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4話


 翌朝、昨夜口にした夕食と同じメニューを腹に収め、「今日も頑張っておいで!」と唯一人、永新の背を押してくれる母の声を背に、永新は家を後にする。


 学園に着いた永新は、昨日改めて選択して綺麗にしたばかりの運動着に着替えて、修練場と呼ばれる場所へと移動していた。その際に教室の何人かが面白くなさそうな目をしていたのに永新は気付いておらず、永恋に腕を引かれるがままに移動を終わらせるのであった。


「――霊力は血、血は霊力。即ち倶利伽羅にとってそれは財産であり、生かすも殺すも当人次第……と言われるように、霊力は健やかな肉体、健やかな精神によって育まれる。これより君達は肉体と精神の成長期に差し掛かる。それに伴う形で、その身に、その血に宿る霊力も増加していくだろう。その身より溢れた霊力は妖魔を引き寄せる。しかし不必要な場合でも呼び寄せてしまわぬよう、これより霊力の制御、及び使い方を教えていこうと思う」


 昨日のカジュアルな恰好から着替えて、法衣に烏帽子という格式ばった厳かな雰囲気を醸し出しながら語り出した老教師の表情は、いつになく険しい。それもそのはず、これより行うのは危険が伴う霊力の実践授業だからこそ。


 けれども、既に家庭教師から似たような話を繰り返し耳にタコができるくらい聞かされた名家の子供達にとってみれば退屈で、先取りして学んだ内容を一刻も早く披露したい、と浮ついた空気を放っていた。

 だが、その名家たちよりも進んだ学習内容を頭に入れている四家や永恋は冷静さと熱意を持って教師の話に耳を傾けており、倶利伽羅が操る霊力の危険性を頭でも心でも理解できているようだった。


 そしてそれは永新も同じで、唯一学習内容が遅れている者として初めて耳にする内容にメモを取る手が止まらない。

 家政婦を雇う事すらやっとの燼月家に、期待していない永新の為に家庭教師を雇うなどと言う、金を溝に捨てるような真似を永新を愛していない永政がするはずもなく、永新にとって霊力の実践自体初めてであった。

 小暮日家から送られてきた一年限りの契約の下、指導いただいた家庭教師から叩き込まれたのは、この学園に通う上で欠かせない最低限の学力と礼儀作法、それから肉体作りの基礎のみ。本来であれば霊力の実践までカリキュラムに組み込まれていたものの、永新の出来の悪さ故に一年では到底辿り着けることが出来なかった因縁と呼ぶには自嘲が過ぎる内容のもの。


 倶利伽羅が霊力を武器にして妖魔と戦うと言う事自体は知っているものの、霊力の実践授業の空気を肌で感じ取ると、その血が自分にも流れているのだと再認識されて、興奮が冷めやらない。


「ふぅ……」

「精神統一か? 俺もやろうっと」

「神来戸の威厳を、示す為に……」

「さ、最初なんだから緊張する必要なんて、無いわよ。家庭教師から教わった通りにやればいいだけでしょう? 簡単よ」

「うふふ。そう言う七星も、声が震えているじゃない」

「う、うるさいわね! あんたにだけは、負けないわよ。甘奈!」

「これは競うものじゃありませんよ? まぁ、どちらが優れているかは成績が示してくれますけど」

「そう言うところが――ッ!!」

「まあまあ、落ち着けよ二人とも――」


 老教師の長い話がようやく終わると、次は即座に実践授業が開始――という訳にもいかず、当然の如く始める前の準備体操(ストレッチ)は欠かせない。

 二人一組でペアを組むのだが、四家同士で組まれたペアとそれ以外とでは明らかに緊張の重きが異なっていた。


 名家の子息令嬢に家庭教師が付いているとは言え、実際に霊力の実践が行われるのは指導の後半から。故に、名家の子供達とは言え実際に霊力の実践に触れられたのは四家と言えども僅か一年弱。その差は確かに大きいけれども、決して追いつけないと言う程のものでは無く、興奮の中に緊張が混ざる空気が修練場に満ちていた。


 その中でも、上位四家である火加々美、天炎、神来戸、御厨の期待を背負う彼ら彼女らにとっては、四家としての恩恵と同時に責任も背負わねばならず、この実践授業において不出来な成績を残すことなどあってはならなかった。

 名家と比べても類稀なる霊力を宿した血を引き継ぐ者として、()()()()()()で済ませてはならず、出来て当然でなければならない重圧と言うのは、かけ離れた永新は疎か、名家の子供達ですらも想像し得ない。その為、初めての実践授業とは言え、この授業に臨む意気込みは他の生徒とは明らかに一線を画していた。


