一抹の不安から瞳を揺らす。


「――それは、四家の面子を、潰したって事になりませんか……?」


 永新が良い成績を収めるのは、永恋の実家である小暮日家からはむしろ望まれているが、四家は話が違う。

 四家は優秀だから四家な訳ではなく、四家だからこそ優秀でなければならない為、自分達より上に四家以外の者が加わるのは断固として認められない。生まれながらにして強者である事を、優秀である事を強いられる生活など永新には想像もできないが、それでも彼ら彼女らはその地位に相応しい努力をしてその地位に立っており、同じく成績優秀者として名を連ねる永恋でさえも四家の上に立つことは無い。

 それをポっと出の、しかも名も知らぬ底辺の俱利伽羅に負けたとあれば、四家の面目に泥を塗った事に違いない。とは言え、四家が直接永新に何かを及ぼす様な真似をするはずもなく、むしろ四家の子息令嬢らが更に血反吐を吐くような努力を強いられるのみ。それが、四家に生まれた者に課せられた使命であり、責務であるから。彼らの人生に敗北の二文字はあってはならないのだが、今後一生彼らの人生において「燼月永新に敗北した」という事実は付き纏う不興となったのは間違いなかった。


 故に永新は四家から直接の不興よりも、不興を買った彼らの子供達が永新に対して不興を抱く事を何よりも恐れていた。自分の為した成果に感動して打ち震えるどころか、永新が()()()()()()()()()()を口にしたが為に、老教師はそんな永新の背を押すかのように言葉を返す。


「気にする必要は無い。初めての励起で通常よりも大きな霊力を動かすことが出来た者は、将来大成すると言われている。かの有名な世界的に活躍する日本を代表すると言っても過言ではない倶利伽羅、(すめらぎ)龍火(りゅうび)も、六歳当時で既に計り知れない霊力の片鱗を見せていたと言われている。言わば、()()と言うものだ。お前はそれに並んだのだ、燼月。お前はいつか、大きなことを成し遂げるだろう。それ故に、もっと自分に自信を持て。お前には凄まじい霊力が眠っているのだからな」


 そう言って励ます老教師であったが、彼の心には永新には聞くのも憚られる一抹の不安が残されていた。


 霊力は強い思いに応えてくれる。

 それは確かに間違いなく、憧れや尊敬、目標や目的と言った前向きな、正の感情に応えてくれるのと同じように、妬み嫉みや愛憎、屈辱や殺意と言った負の感情にも例外なく呼応する。思いが強ければ強い程、正の感情にも負の感情にも同じように呼応する霊力の勢いは苛烈になると言うのが、霊力の特徴。

 老教師のような大人からすれば、人の命を奪う妖魔への強い怒りと、正義感と言う正と負の感情に霊力は応えてくれる為、むしろ使い勝手が良いとすら感じていた反面、それが子供に大きく見られたとあれば、話は変わってくるというもの。


 幼心は移り気、と言われる程子供の心はある特定の感情を強く念じる事は難しい。

 早い段階で成長を強いられる俱利伽羅と言っても、生徒の年齢は僅か六歳。まだまだ子供の盛りである以上、感情の方向性は粗方想定が付くとは言え、それの確かめようは無い。


 普段から燼月永新の傍には小暮日永恋が居る事から、彼女に良い所を見せようとした……程度ならば何も問題は無いのだが、もし万が一永新の霊力が負の感情に応えたのであった場合、早急な手立てが必要となる為、老教師は永新の観察を心がけることを頭の片隅に置いて措く事にした。


 何せ霊力の過剰反応と言うのは、万が一の場合術者の命の危険すらある。

 今回は気絶で済んだから良いとは言え、しばらくは永新が霊力の行使をする間は注意して見守らなければならないだろう。せめて肉体が精神に追いつくまでは。


 そう言った考えを、敢えて本人には伝えず、彼の親御さんにのみ報告すべきだろうと考え至るのみで、現時点では老教師が永新本人にその事を伝える事は無いのであった。


 とは言え、老教師の不安もそこそこに、子供と言うのは存外単純なもので、自分が特別であると感じればそれだけで心は満たされると言うもの。

 如何に早熟を強いられる倶利伽羅の子供と言えども、比較対象に倶利伽羅であれば誰でも知っている倶利伽羅最強の男と同列に扱われれば目を輝かさざるを得ない。

 先程まで永新の表情を覆っていた暗い不安の様子はいつしか晴れ渡り、輝かしい未来を見据える瞳で老教師に問いかける。


「僕は……強く、なれますか?」

「それは、これからの燼月次第だろう。だが、まずは自分の霊力に耐え得る肉体作りが先決だ。一度励起した霊力は眠りにつく事は無いから、安心して、時間をかけて体を育てるといい。――おっと。どうやら、迎えが来たようだ」


 迎えに来たのは、父親の永政。

 当然だろう。母親はベッドの上から立ち上がる事は出来ないのだから。


 その後、迎えに来た永政は老教師としばらく話をした後に、永新を背に乗せて帰路につく。

 生まれて初めて感じる父親の背中は大きく、逞しかった。


 そして何よりも、永新が為した成果を喜んでくれたようで、父親が永新と目を合わせて会話してくれた事が永新にとっては何よりも嬉しかった。

 上機嫌な永政は永新を背負ったまま新夏が待つ部屋に突入したのだが、嬉しさの余り帰路につく途中で永新が披露から眠ってしまった事には気付かなかった。


 この日、永新は僅か齢六つにして、神童と呼ばれるのであった。





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