 永新がそんな空気に圧倒される中、当たり前のように永新とペアを組む同じく名家出身の子、永恋は気負いのない様子で笑みを湛えていた。


「あちゃあ。向こうはアチアチだねぇ、永新?」

「そう、だね。……永恋はいいの? 向こうに入らなくて」

「ん~、あたしは別にいいかなぁ。永新の傍に居られれば、それで。それに、お爺様からも自分のペースで良いって言われてるし。それにぃ――」

「それに?」

「……んーん、なんでもない。永新はあたしだけを見てくれればいいからね?」


 いつものように永新とは縁もゆかりも無い無邪気な笑みを浮かべた後、永恋は四家達が睨み合う中に意気揚々と足を踏み入れ、地面を均すかのように仲裁に入っていく。


 それから間もなくして、老教師は散らばっていた生徒たちを再度集める。


「まずは私が手本を見せよう。皆、【破魔(はま)弓術(きゅうじゅつ)】の初級は覚えているな? 誰か答えられる者――小暮日」

「はい。破魔弓術の初級は、火打(ひう)ち、鉄穿(てつうが)ち、雨垂(あまだ)れ。この三つです」

「よろしい。以前、弓術の授業で弓の射掛けかたは教えただろう。その通りに弦を引き、矢に霊力を乗せて放つ。これが破魔弓術の基礎である。今日はその霊力を乗せる方法を見せる。その後、各自で的に向けて練習を繰り返すように。良いな?」


 霊力の扱いにおける基礎中の基礎、破魔弓術初級の説明を受け、永新以外はどこかつまらなさそうな顔を見せるも、永新は沸き上がってくる興奮を抑えきれずにいた。

 入学して早々に教わった変則的な弓術と剣道。それらと並行して学んでいける。強くなれるのだと思うと永新は体の奥から背筋を駆け上がるゾクゾクとする高揚感に瞳を輝かさざるを得ない。

 そんな前のめりになった永新の手綱を引くかのように、一人の生徒が鼻高々に挙手をして声を上げる。


「先生、【紅蓮(ぐれん)一刀流(いっとうりゅう)】では駄目なのでしょうか? 俺は弓術よりも一刀流の方が手に馴染むので」


 その声に、生徒達の間から小さな騒めきが生まれる。


 破魔弓術と、紅蓮一刀流。

 どちらも霊力を以て妖魔を滅する倶利伽羅の戦闘技能であり、長年に渡って受け継がれ、昇華され続けてきた歴史ある技術であった。

 永恋が答えた「初級」の技のようなものを【霊技(れいぎ)】と呼び、霊力の大きさや操る手段によって段階は様々、多岐に渡るのだが、俱利伽羅が用いる技能は大きく分けてその二つであった。他にも霊符を使った技能も存在するのだが、弓術と一刀流のそのどちらかに傾倒する事の方が一般的であった。


 陰陽の関係が大きい霊力において、男性は紅蓮一刀流、女性は破魔弓術、と言ったように分別されることが多いのだが、永新の母親である新夏(わかな)は紅蓮一刀流を用いていたし、四家筆頭である火加々美家当主、即ち甘奈の父親は破魔弓術において右に出る者はいないと言わせしめるほどの実力者であると言ったように、現代においては陰陽の関係などはあまり重視されていない傾向にあった。

 自分に合った、適性のある武器に可能性を見出すようになったと言える環境は、それぞれが得意の分野で突出する事が出来る為、妖魔との戦闘において非常に優位に立つことが出来るようになった。それこそが安泰の時と呼ばれし現代を築き上げた要因とも言えていた。


 しかし、今しがた声を上げた生徒は、紅蓮一刀流の方が手に馴染む等と言うのは建前で、自分はもっと上にいるのだと言うアピールが含まれている事は四家や永恋の目が冷え切っている事からも読み取れる。そんな生徒を前に、老教師は構えようとした弓矢を降ろして静かに言葉を紡ぐ。


「確かに、人によって向き不向きが在るのは事実。私も紅蓮一刀流の方が得手ではある。だが、紅蓮一刀流は未熟なお前達にはまだ早い。まずは破魔弓術で霊力を扱う上での基礎を身に着けてからだ」

「ですが……!」

「……霊力の扱いに慣れていない者が、背伸びをして一刀流を扱った末路を知らないようでは、一刀流に手を出す資格など無い。そんな愚かな真似をした物の末路は、こうなる――」


 声を上げた生徒とは別の生徒からも、紅蓮一刀流に拘る余り、教師の声を遮ってでも抗議の声が上がる。その多くは男子生徒であり、沈黙を貫くかく言う永新も、紅蓮一刀流に強い憧れを持つ一人でもあった。


 何せ、紅蓮一刀流は派手で豪快。いくら大人振とうとも、年相応に心擽られる者に強い憧れを抱くのは常人も俱利伽羅も同じ事。破魔弓術にも紅蓮一刀流と比べても見劣りしない技が多く存在するが、それらは全て高段位と言う高い霊力と技術力を求められる。その一方で、初級の霊技から洗練された動きを見せる紅蓮一刀流は子供達の憧れで心惹かれるのは無理のない話とも言えるのだが、老教師はそれらを頭ごなしに叱って否定するのではなく徐に法衣から右腕を抜いて、洗練された肉体を子供たちの前に曝け出す。


 瞬間、これまでの騒めきとは意味の異なる声があちこちから上がる。



「――霊力の扱いを誤り、無邪気にも放った紅蓮一刀流は己が身をも焼き尽くさんばかりの炎を放つ。それらを御せぬ身で放った結果、一生消えぬ傷を負うのだ」



 老教師がそう言って見せたのは、霊力が生み出した恐ろしい現実。


 老齢にしては逞しい体つきになど目がいかず、法衣の下に隠された肉体に奔る爛れた肌を目撃し、抗議の声は瞬く間に止んで、誰もが言葉を失う。

 脇腹から肩口、右腕の肘に掛けて広がる火傷の傷は、今でこそ何でもないように見えるが火傷を負った際の苦痛は、僅か六年しか生きていない生徒達には想像する事すら出来ずに黙り込む他無かった。


「――こうなりたくなければ、まずは破魔弓術で霊力の扱いを覚える事だ。良いな?」

「は、はいっ!!」

「うむ、良い返事だ。ではまずは――」


 老教師は必要以上に脅すことは無く、すぐさま法衣を気直し空気を一変させる。

 その後に破魔弓術の初級についての手本と解説を挟み、いざ実践へと移る。


「弓術の成績上位者から五人ずつ、的の前に並ぶように! 始めは合図があるまで勝手に行動する事は禁止。ではまず最初の五人から! 並べ!」


 始めに選ばれたのはもちろん、四家と永恋を含めた五人。

 小さな手でも弓を構える姿は画になるようで、生徒の殆どがその姿に見蕩れる中、老教師は合図を口にする。






「「「「「――火打ちッ!!」」」」」






 瞬間、生徒は疎か、老教師までもが声を上げて驚嘆する。


 それもそのはずで、始めの霊力の実践授業において、弓術に霊力を乗せて火を灯す事ですら難しいと言うのに、五人が五人、漏れなく破魔弓術初級を繰り出す事に成功し、揃って的の中心に火の矢を中てたからだ。


 その中でも取り分け大きな火を見せたのは、火加々美甘奈。

 初級とは思えない大きな火が燃え盛り、彼女の濡烏の髪に触れようとも、微かにすら動じる事のない堂々たる姿は正しく強者の証。普段の穏やかな様子とはまるで違う、凛とした立ち姿は鋭さすら感じさせ、その場の視線を全て独り占めしてしまう程。


 誰かが吐いた息をきっかけに驚愕から生まれた沈黙はやがて喝采へと変わっていく。


「す、凄い……!」

「これが、四家……!」

「お、オレもやってみたい!!」

「僕にもできるかな!?」

「あんな凄いのはともかく、少しならきっと……!」


「……あの、ピリッとしたのが、霊力なんだ……!」


 その興奮と熱狂の渦の中には当然永新の姿もあって。

 普段永恋に巻き込まれて相手するのも窮屈な四家の姿も、こうして遠くから眺める分には美術品でも眺めているかのように気楽で、心も凪いでいる。何せ、四家相手に無礼の一つでも働けば燼月の家など簡単に無かった事にされてしまうし、ふとした拍子に永恋を気遣えば、教室内は疎か四家の中に存在する永恋に恋する人たちからのやっかみも激しく振りかかる。

 そんな気楽さとは無縁の環境で息を詰まらせてきた永新にとって、他者と迎合し同じ感想を抱くと言うのはなんと心地良く、なんと気が楽な事か。


 四家の凄さ、霊力の可能性が自分にも眠っている事に加えて、そんな事を夢想した永新の傍に、初級を打ち終えた永恋が駆け寄ってくる。


「え~いしんっ! 見ててくれた?」

「うん、凄かったね」

「え~、なんか反応薄くなぁい? もっと褒めて! ()()()()やって!!」

「えぇ……。もう……」


 永恋以上に注目を集める四家に生徒たちの視線が向いているとは言え、衆目が集まる中でそれをやるのは、と永新が困った様子を見せるも、永恋は引く様子もなく、永新は渋々と言った様子で永恋の身体を抱き寄せる。


「本当に、凄かったよ、永恋」

「~~~っ!!!」


 永恋に言われた通り、永新は永恋の頭をわしゃわしゃと撫でまわした後、お互いの鼻先が触れ合いそうな距離で額を合わせる。そして永新は永恋の目を見て「名前と、誉め言葉」をセットで言わなければならないのであった。

 これは永恋がどこかで見た映画で行われた恋人同士の仕草だそうで、それに憧れて永新にも求めるようになったのだが、永新が必死に絞り出した「女の子は頭を触られるのが嫌なんじゃないか」と言う遠回しの拒否の言葉も「永新だけが特別なの!」と言う真正面からの好き好きオーラに永新は黙ってこれを行う他なかった。


 永恋が永新を堪能している間に、気恥ずかしさから逃れようとそそくさと離れる永新は、他の誰も見ていない事を確認するように辺りを見回し、鋭い視線を感じない事からホッと胸を撫で下ろす。


 永恋がもっと打算込みで永新と付き合ってくれていたならば、永新はもっと素直に永恋の事を嫌いになれただろう。しかし、彼女が永新にだけ向けてくれる感情と笑顔を持っている以上、永新はどうやっても永恋の事を嫌いになることは出来なかった。

 そもそも、永恋から見て永新などと言う存在は打算を込める必要は疎か、利用価値すらないのが常である以上、関わり合いになる事すらなかったはず。故に、行き場のない虚しい怒りだけが永新の中に溜まっていく事に、永恋も、永新本人でさえも気付けないでいた。


「……行かないの?」

「永新のやる所見てるよ? だから、頑張って!」


 四家の面々が称賛を浴びた後に霊力の行使で疲労を感じたのか、続く生徒達の後ろに下がっているのとは反対に、永恋だけは永新の傍から離れようとせず、そんな答えが返ってきたものだから永新は思わず困った様子で頬を朱に染める。


 ――付き合う人間は釣り合いの取れる相手でなければならない。


 いつだったか、永恋の目を盗んで近付いて来た獅子王に面と向かってそう告げられ、永新は返す言葉も無かった事を思い出す。

 そんな事、永新は誰に言われるまでもなく永新地震が一番理解していた。


 理解していたからこそ、自分に惨めな現実を突き付ける永恋を恨みこそすれ、嫌いになれず、そんな彼女を厭う自分が嫌いになって。

 理解しているからこそ、誰よりも努力を重ねる彼ら彼女らのようになりたいと憧れているのだから。



「――次の者、用意しろ!! 肩の力を抜いて、自分の体の中を巡る霊力を意識しろ! そうすれば必ずお前達の中の霊力は()()()くれる! 緊張する必要は無い。肩の力を抜け。……霊力を以て、妖魔を滅し、戦場を駆ける姿を想像するだけでもいい。そうすれば、必ず霊力はお前達に応えてくれるはずだ。さぁ、覚悟が決まったのなら放て。今できるお前達の破魔弓術初級を、見せてみろ!!」



 成績順が故に最後まで待ってようやく回ってきた永新の順番に、永恋に背を押されて見送られる。

 そうして立ったその場所には、感じた事のない熱気と、肌が粟立つような緊張が籠っているような気がする。

 老教師の声にも熱が乗り、気持ちがより一層昂る永新は静かに弓を構える。


 ――想像するは、最強の自分。


 今の実力とも呼べない実力からはかけ離れた未来の自分の姿。

 妖魔を討ち滅ぼし、拳を掲げるその姿に応えるかのように、体が熱くなる。

 まるで自分が燃えているかのような、火の中に自分が在るような感覚に、恐怖すら感じてしまう。


 これが霊力か、これが霊力なのか、と昂る思いのまま、永新は弓矢に霊力を乗せ、矢を放つ。






「――火打ち」






 瞬間、永新の目は信じられない物を目撃する。


 真っ直ぐに飛来した炎の矢は、遠方に立つ的に命中すると同時に炸裂し、大きな煙と共に的だった物の破片が宙を舞う。


 永新はそれを自分がやったのだと認識できずに困惑するものの、沈黙が聞こえてくるかのような視線の数々、四家を凌ぐ結果に降り注ぐ視線に晒されるも、次に耳に飛び込んできたのは永恋の喚起に沸く声。


「――すっごい! すごいすごいすごいすごい!! 凄いよ永新……永新? 永新ッ!?」

「えっ、あれ、鼻、ぢ……? え、れん?」


 永恋の喜びように、永新は一体何が起こったのかと事態の把握へと脳を働かせようと試みた直後、永新の身体は酷い脱力感に襲われる。


 二本足で立つのもやっとの状態の中、永恋の声だけが聞こえてくる。

 朦朧とする意識の中、永新は意識を取り留める事に奮闘するも、奮闘虚しく瞬く間に視界がブラックアウトしていってしまう。


 そうして落ちていく意識の外で、向けられる様々な視線の意味に気付くことが出来ないまま、永新は地面に倒れる。


 様々な感情渦巻く四家の視線に、気付く事はないまま――。






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